ヴィンセントは、偽ヴィンセントを追う。偽ヴィンセントが標的と決めたのは、薄々予想はしていたが、矢張り一番戦闘能力において劣る「生身の人間」、俺だった。クラウドは敢然と亡霊の針状器官六本に立ち向かう。戦場は完全に二局に分かれた。
あまり、いい気分のするものではなかった。偽者と解かっているとは言え、ヴィンセントが無表情で俺を殺しに来るのだ。後で夢に見なければいいけど、……そんなことを考える余裕がある、ちらりちらり、クラウドを気にしながら、しっかりと偽ヴィンセントからの攻撃を見極めて身をかわすことが出来る。つまり、俺だって強いのだ。
ヴィンセントが偽ヴィンセントの後ろから、魔法弾を放つ。それを偽ヴィンセントが羽根で逸らし、反撃の追跡弾を二発、ヴィンセントへ投じる。ヴィンセントは右手でそれを弾き飛ばす。その間隙に偽ヴィンセントが俺へ暗黒系の炎を纏わせた手刀を振り下ろす。それを、剣で受け止める。ガツン、相手は一本の腕だっていうのに、俺の両腕には鈍く重く感じられる一撃だ。ヴィンセント、魔法の使い方が凄く上手だからついつい油断するけれど、実際には俺などよりも遥かに腕力も強い、カオスを内に宿しているのだから当然だ。バックステップで距離を取る。クラウドは今のところ、無難に戦っている。ヴィンセントが体勢を立て直し、再び偽ヴィンセントの背中へ魔法弾を浴びせる。俺は逃げつづけるのが一番なのかもしれない。せっかく身体を鍛えたのにと、多少納得の行かない部分もあるけれど。
「……ふん」
スカルミリョーネの援護を受けて、クラウドの、今は俺よりも長い足から繰り出される蹴りを避けて、亡霊は笑う。
「なるほど、その身体」
素早く、無駄もない。クラウドは戦闘経験皆無に等しくとも、俺のDNAだ、それに、俺もヴィンセントも持ち得ない「野性」を、あの子は持っている。予想もつかない角度からも攻撃を繰り出す。亡霊の身体にクリーンヒットすることはなくとも、押しているのは明らかにクラウドとスカルミリョーネだ。それでも、亡霊は余裕のある三日月の笑みを消さない。こういうのは、とても嫌な予感がするわけだ。相手にはまだまだ未知の部分が多い、当然、まだ何かしてくるだろう。
そういう、的中する可能性の高い嫌な予感。
「傷をつけてしまうのは勿体無い。カオスの力が篭っているだけ在りますね」
そう言って、ふわりと空中に浮かび上がる、クラウドがそれを、一歩で踏み切って追いすがる。その身体が空中で、硬直した。
「クラウド様!!」
スカルミリョーネが高い声で叫ぶ。
六本の針の先から、稲妻が迸った。クラウドに殺到し、ばんっ、一つ破裂するような音。クラウドの身体が空中で壁にぶつかったように弾き飛ばされる。着地こそ、足からではあったものの、一度膝を突いた。すぐに上げられた顔が顰められている。
「私の、このようなか細い身体では貴方がたにケンカで太刀打ちできるとは思いませんよ」
じりじりと音を立てて、亡霊の針の先、微弱な電流の余韻が溢れている。ヴィンセントが偽ヴィンセントの背中を思い切り蹴っ飛ばした僅かな隙に、俺はクラウドと亡霊の間に割って入り、もう一撃の稲妻を放つ体勢の亡霊を、思い切り切り裂いた。
ぱっくりと避けた肩と胴体、それが、粘土のようにあっという間にくっついた。
体勢を立て直した偽ヴィンセントが、今度はクラウドを狙う。ヴィンセントが超高速で回り込み、受け止める。
「無駄なことです」
亡霊は元の輪郭を取り戻して、笑う。
「我々亡霊の身体は不定形、泥と同じ。切っても突いても無意味……、あの偽魔王も便宜上そういう形をさせているだけですから」
ヴィンセントの回し蹴り一発、偽ヴィンセントの首から上が大きく形を歪めた。それが、ヴィンセントの足が引かれた瞬間に、ゴムのようにその足へ纏わり付く。咄嗟にヴィンセントが魔法弾で離脱する。首から上が紐のように伸びた偽ヴィンセントの顔は、そこにとぐろを巻くと、またすぐに元の白く端正な顔を再生する。
「もとより承知だ。焼き尽くしてやる。凍らせて粉々にしてやってもいい。……弱らせて魔界へ送ってやる」
スカルミリョーネは低い声で言う。カオスと同じ顔が、カオスと同じ顔を蹴って、あんな醜く変じて……、正直、腹の底の嫌な感じに冷えるのを味わっているのは判った。
「やってごらんなさい。……さあ、どちらが先でしょうね? 私たちがあなたがたを、私たちの新しき故郷へ送るのと……」
「うう、にゃあ!」
