Callin' Callin'

 例えばあの「旅」における俺の記憶は、きっぱりと線が引かれている。雪の崖を越えた先、「ヤクソクのチ」でセフィロスに黒マテリアを渡すところまで。感覚としては、そこで気を失って、一晩眠って、起きた朝があのティファのベッドだ。

 今でこそ、その仮面は剥がれ落ち、醜い素顔を晒してはいるものの、記憶の途切れるあの瞬間、俺は確かに、最後までやり果せた満足感を得ていた。

 ジェノバはリユニオン、する。俺はセフィロスのために記憶の限り、動いていたという仮説だ。そしてそれは行動の結果がある程度の正しさを裏付けている。俺はセフィロスのところまで、生きて、かつセフィロスの破壊衝動を満たすためには黒マテリアを手にして、かつエアリスの思いを満たすためにはホーリーの発動もさせた上で、あの瞬間に、あの場所に、辿り着かなければならなかった。

 判らないはずがないだろう、知らなかったはずがないだろう。俺はザックスと共に、ニブルヘイムの地下室で、ラットだったのだ。それ以降、俺の身体は明らかに変化した。有体に言えば強くなったのだ。目の色も変わった。それはソルジャーの身体だった。セフィロスに呼ばれ、身体に与えられた働きを確かに果たす為に与えられた力だった。俺はどこに向かっているのか。何をしようとしているのか。

 ホーリーがエアリスの死によって成り立つことについては、ヴィンセントが言った。セフィロスの姿をしていようが、同じ細胞が入っている以上は俺の兄弟のような存在であって、それがエアリスを殺した。しかし、それすらも要請された死だったとしたら。

歴史を物語と言う、そこに主観が入る以上事実とは異なると言う。俺なりの物語を言うならば。

「俺は」

 一人称で語る時点で、既に俺の目のここに在ることをアピールしている。

「騙していた。あんたを、みんなを。自分の物語のレールから外れないために」

 誰もが同じように、物語を持っている。そのレールの上をずっと誤る事無く進んでいくことを望んでいる。

「ザックスが好きだったから、……ザックスみたいになりたかったから、だ。ザックスが死んでしまって、それが悲しくてさ、だから、俺がザックスになろうと思った。俺はそのために生きてるんだって。ザックスを演じることで、ザックスは俺の中で生き続けていく、だから、俺は演技をしたんだ。嘘をついた。

 ジェノバ細胞が中に入っていたことだって知っていた。宝条が考えてたことをはっきり意識してた訳でもないけど、俺はどうしてこの足が動くんだって、考えたことはある。俺の行く先々で、セフィロスは常に待っていた。ひょっとしたらっていう……、予感みたいなものは、あった。俺はセフィロスに呼ばれてるんじゃないかっていう。それはでも、決して不愉快なことじゃなかった。話したことあったと思うけど、セフィロスの恋人だったから。

 うん、……そうだ、セフィロスを俺は殺した。ニブルヘイムで。セフィロスは……英雄だったかもしれない、ソルジャーだったかもしれない、けれど、人間だったから。言い方は悪いけど、でも……、俺にも殺せた。

 だけれど、セフィロスは俺を呼んでいた。俺が何処に行けばいいのか、何をすればいいのか。一つひとつ、すごく、適確って言ってもいいような指示を与えて、俺の足を動かした。その指示通りに動くことは、そのまま俺を元ソルジャーとして振舞わせるのに適していた。ソルジャーの身体と強さを持った俺は望むようにザックスを演じることに成功していたし、戦っている姿を見せつづけていればみんなの目を欺くことも出来た」

 セフィロスを追う俺は、ザックスと共に生きていた。ザックスと共に在りつづける幻想の旅。過去から始まる今が寸断されたものであっても、俺は望む今を歩いていると錯覚できた。全ては、そう、

「俺の思うままに行ったんだ。……全ては。今こうしてあんたの側にいることもそう、『ソルジャー』として、……英雄だったセフィロスに一歩でも近づくことも。でも実際には俺は」

