おまもりリボン

 子供は風の子。

 そういう言葉を、土ノ日家の大黒柱であるところの鞍馬は、とりわけ大事にして弟たちを育てて来たものだ。寒いからと言って家のコタツでぬくぬくしていていいのは猫だけで、お前たちは犬と一緒になって雪ん中を転がり回って来なければいかん、と。

 これで弟たちが嫌がるなら、単なる時代錯誤のスパルタ教育という誹りを受けて当然だが、元々身体のあまり強くなく冷え症な春陽を除く二人の弟たちは木枯らしが吹き渡る十二月の戸外にも平気で遊びに行くことが多いのだ。

 とりわけ末弟の光は、雪でも降ろうものならそれはもう犬以上の喜びよう、おしっこちびっちゃうんじゃないかというぐらいはしゃいで遊びまわるのが常である。元来、東京住まいの子供にとって「雪」は季節の稀有な客で、遊べる限り遊ばなくては損だと思うらしい。

 昨日、雪が降った。

 今朝、光は熱を出した。

 ごくわかりやすい成り行きである。

 都心部の交通網は雪に対して脆弱だ。とりわけ、これは差別をするわけではなく事実として、JR各路線の雪への無条件降伏ぶりは目を覆わんばかりで、昨日は遅くまでダイヤを無秩序に乱しまくった挙句、もうひと段落着いた今朝にもあちこちで不手際を見せている。ともあれ企業体そのものが巨大で、路線の数も距離も私鉄とは比べ物にならないJRであるから、一箇所の遅れが次々飛び火して斯様な惨状を来すのは無理からぬことと言えるかもしれない。

 一方で私鉄各線は、比較的安定感のある営業を続けている。この雪を受けて私鉄で間引き運転をしているのは京王高尾線と東武線の一部区間のみ。一応、京王線と相互乗り入れをしている新宿線を守護する土ノ日家三男の新は今朝から指令室に詰めている。鞍馬の浅草線、次男春陽の三田線は共に自線乗り入れ先共にダイヤ通りの運行をしてはいたが、並行するJRが先述の通りに乱れてくれているので、やはり乗客対応のために今朝から勤務だ。

 土ノ日家には七度六分の熱を抱えた光が一人取り残されている、という状況なのだ。光の大江戸線に関しては全線が地下を走り、元々雪の影響は受けない。他の三人の兄が駆り出されてもいるし、風邪っぴきでもあるし、自宅療養しているのだ。鞍馬も春陽も大いに心配していたが、この末弟は健気にも、

「だいじょぶ、一人で平気だから、兄ちゃんたちこそ気ィ付けて」

 とベッドの上から言った。

 然るにこの弟は、

「つまんねーの……」

 とぼんやり、身体をベッドに預けたまま、退屈を持て余しているのだ。

 だって、外はせっかく雪が積もった。今日が二学期の終業式だから、学校もすぐ終わる。クラスメイトたちは行き帰りに雪遊びに熱中していることだろうに。

 唯一嬉しいことと言えば、普段は「虫歯になるから」とサッカーの試合でもなければ飲む機会の少ないスポーツドリンクの大きいボトルが枕元にあることぐらいで、それさえも雪をかじった方がマシだと光は思う。とはいえ発熱しているのは事実で、さっきから携帯電話をいじったり、漫画を読んだりしてはいるのだけど、何と無く身が入らず、とろとろしている。食欲もあまりなく、もうすぐ正午になるが、鞍馬に「腹減ったら出前とれ」とそば屋のメニューを渡されているのに開く気にもならないでいる。

「つまんねーの……」

 枕に顔を預けたまま、光は漫画を読み、またとろとろと浅く暑苦しい眠りに就く。

 

 

 

 

 東葉高速鉄道東葉高速線の守護聖・早葉碧は、同線終点の東葉勝田台から京成の勝田台へ移り、其処から京成八幡へ快速で移動。徒歩で五分ほどの都営新宿線とJR総武線の本八幡駅に至って乗り込んだ新宿線急行の車内で、

「本日も都営新宿線をご利用いただきまして、まことにありがとうございます」

 アナウンスの声を聴いて、ぴくんと顔をあげた。年末の平日の昼下がり、乗客は少なくて、彼女の反応に気付いた者はいなかった。

「ご乗車の電車は、京王線直通の急行橋本行きでございます。新宿線内は船堀、大島、森下、馬喰横山、神保町、市ヶ谷、新宿に停車して参ります」

 淀みなく停車駅を読み上げるのは、予め録音された機械音声ではない。

「次は船堀、船堀でございます。この電車の通過いたします東大島をご利用のお客様は、後から参ります各駅停車笹塚行きにお乗り換えくださいませ。次は船堀でございます」

 普段喋るときとは全く異なる、優しく響き、其れでいて凛と透き通った声は、土ノ日新のものだ。

 守護聖たちは有事の際、こうして自らを走行する列車と同化させ、乗客対応に当たる。これは東葉高速線で碧も行っていること。守護聖が力をこめて発する声には、人の心を強くしたり和らげたりする、不可思議な力が宿っているのだ。

「次は馬喰横山でございます。浅草線東日本橋駅にお乗り換えいただけます。お乗り換えの方はホーム後ろ寄りの階段をご利用の上、オレンジ色の自動改札機をお通りください。間も無く馬喰横山でございます。……お忘れ物ございませんようご注意ください」

 馬喰横山のホームに降りた碧は、車掌と共に後部乗務員室にいる新の姿をみとめた。

「よう」

 と気やすい笑顔で手を降った新に、碧の頬は彼女の自覚とは無関係に染まる。

「悪ィな、休みのときなのに。碧ンとこは無事なの?」

「は、はいっ……、うちは、あの、東西線がJRとの乗り入れ切ってる以外は無事です」

「そうか、何より。じゃあ、あいつのこと頼むぜ」

 発車ベルが鳴り、車掌がドアを閉める。橋本行き急行十両編成は、いつもと変わらぬ走りで馬喰横山駅を定刻発車した。車両は京王から乗り入れる9000系。

「はあ……」

 体温より高い溜め息を、碧は密やかに吐く。

 新お兄さま、やっぱりすごくカッコいい……。

 まだ小学五年生の少女の目に、高校二年生の土ノ日新はとてもスマートに見えるのだ。たとえ少々姿勢が悪くて、不真面目で、何より自分の弟に向かう性欲を隠せないような不良少年であったとしても。

 例えばこれを「恋」と呼ばれても構わない気で、碧はいる。ただ彼女は東日本橋から乗り込んだ浅草線で辿り着いた浅草駅で鞍馬と会ったときにも同じ気持ちになったし、今日はルート上会うことはなかったけれど三田線で春陽を見たときにも、全く同じ感情を抱くのである。これは別に彼女の気の多いことを示すのではなく、このぐらいの歳の少女としては当然の情動と言える。

 彼女は四兄弟の三人の兄たちから、光の様子を見る使命を仰せつかって、わざわざ千葉県の家から浅草の土ノ日家へと向かっている。とはいえ、別に億劫ではない。光を「ボーイフレンド」とか「彼氏」とかと評することはしないなりに、それなりに、あくまでそれなりに心配する立場ゆえに。

 そもそも、敬愛する「お兄さま」たちの依頼を断ることなどこの少女には出来ないのだった。

 余談ながら、彼女がこの日辿ったルート上には、「東葉勝田台と勝田台」「京成八幡と本八幡」そして「馬喰横山と東日本橋」という、乗り換え可能ながら別の名前を持つ二つの駅として取り扱われる駅が三つも含まれる。首都圏に同様の扱いの駅は、他に小川町(都営新宿線)と新御茶ノ水(東京メトロ千代田線)と淡路町(同丸ノ内線)や、赤坂見附(同銀座線・丸ノ内線)と永田町(同有楽町線・半蔵門線・南北線)、国会議事堂前(同千代田線・丸ノ内線)と溜池山王(同銀座線・南北線)などがある。別名が付くぐらいだから、いずれも乗換えにはそれなりの距離を歩かされることになるが、使命を帯びた彼女の足はせっせと進むのだった。

 閑話休題。

 浅草線浅草駅を出た碧は綺麗に雪かきされた道を、普段より少し暖かな靴でたどっている。活動的な少女である彼女も他の子供らと同じく、雪に心踊らせているが、踊って転んでは意味がない。日陰の舗道も除雪がきちんとなされているのは、元々観光客の多い街に住む人々のもてなしの心遣いだろう。くるぶしまで覆うスパッツの上にデニムのハーフ、上は白いセーターにマフラーを巻き、赤いコートを羽織っている彼女は、東葉高速鉄道線のラインカラーでもあるオレンジのきらめきを纏った長い髪をいつもの通り二つ結びにして、こんな日にも賑わいを見せる仲見世からも程近い土ノ日家の前まで辿り着いた。手に提げた復路には母に持たされたリンゴが一つ。

 表通りに面しているのは、いまは暖簾こそかかっていないが「みやこ鮨」の入口で、これは鞍馬が夕方以降腕を振るう小さいながらも味の確かな江戸前寿司の店。土ノ日家の玄関は裏へ回ったところにあって、碧は今年の夏以降もう何度もこの道を辿っている。千葉のマンション住まいの彼女にも、古くとも清潔感のある純日本建築木造二階建ての佇まいは好もしく映る。

 メールで鞍馬に言われているとおり、板塀の足元にある植木鉢を退けたところに鍵があった。それで引き戸を開けると、まるで留守宅のように静まり返り、薄暗い廊下は底冷えしていた。光もおとなしく寝ているらしい。

「おじゃましまぁす……」

 何となく声を潜めて上がり、揃えられていた客用スリッパで上がり込む。光の部屋は二階の奥で、手前には春陽と新の居室がある。もちろん、其処は覗いたりしないで彼女の足はまっすぐ光の部屋の扉に至り、そうっと開いた。

