俺たちが歩くのは主要幹線道路、ということで、道の途中にはたまにポツリ、ポツリと、ドライブインが現れる。伴ってバス停もあるが、「都合により運休中」という真新しい貼り紙がされている。ドライブインも人気はなく、店の鍵もかけられている。お腹空いたよう、と、俺も、そしていい子のクラウドも、口には出さないが、思っている。水は何とか集められても、食べるものがないというのは、心細いことこの上ない。隣の街まで辿り着けたにしても、そこが出てきた街と同じような体じゃないって言い切れないだろう。
だから三軒目、午後三時を廻った頃に現れたドライブインでは、誠に申し訳ございませんと謝ってから、ドアを壊して侵入した。菓子やインスタント麺などで腹を膨らませ英気を取り戻し、レジに一筆書き残した。
陽は長く、足がくたくたになる頃、時計を見たらもう六時を廻っていた。それでもはるか遠景に、街の灯りが見えたときに、また新たな力が足に生じた。クラウドが今までよりも十センチほど大股になって、ずんずん歩いて行く。俺もそれを追う。近付くにつれ輪郭が明らかになり、大きな街、都市の周縁に辿り着いた頃にはとっぷり空は暮れていたが、その分、通りに面して拓いた店の眩しい灯りが余計に温かく感じられた。首都であんなことがあったのは、まるで違う世界の出来事だとでも言うように、人々は普通に生活していて、それがとても妙に感じられなくもなかったが。
「一先ずどこかに部屋を取ろう」
「金ないぞ」
「カオスの都合でこっちへ飛ばされているのだ、構うことはない」
ヴィンセントはそう言って、目に付いたホテルに投宿した。そもそもカオスと同じ見た目のヴィンセント、そして双子のようによく似た、というか同じ顔で、片方は猫耳ということで、ある程度の知名度は持ってしまっているらしく、フロントでは緊張したような顔をされた。食事に出る際にドアマンに俺たちに関して何か知っているか、カマをかけてみて、それはうまくかわされてしまったが、俺たちがここへ来ることは先刻承知だったらしいことは判る。
たらふく食って帰ってきた部屋はツイン。カオスにあてがわれた部屋と比べては形無しだが、安っぽい内装ながらもベッドはしっかりした作りで、クラウドは気が済むまでベッドの上で跳ねていた。元気があるのは、まあ、いいことだ。
クラウドが落ち着いて、「はー」とベッドの上に大の字になった。埃が立った部屋の窓を開けて、煙草に火を点けて、空気を清浄化したいのか汚したいのか判らないが、とにかくヴィンセントは煙草を吸い始めた。
俺もくたくたに疲れきっていた。風呂に入ったら、身体がぽかぽかして、そのままクラウドを抱き締めて眠ったらいい夢を見て、明日の昼までたっぷり眠れるに違いないと思った。だが、そういう訳にもいかない。
「……あんた何か知ってるだろう」
ヴィンセントは煙草を吸い、吐き、起き上がったクラウドと目を合わせた。
「スカルミリョーネ」
俺の言葉に、うん、とヴィンセントは頷いた。
「クラウドがルビカンテの元から戻ってきたあの日以来、あの子を見てない。魔界への移送だって、カイナッツォである理由は無かった。こっちで会えるんだろうと思ってたけど、結局一度も顔を見ていない。……あんたが俺たち残していなくなってた間、カイナッツォは『バルバリシアと行動を共にしてる』って言ってた」
俺も煙草が吸いたくなった。
「それで、今朝目を覚ましたらああだ。それだけじゃない、カオスは俺たちをこちらへ引き止めている。……何があるんだ?」
「覚えているか?カオスが言ったことを」
ヴィンセントは不意に俺の言葉を遮った。考えたくないと思っていた、言いたくないと思っていた、言葉を遮られたことは俺にかすかな安堵を与えた。
「あの灰色の牢獄で……、氷漬けにされたルビカンテを見たときに、あいつはこう言ったんだ」
ヴィンセントが言う。同じ声なら本当に「再現」だ。
「『この後のことは、何にも心配しなくていいからね。後は、僕らに任せて。……ザックスも、ヴィンセントも、悪かったね、本当に申し訳なかったね、今回は……。カイナッツォも迷惑かけたし、ルビカンテも悪い子だった。……でも、もう大丈夫だから』……、私は、恐らくお前たちもそうだろうが、その言葉を聞いて、『後』とは誘拐を含めたルビカンテの悪事の処罰と後処理のことだろうと思った。例えば、そうだな、ルビカンテを四天王に留めておくわけには行かないだろうから、後継を択ぶとか」