 ソルジャーにはなれなかった。

 努力が足りなかった、というか、その途上で努力すら、放棄してしまったのだ。ザックスと、セフィロスと、出会い、俺の手の届かぬ高みをこの目で見た。そして、俺は彼らと肩を並べて戦うことよりも、別のことを望んだ。俺はこの目で、彼らの安堵する顔を幾度も見たのだ。セフィロスが、他の誰にも見せない穏やかな顔で微笑むのを。ザックスが腹の底からの溜め息で、俺の睫毛を揺らすのを。

 恐らく、コネクション、卑怯な手を使えば俺もソルジャーにはなれただろう。その肩書きくらいは何とか手に入れることも可能だったろう。しかし俺はそれを望まなかった。俺はただの男でいい、英雄でなくてもいい。

 英雄であることが幸せなのは、俺がザックスやセフィロスと共に在るときではない。そうではなくて、俺のプライドを汚す対象と共に在らねばならぬときだ。つまりは、ティファを含む村の連中。俺は「ソルジャーになる」と言って村を出た。そんな俺が、一般兵のまま昇進も出来ていないとなれば、当然。

 演技は全てザックスのため、そして、不甲斐なかった俺自身のため。俺という心は、俺が護ってやらないでは、ぼろぼろに腐って崩れてしまうのだ。

「幸せだったか」

 ヴィンセントは聞いた。

「……演じている間、お前は幸せだったか」

 眉間に皺が寄った。ちょっと、そうしないでは目を閉じられなかった。

「どうだろう」

 俺は首を横に振る。

「判らないな。……ただ……、あんたがいつか言ったように、俺がこうやって生きて、自分の身にあった過去を語るのも主観の入った『物語』に過ぎないんだとしたら、……俺はあの頃、俺を……『クラウド』を、俺の作り出した物語のレールの上に載せたくて、一生懸命だったんだろうと思うし……、それが充実してないはずもないと思うし」

 ヴィンセントは自分の指の骨を幾つか鳴らした。興味のあまりなさそうな顔だ。ひょっとしたら、もう俺が何を語ろうと、……過去にどんなことがあろうと、彼はさほど重要視しないことに決めたのかもしれない。人ならぬ姿を笑って俺に見せた。過去を引き千切り、人間であることすらも半ば諦めたと言うならば、大切なのは今であり、変化するこれからであるという考え方にも頷ける。悪い力で、彼は未来を造り出すのだ。

「だから」

 俺は構わずに続けた。

「幸せだったと思うよ。俺は元ソルジャーのクラウドだった。それを疑うティファの存在を目の端にだけ置いておけば、崩れることのない、……うん、俺は、俺のなりたい自分だった」

「皮肉なことだな。お前はお前の理想が崩れて初めて、尊敬され得る人間になれたのだ。ユフィが、私が、口を噤んでいる限りはな」

「……けれど、そんなこと、可能なはずはない。あんたにしろユフィにしろ、いずれは壊していたろう」

「……どうだろうな。ただ、お前自身は、……今の、クラウド、お前自身は、そんな英雄的な自分を壊したいと思うだろう?」

 頷いていた。

 『英雄』という単語が、俺には酷く、軽薄に響く。

 強く、正しい者を指してそう言う。そして、敬意の対象として、そう呼ばれる。セフィロスがそうだった。彼は誰よりも強く、神羅という空間では最も正しいものであり、俺のような末端まで彼を尊敬していた。だが、その英雄が実際にはごく一般的な人間であり、嫌うもの苦手なもの怖いものが真っ当にあり、俺のような子供を愛した同性愛者であり、セックスのときには時折指が繊細を通り越して神経質にすらなるような男であったこともまた、事実なのだ。ある面では確かに、セフィロスは俺の知る男の中で最も美しい部類に入る容姿と、実際凄まじいまでの強さを誇ってはいた。が、英雄が英雄として取り扱われるためには、端的に言えば、英雄はトイレに行ってはいけないのだ。