 エアコンが低い音とともにかき混ぜる温風が頬を撫ぜた。加湿器が足元から空気を潤わせている。すぐにコートを脱ぎたくなるくらい温かな部屋、男の子らしい水色の掛け布団がこんもり盛り上がっていて、光の紅みがかった後頭部が枕からずれている。サイドボードの上に、半分ほど量の減ったスポーツドリンクのペットボトルが置かれ、側には漫画本が開かれたままだ。

「光」

 そっと声を掛ける。起こすのは良くないだろうか、しかし、一応来訪を伝えておいてあげるべきでは。

 二度目を躊躇っていた碧の視線の先で、ぴくんと光の頭が揺れた。「うお……」と小さく唸る。時間差で声が届いたのだろう。

「光」

 もう一度声を掛けると、今度はよりはっきりと身を震わせ、……光はじりじりと振り返り、碧の顔をみとめたところで、三度目の強張りを見せた。

「んな、なっ……、なんで、いんだよ……!」

 光はあからさまに表情を強張らせている。懸念していたほど顔色は悪くない。ただ、ほんのりと頬が赤らんでいるのが発熱の証拠だろう。

 碧は少しだけ、安心する。

「あたしが自分で来たくて来るわけがないでしょ。……お兄さまたちに頼まれたから来てあげたのよ、ありがたく思いなさい」

 つい、いつものようにつっけんどんな声で言ってしまった。光は掛け布団を掴んだままで、次の言葉は出てこない。

「お昼は? まだ食べてないの?」

 光は表情を固めたまま、こく、と頷く。

「鞍馬お兄さまには出前を取るように言われてたんじゃないの?」

 サイドボードの漫画本の下に出前のメニューがあるが、それが開かれた様子はない。食欲がないのだろうか。碧は持ってきたリンゴのことを思い出す。

「お腹の具合も悪いの? こういうのでよければ、あたし剥いてあげるけど」

 いい、と布団にこもった声が返す。

「でも、ご飯食べないと薬飲めないし、薬飲まないと風邪治んないよ」

 急に自分が現れて、寝起きの光はまだ驚きが隠せないようだ。ただ固まって困っているだけ。仕方なく碧は立ち上がり、勝手知ったる他人の家、押入れに畳んでしまわれた白いシャツを広げて、

「汗かいたでしょ? 小まめにシャツ取り替えなきゃ」

 こくこく、光は頷く。それから布団からそろそろと手を出して、「着替える、から、出てけ」と固い声で言う。

「……別にパンツ脱ぎなさいって言ってるんじゃないでしょ。どうせ汗まみれでそのシャツだって洗濯しなきゃならないんだから、さっさと脱ぎなさいよね」

 重ねて碧が催促しても、光はまるで動こうとしない。真っ赤になって、石のように硬直しているばかりだ。

 いい加減碧だって、様子がおかしいと言うことに気付く。

 暖かい部屋に漂う光の匂いに、……本来あるべきではないものが混じっていることにも。

 それは、少なくとも、……汗ではない。

「……まさか!」

 光が咄嗟に布団を内側から掴んだ。しかし健康体の碧の腕の前で、それは何の抗いにもなりはしない。

 布団を剥ぎ取った碧は、光がシーツに大きな地図を描いているのを見る。……東京都の地図、いや、関東一円の。

「ち、ち、違うっ、これはっ、これは汗かいただけでっ」

 言い訳されればされるほど、碧の方が情けないような気持ちになる。

「……あんたは黄色い汗をかくわけ?」

 光は言い返せない。

「お兄さま」たちはあんなに格好良くて頼もしいのに、この弟と来たら。だから碧は誰かに、この同い年の少年を特別な存在と定義されると怒るのだ。

「風邪ひいてそんなビチョビチョでいたらもっと悪くなるでしょ! さっさと着替えなさいよね!」

 ガラリと窓を開けて、光に新しいブリーフを投げつける。

「さみい!」

「この部屋臭い!」

「おっ、お、おまえだっておねしょしたことあんだろ!」

「あんたほど頻繁にはしないわよ! っていうか夏からは一回もしてない!」

 そう、碧が光のおねしょの現場に居合わせるのは、これが三度目だ。最初の一回は、初めてこの家に来たとき。くっきりと証拠の残った布団を春陽が干していて、光はすっぽんぽんでそれを見ていた。

 二回目は、土ノ日家の旅行(荒川線の守護聖である荒川さんと、日暮里舎人ライナーの守護聖舎人も一緒にいた、名目上は「研修旅行」だった)の、二日目の夜。

 そしてこれが、三回目。これ以外にも光がおもらしするところを、少量も含めて言うのなら四回目撃しているし、そもそも初対面からして光は全裸だったし、パンツの前が黄色いことも知っていた。だから、この少年がどれほど快活で、本当は優しく男らしいのだと知っていても、「彼氏」なんて言われるのは碧としては心外なのである。

 たとえ、もう何度も恋人同士でしかしないようなことを、光とだけはしていても。

「うう……、あっち向けよ」

 ベッドから降りた光は恥ずかしそうに後ろを向き、パジャマのズボンに手を掛ける。

「別にあんたのそんなとこ見慣れてるし」

 憎まれ口を叩きながらも、碧は一応女子として後ろを向く。湿っぽい衣擦れの音が聴こえて来た。換気よりも寒さの方がこたえて、窓を閉める。

「……っていうか、そんな汚いまんまで着替えたらダメよ」

 思い当たって振り返ったところ、光は片足に濡れたパジャマを引っ掛けてペタンと畳の上に尻餅をついた。「タオルどこ」

「そこの、そっちの引き出し! っていうか見んな! えっち!」

 言われた引き出しから取り出したタオルを手に、碧は光の前に仁王立ちする。

「手ぇどかして」

「やだよ! なんで!」

「拭かなきゃなんないからに決まってるでしょ」

 雑念はない。

 およそこの少年の下半身ほどだらしないものはない。二人より二歳年下の舎人だっておねしょはもう治っているし、起きているときにおしっこを漏らすこともない。だから今更になって真っ当にそこの秘匿権を主張するなんて、碧に言わせれば生意気なことなのだ。

「あ!」

 光の腕はやすやすと振り払えた。それきり、諦めたように脱力する。……風邪で力が入らないらしい。そう思うと、気の毒ではある。

「熱は計ったの?」

 こくんと頷いた光が、一瞬泣いているように見えたのは、その目が潤んでいるからだ。しかし今更おねしょを「ガールフレンド」に見咎められたぐらいで泣くような弱い心の少年ではない。熱のせいだろう。

「何度?」

「……けさ、計ったら、えー……、確か七度六分だった」

「今朝じゃなくて……、そのあとずっと計ってないの?」

「ん」

 緩慢な反応に、ついつい大きな声を出してしまうが、光はうるさそうに顔をしかめる。碧は息を一つ飲み込んで「ごめんね」と反省し、手の届くところにある体温計を光の脇に挟ませた。

「拭いてる間、計って。……あと、えーと、膝で立って。……立てる? しんどかったらいいけど……」

「ん……」

 一方で光も従順に見える。見られたくないところを見られたとはいえ、それは碧も同じことだと理解しているのかもしれない。大人しく膝立ちをし、足を開き、脇の下に体温計を挟みながら碧に股間を拭わせている。

 三十秒ほどで体温計が鳴った。光がぼうっとした目で「七度八分……」と読み上げる。

「下がってないじゃない。……薬飲まないからよ」

「……だって薬まじぃんだもん……」

「小さい子みたいなこと言うんじゃないわよ」

 いままさに、タオル越しとはいえ碧の手の中にあるものこそ、小さい子のそれだが。

 新しい下着を穿かせたところでパジャマの上の裾も少し濡れていることに気付く。下のシャツも着替させようとするが、見つからない。全部洗ってしまったのかもしれない。

「代わりに何か着るものないの? 半袖で、汗吸ってくれるような……」

「んーと……」

「あんたは動かなくていいから、どこに何があるかだけ教えて」

 引き出しの一番上に体操服がある、と光は言った。

「おととい持って帰って来て、春兄ちゃんが洗ってくれたと思う」

 確かに、体操服の上下がきちんと畳まれて収まっていた。襟ぐりと袖口が紺色、ズボンも同じく色である。光は碧に渡されたそれを身に着けながら、「家なのに学校みたいだ……」と呟く。

 被害甚大なシーツと布団もどうにかしなくては。でも代わりはどうしよう。少し考えてから、碧はひとまずそれらを抱えて階下に降ろし、タオルケットはパジャマとパンツと一緒に洗濯機に入れ、洗剤漂白剤の力に頼る。掛け布団は……、勝手に洗ってどうにかしては申し訳ないし、日差しのない日では乾きそうもないから保留とする。光の部屋に戻る前に、「ごめんなさい、おじゃまします」と声に出して言って、新の部屋を開けた。……光の部屋と同じほどの散らかり具合の部屋には、大人っぽい香水の匂いが漂い、碧の鼻腔を擽った。

「お布団、お借りします」

 掛け布団とタオルケットを一抱えにして持ち上げると、……布団の中に少年愛漫画と、光のものに違いない(というか、光以外のものであっては困る)洗濯前のブリーフ。そういえば枕元には箱のティッシュと、それを丸めたものも二つ散らばっている。見なかったことにする。

 光の部屋に戻ると、体操服姿の少年は寒そうに膝を抱えてしょんぼりしていた。碧はてきぱきと洗面所から持って来たバスタオルを二枚重ねて広げ、敷布団の上に敷く。これで一応、冷たくはないはずだ。

