クラウドと云う名の男

 クラウド、という名前の男は幸せでなければいけない。

 仮令誰かの表情をその名の通り曇らせるようなことになったとしても、クラウドという名前の男だけは、幸せでいさせていなければいけない。

 ……もちろん、そんな決まりごとはない。あってたまるか。しかしその存在を示唆する者たちが、ええと……、男だけで五人だ、そう、五人もいる。

 どうしてだろう? ……どうしてそんなに「クラウド」が魅力的なのだろう。へそ曲がりの格好付けの、……身長は髪の毛のてっぺんからしか計らせないしちんちんは粗末だし、そんな、ねぇ……。

 自分のことだから幾らでも悪く言っちゃえるぞ、ということにもなろうけれど正直なところそう思ってしまって、だから「わからん!」と結論づけるほかないのだが、……ザックス(=カーライル)にセフィロスにルーファウス、更にヴィンセント、という風に、俺を幸せにしてくれようとして、実際してくれた人々が「クラウド」にはいるわけだ。

 ……ん?

 一人足りないって?

 最後の一人は俺だ。俺も「クラウド」を幸せにしようとして、無い知恵を絞って結果的に「何もしないほうがよかった!」って事態を招いているのだ。

 ウチの猫耳クラウドはいいとして、……あの子はほんとに可愛いからいいとして、過去の俺ことクラウド=ストライフはちっとも可愛げがなかったなぁ、と思うのだ。あんな風に幸せな時間があったことがそもそも奇跡、結果として悲劇を招き、その結果として不幸になった男がいたというだけで呪わしい。ただ俺はね、感謝の気持ちを忘れたことがない。ザックス、セフィロス、ルーファウス、みんな今でも愛しているし、ヴィンセントのことは言うに及ばず。

 理由があったとは思わない。外的環境も加味された偶然だと思う。けれど唯一これだけは言える。「クラウド」は(結果はどうあれ)俺を愛してくれた人たちを幸せにしようと努力していた。

「あのガキを、俺は、カオスの稚児だって知っていながら、やった」

 ルビカンテは言った。「俺が此処に追いやられたのは、そういうことをしたからだ。カオスの怒りを買って、罰された」

 要は、スカルミリョーネとルビカンテの犯した罪である。

 スカルミリョーネの立場からすれば、カオスという主がいながらの浮気である。ルビカンテの立場とすれば主君の愛人を穢す行いだ。そしてカオスにとっては、腹心の部下二人から同時に裏切られたということになる。

 カオスがルビカンテに替わる火の四天王を選び出すことを、スカルミリョーネを含めた残りの四天王三人は止めたのだと言う。ルビカンテは魔界でも抜群の魔力を持っていたし、現在もスカルミリョーネ・カイナッツォ・バルバリシアの三人を遥かに上回る強さを持っている。そういう男を敵に回すことは魔界にとってデメリットでしかない、恩赦を与えることで貸しを作り、永劫、カオスの「部下」として死に体にしておすことこそ最善である、と……、これを辛抱強く説いたのは恐らくカイナッツォであったろう。

 結果的に、ルビカンテは魔界に戻された。カオスの中で「恩赦」への感情の転位があったとするなら、それは側にいる可愛い可愛いスカルミリョーネの存在なくしては説明出来ないだろう。ルビカンテへの恩赦は同時にスカルミリョーネへの赦しでもあった。つまるところカオスは、自分の最愛の稚児の移り気までをも含めて愛することを選んだのだ。

 スカルミリョーネも、「クラウド」と同じ。愛され愛しまた愛されての回廊を、罪を背負いつつ罰からは護られて歩き続ける男なのだ。

 ルビカンテの選んだ「責任」とは、そういう意味での言葉だった。カオスの中にも未だ、そのわだかまりが残っているのではないか、と。

「……どうも、それはないような気がするな……」

 ルビカンテが、……スカルミリョーネを今でも何だかんだ言って大切に思う以上、責任を感じるのは無理からぬこととしても。

 今回のこととは無関係だ。もしスカルミリョーネ本人が、関係を肯定したとしても、分けて考えるべきことだと俺は思う。だってスカルミリョーネが俺たちを欺き、カオスに反旗を翻したことには、スカルミリョーネのごく個人的な感情が働いたとしか考えられない。……色恋沙汰のもつれ程度、……あえて「程度」という言葉を俺は選ぶけど、それを以って此処までの事態を招くほど、スカルミリョーネは愚かではない。

