降り積む誇り

 起きたのが遅くて、動き出しも遅くて、ウータイに着いたのは結局午後の三時を過ぎていた。あまり気勢の上がらぬ旅路である。どっちかって言えば、わざわざ好き好んで来たいような場所でもない。それでも、強制的に来ざるを得ない状況ではあるのだ。クラウドのために。

 読者諸氏には今更説明の必要も無いだろうが、……ユフィがケッタイな忍術で、この大地の下に眠っていた湯脈を揺すり起こしてしまったがために、いまや世界に誇る温泉名所となってしまったウータイであり、「忍者&温泉」というダッグでもって集客に励む観光都市である。が、「観光都市」という言い方は今ひとつ当てはまらない、大体「忍者&温泉」なんてダッグで若い連中が来るはずも無いのだ。今では、筋肉や関節の痛み、他、神経症、胃病などに効果があるという温泉での湯治目的の老人客が大半を占める、鄙びた国家となってしまっている。なお、ユフィの父上であるゴドー氏は、家督を継ぐ気の無いユフィに代わる後継ぎを探しに諸国を回っている最中だという。いつだったかニブルヘイムにもやって来たっけな。

 さて、この国の、やっぱり一応「女帝」であるユフィに会いに行かなくてはいけない。クラウドもそこにいるはずだから。

 スカルミリョーネ、ユフィと会うのは初めてではない。スカルミリョーネとは去年の夏、ヴィンセントと俺が野球しに遠くへ行ったときに知り合ったわけだけど、その時、俺たちの野球を見に来たユフィと、彼は会う羽目になっている。俺たちは直に見たわけではないが、ユフィ、そしてティファ、バレット、その他個性豊かな面々に囲まれて、スカルミリョーネは軽い眩暈を感じていたようである。とりわけ、俺たちと感覚が似ているらしいスカルミリョーネはユフィ=キサラギという女性の独特の「魅力」というべきか「欠点」というべきか不明瞭な部分に、結構胃の痛い思いをしたようだ。本人は語ろうとはしないが、まあ、ユフィの性格のきつさは、俺たちもよく知っていることだ。

 クラウドが絡むと、一丁前に「お姉ちゃん」ぶるから余計手に負えない、俺に説教してくるわけだ。と言っても、まああの小娘だってもう二十七だから、子ども扱いしてはいけないのだけども。

 でも別に、今回は俺が悪いわけじゃない、悪いのはヴィンセントだ、いや、クラウドが悪いんだ、自業自得だ。だから俺たち、堂々としていればいい、のだけど、……やっぱり、相性というか、苦手意識ってあるんだと思うな、どうしても、うん。

「スカルミリョーネ」

 ユフィがいるはずの、「観光事務局」もとい、お屋敷の前まで行って、俺は俺の後ろにつき従う子の名を呼んだ。

「はい」

「お前、中入って、クラウド見つけて、引っ張って来なさい」

「は……、って、そ、そんな……」

「俺出来ればユフィと顔合わせたくないよ、怖いもの」

「そ、それは、しかし……」

 私も一緒です、と顔に書いてある。

「お前……、そういう酷いことを考える奴だったのか、いくらカオスの頼みとは言え、人にお願いしておいて自分は全然苦しまないでいいって?」

「それは、でも、でも」

 目に涙を浮かべて、スカルミリョーネは反論できない。クラウドとヴィンセントがいない分、俺の思いはいま全部、この子に向かってしまう。スカルミリョーネはつまり、一番損な立場にいる訳だ。そして、そういう立場の似合うこと。

 でも、俺は半ば本気で、ユフィと会うこと、回避出来るならしたかった。今回みたいな厄介なときに、一番触れたくない相手である訳だ。

「ザックスさまぁ……」

 ほんとに泣きそうになって、この上何か言ったら、ほんとにこの子泣いちゃうだろうな、でも、俺だって嫌だし、どうしよう、そう思っていたら、がらがらがらと屋敷の扉が開いた。