「寝て」

 光がその上に横たわったところで、男性の匂いが染み付いた布団で体操服姿の風邪ひき少年を覆った。

「これ、新兄ちゃんの?」

「うん。……勝手に入っちゃった」

「まあ、いいだろ。……別に見られちゃやばいもんなんてないはずだし」

 あったけど、「うん」と碧は頷いて、……これでひとまずひと段落……、ではない。リンゴを持って台所に降りる。ナイフと俎板を借りて、切り分けて行く。こういったら家庭科分野の仕事は、いつも家で母親の手伝いをするこの少女には容易い。とはいえ、わざわざ習ったばかりのうさぎリンゴを作るような手間は省く。いまは光に食べさせることこそ重要なのだし、そもそも光は男の子である。

 爪楊枝を戸棚に見つけ、皿に盛って再び光の部屋へ。少年は布団に大人しく包まったままでいた。

「一切れだけでもいいから食べなさいよ。小さめに切ったから」

 普段なら、一つのリンゴから半月型のを八つ。

 今日は光のために、更に半分に切り分けている。

「これ、……おまえ切ったの?」

 光が料理をほとんどしないことは知っている。だって、兄の鞍馬が寿司屋の板前さんなのだ。わざわざあまり器用でない弟が台所に立つ必要はない。

 だから、その目には素直な感心が浮かんだし、

「すげえな……」

 唇からもさらりと声は溢れた。

「べ、別に……、女子だったら誰でも出来るわよ、こんなの……」

 気分がいい。手軽な自分を恥じるが、嬉しいのである。

 十把一絡げに「男子」と呼ぶ。光はその中の一人に過ぎないはずだし、その中でもみっともない秘密をいくつも抱えていることを考えれば下に扱うべきかもしれない。

 しかし、碧はどうしても、すんなりそうは出来ない。光と会うようになったのはまだ今年の夏のことなのに、会うたびに、どんどん距離が縮まっている。光はもう、少年の三人の兄たちと同様に、碧の気持ちがどうしても向かってしまう対象になっている。

「ほら、あーんして」

「い、いいよ、自分で食べられる……」

「おねしょしちゃうくせに、何今更カッコ付けてんの? バカみたい」

 なのに、こんな風に意地悪を言ってしまう。光は渋々口を開け、小さく切られたリンゴを碧の差し込むまま口に入れ、いい音を立てて咀嚼する。

「……あんた、まさかとは思うけどこれ、今日だけで半分飲んだの?」

 碧はサイドボードのペットボトルを見て訊く。光はうんと頷いて、

「だって春兄ちゃんがさ、水分補給しなきゃダメだって」

 それにしたって限度と言うものがあろう。一リットルの水分を摂取して、トイレにも行かずそのまま寝てしまえば、もとよりおねしょの癖がある光が布団を濡らさずに済むはずもない。

 バカだなあ、と呆れるが、それは口には出さないでおく。

 光はリンゴの四分の三ほどを食べて「ごちそうさん」と言った。やはり、普段に比べて食欲も落ちているらしい。碧が用意した薬を、嫌そうに、唇を尖らせて飲む。

「そしたら、トイレ行って寝なさいよ」

「……おまえは? どうすんの?」

「あたしは……」

 取り立てて、することもない。掛け布団はどうしたらいいかわからないし、かと言ってすることもない。下の居間でテレビでも観せてもらおうか。でも平日の午後に、少女の気を引くような番組はやっていないだろう。

「……することねーなら、ここにいれば」

 光は素っ気ない声で言ったが、その目が熱のせいでほんのり潤んでいるから、碧には光が寂しそうに見えた。……顔の形に関して言えば、光も血の繋がらない三人の兄たち同様に、綺麗だ。いや、「可愛い」と言った方が相応しいだろうか。

 普段、同い年の男子に抱くことのない感想を抱き、選ぶことのない言葉を選ぶ。それはほとんど、無意識に。

「っていうか……、ヒマだからさ、寝てるだけで、マンガも飽きちゃったし……」

 はぁ、と碧は大義そうな溜め息を吐いて、「別に、いてあげてもいいけど」と素直でない言葉を口にした。光は気にもせず、携帯電話を開いて、

「おれな、こないだ春兄ちゃんと温泉行ったんだ。そんときの写真見してやる。新幹線乗ったんだぜ」

 俄かに元気になったように、携帯電話のフォルダから画像を見せる。

「ふーん」

 努めて素っ気ない反応を見せつつも、碧は二階建て新幹線MAXの車内を撮った画像を興味深く見た。鉄道路線の化身のようなものであるから、女子である碧だって列車に関する写真は好きだ。

「おまえ、新幹線乗ったことあるか?」

「あるわよそれぐらい。あんたこそ、スカイアクセス乗ったことあるの?」

「試乗会呼ばれたもん、京成は鞍馬兄ちゃんの乗り入れ先だからな」

 新幹線車内の写真が続いたあとは、雪の旅館を写したものに変わった。

「これ、泊まった旅館。すげーだろ」

 確かに、高級そうな旅館だということは碧にも見て取れたが、……別にあんたが偉いわけじゃないでしょ、と内心で碧は呟く。

 ともあれ、光の声には張りが戻っている。病は気からという言葉もあるように、すぐそばに碧が居て相手をしてくれるというのが、この少年にはことのほか嬉しく、心に芯が通るのかもしれない。

 碧としては、悪い気はしない。もっとありがたかってくれた方が、気分はいいのだけど。

「ご飯もさー、すげーおいしかったんだぜ。夏のさ、高尾も楽しかったけど」

 夏の高尾。碧と光の距離が、肌一枚のところまで縮まったときのこと。光はそれを意識して言った訳ではなかったらしいが、それをも含めて「楽しかった」のは、碧も同じだ。

 写真を送って行く、豪奢な夕飯の写真が、しばらく続く。山菜の天ぷら、おいしそう。これはニジマスの塩焼き、……デザートもすごく綺麗。と。

「げっ」

 思わずそんな声が彼女の口から漏れた。「でさー、次の日はさー……」

 光が携帯電話に目を戻して、「げっ」と同じく品のない声を上げた。

「ち、ちっ、ちがっ、これはっ……」

 下品すぎる言葉ではあるが、碧もそういう写真を何と呼ぶか、知っている……、「ハメ撮り」というのだ。

 裸で横たわった光は、あられもないという言葉以外に思いつかない姿を晒しながら、小さな陰茎を強張らせて射精しているまさにその瞬間。

 開かれた足の間、差し入れられているのが春陽のペニスであることも疑いようもないこと。……碧は新と光の愛し合うさまを覗き見たことがある。あのときは、少し離れたところからではあったけれど、……これはドンピシャにピントが合っている。

「こ、こ、これはだな! これはっ、春兄ちゃんが勝手にっ……」

 意図せざるもの、望まぬものであるならば、とっとと消してしまえばいいのに、それを敢えてまだ残してあるということは、そういうシーンまで含めて光にとってはいい思い出だったということだろう。

 それにしても、あの穏やかで優しく上品な「春陽お兄さま」がこんなものを撮っているなんて。碧はあの美しい兄たちが、本当に呆れるぐらい光を愛していることを、ちっとも望ましくないやり方で思い知らされる。

「……そりゃ、そうでしょうよ」

 恋人同士で一泊旅行、ならば、そういう機会があって当然だ。だから責めようとは思わない。ただ、光の軽率さは責めておくべきかもしれないとは思う。

 しかし、碧はたった一枚の写真が備える破壊力に、鼓動を抑えるのに躍起になるだけだ。気を紛らわせるために光が残したリンゴを齧るが、何だか妙に酸っぱく思えた。

「……ごめん」

 と小声で光が謝る。碧は首を振るが、そもそも何を謝られたのか判らないし、何について謝ったのかは光にも判っていないだろう。

「……汗出てきた」

 光は呟いて、ティッシュを抜き取り額を拭う。碧は何だか居た堪れなくなって、「あたし、下行ってる」と立ち上がる。

「テレビ、見てもいいよね」

「……あ、うん、……でも」

 光は、申し訳なさそうに碧を見上げていた。ただ、しばらく言葉は出てこない。

「下、寒いぞ」

 やっと発されたのは、そんな言葉だ。

「うち、古いから……、下の部屋ストーブつけないと隙間風ですげー寒いんだ。……でも、ここだったらあったかいだろ」

 光は、そばに居て欲しいのだ。

 困った子だ、なんて、年上みたいに思う。ベッドに腰を降ろした碧の横顔に向けて、

「……ありがとな」

 と光はごく素直と感じられる声で言った。

「別に……」

「寒いのに、わざわざさ、千葉からここまで来てくれて……、その上、……おれ、おねしょしたし……」

「別に……、あんたのおねしょの面倒見るのなんて、もう慣れたし……」

 二人とも、紅くなって沈黙する。

 先に動いたのは、光の方だった。

「おまえも、……することないなら、寝たら?」

 布団の中で身をずらし、半分以上のスペースを、掛け布団をめくることで教える。

「……あんたのおねしょした布団で寝るの?」

「う、そうか……」

 しかし碧は、セーターを脱いで光が作り出したスペースに入った。光がそっと布団を肩にかけてくれる。すぐそばにある体温は、やはり自分よりも高く、布団の中はぽかぽかと温かかった。

「……今日、おまえのとこも終業式だった?」

 光が訊く。「うん」とだけ答えて、成績が良くて母親に褒められたことを言いかけて、やめた。

「……あんたの、どうするの? 学校休んだんでしょ?」

「うん……、だから、明日か明後日か取りに行かなきゃ。……でもどうせそんなよくねーし、皆勤賞も逃しちゃったから……」

 また、沈黙。

 光の顔が紅い。同じように、耳まで紅くなっている自覚が碧にはあった。

「……さっきの」

「さっきの、写真」

 二人で同時に同じ話題を選んでしまった気まずさを振り払うように、光が言葉を継ぐ。

「……舎人には、言うなよな。あいつ絶対真似する……」

「わかってるわよ。……言わない」

「ん……、約束な」

 布団の中で、光の手が何かを探すように動いた気配がある。碧は動けなかった。薄っすらとした眠気と、それを忘れさせるだけの体温が手の甲に触れ、指先を掴むまで、動かなかった。