 嘘つきの扉を開くのはなんだろうか。

 細かく砕かれた骨の破片、……まさしく「骨破微塵」の粉になった骨がなだらかなアーチを描いて遥かかなたまで続き、右手にはのんびりとしたリズムで灼熱の血の波が押し寄せる。そういう「海岸」でも「砂浜」でもない場所を、ルビカンテという最上とは言い難いパートナーともうどれくらい歩き続けたことだろう? その間ずっと俺は考え続けていた。

 さっきから(この「さっき」が一時間前なのか一ヶ月前なのか俺にはもう判然としない)ずっと同じ景色のような気がする。

 それにルビカンテも気付いているはずだ。しかし男の足取りは止まらない。

この無限に続くかに思われる砂浜そのものが、スカルミリョーネに繋がるとも思い難い。ではなぜ歩くのかと言われれば、とにかく歩かないではいられない俺とルビカンテだからだ。スカルミリョーネの「どこかにいる」ことは確かだが、はたして無限の砂浜の先にあの子は本当にいるのかどうか。

「クソが」

 毒づいて、ルビカンテが立ち止まる。座り込む。大きなため息を吐く。苛立ちに任せて右手を振るうと強烈な熱風が巻き起こり飛び散った砂が一瞬燃え上がり、すぐ消える。俺も真似して足元の砂を蹴飛ばすが、ルビカンテに向かって荒ぶる吹き返しの風に乗って、彼の顔を汚すことになる。思いきり蹴飛ばされたが、それをあまり痛いとも思わない。

「スカルミリョーネは見てるんだろうか。こういう俺たちを」

 俺は鼻血を掌で拭って言った。ルビカンテはいまいましげに、おそらくはあるのだろう「天井」に目をやる。答えはないが、多分、俺の推測は間違ってはいない。

「……会って、テメェは何ができると思ってんだ」

 その問いは珍しくルビカンテから俺へと向けられた言葉だった。

「うん……、うーん……」

 これだけ考えても、実はまだ答えが出ていない、出せていない俺である。

 正直なところ、……俺は自分の無能っぷりをよく解っている。解らないことだらけでしょっちゅうヴィンセントやクラウドに軽蔑されている俺であるが、そのことばかりはきちんと理解しているので、まぁ褒められないまでも一定程度は評価されたっていいように思っている。

「スカルミリョーネは……、子供だと思うな、俺は……、うん」

 この言葉が、いい方向か悪い方向かは判らない、けれどルビカンテの興味を惹いたようだ。

「……あいつはあれでも、テメェの何百倍も生きてんだぞ、人間」

「いや、それは判ってる。判ってるんだけど、……人間はさ、別に歳を重ねたからって『大人』になるわけじゃないよ」

 それはもう、この俺を見てもらえれば一目瞭然。身体がこんなだから、そろそろ「中年」の「おじさん」になりつつあるこの期に及んでも、あいもかわらず概ね馬鹿である。

「俺はさ……、俺はね、……もちろん違うかも知れないんだけど、そもそも思い付きで、自信ないまま言うんだけど」

 ルビカンテはまだるっこしい俺の物言いにも文句をつけず、黙って耳を傾けている。粗暴かついい加減な男であり、実際そういう見た目でもあるが、……彼からしたら極めて「どうでもいい」人間ごときの言うことを聴いてくれるという時点で、ルビカンテは俺よりずっと「大人」だと思っていい。

「スカルミリョーネは、まだ子供なんじゃないかなあ……?」

 はっ、とルビカンテがあざ笑った。俺はめげない。

「だってさ、……スカルミリョーネが馬鹿じゃないって言うんだったら、そもそもこんなことしないだろ。カオスに喧嘩売るような真似……、スカルミリョーネがいくら頑丈な身体をしてたとしてもさ、カオスに勝てるわけがないじゃないか。それなのにこんな状況作っちゃってさ、……きちんと後先考えられる『大人』のすることじゃないし、だいたいお前だってスカルミリョーネのこと『チビガキスカル』って呼んでたじゃないか」

 一瀉千里に論を連ねて……、というほどスムーズでもなければそもそも「論」かどうかさえ疑わしいような代物ではあるけれど、俺はただ不器用に、思うところを言葉にして行くだけだ。だって無力な俺には、それしかできない。