距離を置こうとする亡霊を、クラウドが追う。スカルミリョーネは次々と石飛礫を降らせて亡霊の行く手を塞ぐ。亡霊の発する電撃を、クラウドは時折その腕に受けながら、執拗に追いすがる。
俺の上から熱い魔法の雨が降り注いだ。転がって避けて、起き上がる前に、アルテマを発動させた。空中の二人のヴィンセント、片方が上手に避けて、地面の亡霊に向けて突っ込む。俺の起き上がったところ、再び弾雨が降り注ぐ。スカルミリョーネが俺を庇う。
「……変身しませんから」
ぶすぶすとスーツの繊維の焦げる匂い、顔を顰めて、それでもスカルミリョーネはそんな風に言って、ちょっと笑って見せた。
戦況は変わる、変わる、変わる。
ヴィンセントは翼撃で亡霊の身体の、恐らくは腰に当る部分に大きなスリットを入れた。そこにクラウドの爪、更にヴィンセントの放った冷気がそこを固める。……亡霊蝶とやりあったときにとった戦法だ。あの時と同じ、亡霊の身体は青い氷で傷が塞がらない。
「おお……」
効いていない筈が無かった。亡霊はよろりと足らしき器官をよろめかせた。反撃の稲妻を放とうとしたところ、その右腕三本を、クラウドの鋭い爪が、思い切り引き裂いた。
「がぅっ!」
ぼとぼとと、土の上に落ちる、蛭のようにのた打ち回る。断った腕がまた生える前に、ヴィンセントががっちりと凍り固める。
「好き勝手にはさせないぞ!」
左手を、クラウドが蹴っ飛ばした、そして同じようにヴィンセントが凍らせる。標的をヴィンセントに移したらしい偽ヴィンセントが飛び掛かる。それを、スカルミリョーネが中空に作り出した岩盤で妨害する。俺はヴィンセントの後ろに立ち、突っ込んできた偽ヴィンセントの脳天から、思い切り剣を振り下ろした。ずぶ、ぶぶぶぶ、ああ俺、ヴィンセントの頭カチ割ってる。ヴィンセントの頭はおぞましく変形した。それは全て俺の剣のためだった。
空中でゲルと化したヴィンセントは俺の剣を包み込む。咄嗟に剣を引く。黒い塊に変じたヴィンセントは、すぐに元の身体を取り戻す。平然と俺を見据える。
「ううう、にゃあっ、……にゃああ!」
背後でクラウドが勇ましい声で攻撃を仕掛け、ヴィンセントが固める。
「……私は死のうとも」
笑みを含んだ亡霊の声が、俺の耳には届いた。
「私に代わる者が、亡霊にはいくらでも……お」
それはラジオの電池が切れるときみたいに、低くくぐもって消えた。俺の目の前には、明らかに俺を択んでくれたらしい偽ヴィンセントがいる。じー、と冷ややかな目で俺を見ている。
そういう目をしている時は、大体俺を馬鹿にしている時なんだよなあ。寝てるクラウドにえっちな悪戯してるときとか……、あとクラウドに変なお願いごとしてるとこ見たりしたときとか……。いや、こないだクラウドにさ、またえっちな下着着てもらおうと思って。……でもその下着だってヴィンセントが買って来たんだ。
「クラウド」
その声は同じ。クラウドが、ううう、低く唸る。
「クラウド……」
ヴィンセントが俺に呟くのと、同じ。
けれどさ。
「陳腐な手だな。俺の恋人は」
俺の、クラウドの、スカルミリョーネの、攻撃が一瞬でゲル生物を八つ裂きにする、そこに、ヴィンセントの冷気魔法が飛び込んできて、完全に黒い氷の塊へと封印する。
「ゲルになったりはしないんだ」
氷の塊を足で踏み潰し、粉々にしてヴィンセントは
「……ゲル状……」
と手をどろんと垂らして見せた。びっ、とクラウドの尻尾が膨らむ。……何でそういう余計なことをするのかな。
「みなさん、お怪我は……クラウド様、さっきの稲妻は……」
クラウドは猫の姿に戻った。しみじみ、何か久しぶりな気がして、可愛いな。
「だいじょぶ。っていうか……」
「お前の方が重傷だ。……どこかの鈍間が集中力を欠いて戦っているせいでな」
のろま……。
「集中してたさ」
ぼそっと自己主張しても、聞いてくれるのはこれを読んでくれた誰かだけ。俺にはそれで十分だけれど。ヴィンセントはスカルミリョーネの背中に柔らかな光を照射する。身体の傷だけでなく、仕立てのいいスーツも、綺麗に元通り。ヴィンセントは続けてクラウドの細かな傷も治してやる。
「……多少は無茶だったが」
長い指、相対的に大きな掌で、クラウドの頭を撫でる。それを表情に出すまいと努力はしているのだろうけれど、どうしても嬉しそうだ。
「まあ……許容範囲だ。いい子だったな」
こっくり、クラウドは頷いた。少しだけ、誇らしげに。