もちろん、雰囲気はよくない。俺の左にスカルミリョーネ、俺の右にクラウド、ヴィンセント、と挟んで、ルビカンテ。一触即発の空気無きにしも非ず。ルビカンテは軽口を叩き、スカルミリョーネは憮然とした表情でそれを回避する。クラウドの尻尾もゆらゆらと揺れ、ヴィンセントは無表情。俺は何度か溜め息を吐いた後だ。
非常に暑い。
一応、地獄に俺たちは来ている。あちこちで何の前触れもなく炎の柱が立ち上り、空気はなんともいえない匂いで、ベタベタ纏わりつく感じだ。地理的にどういう場所を歩いているのか、判然としないが、空は見えない。空気の澱みを感じるから、恐らくは大きな洞穴のような場所だろう。
ずいぶんと歩きづらい。足元を……俺もクラウドも、それを確認したくないから聞かないけれど、何かの骨らしきものが覆っている。からからに乾いたそれらは、クラウドの体重でも踏み壊れる。まあ、脆弱な乾いた枝が折り重なる上をずっと歩いていると思ってもらえば良いし、俺たちも歩いているのは枝の上と信じて憚らない。
「……邪魔だ」
時折、骨の山の中から死霊が姿を現す。それは獣であったり、人間であったり、なんだか判らなかったりした。ガラガラと骨を散らかしながら、とても言葉に書き表せないような声を出して俺たちに襲い掛かってくる。それらはスカルミリョーネが、ルビカンテが、簡単に引き千切って屠り直す。
「これら雑多な亡霊は、目的意識を持って我々に襲い掛かってくるものではありません。単なる破壊本能のみで行動するものですから、厄介ではないのです。問題は、この地獄の中枢で以って、皆さんに確固たる加害の意識を持っている連中で……」
「さすがに生まれ故郷のこたぁ詳しいよなあ」
また、俺たちを挟んで睨みあう。しかしこの局面での勝負は、明らかにスカルミリョーネの方が分が悪い。何でって、ルビカンテは別に俺たちが多少怪我したって構わないと思っている。だから、俺たちの護衛がお座なりになることなんて、なんでもないのだ。然るに、スカルミリョーネはそうではない。常に神経を張り詰めて、どこから出てくるか判らない地獄の亡霊に対応しなければならないから、はっきり言ってルビカンテに一々動揺していてはいけないのだ。しかし、時折ちらりと見るその横顔は、可哀想くらいに疲れている。
と。
「……下がってください!」
ルビカンテが張り詰めた声を上げる、反射的に俺はクラウドを抱いて飛び退いた。きぃん、と切り裂くような音が上空から降って来た。遅れて、一陣の風が澱んだ空気を切り裂く。ルビカンテが、その風の行く先に炎の光弾を放った。炸裂する。飛来した影が、ふわり、ふわりと目前に落ちてくる……、急激に、粘土質の真っ黒の影は、
「ああ、やだ」
俺は思わず呟いた。……亡霊ヴィンセントだ。
「よぉ、誰かさんがヘマしたから出来ちまった偽者じゃねぇか」
「黙れ」
ルビカンテはじゃらりと腕輪を鳴らす。
「テメェも引っ込んでろや。だぁい好きなカオスの面潰すなんて出来やしねぇだろ?」
「貴様こそ引っ込んでいろ。もし仮に私の責任だと言うなら自分の不始末、自分で蹴りをつける」
「バーカ、チビガキが粋がってんじゃねぇよ。テメェに責任取る力がねぇから俺がやってやるんだっつぅのがわかんねぇかな」
ルビカンテの言葉に耳を傾けないで、俺たちのほうへ無表情のまま飛び掛ってきた亡霊ヴィンセントを、スカルミリョーネが跳び蹴りで倒す。体勢を立て直し、ぎらりとスカルミリョーネに照準を定めた亡霊を、今度はルビカンテが蹴っ飛ばす。
「貴様は手を出すな!」
「っせーよテメェこそすっこんでろガキが」
ルビカンテに暗黒の波動秘めた手刀を繰り出さんとしたその背中を、スカルミリョーネの召喚した意思飛礫が襲う。
反射的にスカルミリョーネに振り返ったところ、ルビカンテが痛烈な火炎弾を浴びせる。
あっという間に亡霊ヴィンセントは原型を喪った。カオス直属、魔界屈指の戦士二人に袋叩きに合えば、無理からぬこと。烈しくいがみ合っているのだが、戦っている結果だけ見れば、ずいぶんと息のあったコンビネーションなのが可笑しい。スカルミリョーネはどうか判らないが、ルビカンテも面白がっている。間もなく亡霊ヴィンセントは只の黒い固まりとなり消え失せた。二人とも息一つ切らせていない。俺とヴィンセントがクラウドをがっちり護り、俺たちに近寄らせる危険もないくらい強いルビカンテが側にいることで、スカルミリョーネは無遠慮な戦い方が出来る訳だ、とても強い。俺たちがいかにあの子の負担になっているかが判る。
「貴様の助けなど借りなくとも」
それは少しも強がりではなかったろう。
ルビカンテは笑う。冷徹な無表情で睨みあげるスカルミリョーネとは一事が万事対照的で、そりゃあ気も合わないわなと思う。無論、俺とヴィンセントだって違うところだらけで、でも根本が一緒だから同じ方向を向ける。彼らはちょっと、難しい。
「心配してやってんじゃねぇか、なぁ……チビすけが怪我しねえかよ」