「逆にさ、なあ、お前はスカルミリョーネに会ってどうするんだ? ……この先もし、会えたらの話だけど」

 この俺の問いは、ルビカンテには意外なものだったようだ。「どうする? どうするって、んなもんお前……」しばし考え込んで、

「……まあ、首根っこ引ッ掴んでカオスんとこに連れて行くぐれーしかねーだろ、んなもん……、他に何かあるってのかよ」

「多分、……それじゃあまずいんだと思う」

 俺は、……ごくアヤフヤなものであり、かつ根拠なんてものは何一つないにも関わらず、ある仮定に基づいて考えを転がし始めていた。

「スカルミリョーネは、いま隠れてるわけだよな。言い方を変えるなら、……距離的な移動があるかどうかはわからないけど、俺たち……、つまりカオスから、逃げてるんだよ」

「面と向かってカオスに喧嘩売るほどの度胸はあいつにもねーってことだ」

「そう……、まあ、そういう言い方も出来るかも知れないけどさ」

 俺はさっき否定した考えと再び向き合う必要を感じていた。

「ウチの、お前が攫って……、いや、保護してくれてた、猫のクラウドいるだろ」

 可愛い可愛い、俺の天使だ。

「……それがどうしたよ」

「あいつ、可愛いだろ」

「それがどうしたってんだよ」

「可愛かっただろ!」

 るせーな、うぜーな、どっちか判らないけどぼそり呟いて、「ああ、まぁ……」と面倒臭そうにルビカンテは認めた。

「でもって、多分お前の側にいる間も、クラウドはいい子だっただろうな?」

「まー……、『おとなしくしてりゃ何も怖いことなんてしねーし明日にゃ返してやる』って言ったらな」

「そうだろう。俺たちの教育がいいからだ!」

「だから何の話だっつってんだよ」

 つい脇道に逸れてしまう、俺の悪い癖。

「……でもな、ああ見えてクラウドは結構悪いこともするんだよ。まあ、悪意のないことが多いけど、学校で使った水着を持って帰ってきてそのまんま放置してすっごい臭くしちゃったりな。……子供なんだからしょうがないことだけどさ、そういうときは、もちろん俺とヴィンセントで叱るわけだ。おしおきをしちゃうこともある」

 大抵は、性的な罰ゲームになることが多い。……保護者としてどうなんだそれは。

「俺やヴィンセントに叱られるときのクラウドのリアクションは三種類ある。一つは、素直に『ごめんなさい』を言う。これが一番いい。だからそういうときはすぐに許してあげる。でも他の二つは問題だ。……一つは言い訳、そしてもう一つは、……逃げ隠れすること。自分のしたのが悪いことって理解してるのに、それと向き合おうとしないってこと。これは正直、一番よくない。けど、叱る側からしても気持ちはよくわかるし、あとこれはウチ特有の事情として、クラウドをあんま強く叱って泣かせちゃったりもうセックスさせてくれなくなっちゃったりしたらすごい困るから、慎重な取り扱いが必要になる」

 うん、見事なまでに保護者として「どうなんだそれ」だな。

「で、だ。そうやってクラウドが、まあ、ウチはあの通り結構広い、隠れ場所には困らない、……家の何処かには必ずいる、……でも、どこにいるか判らない、俺たちとしては出てきて欲しい……、そういうとき、どうすると思う?」

 ルビカンテは肩をすくめた。人の親になったことがないんだろうから、判らなくても仕方がない。……いやそもそも俺だって人の「親」にはなったことがないのだけど。

「……大前提として、俺たちがクラウドのことを叱るのは、『怒る』んじゃなくて『叱る』のはさ、あいつのことを愛してるからだ。アンバランスな身体で生まれてきちゃったことは事実だけど、ちゃんとね、大人の歳になったときには大人が出来ることをちゃんと出来るようになって欲しい、その方がクラウドも幸せだろうって思うからだ。だから、其処にはちゃんと愛がある」

 解ったような判らないような顔を、ルビカンテはしている。

「だから、どんなに腹立ててるように見えたとしたって、俺もヴィンセントもクラウドのことが大好きなんだ。どんなことがあっても嫌いにはなんないんだ。……だからね、そういうときは大きな声で『出ておいで』って言う。叱られて嫌なのは一瞬だけだよ、そのあとはちゃんと、美味しいご飯を一緒に食べよう、あったかいお風呂に入ろう……」

「……んで、それが何だってんだよ」

 話が脇にそれて長くなりがちなのが俺の悪い癖だってことはわかっている。……気短な男が相手だ、だから出来る限り、簡潔に。

「逃げて隠れちゃってるときのクラウドはさ、要するに俺たちのことを恐れてるんだ。……俺たちは普段、クラウドにすごい優しい。多分ちょっと甘やかし過ぎてると思う。だからクラウドが見てる俺たちは、優しくって甘ったるい男たちだ。……そういうのが、怒ってる、そういうのに叱られるっていうの、怖がってるんだと思う」