「……何スカルミリョーネ苛めてんのよ」

 ああ……。

「苛めてなんかいないよ」

「嘘吐け、じゃあ何でスカルミリョーネ泣いてンのよ」

「泣いてないさ。……泣いてないよな?」

「……う、……っ、はい」

 俺は長い溜め息を吐いて、スカルミリョーネの頬っぺたに、唇を当てた。ごめんねって、息の音で謝った。

「……クラウドが来ているだろう」

 こうなっては、時間をかけても仕方がない。俺はさっさと本題に切り込んだ。

 しかし、ユフィは時間たっぷり使って、なかなか答えようとしない。スカルミリョーネの目に溜まっていた涙が、乾くくらいの時間を置いて、

「来てるよ。今はお昼寝してる」

 学校を休んでおいて、一人で勝手に出歩いて、挙句昼寝とは豪胆な。俺に似たのか。俺はもっと臆病だと思うけど。

「話は聞いたのか?」

「話って」

「ヴィンセントのことだ。……いや、違うな、亡霊のことって言ったほうがいいのか……、とにかく、昨日起こったことを、聞いたのか?」

 ユフィはじいっと俺の顔を見て、……それでまた、えらい長い時間を置いた。何かを観察しているようにも、思えるくらいまじまじと俺を見て。

 それから溜め息混じりに、

「聞きましたとも。……いいわ、とりあえずこんなところじゃ何だからさ、中入る? それともどっか出る? スカルミリョーネ」

「はい!?」

 名を呼ばれることなど想定していなかったスカルミリョーネは飛び上がった。

「……そんな怖がりなさんな。うーんと、じゃあ、……そうだね、どっか出ようか。中で話すとクラウド起きちゃうかもしれないからね。大丈夫、中にはナナキもいるし。行こ」

 スカルミリョーネは俺以上にびくびくして、俺の後ろ、影になって付いてくる。

「……そんな怖いか? いや、怖いだろうけど……」

 そっと、俺が聞くと、かぼそい声で「申し訳ございません」と答える。

「……私、……女性が苦手なんです」

「……それは、俺だって苦手だけどさ……、特にユフィは」

「生まれてこの方、女性とまともに会話したことが、ほ、ほとんど、なくて……」

 スカルミリョーネは、唇を戦慄かせて答える。

「……駄目なんです、女性は、ほんとに女性、駄目なんです」

「でも、四天王にも女の人いるんじゃなかったか? 確か風の……」

「はい、バルバリシアは、女性です、が、……彼女は、平気なのです、彼女は私の妹ですから」

「……いもうとさん?」

「はい、血は繋がっていませんが……。幼い頃から、カオスの次に、側にいて過ごしていましたから、彼女だけは、平気なのです、が、……それ以外の、人間の女性は、苦手なんです、本当に申し訳ございません。血が、拒むのです、私の中を流れる冷たい血が、女性の側で、女性を感じると、逆流するように思えるのです。……こればかりは……」

 これはかなり重度の女性恐怖症のようである。仕方がない……。

 結局「かめ道楽」に入って、俺はユフィと面と向かって、スカルミリョーネは俺の隣りに小さく縮こまって座った。まだ昼間だし、今日は平日なので、勿論ソフトドリンクだ。

「どっちかなあって、思ってたんだけどねえ」

 ユフィはそう言って、冷茶をストローで吸った。

「……あの子が言うことがホントか、アンタの言ったことがホントなのか」

「つまり、クラウドは別のことを言ったんだな?」

「そのとーり。……ヴィンセントが自分の事を苛めた、嫌な思いをさせたって。俺の心を無碍にした、俺の心を蔑ろにしたって。もしあの子の言うことが正しかったなら、アタシも怒るっきゃないけどさ、あの子の保護者の一人として」

 ……俺は認めてないけどな!