 英雄とは第三者の主観によって規定されるものに過ぎず、後は演出程度で仕上がってしまう。それはある種の物語幻想、とは言え俺は幻想をずたずたに切り裂かれて、向こうから現れた等身大の、肉体的には素晴らしくとも内面は只の優男、彼を、心の底から愛した。

 そして例えば俺もセフィロスを語った。セフィロスと会って一週間経つまで、セフィロスとはいつでも冷静で完璧で、例えば退屈だからと言ってあくびをしたりしないような人なのだと信じきっていた。セフィロスを英雄に仕立て上げる一人になっていたのだ。無論、それが崩れて誰に不平を言うこともないが。

 ともあれ、英雄にしろ人間である限り、暗部恥部幾らでも持って然るべき。俺の心の眠った間、この身体を自由に動かした心の、明示された部分が確かに英雄だったとしても、その影に語られぬ部分があり、それをまた「語らぬ」人間が当然のように存在する以上、英雄が人間であるというのは矛盾を孕んでいる。

 俺は。いや、俺の姿をしていた「何か」、ヴィンセントの言葉による『悪魔』は、ヴィンセントはさほどそれを剥き出しにしてこなかったが、ヴィンセントに憎まれている。彼の肉体も精神も、ずたずたに傷つけて、他方、俺が復活しない限りは成功の部類に入る結婚をし、ティファと睦まじく暮らしていたような人格に対して、そう寛大になれるはずもないだろう。

「腹が立つ、からな」

 ヴィンセントとは違った角度から、俺はヴィンセントに同意する。

「俺のオリジナルな在り方。……たくさん抱えてる弱い部分と比べて、そいつは英雄だったわけだ。嘘もコンプレックスも変な性癖もなくって、さ。俺が必死に隠して……、その為には努力も必要だった、頑張ったよ、それをさ、笑って、……いや、笑わない分余計腹が立つな、正義の味方の顔をして否定したんだ。そして弱い人間には真似の出来ないような、ごく真っ当な幸せを掴んだ。でも弱い俺と比べて初めて『強いクラウド』になる、……それだって物語だろうけどな、腹が立つよ。俺を踏み台にして、そいつは英雄だったわけだ」

 そして、振り出しに戻る、俺はそういう男に騙されたティファを哀しく思うし、そいつ自身を憎く思う。俺が帰ってこなければティファは辛い思いをしなかった、それ以前に、そんなやつが俺を操らなければ、こんなことにはならなかった。

 一体どこから俺の中に入って来たの? 俺の、心の底から憎たらしく思うような人格が、この俺の身体の中へ。

「間違いなくライフストリームに落ちた際」

 ヴィンセントは言う。星命学には批判的な立場を取っている彼であって、それを口に出せばナナキが気を悪くするからそれは言わない。しかし、ティファが俺の心の中を歩いたなどという話を「非論理的」と切って捨てられるのは彼しかいない。だから、おや、と思う。

「星命学は信じないんじゃなかったのか?」

「私は星命学自体を批判している積りはない。私の目の前に起きたことを分析しているだけだ。目の前で起きたのは、お前の人格が変わったということ、そしてそれが時期的にライフストリームにお前が落ちた際であるということ。二つを結びつけずに語るのは非現実的だ」

 ライフストリーム=魔晄は生物に対して有害で、特にその精神に異常を来す。「心の弱い人間はバラバラになってしまう」、その「心」という点からして、ヴィンセントは信じないのかもしれない。「脳」と言い換えるかもしれない。

「と言って、私は科学者でもない、……科学者など最も嫌いな職業の一つだ。それに、私も夢の存在は認める」

 零すように一言挿んだ。

「精神のことは判らん。ただ言えるのは、その人格は外部から侵入したというより、お前の中に初めからあったと考えたほうがスムーズだと言うことだ」

 認めざるを得ないのは判っていても、俺は少し、首が軋むのを感じた。俺が憎むような人格が俺の中にあって、それが欲に従って、愛してもいない人を愛し、傷つけたくはない人を傷つけたと言うのであれは。