 俺にしてもヴィンセントにしても、当然のことながらクラウドに怖がられたくはない。でもそこで妥協するばかりでは、「教育」はありえない、保護者失格だ。

「だからまず、出て来てもらうためにね、『俺たちは怖くないよ』ってことを伝えるんだ。俺たちはいつだって、今だってお前を愛してる。だからお願いだから、出て来ておくれ。俺たちはお前の敵じゃないよって」

 ルビカンテはまだ釈然としない顔をしている。

「……クラウドはまだ子供だから、叱られることがイコール俺たちに嫌われることって思うんだろうね。迷惑かけたとき、大人だったらまあ、落とし前っていうかケジメっていうか、そういうものを付けようとする。けど子供にそれを望むのは酷だよ。ましてやクラウドは生まれてからずっとずっと、……人生のほとんど全部の時間を、俺たちに抱かれて過ごしてるんだからね。……それは、スカルミリョーネも同じだと思う」

 彼が生まれてからどれぐらいの時間をこの世界で過ごしてから、カオスに拾われたかは知らない。極めてゆっくり身体の成長していく魔族は、それでも生きた時間と身体が比例しているようだから、スカルミリョーネよりルビカンテの方が年上というのは頷ける。ルビカンテからすればスカルミリョーネは、やっぱり「ガキ」なのだということだ。

「ルビカンテ。俺、やっと判った。……スカルミリョーネがどうしてこんな騒ぎを起こしたのかは判らないけど、でも、どうしたらあの子の元に俺たちが辿り着けるか……」

 さみしい子供。

 叱られるのが判ってて、怖くて怖くて仕方のない、怯えた子供。

 俺は塞がれた空に向けて、

「スカルミリョーネ!」

 ルビカンテにも、カオスにも……、思い付かない言葉を発する。「出ておいで! 俺はお前の味方だよ、お前のことを嫌いになったりなんかしない、……お前のことが大好きだよ!」

 アホらしい、という目でルビカンテは俺を見ていた。しかしその表情が、……二十代の前半程度という顔の形の年齢に相応しい丸裸の驚きで満ち溢れて行くのは、いっそ痛快であると言ってもよかった。

 俺たちは、真っ暗な場所にいた。いた、と言うのか、それとも「移った」と言った方が相応しいのかは判然としない。だが、とにかくさっきまでいた無限の血の波打ち際、骨砂の海岸にはもう、いなかった。血の臭い、全て消え、俺の鼻は何も感じられなくなっていた、……嘘だ、これまですっかり感じることがなくなっていた、自分の汗や汚れの臭いが漂い始めたのが、少々心苦しい。

「……あなたは」

 久方ぶりに耳にする、その声だ。

「あなたは……、何なのですか、もう……」

 途方にくれている、困惑し切っている、それでも滑らかさと柔らかさを、更に言えば「敬語」さえも失わずにいる。

 スカルミリョーネの、声だ。

「お前は、割りとその、俺がさ、馬鹿だってことは知ってるだろう」

 暗い、光のない空間。それでもスカルミリョーネがそこにいる。うずくまっている。小さな身体、見慣れたスーツ姿、ただ、背中から死体の姿をするときに生えているのと同じ、骨角が伸びている。

「存じております。……ザックス様、あなたは、……私には、理解出来ない方です」

 スカルミリョーネは疲れているようだった。

「何が出来ると思っておられるのですか。今更、人間であるあなたが、……私に、カオスに、何が出来ると」

「出来ることがあるよ、ちゃんと」

 スカルミリョーネは暗い空間にうずくまったまま顔を上げてくれない。ただ、俺が言うところの「出来ること」の答えを探すように、ほんの僅かに身じろぎをした。

「俺はお前のことを責めないということが出来る。お前のことを許すということが出来る。お前が悲しんだり嘆いたりするのを見過ごさないということが出来る。実際ほら、お前がさ、カオスやルビカンテだって見付けられない場所に隠れてたって、俺は俺の力で此処に辿り着いたわけだ。……いやまあ、お前が開いてくれなきゃ来られてはないわけだけどそれは置いとくとして、……でも、此処へ来ることだって、俺にしか出来ないことだと思うよ」