「でも、なんかこう、おかしいなあって気がしたのさ。なんか、今ひとつ納得が行かないっていうかね。アタシも、アンタとヴィンセントがどんだけクラウドのこと気に掛けてるか、とりあえずは知ってるからさ、そんな事するもんかなあって。それこそね、アンタだったら『またかよ』って、判るけど、ヴィンセントがそんな事するかなあってね」

 意外と冷静にクラウドを受け止めたらしいことを知り、俺は少しく安堵する。少なくとも「クラウドを泣かせる奴はアタシが許さないんだからね!」という決めゼリフと共に鎧袖一触を繰り出される危険性だけは回避できたようである。

「それで、まあ、アタシなりにね、いろいろと考えさせてもらって、アンタの顔見て、ああ、アンタの言ってること嘘じゃないなって思ったのさ。……ただ、クラウドの言った事が嘘だとも思ってないからね。クラウドにとってはクラウドの感じた『蔑ろにされた』っていう気持ちが、たった一つの本当なんだから」

 うん、まあ、それも理解している。昨日からクラウドは自分本位に行動して、結果苦しんだ。しかしまだ精神年齢は小学生、そこまで周囲に配慮して行動せよとは言えない。クラウドはクラウドなりにいっぱいいっぱいになりつつ行動した結果、ああいう痛みにブチ当たった訳で。無論、素直にヴィンセントの言うことを聞かなかったことは、あの子の決定的に軽率だった点として無視することは出来ないが。

 ユフィに、彼女自身クラウドからとりあえず聞かされた「亡霊」のことを、もう一度話した。スカルミリョーネはずっと俯いているままだから、俺が全部話した。クラウドの話し方より、どれほど俺の説明がわかりやすかったか判らない、多分、さほどの差も無かっただろう。

「……クラウドが変身するようになったことは?」

「聞いたよ。強くなったんだって言ってた。この力があれば、ザックスとヴィンセントを助けてあげられる、俺があの二人を守ってあげられるって、そう思ったんだって言ってた。……優しい子、健気な子、だけど、間違いは間違いだと、アタシは思ったけどさ」

「実際に、相当強くなったことは間違いない。少なくとも……、ヴィンセントと俺がもしもあの子が怪我してもいいと割り切れたなら、あの子のことを一切顧みないで戦えるくらいには。ただ、問題はあの子の強さ云々じゃないんだ」

「うん、判ってるつもりだよ」

「けどな、決定的に違うんだ。もしあの子が仮に、俺たちよりもずっと強い、全ての生き物の中で一番強い存在であったとしても、俺は相変わらずあの子のことを心配して、戦いの場でももろにそれを出して、身の程が逆でもあの子のことを守ろうとするだろう。

 だから、クラウドが強くなろうがそうではなかろうが、俺たちにとっては全く問題じゃないんだ。寧ろ、強くなられた方が、あんな風にホイホイ前線に行かれて、心臓の縮むような思いさせられる分、厄介だ。そこんところ、カオスは決定的な思い誤りをしてるよ。クラウドが強くなったところで、俺たち三人が強くなれるわけじゃないんだ」

 ふーん、とユフィは溜め息ひとつ。俺は煙草に火をつけて、二息分間を置いてから、

「でも、この考えは誰かに理解を求められるようなものでもない。ヴィンセントも俺も、クラウドの本当の親でも兄貴でもないんだ、どっちかっていったらタダの恋人、だから、関係としての強さはそこにはなくて、そう、感情の問題しかないんだ、俺たちがヴィンセントを好きっていう、気持ちの問題しか。だから、俺たちのほうが間違っているって言うことも、出来なくは無いだろう」

「っていうか、道理的にはアンタら間違ってる、クラウド正しいってことになるんだろうけどね」

「ああ、それは勿論、納得済みだ。理解している。だから感情の問題でしかないって言った通りだ」

 それで? と俺は聞いた。

「それでお前は、どうするんだユフィ。あの子の話も聞いた、俺の話を聞いた、お前はどうする? 俺としては、早いところクラウドを連れて帰りたいんだ。今日は月曜日で、明日も明後日もガッコはあるからな。それに、……クラウドから聞いたか判らないが、ヴィンセントが昨日から帰ってこない。俺にとっては二重に頭が痛いんだ。だからその片方だけでもとりあえず片付けてしまいたいと思っている」