「……ありがと。おまえが来てくれて、よかった」

「……暇つぶしになったなら、それでいいけど」

 光は首を振ったが、それで止まった。

 どきどきしていることは互いに筒抜け。しかし光がそれ以上なにもしようとしないのは、風邪をひいているという意識が働くからだろう。

 でも多分、もううつってしまっている。だって、こんなにも熱い。

「み……」

 光が僅かに身体を強張らせた。「……バカ、おまえまで、風邪うつる……」

「……知らない。あんたが悪いんだもん」

「そりゃ、そうかもしんないけど……」

 指を握っていた光の手が、腕を伝ってゆっくりと上がってくる。碧の右腕を登り切ったところで、少年の指はためらいがちに、タートルネックの胸部、五年生の女子としてはごく控えめな場所へと届く。

「……えっち」

 小さく咎めても、紅い顔の光はめげない。

「……だって、こんなそばにいるんだ」

 光はそうとだけ言って、布団の中に潜り込む。もごもごと布団の膨らみが動いて、碧は自分の胸に額を当てた光を、新の匂いのする掛け布団ごと抱きしめる。「甘えん坊」と、小さくからかいの言葉を口にはしたけれど、とくとくと鳴る音がうるさくて、光には聴こえなかったはずだ。

「……おまえ、あれ、……してないの?」

 腕の中、布団の中から顔を上げて、光が訊いた。リンゴの匂いがする。

「……何でそんなの、気にするのよ」

「だって、ほら……、おまえ、その、ここ、出て来てんのに……」

 碧の其処を女として扱うのは、いまのところ光ただ一人だ。いや、一応舎人を含めてもいいのだけれど。父親と風呂に入らなくなって久しいし、一応少女には女としての自覚は芽生えてはいるのだけれど、クラスの他の女子と比べても、そこは主張に乏しい。

「……セーター着てれば、目立たないし、いいの」

そう強がるが、薄着のときに着用したとしても、まだまるで幼いものだ。

「……見ても、いいか?」

 光が緊張した声で訊く。碧はただこっくりと頷いただけだ。

 布団の中で光の指がタートルネックの裾を捲る。恐る恐るの指付きは滑稽と笑うに値するはずだが、碧にはそんな余裕もない。仰向けに横たえられて、布団を背負った光が彼女の白い胸部を目にしたとき、微かに息を震わせるのが、彼女には仄かに嬉しく思える。

光は体操服のズボンの中で、反応していた。碧の手の甲が当たると、「う……」と微かに身じろぎをする。風邪をひいてもそういう欲はまるで衰えないらしい。いや、夕べは熱のせいで三人の兄たちの愛情を享けていないはずだから、余計に鋭い欲がそこには篭るのかもしれない。

「……あたしだけ、なの、恥ずかしい」

 そういう言葉を口にする恥じらいを、碧は堪えた。光は「ん」と頷き、ベッドに座る。自分の手で、体操服のズボンを降ろし、白い下着の中でくっきりと自己主張をする部分を碧の目に晒した。碧も、自分の手でタートルネックを脱ぐ。……寒さは感じない。内側からの熱で、汗ばみそうなほどに身体が火照っているのを覚える。

「……あんま、見んなよな……」

「あんたこそ……」

 しかし二人は気付いたときには手をつないでいるのだ。どちらからともなく引き合って、唇を重ねる、抱きしめ合う。

「……あつい、ね、光の身体……。やっぱり熱あるんだ」

「おまえだって、あったかいよ」

 碧の指が自分の意志で快感を求める光の其処に応えてやろうと伸びたとき、

「あ、……たんま」

 光は慌てたように腰を引いた。

「おれ……、その、おしっこ、……拭いてもらっただけだから」

 そう言えばそうだ。洗ったわけではない。

 しかし、碧は同い年の少年のその場所を、手のひらの中に収めていた。

 熱く、しっとりと汗を帯び、震えている。

 今更、だ。

「みどり……っ」

 光がいつだったか見せてくれたものを思い出しながら、手を動かす。その試みの動きに十分な価値があることは、光の見せるビビッドな反応からも明らかだった。

「や、ぁっ……」

 男の子なのに、こんなに可愛い。

 ……舎人がそうであるように、年の幼さが何かもを許させるような愛らしさを纏わせることが往々にしてあることを、碧は知っている。だからこそ、「違う」ということも彼女には判るのだ。光の「可愛い」は、舎人のそれとは違う。何かこう、もっと途方もない、そして手に負えないもの。

「たんまっ、まじでっ、みどり、たんまっ」

 泣きそうな声で言うから、そのまま最後まで追い詰めたっていい気でいた碧は手を離した。はふ、はふ、のぼせたような息を漏らして、

「おまえに、かかっちゃうだろっ、この、このまんま、おれが出しちゃったらっ」

 涙目で、そう訴える。

「ふうん……、もう出ちゃうんだ」

 意地悪を、する気もないのにそんな言い方を碧は選んでしまう。

「だ、だって、しょうがねーだろ……、おまえ、の、見たし、おまえ、するし……っ」

 可愛いなあ、と思わされる。くすぐったいぐらいに、可愛いなあ、と。

 光相手にこうして主導権を握るのは、碧には割合簡単なことであった。まだ緊張はあるが、光という、「少年」の身体の形、はっきりと興奮していることを碧に告げて、理性を削って行く過程を教えるから。

「しょうがないわねぇ」

 などと、などと、言いながら、やすやすとベッドの上、仰向けにさせて、望みを叶えてあげよう……、ずいぶんと上の立場から思った碧の肩を、光が止める。

「く、口ですんの……?」

 それを恥じながら期待する心根を正直に声と表情で現すという器用な真似を少年はしていた。

「どうしようかな。……あんたがして欲しいならしてあげてもいいけど」

「う……」

「して欲しいの?」

 ためらいがちに一度、はっきりと意志を込めてもう一度、光が頷く。少年のその場所がさっき少年自身の尿に溺れていたことなど、いまの碧にはほとんど問題にはならない。寧ろ間近に光の秘密の場所を見たい気の方が強い。三人の兄に、舎人まで好きに扱う場所にあとどれだけの「秘密」があるかは判らないが、何度見たって碧には興味深い場所なのだ。

が、光は今一度碧を止めた。

「……なによ」

「……そこ、したら、キス、しねーし、だから……」

 可愛いなあ。

 公平に見ても、男女の差が横たわる。光と並べばまあ、三人の「お兄さま」のような男でなければ自分が選ばれる公算が高い。

 しかしその予測を、碧は否定する。はっきりと言える。

 あたしなんかより、光の方がずっとずっと可愛いもん。

「ん……、っ、……ふ……」

 こんなに子供なのに、こんなに大人っぽいキスをする。光は必死に碧のことを心地よくしようと努力しているのだろう。それがそもそも、いとおしく思える。

 もっとも、子供なのは碧も同じ。二人は全く同じ身長をしているのだ。

「風邪、もう完璧にうつっちゃったね」

 碧は嬉しくなって言った。光は風邪によるものではない熱に翻弄された顔で、すまなそうにこくんと頷く。

「でも」

 と言ったところで碧は光の下半身へと降りる。

 いっぱい汗かけば、すぐ治るよ、きっと。

 光の子供っぽいフォルムの陰茎は、先端を濡らしていた。それがおしっこではないことは、もう知っている。光の思いに応じて、しかし当人の意識とは無関係に湧いて来てしまう液体。……とはいえ光はおしっこだって自分の意志とは無関係に出してしまうようなところがあるけれど。

 硬く勃ちあがっても、碧の人差し指と同じほどのサイズだ。白っぽくて、細い。先っぽに少し皮が余っていて、そこはしわしわで、柔らかい。触れると液がぬるりと滑って糸を引く。少し視線を下げたところから中味の肉芯が始まり、それは一旦膨らんでから僅かに窄まり、また緩やかな曲線を伴って棒状だ。根元から、ふんわりと柔らかな袋が垂れ下がり、指でそっと撫ぜると静かに、微かに、蠢いた。

 皮を剥き下ろして改めて見れば、その物を持っていない碧にも、極端に敏感な場所だと推測できる内側の肉がぬらぬらと濡れて光り、おしっこの出る穴が液体の出処だと言うことが判る。ただそれ自体は匂いのないものらしく、正直に言って、光がさっき出したものの匂いが碧の鼻に届く。決して不快では、ないのだけれど。

「んぁ……っ」

 舌を当てた途端に、光はぴくんと其処を強張らせた。しょっぱい味が舌にとろりと広がる。碧はその味が好きなような気がした。

「おまえ、……えっちだぞ、そんな……、じろじろちんちん見てっ……」

「舐めてあげるんだから文句言うんじゃないわよ」

 イタズラ心が刺激されて、唇を当てた。ちゅ、と無意識のうちに立った音に、思いが混じる。そのまま碧は自分の口に、光の欲を収めた。

「んみっ……、どりっ……」

 舌の上で、口の中で、光が震えている。少女の思いと通じ合うように、幸せに運ばれて行くのだ。

 それが、碧には嬉しい。

 お兄さまたちのようには出来なくても、あたしもあたしでちゃんと、この子を幸せに出来る。

 それが、嬉しい。

 彼女が思うより先に、彼女の頭は動き始めていた。

「やっ、あっ、もぉ、もお出るっ、みどりっ、出るっ、出るっ!」

 自分の喉のどこを使ったって出ないであろう声を、光を使って碧は発した。瑞々しくすら感じられる鼓動が少女の舌の上で跳ねる、弾む、……上顎をノックする光の極まりが、そのまま喉へと流れ込むとき、微かに感じたその味は、ほんのりと青い匂いを伴って、うっすらと潮っぱく、しかし遅れて甘味を伝えた。