 スカルミリョーネはまだしばらく、うずくまったままでいた。

 それでも、両手を暗闇の底に突く。そんなに重たい身体でもなかろうに、両手で状態を支えて、膝はまだ底についたまま。ゾンビ態のときのスカルミリョーネと同じ姿勢だ。

 それでも、どんなときでも、可愛らしさを失わない顔を歪ませて、

「あなたは、愚かな方です」

 搾り出すように言った。

「帰ってください。仮に此処へ来ることが出来て、どれほど私の味方の顔をしたって、あなたにこれ以上出来ることは何もありません」

「そうかな? ……まあ、愚かなのは一応自覚してるつもりだけど」

 俺はすぐ後ろのルビカンテを制するためにずっと右手を挙げていた。それは一応は、ルビカンテがスカルミリョーネに攻撃を加えないための役には立っているようだった。

「俺は、判れるように思うんだ……、お前のことを、スカルミリョーネ」

 スカルミリョーネの目には猜疑心が光となって宿っていた。自分が他人を騙して来たものだからその分、根深い疑念があっても当然である。

「俺たちは似てると思うんだ」

 アア? と声を上げたのは背後のルビカンテ。……まあ、無理もない。遥か昔のこととは言え、かつて「兄弟」のごとき関係にあったスカルミリョーネを、こんな色々失格している人間ごときと比べられることにいい気分はしないだろう。

「カオスに聴いたことない? 俺は昔、……って言ってもお前たちの時間感覚だと一瞬だろうけど、とにかくまだ子供の頃からずっと、男に愛されて生きてきた。愛されることが俺の人生には常に付随する。そのために生きていると言ってもいい」

 ザックス、セフィロス、ルーファウス。

 ヴィンセント。

 クラウド。

 俺は、幸せな男だ。……大いに幸せで、……幸せすぎると言ってもいい。

 ただその一方で、俺だって人相応に不幸である。幸せというのは絶対的なもので、誰かと比べてどうこうというものではない、少なくとも「幸せ」な人間はそう思って生きている。

「でもって、俺は人を愛することで生きてきた。……ああ、おかしな言い方だっていうのは自覚してる。でも、愛されるばっかりじゃなくて、人を愛すること、……今だったらね、クラウドを、あの猫耳の男の子を、俺がね、これまで愛されて生きてきて、少しずつ学んで来たことを少しでも役立てて、あの子を愛して育てて行きたいと思ってるんだ。……子供が出来た父親みたいな言葉かもしれないね、まあ、実際子供みたいなもので」

 あ、また話が逸れそうだ。

「……あー、だからね、俺は……、お前と同じように愛され続けて生きた経験がある。と同時に、俺なんかよりずっとずっと長生きのお前がまだ習得してないスキルも持ってると思うんだ。そしてその、お前からしたらそれはもう頼りない経験に基づいて言うんだよ、『俺はお前の味方だよ』って」

 俺としては、どんなに疑ってくれても構わないのである。

 だって、嘘じゃないから探られる腹は痛まない。

「……あなたはいつもそうだ!」

 お、怒られた……。

「あなたの言うことは何に関しても甘過ぎる……、論理の裏付けなんてありはしない……、上辺だけの感情論ではないか! あなたが私に何ができると言うのです! 何の具体性もない提案だ!」

「じゃあお前は、……ずっとここにいるの? カオスに対して悪いことしちゃったなーとは思ってるんだろう、それをそのまんまにしてずーっと、……普通の人間だったらまあ何十年かで逃げ切り勝ちかもしれないけど、お前は魔族だ、しかもスカルミリョーネ、お前は死なない。永遠にここにいるのか? 多分すごいさみしいぞ?」

 俺の、子供にするみたいな言い方が気に食わなかったか。それでもスカルミリョーネはもう激高せずに、

「さみしさなど、物の量ではありません」

 と言い切る。

「私にはそもそも何もなかった。生命さえもあるとは言い難いのです。今更永遠の虚無をどうして恐れることがありましょう」

「スカルミリョーネ」

 俺は、溜め息を吐いた。二歩三歩と、草臥れた足を叱咤して子供の元へ歩み寄る。「寄るな!」と怒鳴られても、止まりはしなかった。ひょいと手を伸ばし、冷たいその頭に触れた。

「お前にはまだ、自分に対する嘘が残されているね」

 嘘つきの子供に、俺は言う。

「何を……」

「思い出したんだよ。……ずっと、考えてたんだ。全部がお前の仕業だったとしたなら、……腑に落ちないことが一つある。お前の目的に気付いてるのは、多分俺だけだ。カオスは魔界の王として問題を深刻に受け止めるし、ルビカンテにしても同じだ。純粋に巻き込まれてしまった俺にしか気付けない、……お前と同じ発想をするかもしれない俺だから、気付ける」

 ここまでの、スカルミリョーネのしてきたことを振り返ってみよう。

 スカルミリョーネは俺たちの世界へ繰り返し繰り返し、「亡霊」を送り込んで来た。

それによる影響は多岐に渡る、……例えばクラウドが変身するようになった。カオスは俺たちの世界、宇宙の内側を守るための戦力として俺とヴィンセントのみならず、クラウドまでもを用いようとした。結果として、……もう忘れたいけれど忘れられない、忘れちゃいけない、ヴィンセントとクラウドが喧嘩をした。