 実際、ちょっとしんどい。俺自身には、クラウドに対して果たすべき責任以上にこれだけの胃痛を内に宿す義理もないように思える。勿論、クラウドもヴィンセントもこの身体が朽ちたとしても守りたい存在であるけれども、でも、胃も痛いものは痛いのだし、回避できるならしてしまいたいと思うものだ。尻の穴の痛いのとは、全く性質が異なる。クラウドが入れたいと言うのならいつでもこのチンケな穴くらいくれてやるけれど、いやいや、ええと、そうじゃなくてだな。

 ごくん、と冷茶の一口を飲み終わってから、ユフィは言った。

「アタシとしては」

 机の上に置いた両の手のひらを、くるんと上へ返した。

「判んないから。アンタらのことはアンタらで始末してもらうしかないし? それにさ、悔しいけどクラウドはアタシの子じゃないから、あんまどうこう言えないしね。連れて帰るって言うの、止められないさ」

「……すまないな」

「いえいえ」

 これで二人目。いや、スカルミリョーネや俺たちを含めたら、もう五人目か。でも、スカルミリョーネは別として、俺もヴィンセントも数えないで貰いたいと思うから、まあ、三人目ということにしておこう。何がって? クラウドが迷惑をかけた人数さ。

 ただ、俺がクラウドを叱責したところで効果はないと思われた。だって、俺なんかお世辞にも立派な人間じゃないからだ。ユフィに説明したとおり、俺にあるのは感情の問題だけで、それをクラウドに判ってもらうとしたら相当の努力が必要と思われる。俺にそれが出来るかどうかは謎。ヴィンセントなら上手に教えてあげられるのだろうけど、行方知れず。ユフィが言ってくれるのは効果的かもしれないが、彼女自身、もう問題から全面撤退の姿勢を明確に打ち出したから頼れない。

 ぶすっとしたクラウドを連れて帰りの飛空艇に揺られて、軽く吐きそうになったりしながら、俺は大変申し訳ない気持ちで、自分のダメさを嘆き、しかし俺の側にどんなケースでも救いを置かないではいられないらしい神に感謝するのだった。

 

 

 

 

 スカルミリョーネは涙目になって、むくれるクラウドに頭を下げ続ける。

「ですから……クラウド様、お二人は、ただ、ただ、ただ、ひたすらにクラウド様のことをお思いになって、ああするのがクラウド様の為とお思いになって、なさったのですから、ですからどうか、そのようにご機嫌を損ねつづけることなく、お二人のことをですね……」

 ああ、申し訳ないなと、本当にゴメンねって、思う。

 恨むんならカオスを恨め、などとも思う。いや、やっぱりちゃんと教育出来ない俺たちが悪いのだけれど。

 家にクラウドを下ろして、スカルミリョーネに委ねた。正直、今のクラウドは俺の手には余っていた。けれど、決して逃げるわけじゃない、俺はもう一つの胃痛の種、即ちヴィンセントを探しに行かなくてはならない。もちろん賢明なるあの人が無責任な真似をするとも思えない、けれど、今の俺たちには、特にクラウドには、どうしたってヴィンセントが必要だ。あの人の口からちゃんと言葉を発して貰わないと意味が無い。クラウドの、ヴィンセントに対する誤解さえ解けたなら、事はクリアになるはずなんだ。今のままではどうしようもできない、ああ、そうだよ、俺が不甲斐ないからさ。

 とりあえず、明日はスカルミリョーネに学校、連れてってもらうことにして、俺はすぐにまた家を出た。最早黄昏時。さてどうしよう? 行く当てがあったわけじゃない。ひょっとしたらコスモキャニオンに戻っているのかもしれない、或いは、俺と同じ予想に基づいてウータイに行ったのかもしれない。だとしたらナナキかユフィからメールなり電話なりあっていいものだが、それもない。ということは、どこか他の場所へ行ったのだ。仲間の住んでいる場所なら、連絡が来るはずだから可能性除外として、……だったら何処だろう? カーム? ミディール? ひょっとして忘らるる都とか? ともかく何処に何しに行ったのか全然判らないのだ。俺はあまり気乗りしないまま、それでもじっとなんてしていられなくて。

