美意識

「美しい、お前は、本当に、誰よりも美しい」

 俺は着痩せするタイプだ。

 つまり、他の人の目には俺の体重は六十そこそこ、あっても六十六とか七とか、それくらいに移っているんだろうと思う。これは幸運なことなんだろう。俺は決してそれに迎合はしないが、痩せてた方がいいという意見は根強い。痩せてると言うことはそのぶん抵抗力がないということに他ならず、人間としては不健全な形であると言うことを、みんな知ってるくせに。健康美とは、ふくよかなラインのことを指す。健康であることは、十分に美しい。

 閑話休題。 俺の体重、温泉に行ったときにもちょくちょく計っていたし、今でも風呂に入るときはなんとなく乗っかってしまう。そして大体、七十六から八くらいのところで安定している。身長が百七十とちょっとだから、マイナス百前後のこの体重は、これだけの体力を備えた身体としては何ら、問題はない。腕や足が取りたてて太い訳ではない、が、それでもある程度、男らしく見られた体ではあると思う。クラウドのやせっぽっちの裸体と俺を比べてみてもらえれば解ると思う。変化の尽く少ない身体、クラウドは四年生に上がって二度めの身体測定でも百四十五センチ三十九キロ、猫毛に覆われているから解らないけれど、クラウドの手首は折れてしまいそうなほどに細いのだ。つまり、クラウドは着太りしているわけだ。

「触れれば融けん白雪の肌、手折らでおくべきかその細腕、東風吹かば柔に解けし黄金の絹糸。お前の髪膚の麗しさを、隠すことがそもそもの罪悪。神よどうか許し給え」

 はたして文法的に正しいのか間違っているのか、そこのところは学の無い俺には解らない。が、えらく古風な言い回しでクラウドの持つ例外的な痩身の美を賛美しているらしいことは伺える。

 ヴィンセントは裸だ。俺よりも、クラウドと同じくらい、白い肌。いや、白さの質が、クラウドとはまた違うのだ。クラウドの白が彼が表現したような「雪」の白だとするなら、ヴィンセントの白は白磁や陶の、硬質な白さだ。あるいは、「白眼視」「白骨」……「白」という字を使った硬く冷たいものを連想さ

せるものだ。 彼こそ着痩せする男と言っていいだろう。百八十四センチ。スラリと長い手足に敏捷性に優れる身のこなしから、痩身を思わせるがそれは表面上の姿にすぎない。俺と対して変わらないほどの体重が、彼にはちゃんと備わっている。考えてみれば、元はタークスだったわけであり、つまりはそれ相応の訓練を受けたというわけで。だからその身体が美しくしなやかな、それでいて目障りでない筋肉に淡く包まれていても、何ら驚きは感じない。

 ヴィンセントはクラウドの肢体に絡み付いていた最後の衣……そう、衣だ。クラウドが身に纏っていたのはごく薄いシルクの布が一枚だけ……を、優雅な手つきで剥がし取った。

 たちまち、クラウドの全裸があらわになる。 三日前に付けた荒々しい後はもう消えた。瑞々しい煌きをたたえた肌は「十四歳」という要素に、彼がその身でもって思い知っている快楽のいくつもを加味して、初めて妖しく美しく感じられるものだった。光であり、そして暗黒でもある。俺は「煌きをたたえた」と表現したが、それは一つの見方にすぎないことをここで断っておく。クラウドの肌は煌き、そして同時にその光りを、吸収する。それは暗黒の成せる技だ。

 クラウドは跪くヴィンセントを見下ろしている。その瞳に無邪気な明るさはなく、魔性が揺れる。

 一種の催眠状態だ。だがクラウドにはその自覚はない。クラウドの表情は普段とさほど変わらない。が、どこか妖しげな色味を帯びた瞳は十分に俺を煽った。そして、どこか尊大さを感じさせる微笑みを、その唇に浮かべる。

 誰だってウツクシイと言われれば「そんな馬鹿な」と思いつつも「そうかもな」とほくそえんでしまうものだろう。よほどの理由が無い限りは。人間は基本的に自愛のウェイトが高い動物だから、褒められることをかなり好む。陶酔することを好む。陶酔は心にわずかなスキを生むのだ、そこに付け入れば、だいたいどんな風にも出来るんだよ、ヴィンセントはそう言った。 ヴィンセントの、低く官能的な響きを帯びた声で繰り返される「美しい」という台詞に、クラウドは催眠に陥っていくのだ。

 彼は、クラウドの腰に手を回し、その顔をまっすぐ見上げた。

「美しい……」

 芝居がかった言い方で。でも傍で見ている俺にはそれがまんざら芝居っぽくも見えないのだ。言っている内容に寸分の誤りはないし、ヴィンセントは本来が独特な喋り方(それは三十一年の時代の流れもあろうが)をする男だから、俺の思い過ごしかもしれない。ヴィンセントはきっと芝居などしていない。

 けれど。人間は褒められるのを好むのと同時に褒めるのを好む。褒めることによって人の心を揺さ振り、ある種の優越感を覚える。そこにはまた、スキが出来る。ヴィンセントは自分がクラウドを操っているつもりでいながら、その実、クラウドの持つそもそもの美にあてられてしまっているのだ。きっと。たぶん。