 しかるに、……そういう重要で、しかし個人的な事情というものを伏せて物を考えて見たとき、「ん?」と思うのは。

 スカルミリョーネが何を目的に一連の行動を起こしているのか、それをうかがわせるようかものがこれまでのところ、あっただろうか? ……スカルミリョーネの起こした行動に応じてカオスは次第に魔界の警戒レベルを高めて行ったわけだけど、実際的なレベルでの被害って、実はほとんど出ていない。

 魔界を、というか全部の「界」を統べる立場にあるものとしてカオスは慎重な対応をしていて、それ自体は全く問題はないことであったろう。他方、それは実害の発生を未然に防ぐことができたということが出来るのかどうか。

 ……そもそもスカルミリョーネに、「実害」の発生を想定する気持ちなどなかったのではないか、という気が、俺はするのである。

「……なあルビカンテ、俺、思ったんだよ。スカルミリョーネがさ、本当に魔界をひっくり返そうと思ったなら、最後まで正体を明かすようなことはしなかっただろう。頭のいい子だもん、嘘の上手な子なんだもん、絶対にバレないように行動してたはずなんだ。でも、今考えてみるとスカルミリョーネのしてきたことって穴だらけなんだ。穴というか、そもそも目的にまっすぐ向かってさえいない、無駄が多いことは俺にだってわかるし、それがバレないように張ってる煙幕だとしたら、……この通り、もうバレちゃってる時点で矛盾してる」

 スカルミリョーネは這いつくばったまま動こうとはしない、……嘘の得意な子は演技も得意なはずだが、焦りを帯び始めていることは間違いない。

軽んじられてしかるべき、この人間の、愚か者の俺は、どうやら答えに辿り着いてしまったようだ。

「そもそも、……スカルミリョーネ、お前が使役した亡霊の数なんて高が知れてたんだろうね。お前は完全に魔族の側についた、……多少の取引をしたところでさ、こっち側の連中を掌握し切れるとは思ってなかっただろう。そのことからも、ルビカンテ、スカルミリョーネが魔界を敵に回して喧嘩をふっかけるつもりなんてなかったことは証明できるように思う」

「……んだと?」

 訝るルビカンテを置いて、俺はしゃがみこむ。

「スカルミリョーネは、欲しいものがあったんだよな?」

 スカルミリョーネは俺がもう、答えを持っていることを確信しているようだった。

 屈辱と、それに伴う恐怖に、少年の身体は小刻みに震えていた。

 ルビカンテには聴かせたくないのだろう。

「それさえ手に入れば、あとはもう、どうでもいいと思った。けれど、……思いのほかおおごとになっちゃって、カオスもお前と戦争をしようとしている。『こんなはずじゃなかった』って思ってる。お前は、ただ、ほんの小さな宝物を一つ望んだだけだ」

 ルビカンテにはきっとわからない。

 カオスには、もっとわからない。

 ヴィンセントにも。

 ただ俺にはわかるし、クラウドも少し、解るだろう。

「ルビカンテは、ちょっと外してくれないか」

 俺は振り返って火の四天王に言った。ルビカンテは「ああ?」凶悪に顔を歪ませる。しかし現状、いまこの瞬間において答えを導き出せる俺に対して、強大な力を持つ彼が抗えはしないのだった。

「スカルミリョーネ、ルビカンテを魔界に返せるか?」

「おいこら!」

 俺の傍若無人ぷりにルビカンテが溜まらず声を上げた。しかしスカルミリョーネが右手を、ぶんと振る。……さすがに自分の領域ではルビカンテにそれを止めさせることはなかった。

 空間に、俺とスカルミリョーネ二人きりになった。

 いや、……実は、そうではない。

 俺はもうはっきりと認識していた。いや、まだ認識するには至っていないけれど、存在のあることはもう、判っていた。

「何故、判ったのです」

 スカルミリョーネはまだ這いつくばった身体を動かすことなく、声を絞り出す。

「うーん……、まぁ、……地獄と魔界の対立なんてことになったらさ、とてもじゃないけど俺の頭じゃついていけない。お前の、ごく個人的な理由に基づいてたらどうなんだろってずっと、さっきまでうろつきまわりながら考えてたんだ。お前が何を目的に行動してるかは見えなかったけど、でもね、お前のとった行動、……とらせた行動で一つだけ、明らかに浮いてるっていうか、他と異質だなあってものがあったんだ」