 もう飲み込んでしまったのに、光は焦った手で枕元のティッシュを抜き取る。碧は顔を上げて、んべ、と舌を出して見せた。

「んな……、なんで……、飲んじゃうんだよぉ……」

 光の声はまだ濡れていた。

「おれの……、昨日してねえから……」

「うん、濃かった」

 でも、そんなにまずくなかったよ。そういうことは、言わないでおく。光の心の底に溜まって行き場をなくしたものがこの口に吐き出されたのだ。それの、どこに嫌がる理由があるものか。

「……あたし、男子じゃないからよくわかんないけど」

 まだ体操服の上だけを着て、下半身の一部だけを濡らして泣きそうな光は、酷い辱めを受けたあとのように見える。碧としては、少々心外な顔である。感謝して抱きついて来たなら、それなりに優しく抱きしめ返してあげたっていいと思うのに。

「どのくらい、たまるものなの?」

「どのくらい?」

 碧の質問の意味を測りかねるように光が鸚鵡返しする。碧はちょんと指で光の陰嚢を突っついて、「ここに、何日ぐらい入ってるの?」と質問の仕方を変える。

「んなの、わかんねーよ……」

 光は身を起こし、憮然と其処を手で隠す。だから碧も布団を抱えた。

「いっつも、そんな何日も開けないで兄ちゃんたちとしてんだ。だから……」

「これ、……学校でね、同じクラスの女子に聴いたことだから合ってるかどうかわかんないんだけど」

 碧だって、光と斯様な関係にある女子である。まだそういう経験がない(はずの)クラスメイトたちとの会話がそういった方面に流れたとき、まさか何度も同い年の男子のおねしょの後始末をしたことがあるなどとは言えず、どこで拾ってきたのかも覚束ない同級生の、何だかめちゃくちゃなツギハギ知識に一緒になって驚いたり関心を示したりするのは一苦労。しかしそんな彼女にも、異性の身体について知らないことはある。そもそも、まだ知らなくってもいいようなことばかりだろうが。

「その、夢精、……っていうの? 寝てるときに、精子が出ちゃうことがあるって」

 ああ、と光は思い当たったように頷いた。

「そうだよ。……でもおれしたことない。初めてのときは新兄ちゃんだったし、そのあとはずっと兄ちゃんたちにしてもらってるからな」

 なるほど。二日三日しなかった程度では「夢精」はしないものであるらしい。

「男子同士でそういう話ってする?」

「するけど、しねーっていうか……。だって、夢精ってさ、精子おねしょするようなもんだろ。誰も自分のおねしょの話なんてしねーに決まってる」

 それは秘密を抱えている光の発言だから実感がこもっていたし、碧を納得させるだけの力があった。

「女子はさ、おれもこれ、聴いたことだから合ってるかわかんないんだけど、……女子同士で、その、……おっぱいの比べっことかしてんの?」

 碧は少し考えて、「する子は、する」と首肯した。碧自身は自分のバストに全く自信がないので、たとえ友達がそういうことを口にしてもまだ興味のない振りをする。そして内心では、あまりバストの大きくない自分の母を思って、……多分、あたしはずっとあんまし大きくならないんだろうな、と、淋しさとも異なる空虚な気持ちになる。

「大きい子は、もう大きいもん。あんたの学校にもいるでしょ」

 光は素直に認めた。

「体育で縄跳びのとき、見てるやつとかいるよ」

 碧が両眼に浮かべた表情を敏感に読み取ったのだろう、「おれはしねーけど」と光は慌てて言い足した。

「人それぞれだろ、そんなの。背ぇ高いやつだと、同い年なのに大人みたいなちんちんのやつ、いるし」

「大人?」

「うん。兄ちゃんたちみてーに、もう毛が生え始めてるやつ。おしっこのとき、ちょっと見たりする」

 男子トイレに入ったことのない碧は、そういうことがあの空間で行われているのかと、少し気圧される。

「女子にも、その、毛とか生えてるやつ、いんの?」

 こっくりと頷く碧の脳裏には、バレー部の同級生の長い足の間に、ほんのりと発毛があったのを見たときの衝撃が蘇っていた。すごい大人っぽい! と羨む以前にただただ驚いたものだ。

 光が、ひょいと立ち上がった。まだ風邪が治ったはずもないが、何だか動きは身軽である。

「トイレ」

 と言って、皺の寄った新の布団に紛れたパンツを引っ張り出して穿く。何を今更とは思うが、放っておいた。

「……あんたと舎人、パンツ、お揃いだね」

 男子の多くはもう、トランクスかボクサーブリーフを着用しているはずだ。舎人の場合はいいとして、光が穿くものは幼く映る。

「おれ、こういうパンツが好きだもん。ってゆーか、鞍馬兄ちゃんが買ってくるの、こういうのばっかだし」

 そうか。家長がそう定めているのなら、まあ当然それを穿くことになるわけだ。

 光のパンツ、夏まではいつも前が何となく黄色くて、汚いとからかっていた碧である。しかし互いのパンツの中まで詳しくなってしまって以後は、どうしたらその、いかにも恥ずかしい染みを付けずに済むかを考えてやった碧である。ついでに言えばおねしょを回避する方法も考え、それに協力してやりもした。

 あの頃に比べればおねしょの回数は減ったはずだし、パンツも綺麗でいるはずだ。

「なあ、トイレ行っていい?」

 碧は少し迷ってから、タートルネックをかぶり、顔を出しながら、「あたしも、行っていい?」と訊き返す。

 そこにある意味を汲んで、一瞬だけ光はためらった。けれど、「いいけど」と結局は譲る。

 トイレの中は寒かった。

「おれ、先にしていい?」

「ん。漏らされたら困るし」

「漏らさねえよ、そんな一日に二度も三度も漏らしてたまるか!」

 光がブリーフの窓から小さな陰茎を引っ張り出すところを、碧は興味津々で見つめる。男子のパンツの構造は、甚だ複雑であるように思える。前のところの布地が二枚重ねになっていて、その重なりは股下まで続く。それは多分、光のように文字通り始末の悪い男児が下着にどうしても作ってしまう染みを表出させないためで、つまり、碧が穿くものの一部分がそうなっているのと理屈は同じだろう。しかし構造は男子の下着の方が、ずっと凝っている。

「ほー……」

 薄い黄色の液体を便器に注ぎながら、光は安心したように息を吐く。右手の親指と人差し指で茎を摘まんで、湯気を立てながら。

「ねえ、男子って、そうやってしないといけないの?」

「うん。だってこうやんないと、おしっこどこ飛ぶかわかんなくって危なっかしいじゃん」

同意を求められても、碧には困るのだけど。

「女子はさ、立ったままおしっこ出来ないんだろ?」

 こくん、碧は頷く。摘まんでないといけないの面倒臭そう、碧は思うが、いちいち座ってしなければいけない女子とどちらが面倒臭いかは少女には判然としない。

「これさ、春兄ちゃんが教えてくれたんだけど」

 排尿を終えて、ぶるると震え、丁寧に水を切る。夏までは、多少濡れていても気にもとめずにパンツの中にしまっていた。そうやってせっせと恥ずかしいブリーフを何枚もこしらえていた。

「外国のトイレには、ちゃんとみんなこぼさないようにおしっこするようにって、便器にしるし付けとくんだって。的あての的みたいなの」

「ふうん」

 光はブリーフの中に陰茎をしまう。それから、「次、おまえの番」と水洗を流し便座を下ろして譲る。

 光が恥ずかしいと思わなかったはずがないように、碧も恥ずかしい。しかし二人の関係は常に平等でなければならない。それが、そもそもの約束でもある。

 碧はデニムとタイツを膝まで下ろした。淡い黄色で、縁に僅かにレースをあしらった普段着のものである。

「女子のパンツってさ、何でそんないろんな色あるんだ?」

「いろんなって……」

「ほら、おまえもさ、そういう黄色いのとかピンクのとか白いのとか、いろんな色の持ってんじゃん。そんないろいろあったら、毎日どれはこうか選ぶのめんどくさくない?」

「……こだわる子はこだわるのかもね。でもあたし、あんまり気にしないし」

 本当は、光のところへ来ると判っていたら、お気に入りの水色を選んでいた。けれど終業式のあとすぐに新からのメールが届き、昼ごはんをお腹に入れて、急いで来たものだから着替える暇もなかったのが悔やまれる。

「男子の、あんたみたいなパンツだって色はいろいろあるじゃない。模様のとか、シマシマのとか。そういうの、鞍馬お兄さまにお願いしてみればいいのに。そしたら女子の気持ちわかるんじゃない?」

「んー、まあ……、何でいうかさ、舎人も白いのしか穿かないから、おれが色付きの穿いてたらあいつとお揃いじゃなくなっちゃうかなってさ」

 何に気を遣っているのか、その考え方の方がわからない。

「おしっこ、しねーの?」

「……するわよ」

「……おれ、出てたほうがいいか? その、おまえ恥ずかしくてしにくいならさ」

「べ、別に、恥ずかしくなんかないわよ、……それに、あんたの見たのにあたし見せないなんてルール違反でしょ」

「お」

 平等でなくてはいけない、同じ強さでそう思い合う二人である。碧が自らの言葉の勢いに乗じるように、古びた薄黄色の下着を膝まで下ろし、便座に腰を下ろした。

 足の間に、光の視線が吸い込まれるのがわかった。

 こんな風に、光と一緒におしっこをするの、これが何度目になるだろう。光のパンツの中への碧の興味がまるで尽きないのと同じく、光も其処を隠さない碧には同じような目を向けてしまうのだろう。理屈は判るが、こちらとしても慣れられるものではないと思う碧である。