 クラウドに対して怒ったとしても、まさか一度のミステイクで愛想を尽かしたりするような人じゃない。それに、俺への負担が増える事だって考慮してくれているはずだから、そんなに長いこと家を空けるはずもないのだが、探しに行かずにはいられなかった。別にいわゆる「虫の知らせ」っていう悪い予感も無かった。ただ俺ちょっとしんどくって、クラウドの笑顔を取り戻したくて、早くヴィンセントに帰って来てもらいたかった。どうしたらいいか判らないから、とりあえず出来ると思ったのが、「探すこと」、ただそれだけだったんだ。

 残念なことに。と言って、俺自身はさほど残念だとも思っていないのだけど、俺にはヴィンセントがどうしたって必要だ。俺の一番依存できる相手は、後にも先にもヴィンセントしかいないから。こう言うとなんだか一方的に俺が得しているみたいだけれど、そしてそのきらいは十分にあるけれど、ヴィンセントも俺がいなかったら駄目なんだろうと思う。だから、俺を助けるという情けの意味以上に、俺の側にいてくれてるんだと俺は信じている。あれであの人、一人だと辛いっていうのを、俺は知っている。優しすぎるが故に繊細という彼の性格は判ってもらえているだろう、でも、年中誰かに気を使っていたら、壊れてしまうし、逆に楽をしていつも不機嫌というのも、どちらかと言えば彼の性には合わないはずだ。彼は俺たちと一緒にいるとき、いつも毒を吐く。それは俺たちに優しくする一方で溜まるものを吐き出す方法なんだろうと、俺は足りない頭で考えている。そして、その毒は、毒でありながら俺に優しい。

 彼だって辛いんだ、俺もしんどい、だけど彼も。

 クラウドが不作為に作ってしまう問題は、これから先もいくらだって出て来よう。しかし、俺たちには今のところそれ以外に、悩みって言う悩みが生じる機会は考えにくい。魔界の事だって、確かに頭は痛いけれど、三人一緒なら何とかいけるんじゃないかという気はしている。三人一緒、ならば。ヴィンセントだけじゃ駄目なんだ、確かにあの人は強いし万能、神様みたいな人、だけど、駄目なんだ。勿論、俺だけじゃ駄目、クラウドだけじゃ。俺とクラウドだけでも駄目だし、ヴィンセントと俺だけでも、今はもう駄目だろう、かつてそれで世界が動かせる自信のあった時期もあったけれど。今は、俺たちは三位一体。一つが欠けたら駄目なんだ。

 だから、ヴィンセントを探そう。

 大好きな人のためにする苦労は決して辛いものではない。仮に辛くとも、そういう風に思っていれば、後から来る疲れだけでやり過ごせるものだ。

 カーム、近くまで行ったからついでにミッドガルにも寄って、久しぶりにティファたちに会って、ヴィンセントが来たらすぐに戻るように伝えた。「ケンカでもしたの?」とティファは心配そうに聞いたから、俺はうんと頷いた。それからまた飛空艇で、ロケット村に飛んで。シドに会って話をした。シドは煙草二本分黙っていたけれど、

「俺様もなあ、ガキが出来て思うけど、あの生き物はなあ。俺様たちが作ってきた世界をいとも簡単にぶっ壊しちまうものさ。でも、それを辛いとか苦しいとか思ってちゃ駄目だぜ。新しい世界っていうのは、そりゃあもう、キラキラ光って見えるもんだからな」

 と言って、俺に飛空挺を一台、パイロット付きで貸してくれると約束してくれた。

 それから俺は、かつて俺たちが住んでいた街にも久しぶりに行った、相変わらずしっとりした時間が流れるその街は懐かしくて、二人でよく言った本屋や喫茶店を覗いた。だけど、本当に懐かしがるのは彼が見つかってから。そして、クラウドも一緒に連れて来るんだ、「ここが俺たちが暮らした街なんだよ」って。二人でいた頃の話を、ちょっと自慢っぽくしてやろう。