 スカルミリョーネは顔だけこちらに向けてずっと俺を見ている。

「……俺も、お前と同じことを考えるかもしれない。お前の立場に、俺がいたなら」

「え……?」

「もちろん、俺にはそんなことをする力も知恵もないわけだけど。……『有能な雑兵』って言ったっけ?」

 スカルミリョーネは沈黙することで認めた。

「俺は、……俺たちはみんな、あれ、ヴィンセントの血を取られたって思った。ヴィンセントの劣化コピーが山ほど襲ってくる、その、……戦いの、精神的なしんどさを思って凹んでた。でも、そうじゃなかったんだな」

 スカルミリョーネが欲しかったもの。

 それは、ヴィンセントと同じ姿形をした生き物、そのもの。

 つまりは、……この少年が最も愛する男の姿をした、空っぽの器だ。

「カオスが、お前は欲しかった」

 スカルミリョーネは震えている。

「何故」

 声も、その四肢も。

「何故、あなたがそれに辿り着けるのです……、何故……」

「言ったろ。俺もその気持ちが解るって。ヴィンセント、クラウド、どっちも俺の心から愛する人たちだ。でもヴィンセントかクラウドが俺のそばから消えてしまったら? 俺じゃない誰かを愛するようになったら? ……同じことを、俺は考えるだろう」

 間違った考えであることは、俺も認める。

 しかし、それでも、俺は理解出来てしまうのだ。

 スカルミリョーネの他、百七人もいるというカオスの稚児、そのいずれもが、カオスにとっては愛情を注ぐ対象である。よしんば一番に愛しているのがスカルミリョーネであり、誰の目にも(場合によってはスカルミリョーネ自身にも)それが明確に判るのだとしても、……スカルミリョーネには足りないのだ。

 最愛の人の愛情の百八分の一ではなく、全てをまるごと自分に注いで欲しいと願うのだ。

それは「子供」の考え方として、シンプルな非難の対象にしてしまえるものでは決してない。

 ……あの、ペラペラの亡霊を使役してヴィンセントの「血」を手に入れたスカルミリョーネは、すぐにヴィンセントの、いやカオスのコピーを作り始めた。無論、あの時点では誰もスカルミリョーネの目的には気付いていない。俺たちが気づいていないのならば、スカルミリョーネだって騙し続けた方がいいに決まっているから、「亡霊戦士ヴィンセント」を俺たちの世界に召喚して攻撃をさせた。

 同時にスカルミリョーネは、その中で最も出来のいい一体を使って、……カオスを育てたのだ。

 自分だけを愛してくれる人を、作り出したのだ。

 さみしい子供、愛に飢えた子供……。

 無論、カオスに知られてはいけないのは間違いないし、スカルミリョーネ自身、自分のしていることに伴う歪みを自覚してはいただろうと思う。それでも彼は、そうしないではいられなかった。許されるかどうかは別の問題として(少なくとも、俺はそれを議論できる立場にはない)も、悲しくなるぐらい純粋な感情に基づいて、スカルミリョーネは行動し、目的を果たした。

 結果としてカオスと対立することになっている。皮肉なことであるし、当然とも言えるだろう。ただ間違いなく、スカルミリョーネはそうなることを予期していなかった……。

「全部、内緒でやろうと思ってたんだろ? カオスには秘密でさ。カオスに呼ばれない時、さみしい夜に、一人で過ごさなきゃいけないとき、自分の側に大好きなあの人の代わりを置いて気を紛らわせようとした」

 俺とヴィンセントがこの少年と知り合うことになったのは、俺たちが事情があってクラウドと数ヶ月離れ離れで過ごさなければならなくなったから。その際の世話係、というかはっきり言っちゃえば「クラウドの代わりの性欲処理担当」として側にいてくれたのが、スカルミリョーネだった。クラウドとは全く違う、それでも気を紛らわせるという意味では、スカルミリョーネがああして側に居てくれたことは俺たちにとってありがたかった。

とはいえ、……超然として「仕事」をこなす少年の姿を見ていた俺たちが一片の疑いさえ差し挟まなかったのは我ながら愚かである。

 スカルミリョーネは、どこまで行ってもカオスが好きなのだ。

カオス以外は要らないのだ。

 そういう少年にカオスが、ヴィンセントが、そして俺がさせた仕事の、何て呪わしいこと。

「ねえ、スカルミリョーネ」

 しゃがんでいるのもさすがに疲れた。空間の底に尻をついて、

「会ってみたいって言ったら……、ダメかな、その、お前が作った、『カオス』に」

 スカルミリョーネが僅かに身じろぎをする。

「会って、どうすると言うのです……」

「いや、……うん、どうしようかな」

 単純な興味、ではない。

 間も無く此処には、ルビカンテが再びやってくる。スカルミリョーネが一人で隠れているこの場所がどういった性質の結界で守られているのかはわからないが、カオスと、残り三人の四天王がやってくればまず破られることになる空間である、