「……もう、出る?」

「……おしっこしに来たんだから出るに決まってるでしょ……!」

「なあ、……あのさ、碧」

 光がトイレマットに膝を付いた。真正面だ。

「おっぱいも見たい」

「は?」

「……ダメ? その、……見たい」

 光のブリーフの前部が、もうすでに判るほど尖っている。

 ずるい、と思う。

 しかし、「えっち……!」と咎めながら、其処からも光の視線からも目を逸らして、ぎゅっと閉じて、碧はタートルネックの裾を捲り上げた。

「あ……っ」

 光の視線を浴びる下半身から力が抜けた。足の間の、光以外には見せようとは思わない場所から、するすると恥ずかしい液体が溢れ出す。

 ……何やってんだろ、あたし……。

 寒いはずのトイレの中なのに、タートルネックで覆われた肩や足先より、光に見せている部分の方が熱く感じられる。

「……おれ、さ」

 光が、微かに震えた声で言葉を紡ぎ始めた。「……おれ、他の女子のこととかあんまよく知らないけど、でも……」

 薄く目を開けて光の顔を伺ったことを、碧は後悔した。頬をリンゴみたいに真っ赤に染めた光の顔は、苦しいぐらいに可愛い。

「おまえが、一番可愛いって思う、そうだってことにしていいと思う。おれ、おまえのおっぱいきれいで、好きだ」

 その顔で口にするそんな言葉に、どれほどの威力があるのか、光は意識していないに違いない……。碧はこの少年が三人の美しい兄たちに深く愛される理由が何となく判るように思えた。純真無垢なる光の言葉は、そもそも光を好きだと思う者に、そのきらきらとした大きな瞳と共に胸へと、強く響く。

 碧が恥ずかしさを堪えるためには、捲りあげたタートルネックの裾を強く握る以外ら選択肢はなかった。

「ああ……、やっぱ、すっげぇ……」

 感動したような声で光が言うのは、目を閉じている分、余計に碧の身体の芯まで染み込み、心の底を震わせる。

 光がどんな顔で見ているかまで、判るような気がした。

「……兄ちゃんたち……、特に新兄ちゃん、おれのするとこ見んの、好きなんだけど……、おれ、兄ちゃんの気持ち、ちょっとわかるかも……。やっぱ兄弟だからかな」

「似るんならもっといいとこ似なさいよね!」

 つい目を開けてしまった。実際、この愛らしくとも問題だらけの少年がもう少し兄たちに似ていたなら、碧はもっと幸せなのかもしれない。

 いや、……どうだろう。

「おしまい? ぜんぶ出た?」

 なんて、膝の間から見上げる光で、一体何が足りないと言うのか。

「もう……、ヘンタイ。見過ぎ……」

「おまえだって見てたじゃん。おあいこだ」

 そう言って光は「……違うか」と呟き自己否定した。タートルネックを下ろしロールペーパーで拭いて、逃げるようにパンツを上げようとする碧を光が止める。

「さっき、おれだけ気持ちよくなっちゃったから、ぜんぜんおあいこじゃねーや」

 ひょいと立ち上がった光の白いパンツの前は、尖っている。

 光が、少しためらいを見せてから、唇に唇を重ねて来た。

「今度はおまえの番」

 どんなに格好を付けたって高い声でそう宣言すると、碧のタートルネックを再び捲り上げる。碧が止める間も無く、光はまださほども柔らかくなってはいない胸の先に、唇を当てた。……とても、とても、優しく。

「ひ、かり……っ、こんなとこでっ」

 光は耳を貸してはくれなかった。碧の乳首が甘いと信じるように、舌が小さな粒となって勃ち上がる乳首を舐めて転がす。光の息が微かに震え、それは碧の未発達なバストをくすぐったく撫ぜる。

 それは恐らく、少年なりの頑張りなのだ。

 自分が男として、少女である碧を幸せにするための、無垢な気持ちに底を打たれた努力。……恐らくその舌の動きは兄たちに比べればずっと拙いものであり、そのことは光自身も判っている、それでも。

 碧の心の奥から、蜜は湧き出る。

 光の唇は碧の痩せた腹部を慈しむように何度も触れ、キスをし、足の間にまで下りた。

「ダメだよ……、光、あたし」

 おしっこしたばっかりだ。

 光は紅い目元で見上げて、

「おまえだって、さっきおれのしたじゃんか。……おあいこだ」

 決然と、そう言い張る。

 碧は光がためらいなく其処に顔を寄せ、舌を当てるのを見た。身体の芯が、ぼっと熱く燃え出す。

「ん……っ、ひ、かりっ……光っ、ダメだよぉ……!」

 すごく、女っぽい声を上げている。

 そんな自覚に少女の身体は益々熱を帯びる。まだおねしょも治らないようなだらしない情けない光が、それでも男としての意識に基づいて施す愛撫は、少女の身体を火だるまのようにしてしまう。光は真剣な目で碧の反応を伺いながら、碧が一番鋭い震えを走らせる場所へ当てた舌先を執拗に巡らせ始めた。

「お礼だから……」

 光が其処に顔を当てたまま、言う。

「おまえが、そばに居てくれて、嬉しかったのの、お礼だから……」

 答えを言うより先に、光が再び舌を這わせ始めた。彼女の中に、光が這入る。例え舌の先の僅かな部分だけだったとしても、自分の中に光が居るという事実は、少女の心に深く響く。

「ひ、か、っ、ひかりっ、も、ダメっ、ダメだってばっ、……ダメぇっ……!」

 彼女の身体に走った電流は、舌を通じて光にも届いたはずだ。

 光はゆっくりと舌を抜き、慰めるような口付けを彼女の白い腿に当ててから、口元を拭って顔を上げた。光の息も、弾んでいた。碧は便座に吸い込まれるような錯覚にくらくらしながら、「よかった」と、少し安堵するように光が言う声を聴く。

「おまえ、気持ちよくなってくれてよかった」

 快感が身体からゆっくりと抜けると、後には強い羞恥心がやってくる。しかし彼女に出来たのは、

「エッチ」

 と弱々しい声で非難するくらい。立ち上がった光の身体に視線を下ろせば、下着の中で勃ち上がったものが苦しそうに見える。……今すぐにでも、それを解き放って上げたい、彼女はほとんど反射的にそう思った。

 しかし光は、優しく手を貸して碧を立ち上がらせると、「寒いよな、部屋戻ろうぜ」と責任感さえ伴うような声で言う。

「もう……」

 部屋に戻って、其処にあるものは何か。

 碧は判っていたし、光もきっと、判っている。そもそもそれを目的に部屋へ戻ろうと言い出した理由は、そのブリーフが如実に語る。

「おれ、さ」

 ベッドの上に座って、光は照れ臭そうな笑顔で言う。

「さっきさ、おまえに、どんくらい溜まるかった訊かれたじゃん。……溜まりすぎると、その、おねしょみてーになるって」

 同じく碧もベッドの上にいる。二人して、上は着ているのに下はパンツだけ、という格好。二人でならば恥ずかしくないと、二人掛かりで信じている。

「おれ、やっぱ溜めらんねーんじゃねーかなって思うんだよな。その、……さ、おれには、兄ちゃんたちいるし、おまえもいるし、……そういうことしなかったのって、夏季学園で箱根行ったときくらいで、これから先もさ、来年の移動教室のときぐらいしかないんじゃないのかなって」

 今年の夏季学園、碧も箱根に行った。それにしても「泊まりのとき、おねしょ、大丈夫だったの……?」ということは、気になる。

「んー、全然平気だった。っていうかさ、今年の夏休みになってからなんだよな、おねしょまたするようになっちゃったの。何でかな」

 時期的には、光が三人の兄たちと結ばれて以降ということになる。……それってつまり、甘える癖が復活したということではなかろうか。

 話の腰を折ってしまった。

「んで、……たまにさ、兄ちゃんたちとしない日もあるんだ。みんな疲れてたり、おれも眠かったりして。そんとき、しないまま寝りゃいいって思うんだけどさ……」

 よいしょ、と光は手を伸ばして携帯電話を開く。

「おまえの、これ見たりして、眠れなくなっちゃって、一人でちんちんいじったりしてんだ」

 夏の「合宿」のときに撮った、二人の写真だ。裸の碧と、碧の水着を着た光のツーショット。二人がこういう関係になった、はじまりの夜。

「その、おれのさ、おまえと、仲良くなったときの。……おまえの身体見てるとさ、おれ、兄ちゃんたちにあんなことされて気持ちよくなるくせに、やっぱりドキドキするし、さっきみてーにおしっこするとこ見してもらって、すげードキドキしたし」

 それにしたって「おあいこ」だ、碧は心の中で言う。碧も光のおしっこをするところ、その部分も含め、目にすればざわつく心を持っている。

 碧は自分の携帯を開いて、光にカメラを向ける。

「撮んの……?」

 こく、と頷くと、光は少し恥ずかしそうに、それでも一定以上は男らしく下着を脱いだ。

そこを目にした碧が、

「あ」

 と小さく漏らした声に、光がその場所を見て「げっ……」と同じく声を出す。光の勃起した性器の先端は、濡れて光っている。慌てたように下着を裏返し、「あー……」と情けないような声で嘆いた。そこにも付着させてしまったのだろう。

「せっかく新しいの穿いたのになー……」

 でも、大した量じゃない。「じっとして」という碧の言葉にしたがって、光は下着を持つ手を後ろに回し、膝立ちで自分の性器を碧の前に晒す。

 シャッターを切る音が響いた。

「……そんな、いじめられてるみたいな顔しないでよ」

「だって、恥ずかしいもん……」

 必要以上に可愛い写真になってしまった気がする。

 碧はこの写真を何かに使うつもりはない。ただお守りのように持って、ふとしたときに見る。多分、それだけで心は満ち足りるはずだ。

「……もう一枚、いい?」

「いいけどさ……」

光に後ろを向かせて、……この子、お尻ちっちゃいな……、そんなことを思いながらもう一枚撮影する。裸の、前からと後ろから。本人に訊けばきっと無意識だと答えるはずの、しかし、どうにも可愛らしい肩越しの視線は、少女である碧の心臓をはしゃがせる何かがあるように見える。