軽そうな口でそう笑い、土の色の髪に気安く手を置く、払い除ける手を抑える。抑えただけで、転がしはしない。もう一方の手で払おうとしたとき、もう手はあっさりと退けられていた。
ぎ、と音がしそうな目を一つルビカンテにくれてから、歩き出す。ルビカンテは、口笛なんて吹きながら。
事務的なスカルミリョーネは、やっぱり魔族であって、それ相応の凄みがある。いつでも俺たちのことを最優先に考え、優しく甘えさせてくれるから忘れがちだけれど、怒らせたら怖いんだろうなあ、とは、容易に想像がつく。怒らせなくても正体はかなりスゴイわけだし。
「なあ、スカルミリョーネ」
ルビカンテが後ろから呼ぶ。
「慣れ慣れしく呼ぶな」
「チビすけっつったら怒るかなと思ったんじゃねぇか、人に気ィ使わせてんのわかんねぇのかテメェは」
「……なんだ」
「お前な、そんなキリキリした顔してねぇでちったぁ笑ったら? なあ、アンタらもコイツ笑顔の方がいいだろ?」
不意に俺たちに言葉が向けられた。俺はヴィンセントを見た、ヴィンセントはクラウドを見た、クラウドが「うん」と頷く。
「スカルミリョーネ笑顔の方がいいよ」
そう言われて、スカルミリョーネは戸惑う。
「スカルミリョーネって、すっごい美人だから、冷たい顔してると近寄りづらくなっちゃうもん」
一理も二理もあるクラウドの言葉だった。美には冷たさが伴う。しかし本当の美には体温が伴う。スカルミリョーネの、俺たちのためにあたふたしたり、心配しておろおろしたり、一緒に悲しんだり悩んだりして流してくれる涙が好きだと思う俺たちだ。
「聴いたか? 美人さんよ」
「……っ、貴様のせいで……!」
「あァ? 俺別に何もしてねぇじゃんよ。テメェが勝手に俺様のこと嫌ってるだけでな」
まあ、俺もスカルミリョーネ寄りだから、あんまりルビカンテは好もしく思えないけれど。
「なんで?」
クラウドは首を傾げる。スカルミリョーネは堪えるような顔をして、「それは……」と蚊の鳴くような声で言う。
俺としても、多少、疑問に思う部分ではある。幾ら相性的に問題があるにしてもだ、スカルミリョーネの、ルビカンテに対する態度はちょっと度を超しているようにも感じられる。
「まあ……言いたくないなら無理に聴かないが」
ヴィンセントがそう言った、そりゃまあ、そうだ。
それなのに、
「あのこと根に持ってんだろ」
「……貴様……」
「なあ、まあ俺もテメェも若かったんだ、気にすんな」
「黙れッ」
俺たちの興味をそそるような言い方をする。ルビカンテにも性格的な問題があることは否めないだろう。
「……何があったの?」
子供は素直に興味津々。スカルミリョーネは青いような赤いような顔をする。こういうのは無礼者の所作である。しかし、俺だってやっぱり知りたい。スカルミリョーネが何をそんなに嫌がっているのか。ヴィンセントは当然カオスを介して知っているのだろう、黙って涼しい顔をして、そっぽを向いている。
「俺とこのチビすけは兄弟なんだよ、なぁ?」
「黙れ!」
きょとん、とした、「きょとん」ってこういうのだろう。
「……兄弟?」
「昔の話です!」
叫ぶようにスカルミリョーネは言った。
「あーそうだ、確かに昔の話さ。だけど事実は事実だ」
魔族の見た目は年齢を全く反映していない。カオスはなんか十桁くらいの年齢らしいし、スカルミリョーネだって軽く一万年は生きているらしい。そのスカルミリョーネの妹のバルバリシアは、どう見てもスカルミリョーネよりも大人に見える。あまり年齢の上下を気にはしない種族なのかもしれない。
だからスカルミリョーネがルビカンテの弟だったり、逆にルビカンテがスカルミリョーネの弟であったとしても、違和感こそあれ、不思議ではないのだが。
「まあ、あの頃は俺もガキだったしなあ」
「黙れと言うのが判らないのか!」
「八千年前だっけ、もっとか?」
「貴様……っ、殴るッ」
と言いながら、蹴りを仕掛けるスカルミリョーネの足をひょいと払う。
「俺を黙らせられんのはテメェの唇だけだよ」
そう、笑う。
どういうことがあったのかを窺い知ることは出来ないが、少なくとも「どういう類のことがあったのか」ということは、とりあえず「兄弟ではない」ということは……うん、何となく……。クラウドはポカーンとしている。教えないでおいてあげよう、スカルミリョーネのために。
「八千年も昔のこと、今の私たちにはさほど意味を持たん」
ヴィンセントは知っていながら、そう総括した。スカルミリョーネは泣きそうな目をして項垂れる。
「ただ、人の嫌がることをしないというのは、八千年かけなくとも判る話だ」
ケラケラ笑って、ルビカンテは歩き出す。スカルミリョーネはがっくり頭を垂れたまま。
また、亡霊ヴィンセントが現れる。今度は二匹、二人は別々に戦ったが、ストレスをそのままぶつけるかのような戦い方をするスカルミリョーネの、鬼神の如き強さには目を見張るものがあった。