「任せきれる状態じゃないから、俺たちがこんな目に遭ってるんだろう、違うか」
「お前の言う通りだ。カオスの目論見が外れた。ルビカンテが罰されて、それで終わりのはずだった」
クラウドは、ベッドの上にぺたんと座ったまま、じっとヴィンセントの顔を見詰めている。ヴィンセントはその視線から目を反らす。
「……端的に言おう、私たちは今、二つの力がぶつかり合う挟間にいる」
物騒な表現を、ヴィンセントはした。クラウドの頬に緊張が走る。
「……だが、我々は現状……、それを傍観している他ない」
「そんなんじゃ、判んないよ。……なあ?クラウドだって」
「私だって判っていたら全部話すさ」
ほんの少し、苛立ったように言った。だから、俺も言葉を止めたが、「最終的に私たち三人が三人とも無事であればそれでいいだろう」、珍しくヴィンセントはその勢いに乗せて言葉を走らせた。
「カオスは私の一部であり、全てでもある。……気に食わない男だがな、あいつが悩んでいたら私としては手を貸さねばならない。お前たちだって何度あいつに救われた?」
そこまで言ったところで言葉を切り、煙草を潰した。暗い沈黙が流れた末に、彼は腹の上に指を組み、天井を見上げて長い息を吐いた。
「……カオスに口止めでもされてるのか」
俺の言葉に応えなかった。そこにどんな配慮があったかは判る。「知ることで俺たちが傷つくからか」、ヴィンセントはまだ応えない。ヴィンセントはもちろん、カオスも、俺たちの心の安らぐように気を遣ってくれているんだってことは、愚かな俺も判ってはいるつもりだ。
そして、その考えは答を導き出す。二つの力がぶつかり合う、と言った。想像するにそれは、「魔族対亡霊」という単純な構造の問題ではない。スカルミリョーネと会えないことが、それを示唆していた。
「洗い浚い、話せばいいのか。それで満足か。後で傷付いたと言われても責任は取れんぞ」
やや投げ遣りな口調で、彼は言った。そう言われれば、当然身構えてしまう訳だ。疲れているし、じゃあ訊かないで眠ってしまおうかという気にもなるが、また今朝のようなことにならないとも限らないし、事情もわからないまま右往左往を強いられるよりは余程、精神衛生上良いだろう。同じ気持ちのクラウドが、先に頷いた。
威勢良く言った割に、言い出すまでに煙草の必要が生じたらしく、ヴィンセントは二本目に手をつけた。
「……カオスは昨日、ルビカンテの封印を解いた」
ヴィンセントは目を伏せ、呟くように言った。クラウドの耳がぴんと動く。
「その上で、失踪したスカルミリョーネを探し出す任に就かせた」
「しっそう……」
「お前がルビカンテの手から戻ってきて、我が家を後にしてから姿を消したらしい」
「どうして?」
「それが判れば問題にもならん」
「……どこへ行ったの?」
「判らないから探しているんだ。……ただ、大方の意見では……、恐らく『地獄』にいるのだろう、と」
クラウドの口がぽかんと開いた。クラウドの気持ちはヴィンセント自身も既に感じたものなのだろう。彼は長く残っている煙草を消すと、クラウドを手招きした。クラウドは口を空けたまま、ヴィンセントの膝の上に乗る。
「……カオスは何故ルビカンテを許したんだ?」
痛みを思い出す。クラウドを奪われ、……本当にもう会えなくなるんじゃないかという、痛み、苦しみ。俺のたった一つの宝物、クラウドを、あの男は誘拐した。確かに何の危害も与えることなく、翌日には無事にクラウドを帰した。クラウドは美味い飯を食べたと言っていた。しかし、それが何だ。許されることか。
俺の問いに、ヴィンセントは皮肉っぽい微笑を浮かべた。
「許すも許さないも……、最初から奴は罪など犯してはいなかったんだ」
呆気に取られたクラウドと俺をからかうように、しかしちっとも楽しげではなく、ヴィンセントは言葉を継いだ。
「……クラウドの誘拐自体、カオスが指示したことだったのだからな」