「なんかおまえ、新兄ちゃんみてー」

「……新お兄さま?」

「うん、新兄ちゃんの携帯の中、いっぱいおれの写真入ってる。……あんなの、もし外で落としたりしたらどうすんだろって思う」

 どんなものが収められているのか、……先程の春陽による一枚が、新の所蔵品に混じったときにどの程度のレベルになるのか、碧には想像もつかなかった。

「おれも、いい、よな?」

 そうしなくては「おあいこ」じゃない。だから碧は頷いて、

「全部さ、脱いでよ。その、……えっと」

 光はどうやら、碧の其処を見るのが好きであるらしい。二人で撮った写真には、碧の下半身はほとんど写っていない。それでいながら、少年が強い欲を喚起されるのだとすれば。

碧はさっさと上を脱いだ。寒さは感じない。

「……上だけでいいの?」

 訊けば、真っ赤になって「……出来れば」と小さな声で求める。

「エッチ」

 と一声からかってやってから、碧は下着も脱いだ。まだ上を着たままの光は、碧の全裸をしばらくぼうっと見ていたが、やがて思い出したように体操服のシャツを脱ぎ、同じく裸になった。

「……撮るよ?」

「早くしてよね、……寒いんだから」

 光は「うあ、うん」と余裕のない返答をして、携帯電話を構える。

 碧は、光がそうしたように、膝で立ち、手を後ろで組む。そうしないと、身体を隠してしまいそうになる。だから、そうしなければならなかった。

 ……シャッターの音は、なかなか聴こえて来ない。

「なあ……、なあ、碧」

「何よ。早くしなさいって……」

「笑って」

「は?」

 光は、困ったように微笑んで、「おまえの、笑ってるとこ撮りたい。……もちろんさ、ダメだったらいいけど」

 呆れた。何を言い出すのかと思えば……。

「……あんたね、この状況であたしにどうやって笑えって……」

 しかし、可笑しく思えてきてしまう、光の発想が、可愛く思えて仕方がない。だって、……あたしの裸見て、ちんちんそんなにして、「笑って」なんて言うんだ……。

 光がシャッターを切った。

「もういいの?」

「んと……、もう一枚」

「早く済まして」

 この子は、可愛いなあ。

 同い年の男子なのに、舎人よりもわかりやすく子供っぽい。形作る欲を以ってそのまま光が「大人」だと考えるのが早とちりだと碧は思うのだ。こんな風にいろいろなことを我慢できない光は、「カッコ付ける」ことさえ知らない、どこまで行っても、可愛い子供だ。

「ありがとな。……わかんないけど、可愛く撮れたと思う」

「そう」

 敢えてそっけなく、碧は応じる。「あたしもあんたのこと、結構可愛く撮れた」

「んー……、おれはかっこいいほうがいいんだけどな……」

 ちんちんそんなにして、どんな「カッコ」がつくと思ってるんだか。

 碧が勢いの止まらない光の性器に指を掛ける。「おっ……」も一瞬戸惑った声を上げたが、光は甘えるように碧の胸に顔を埋めた。重なったまま横たわって、碧は光が自分の乳首を吸うに任せていた。

「やらけぇ……」

「やらかく、ないよ。だってあたしの、小さいもん……」

「言ったじゃん……、おれ、おまえのおっぱい好きだし、……他の女子のなんてどうでもいいけど、おまえの、……すっげードキドキするし、ちんちん、かたくなるし……」

 多分光が碧の前で「格好いい」ところを見せることは、もうしばらくはないだろう。

 けれど、それでいい。

 こんな可愛い光のことを、いまはいとおしく思っているだけで碧は満足出来るような気になる。

「……なあ」

「ねえ」

 一緒に、顔を向けた。

「入れたい?」

「入れていい?」

 揃って頷いて、「つながろ」と言った。光が勉強にはあまり使わないと見える勉強机の上の財布からそれを持ってくる。もう自分で装着するのも慣れたものだ。そして残念ながらそれは緩い。しかし、碧は光が再び自分に覆いかぶさり、いつからかまた濡れて少年を待ちわびていた場所に、熱の昂りをあてがうのを待っていた。

「……入れる、よ?」

「うん……、んぁ……は……!」

 はっきりと、熱い。まだ熱があるのだろう。それでもその熱が胎内に這入り、自分の身体と一つになる、そしてそれだけでは足りないと腕にしっかりと抱き締められたとき、碧は嬉しさに震える。

「へへ……、入っちゃった……」

「……な、に、笑ってんのよ……」

「だってさ、……だって、うれしいじゃん……、それに……」

 光の温かい掌が、碧の頬に触れた。

「おまえだって……、笑ってんじゃん」

 意識して、消そうとすればするほど笑みがこぼれる。こんなことしてるのに、……こんないけないこと、恥ずかしいこと、してるのに、笑えてしまう。

「知らないよ……、バカ……」

 笑顔を隠すためには、碧は抱き締め返せばよくて、少年は少女の望むままに、優しく腰を動かせばいい。

 光は多分、今日が何の日かを知らない。もしこの子が日記を付けるような几帳面さを持っているなら(まず、持っていないだろうと碧は思った。そんな几帳面な子なら、寝る前にはちゃんとトイレに行くはずだ)風邪ひいてるときに碧が来て遊んだ、それだけの一日。

でも、彼女にとっては違う。幸せで、特別な一日になった。幸せを運んで来る側に居るはずの光は、ベッドの上で寝ていただけだけど。

「み、どりっ、もぉ……っ、出るっ、出るよぉ……っ」

 彼女は何と答えたか記憶にない。ただ、光が彼女の望むままに唇を重ねてくれて、舌を絡めてくれたことが幸せだったから、記憶を辿る必要もない気で居る。

 急激に蘇ってきた理性と気恥ずかしさに翻弄されながら、それでもそうしたいからという理由だけでキスの数を重ねた。やっと身を離したとき、情熱の強さを報せるような気だるさが一層恥ずかしく思えて来る。光が慎重に外したゴムを「おー……」などとしげしげ見ているのは、何をバカなことをしてるんだとさえ思えた。

 服をきちんと着れば、多少乱れた髪を除けば歳相応の少年と少女である。

「あーあ、髪ぐしゃぐしゃになっちゃった」

 二つ結びの片方、リボンが取れかかっている。光は体操服のズボンを穿いて、一旦両方を解いて髪を結び直す碧を口を開けて見ていた。

「長いと大変だなー」

「でも、あたしはまっすぐだもん。あんたみたいに癖あるほうが大変なんじゃない?」

「どうだろ。癖っつってもそんな強くねーし、慣れちゃってるし」

 右利きだから、右の方が結びやすい。左は鏡を見ながらでないとバランスが崩れがちだ。鏡、……そんな気の利いたものがあるような光の部屋ではない。

 碧は思い直して、後ろで一つ結びにすることに決めた。余ったリボンは鞄に入れて持って帰ることにしよう、そこまで考えたところで、「おれ、トイレ。……やっぱポカリ飲み過ぎたかなあ……」と中座する。

「ちゃんと振った?」

 戻ってきた少年にそう訊くと、光は得意げに「当たり前だろ、ちゃんと間に合ったし!」……そんなことを偉そうにする時点で色々と問題がある。

「ねえ、……あんたひょっとして、風邪ひく何日か前にもおねしょしなかった?」

「ん」

 ぴく、と光が表情を強張らせて、……すぐに碧から目を逸らした。

「ば、バカ言うなよ、そんなの、何を証拠に……」

「シーツとタオルケット取り替えたときに、さっきのおねしょとは違うシミが付いてた」

 カマを掛けたら、黙りこくる。そして、はー、と深く切ない溜め息を吐いて、

「さきおととい……」

 白状する。溜め息を吐きたいのはこちらの方だ。

「なんだよ……、兄ちゃんたちにはバレなかったのにー……」

 碧はこう考えたのだ。……丈夫な子だ、風の子と言ってもいい。兄たちにしつけられているから、手洗いうがいもきっとしているはずの子が、どうして風邪をひいたのか。

 冷たいタイルの上に裸でいれば、風邪はいかな頑丈な子供だって放ってはおかないだろう。おねしょをしたときにバレないよう自分で処理することがあると、光に聴いたことがある。

 パンツとパジャマは、自分でどうにか出来るだろう。しかし布団となるとおおごとだ。確認するつもりもないが、きっとタオルケットやシーツには、碧の指摘した通りの証拠が残っているのだろう。

「ちんちん出して」

 碧はリボンを手に命じた。

「んな、なんでだよっ」

「いいから。いまさら恥ずかしがるようなもんじゃないでしょ」

 うー、と恥ずかしそうに光が体操服を下ろせば、「持ち主」の感情を素直に表現するように、そこも縮こまっている。

「な、なっ、なにすんだよっおい!」

 碧は手を伸ばし、光のそう長くもないものの根元に、くるんとリボンを結ぶ。窮屈であってはいけないから、優しく。でも、簡単には解けないように。

「おまじない」

「な、何の……」

「あんたのここが、だらしなくしないようにって。……風邪がすっかり治ったら返すのよ。言っとくけどこのリボンお気に入りのなんだから、汚したら承知しないから」

 お気に入りのものを巻き付ける場所ではない。光は困惑顔で自分の下半身を見下ろして「えー……?」と唇を尖らせる。

「なー……、これ、兄ちゃんたちに何て言やいいんだよ……?」

「風邪治ってないのにお兄さまたちにそこ見せるようなことしちゃダメに決まってるでしょ」

「マジかよー……」

 さっきだってしたじゃん……、などと、光はブツブツ言う。碧は自分のペニスにピンクのリボンを巻いた光の姿をさっさと携帯電話で撮影した。

「な! 何撮ってんだよっ」

「いいでしょ別に。ほら、トイレ行ったんなら早く寝なさいよね、まだ風邪治ったわけじゃないんだから」

 それは、事実である。光はスボンを上げて布団に包まり、「おまえは?」と訊く。

「夕方まではいるわよ。……お兄さまたちが帰ってくるまでは」

「そっか、……わかった」

 わかりやすく安堵というか、納得というか。ベッドの横に座って鞄から取り出した本を読み始めた碧の方に顔を向けていた少年が、心を緩めて規則正しい寝息を立て始める。碧は時折振り返り、天使のように無垢で無防備な寝顔の光の風邪が早く治りますようにと、柔らかな頬に唇を当てる。