 ミディールへも足を伸ばした。かつて俺を世話してくれた先生と看護婦さんに挨拶をした、以前、ヴィンセントの兄さんがこの土地で亡くなった。俺たちが知る前のヴィンセントを、一番よく知っていて、ヴィンセントを一番愛していた人で、ヴィンセントも最も尊敬する人の亡くなった場所だから、ひょっとしたらと思ったけれど、いなかった。それから一旦、ニブルヘイムに戻った。平日の午前中で、スカルミリョーネはちゃんとクラウドを学校に連れて行ったようだ。留守の家の鍵を開けて、クラウドのおやつをちょっと作ってあげて、地下の「どこでもドア」から地脈の森を覗いてみた。ハッシェルたちに聞いても、やっぱりヴィンセントの所在は掴めない。

 既に訪れた場所のどこかで行き違いになった可能性もあるけれど、携帯電話の鳴ることは一度も無かった。

 カイナッツォがやってきたのが月曜日、あれからもう一週間経ってしまった。あっちこっち廻ったけれど、結局ヴィンセントの消息は掴めずじまいだった。

 さすがに俺も、ちょっと疲れてしまったんだろう。やってきた月曜日、ちょっと発熱して寝込んだ。スカルミリョーネを早く魔界に返してあげなきゃいけないなと思いつつ、彼をこっちに縛り付けてしまっている。彼は勤勉に、一日も休まずクラウドを学校へ連れて行き、あまり得意ではないらしい家事を頑張ってこなした。ただ、その表情にはさすがに疲れの色が浮かんでいる。

「カオスには、ご迷惑をおかけしている分きっちり働くようにと言われておりますから」

 スカルミリョーネは元気なふりをして笑ってくれたけれど、熱が下がった水曜日の夜にはもう、魔界に帰ってもらった。明日からまた、俺がクラウドを学校に連れて行かなくては。ユフィやメルに頼むことも出来ただろうけど、これ以上誰かに迷惑を掛けたい気はしなかった。

 一週間のクールダウンがあったからだろう、クラウドとは、ちゃんと話せるようになっていた。学校に連れて行って、「あー、兄ちゃんだ、久しぶりだね」とジャミルをはじめみんなにそう言われて帰ってきて、夕飯を作っている間、クラウドはサッカーをして遊んで、帰ってきて。

 その夜、初めてクラウドと俺は面と向かって話した。

 二人分のお茶を淹れて、ソファに一緒に座らせた、その時点でクラウドはもう、何の話をされるのか判っていただろう。黙って、じっとしていた。

「知っているだろうけど、ヴィンセントが帰ってこない。どうしてだと思う?」

 俺の問いに、クラウドは黙ったまま答えなかった。「ヴィンセント」という名前を出すと、クラウドは少し緊張した。

「今回のことは、……少なくとも俺は、もう別に、しょうがないこと、過ぎたことだと思ってる。ああいうことは、しょうがないって。これからも多分あるだろう。お前も大人になって行くんだ。もうすぐ生まれて四年になるんだし、来年からは中学校通うようになるんだし。まあ、同じ村の隣りの校舎で、周りもみんな一緒だからたいした差はないだろうけどさ。でも、一つずつお前が大人になっていくのは、間違いないことだよ。クラウドが成長していくって事を、俺たちも、お前自身も、もっとちゃんと、考えていかなきゃならないんだよな。

 俺はクラウドのことが全部ひっくるめて好きだよ。お前が大人になっていってもずっと好きだ、あと十年、二十年、百年千年、もっとずっと経っても好きでい続けたいし、俺もお前に好きでい続けてもらいたいって思ってる。ヴィンセントもそれはきっと同じだよ。

 うん、でもね、ときどき、ついて行けないときも出て来るだろうと思うよ。ヴィンセントも俺も、お前のことを、『これくらいのものだろう』って思って見ている。例えばね、何かあったとき、それに対するお前は『この程度のリアクションをするだろう』っていう、予想を持って見ている。それは、お前もそうだろ? お前が何か言ったりしたりして、『こうやったらザックスは怒るだろう、嫌だろう』っていうのは、ある程度想像するだろう? その想像、予測、それが上手いこと出来るから、人間は人を傷つけないようにして生きていけるんだ。そしてそれはすごくすごく大切な、人間に……人間だけじゃない、猫や犬も、動物、生き物みんなそうだ、命に備わった力なんだ。