 ゆったりとした時間が残されているわけではない。その最低限の時間で俺は、最大限の幸福を作り出そうと思っている。

「俺は、……お前が許してもらえないかなあって、さっきからそればっかり考えている」

 スカルミリョーネのことが、俺は、やっぱり好きなのだろうと思う。

 ヴィンセントも、クラウドも。

 たとえ嘘だったとしても、この子は俺たちのために泣いてくれた。嘘泣きだったなら、無理強いして自分の両眼から涙を零すという労力を払ってくれたというそれだけで、俺はこの子を好きになる。

「許す……?」

「うん、……カオスに、あと、他の三人の四天王。一応そいつらさえ許してくれれば問題ないわけだからね……」

 ふ……、と小さくスカルミリョーネが笑った。

「あなたは、本当に……」

 呆れられている、軽蔑されている。何だよ、事実を言ったまでじゃないか。

「いや、もちろん、『ごめんね許して』って言って、カオスが『うんいいよ』って言うとは思ってはいないよ」

「当たり前です。……まして、強いとはいえ人間に過ぎないあなたの言うことをカオスが聴き入れるはずがありません」

 それも判っている。大魔王カオスの前で俺なんて虫ケラ同然。

「でも、こっちには人質があるよ」

 スカルミリョーネは俺の言葉の意味を測り兼ねているようだった。

「スカルミリョーネ。俺をここから俺の家まで飛ばせるか?」

「……はい?」

「飛ばせる、っていうか、お前も一緒に飛ぶんだ、俺の家まで、ヴィンセントとクラウドのいる、俺の家へ」

 スカルミリョーネは怪訝そうな表情のままでいた。しばらく黙って「出来ません」と首を振った。

「出来ない? ルビカンテは飛ばしたのに」

「出来ない、というか、……したくありません。……判らないのですか。ここは私の組み立てた結界の中です、他の四天王であろうとカオスであろうと、ここを見付け出すことは出来ない、いわば私にとっての安全地帯です。しかしここを除く、……あらゆる界のあらゆる場所は、現れた瞬間にカオスに気取られる。私たちが其処に現れた次の瞬間にはもうカオスが現れて」

「お前に罰を下す、と。……それは困ったなあ……」

 万能の「神」のごとき男が相手である。

 スカルミリョーネの身に強過ぎる「罰」の下されることを望まない俺としては、慎重を期さなければならない。

「……じゃあ、さっき俺とルビカンテにしたみたいに、誰かをここへ呼び寄せることは出来るよな?」

「……何を、企んでいるのです」

「いいことだ。多分俺にしか考え付かない、すごいアイディアだ」

 スカルミリョーネはまだ疑っている。俺ごときが「すごいアイディア」なんて思いつくはずがないと思っているに違いない。

 が、そういう期待は裏切って見せたい。

「クラウドとヴィンセントを、ここへ呼ぶんだ」

 スカルミリョーネははっきりと拒絶の反応を示した。

「ヴィンセント様はカオスと繋がっています。ヴィンセント様がここへ来た瞬間に、この結界はカオスによって内部崩壊を起こすことになります。……そんなことはしたくありません」

 ああ、そうか……。

「……じゃあ、クラウド一人でいい」

「クラウド様に何が出来ると言うのです」

 俺は微笑んだ。

 俺の魂の鏡、俺と同じくらい、あるいはそれ以上に、スカルミリョーネのことを解ってあげられる命。

「いろんなことが出来るよ。何てったってあの子は『クラウド』だからな」

 意味が判らない、という顔をスカルミリョーネはしていた。大丈夫だ、言った俺自身、全くもって意味不明なのだ。ただ俺という男は原則的に、クラウドとヴィンセント、愛しい二人がそばにいるときといないときと強さが全く違う。

 今はまだ正直、危なっかしい気がしている、自分のしようとしていること。

 それでも、大好きな大切なクラウドの顔を見たなら、……その笑顔を見たいと願ったなら、俺の腹の底にはかけがえのない力が溜まる。

「……何を考えているのですか」

「ん?」

「クラウド様を呼んだからと言って、何になると言うのです」

「んー……、ふふ」

 既にして、困惑し切っているはずのスカルミリョーネである。これ以上あんまり困らせてしまうことは得策じゃない。

「呼んでくれれば判る。クラウドまで巻き込んで、俺がお前の問題を他人事として扱うと思うのか?」

「子供の嘘」より力を持つ、大人の真実を胸に抱いて、俺は答えた。


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