  冷静に見ていると、愚かで。しかし俺の目にはどちらも非常に美しい人間であるというのが映る。美しい人間と書いて「美人」という。なるほどなと思う。姿形、そして内側。内側に関しては最早触れるまでもない。ただ彼らの見た目に関して今一度、確認が必要と考えたから、そうしたまでのことだ。

 人間はしばしば、精神偏重を振りかざす。見た目よりも中身、というあれだ。無論、俺がふたりのことをを心から愛すのはその心がとても美しいことを知っているからだ。が。

 精神とはそれほどに重いものだろうか? 心が醜いということはそんなにもいけないことだろうか? ふたりの心は、その見た目よりも美しい。俺はそれを知っている。が、醜い心というのはそんなに忌むべきものだろうかとも思うのだ。

 俺は二人に愛されているという自覚はあるけれど、決してそれはすべてが「心」ではないとも思う。性格の良い奴じゃないと、自分でそう思うからだ。自己中心的な側面は否定できない、クラウドとヴィンセントに危害を加える存在を、俺は全くの慈悲無く抹消する。それって、俺の視点に立てば正しいことだけれど、公共の福祉や、俺たちに何等関わりのない人間にとっては結果的に何らかの損益を与えることになりかねない。

 心の形なんて目には見えない。美しいように思っていたものは実は醜かった、なんてことは往々にしてありうる。そしてその価値はその時々によってまた変化する、道徳なんて物は教育や宗教、国家の状況によって左右される。心とは実のところ他からの干渉を激しく受ける余地があり、だから、軽いものなのだ。

 あくまで推測に過ぎないが、それでも精神偏重を人が好んでする理由は、それを理想の一つとしているからだ。

 クラウドは艶然と肉球手をヴィンセントの頬に滑らせる。その口元には妖しい笑みが浮かんでいる。完全に陶酔状態。それでいて、美しさを失わない。外形は変わらない。

 肉体も精神も、問題は自己というよりは他者なのではないかと俺は考えた。ヴィンセントがその手を包み、微笑む。問題は「それ」をどう感じるか、だ。そもそも「美」というものは定義がないのだから、要はそれを好ましいと思うか否かだけの問題になってくるはずだ。そして、俺が悪い心を持っていても、ヴィンセントが、クラウドが、彼らの中にある物差しによってそれを「美」と判断したなら、それは「悪い」とは言い切れず、寧ろ二人にとっては何よりもの「正」になる訳だ。肉体に話を移しても同様のこと。猫耳に猫手足、尻尾、永遠に成長出来ない体を、おぞましく写す瞳もこの世には必ず存在する。そして十四歳のクラウド=ストライフという人間の見た目に反感を覚える瞳も、絶対に。だが、俺たちはそうではなくて、その毛皮にはいつだってほおずりしたいと願うし俺自身でも十四の頃にはなかなか見られた顔だったのだと思う。「俺たちがそう感じたから」、俺たちはクラウドを愛しているんだと思う。

 見た目も心も、何らかのコンプレックスを生み出す。子供の頃の俺が、今俺が「美」だと考える女の子じみた童顔を疎ましく想っていたりしたように。だがそれはあくまで「自」に過ぎず、外からの視線が常にそれを悪いものとして捉えるとは限らない。コンプレックスは、それを抱く人間の心から何らかの形で他者に影響を及ぼすものではありえない。足が短いから、太っているから、背が低いから、声が悪いから、性格が悪いから、頭が悪いから、喋るのが下手だから、運動神経がないから、人付き合いが下手だから、アガり症だから、といってそれを醜いものと見ているのは、あんがいコンプレックスを抱いている本人だけだったりする。自意識過剰の一歩手前の症状なんだろうと思う。コンプレックスを抱く「あなた」の側にいるのは、「あなた」の「○○だから」を、「あなたの評定」から省くか、もしくはプラスに見ている人に他ならない。だとしたらコンプレックスを抱くこと自体が無駄だと言えるだろう。一人の人間が同時に付き合える人の数なんていうのはたかが知れているのだから、付き合ってもいない他人にどう思われるかは関係ない。あなたの隣にいる人は、俺の隣にいる人は、こちらが持ち合わせているかもしれない「醜い部分」すら、呑み込んでしまえるのだ。あなたの隣にいる人の、俺の隣にいる人の、醜い部分を呑み込みながら生きているように。

 白い肌? 黒い髪? 赤い瞳? 黄色い尻尾?

 甘えん坊、同性愛、変態、自己中……。

 下らない。それは、人間を形成する一部分にしか過ぎないのだ。

 偶然にも、俺はそれを、何より美しいと思う。そのことだけが重要なのだ。

「ザックス」

 クラウドがうっとりと微笑んで俺の名を呼ぶ。酒が回っているみたいに。

「おいで」

 気持ちいいんだろうな。

 俺は微笑んで立ち上がる。そしてその足元に跪く。膝から下のふわふわした洗い立ての猫毛を、心底カワイイと思う。それが「俺」であり、それは俺にとっての「美」である。


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