 けど、どうしたってその力も追いつかないときがある。自分が大丈夫と思って言った言葉だって、他の誰かを傷つけちゃうことがあるだろ? それはさ『このくらいのものだろう』っていう予想が外れたときだよ。

 俺たちは正直、今、お前のことをどういうくらいのものだろうって見たらいいのか、判らなくなってるんだ。お前が成長して、俺たちの予想も付かない行動を取ることはこれからもっと増える。……特に今回は、お前にカオスから力が与えられた。俺としては正直、俺たちにも、お前にも、扱いに困る力がついちゃったなって思ってるんだけど、それは置いておいて。だから、お前は一つ、図らずも一つ大人になった。そして、嬉しかったんだろうなっていうのも想像つく。俺たちと一緒に戦えるのが嬉しかったんだろうなって。そこまでは、想像ついた。そして、その結果どうなるかも、ある程度は想像ついていた。ただ、お前が想像することを怠ることまでは、想像つかなかったんだ。判るかい?

 一方的にお前が悪いとは、俺は言いたくない。

 ただ、お前は、……俺はいい……、ヴィンセントが、どういう風にお前のことを考えているか、もっとよく考えるべきだった。ヴィンセントがお前のことをどれだけ考えているかを。これから大人になっていくんだから、そういうことが出来るようになっていかなきゃいけない。まあ、もちろん、まだ判らないことは一杯あるだろ、それに、これからだって俺たちには、どんどん甘えてってもらって構わないし、俺たちとしてもお前にはこれからも甘えられたい。ただ、ただ、どこかでお前の中に、お前が生きていく上で、大人になっていくにあたって、作っていって欲しいものもあるんだ。要するに今回はまだそれが、未熟で、上手く出来なかった。そして、俺もヴィンセントもお前が予想を越える動きをするようになってきたから、戸惑っている。

 嬉しいって言う気持ちも、あってさ。お前が大人になっていく、俺たちの考えていたようなものではなくなっていくっていうのは、間違いなくお前の成長だから、俺たちにとっては喜ぶべきことで。今回みたいなトラブル、恐らく今後しばらくは付き纏うであろうトラブルも、俺たちにはきっと幸せなことなんだ。今しか味わえないことだからね。でも、ね、トラブルは、やっぱり上手くやれば回避できるんだ。思いやりがあれば、優しさがあれば。不愉快な気持ちには、誰だってなりたくないし、誰かを不愉快にもしたくないだろ?

 だから、考えろ。どうしてヴィンセントがいなくなったのか。それが判った頃にはきっと、ヴィンセントは戻ってくるさ。……あの人も大人だけど、でも三十年以上、空白の時間もあって、小さいころにもいろいろあって、ちゃんとした大人のなり方は出来なかったから。それは勿論俺もね。どうしても、戸惑う。俺たち自身が大人になりきれてないのに、お前が大人になっていく側にいるんだからさ。

 な、考えよう、クラウド。どうすればいいか、どうしていけばいいのか」

 クラウドの心に、今まではなかった種類の誇りが生まれつつあることを、俺は思っていた。今までは、ただ俺たちに庇護されていれば良かっただけの存在。「子供」だった、クラウド。それが、力を得たことで、新しい種類の誇りを身につけた。ひょっとしたら近いうちに「抱くな」と言うようになるのかもしれない。

 降り積む誇りが悪いとは言わない。誇りは力を与えてくれる。今まで届かなかったものに手が届くようになるのは、確かに間違いなく幸せの種類だろう。

 だが確かに言える事は、誇りそれ自身、持っていることで幸せになれるということではないということ。俺にも誇りはあるけれど、それはもう、人間の尊厳程度、必要最低限のものに過ぎない。それを超える誇りは、要らないとすら思っている。誇りと誇りがぶつかったときに起こるのは、大抵は争いで、必要最低限の誇りすら持っていなくても、それを侵害しようとするときに戦争が起こってしまうことを、俺は知っているから。


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