 

 

 

 

 三人の兄たちの中で一番先に帰って来たのは新だった。碧はベッドの隣でうつらうつらしているところで、じいっと美しい兄に至近距離から寝顔を覗かれていたことに気付くや、あまり品のいいとは言えない叫び声を発し掛けた。唇に人差し指を当てた新はにこりと微笑み、部屋の外へ光を導いた。

「俺の部屋の布団がないんだけど」

 全面的に読み切ったように新が言う。碧が答えるより先に、「いま、洗濯機に頑張ってもらってるよ」と新は苦笑した。

「すみません……、勝手にお部屋に入ってしまいました」

「あーいいよ。それより、本当にありがとな、わざわざ」

「いえ……」

 新の掌は何の躊躇いもなく碧の髪を撫ぜる。碧の頬がかぁっと紅くなるのを、美しい微笑みで新は見ている。

「光のこと、俺らが見てられねーときにはさ、これからもお前に頼むことあると思う。あいつはあの通り、だらしねーし色々と問題ある子供だけど、……でも、世界で一番可愛いことだけは、俺が保証するから」

「え、あ、あの、はい」

「あとね、余計なお世話だけど、……もう五年生くらいになったらちゃんと着けたほうがいいとだけ言っとく」

 そういう発言を、例えば同じクラスの男子にされたら後ろを向いた途端に飛び蹴りを繰り出す碧である。然るに、少女は新のセクハラとしか取れない発言を前に、純情に紅くなるばかりだ。

「……光、お前のおっぱい好き?」

「はっ?」

 反射的に上げてしまった顔を、新が何処か痛むような笑顔で受け止める。

「俺らはどんな頑張っても女の子みてーにはなれねーからなぁ。っつーか光を女の子みてーに扱ってる部分もあるし。……まあ、あいつも男だし、あのちっこいのもたまには男らしい使い方させてやんねーと可哀想だよな」

 どっどっどっ、と音を立てて首が熱くなる。新はもう一度ぽんぽんと碧の髪を撫ぜて、「リボン、片方どうしたん?」いまの話はこれでお終いと言うように、柔和な笑顔で訊く。

「あ、あの、えっと……ええと……」

 全て見通されている!

 碧はほのかに目の前の美しい「お兄さま」が怖く思えた。優しい目をしている。しかし其れは光がまだ当分は得ることのできない鋭さを孕んでいる。

「ひょっとして、あいつのちんこに結んであったりして」

 さっきまでは光を自由に翻弄していたのに、今では新のなすがままだ。

 観念して、碧は答えた。

「光、が、おねしょ、しないように、って、おまじない、を……」

「はー……、なるほど。じゃあ俺らはそれには気付かんほうがいいよね?」

 頷くだけで首の骨が軋んだ。

「ありがとな、マジで。……お前が居てくれるから、あいつは幸せな子供だよ。四人……、いや、舎人ちゃん入れたら五人か。そんなたくさんの人間に愛されてる」

 舎人のことまで、この人は知っている。

 碧は頭がくらくらして来た。だからこそ、優しく、恐ろしいほど優しく、新の腕の中に身体を収められても、碧が声を上げることは避けられた。

「俺がゲイでなかったら、こんだけ尽くしてくれた女の子にキスの一つでもしてあげんだけどね、今日はこんくらいで勘弁な」

「は……い……」

「つーか、女の子はやらかいね」

 リンゴの色に染まった頬を指で押されたところで、玄関の引き戸が開く音がし、碧の昼からリンゴ以外食べていない腹がさみしい音を立てた。

 

 

 

 

 十二月二十六日は、何事もなく過ぎた。几帳面で勤勉な少女は早くも午前中から冬休みの宿題に取り掛かり、午後には年賀状の宛名書きをした。土ノ日家にも「鞍馬様 春陽様 新様 光様」と丁寧に宛名書きして、その他、荒川さんにも舎人にも。この歳の少女としては顔の広い方だ。

 何か変だ、と思い始めたのは、年賀状をポストに投じて帰って来るなり、急にくしゃみが止まらなくなったとき。「あらあら、外は寒そうねぇ」と言う母の言葉に納得したけれど、いつもは何でも美味しく感じられる料理の味が、何だか遠く感じられて。この頃に至っては、帰ってきた心配性の父が、

「顔色がよくないんじゃないか。熱があるんじゃないか」

 と騒ぎ出すに至る。

 光にうつされたのは明白である。もちろん、両親ともそれはわかっている。しかし日頃好もしい付き合いをしている土ノ日家であるから、とにかく碧の体調を回復させるのが先決と、結局その日早葉家の一人娘はずいぶん早い時間に薬を身体に入れて床に就いた。

その翌日、今度こそ、何でもない一日。

「はう」

 鼻声の溜め息を吐いて、ちこちこ鳴った体温計を脇の下から取り出して、……八度ちょうど。午前中は母に連れられてかかりつけの病院に行って、痛い注射を打たれた上に苦い粉薬を飲まされた。父は、今日まで仕事。母も午後から用がある。「あたしはへいき」と鼻声で言いはしたものの、心に隙間風が吹くようなさみしさがある。

 誘われるように携帯電話を開く。誰からも着信はなく、かといってメールを打つ気力も湧いてこない。萎れた心のせいで、何だか悲しささえ湧いて来て。

「おー、顔紅いなぁ」

 其れが空耳だと思ったのも、無理からぬこと。

「……ひかり……?」

「だいじょぶか? 熱あんのか?」

 冷たい掌が額に当てられ、「うん、よくわからんけど熱いな」と納得したのだかしていないのだか不明瞭ながら、一つ頷く。

「どうして……?」

「春兄ちゃんがさ、おまえんとこのおかーさんに電話したって。……ほら、おれのとこ来たせいで風邪うつっちゃったんじゃないかって。したら、やっぱりそうだって言うじゃん。おまえのおかーさん、夜までいないんだろ? 新兄ちゃんにさ、面倒見に行けって言われてさ」

 リンゴ、と手に提げたビニール袋を掲げて見せる。

「お腹空いてんなら、いまむいちゃうけど。……あ、おまえおれがリンゴむけないと思ってんだろ、リンゴぐらいおれだってちゃんとだな、……うお」

 乏しい力を振り絞って、碧は光の腕を引っ張った。

「みど……」

 冷たい頬が嬉しい、困惑気味に頬に当てられた冷たい掌が嬉しい。

 でも、何よりも、……光が来てくれたことが、たまらなく嬉しい。

「なんだよ……、泣くなよ」

「泣いてないもん……」

 フン、と妙に強気な微笑みを、間近の光が浮かべて見せてくれた。

「風邪なんてな、すぐ治るんだよ。子供は風の子だからな、風邪なんかに負けるもんか」

 詰まった鼻を啜って、碧はこくんと頷く。彼女が止めるのも構わず、光は碧の唇に唇を重ねた。「おまえのおかーさん帰って来るまで、側いてやる。だから安心しろよな」

 あ、ちょっとカッコいい。

 だから碧は素直に頷いた。

「外、さむい?」

「んー、また雪降りそう。今年はいっぱい降んのかもなー」

 碧が布団を捲る。光は「ああ。おれがおまえに貸した風邪だからな、ちゃんと返してらわなくちゃ」と、セーター靴下それからハーフパンツ、脱いで収まる。冷たさが心地よくて、すぐに抱き付いて、……頬を摺り寄せる。後先を考える余裕もなく、光を素直に求めて。

「あ、そうだ」

光が何かを思い出したように身を起こす。碧の見上げる視線の先で、清潔な印象の下着を太腿まで、恥じらいなく引き下ろして、

「おねしょ、しなかったぞ。だからちゃんときれいなまんまだ。夕べお風呂で一回ほどいてちゃんと洗ったけど、結び直しといた。だから今朝もしてない!」

 嬉しそうな笑顔に、くすぐられる。

「それ、外したら、またするようになるんじゃ、ないの?」

「寝る前におしっこすればそんなしねーもん」

 碧が手を伸ばし、寒さに縮こまったように見える場所の根元に蝶結びされたそれを、つまんで解く。お兄さまたちがもう少しちゃんと面倒を見ていれば、そうそうおねしょもしないはずだ。それがもし完全なものでないとするならば、……寝る前にあたしが電話の一件でも飛ばせばいいだけのこと。

「……ちんちん、冷たいね」

「おまえがあっちこっち熱くなってるからだろ。さっきぎゅってされたとき、お風呂の中みてーに熱かったし」

 ゆっくり、碧は起き上がる。

「汗かいてんだろ? 着替え……、って、おれが勝手に探しちゃまずいか」

 光なら別に構わない。けれど、一応そんな最低限のデリカシーだけは備えているのが少しおかしかった。

 パンツを上げた光が、「向こうむいてる」と宣する。

「いいわよ、別に、あんたなら……」

 それに、見てしまったあとだし。

 おあいこにしなきゃ。

「お……」

 熱を帯びた碧の身体に視線の吸い込まれた光が、紅くなる。

「汗臭い、と、思う……」

 再び布団の上に横たえられたとき、先程までまるで力の入らなかった碧の指ははっきりと自分の意思で動いていた。おねしょしなかったんだね、えらいね。ずっと年下の子供を褒めるみたいに、下着の上から光の性器を撫ぜている。

「おまえだって、おれの、したじゃんかよ……」

 光は腫れたような碧の身体に夢中で唇を当てている。

 風邪、早く治そう。

 そのためのやり方を知っている、まだ年幼い二人だ。

 


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