 もしも過去が許すなら、俺の脳髄からその人格を形成した部分を除去したい。そして俺のいなかった数年間分、死んでいて欲しいと思うのだ。ただ、それが何処に在るのかを知らない俺はただ、鏡に映る自分の姿が、自分の理想とはかけ離れて在ることを嘆きたい気持ちになる。それでも、もうどこにも戻ることは出来ない。

「正体が判然とすれば、あるいは」

 言いかけて、ヴィンセントはやめる。

「……無理だろうな。お前はお前のままでしか在ることは出来ない。お前がお前のままで生き続けることを望むのであれば、もとよりその正体を暴く必要もない。悪魔にしろ、少年にしろ、今のお前とは違う、今はもういない。だとすれば、……もう、何もかも、終わったことだ」

 ヴィンセントやユフィは、俺の身体に宿っていた「悪魔」も「少年」も見ていた。何度も反芻するのが痛いが、「悪魔」はティファの前で「英雄」を演じ、ヴィンセントとユフィを性欲の対象として扱った。想像出来るのは、強くもない人間が「英雄」という在り方を望むならば、相応のストレスが生じ、捌け口が必要になるということで、しかしそんな英雄で在ってはならないことは言うまでもない、だからこそ「悪魔」なのだ。一方の「少年」は、ヴィンセントとユフィの前でのみ姿を現し、「悪魔」から俺自身を取り戻す為に暗躍した。

 容易に想像出来るのは、「悪魔」と「少年」の利害の対立、クラウド=ストライフという、ティファの目に映る男を用いた物語の対立だ。悪魔は「英雄」を志向した。少年はそれを許さなかった。

 そこまで考えるに至り、嫌な仮説が立つ。

「悪魔は、別にティファのことを愛してなんかいなかった」

 口に出して言う、ヴィンセントの顔を見る。ヴィンセントはノーリアクションで、煙草を挿んだ指すら動かさない。

「悪魔がしたかったのは単純に『英雄』を演じることだけで……、ティファは悪魔を英雄にするための材料だった」

 言って、俺は胃がむかむかしてくる。

「だから……、悪魔がしようとしていたのは、ティファと幸福な生活を続けることではなくて、……単純に『演技』だ。あんたたちに乱暴していたことを、もちろんティファは知らないわけで、悪魔だってそれを隠そうとするだろう、だとしたら、……悪魔は、俺の身体で『英雄』になって……。でもそれで、それが、どうしたっていうんだ?」

 ヴィンセントは煙草を一口、吐く息に煙が混じらなくなるまで待って、

「あるいは、それもお前の一つの理想ではあったのかもしれない」

 と言った。

「お前は英雄になりたかった。だが、力が足りなかった、それを諦めた。だが、どこかでそれを望み続けた部分がなかったとも言えないだろう。その封じ込めた密かな思いが、お前の心の中でお前自身にすらも触れられることなく、欲として力を持った。お前がティファに恋愛感情を持っていないにしろ、お前を英雄として祀り上げる存在はユフィや私ではない、既に側にいないザックス=カーライルやセフィロスでもない、ティファしかいないのだ。だから、……お前は自分の演ずる悦びの為に、彼女を利用した」

 俺は目を擦った。ちくりと目脂の存在に気付いた。

 こんな男のどこに、だ。

 どこに、そんなものが、と。

「つまり……、こういうことか、ティファは確かに俺の、……悪魔、の奥さんだった、でも、悪魔はティファのことを利用してたに過ぎない。自分の側に置いて、自分を称える存在として、彼女のことを必要と……、してた」

「そしてもちろん、彼女はその事を知らない。悪魔の抱える数々の問題よりも、お前が彼女を救ったというただその一点に幾千億の物語を作り出し、英雄の妻として在ることが出来るのだから」

 俺にそんなものを評する目があるとも思えないけれど、ティファは美しい。今年で二十三になるんだったか。俺はそれに恐怖感というか威圧感のようなものを抱く性質だけれど、とてもいい身体をしている、と思う。男の十人に聞いたら九人が「いい」と答えるような。言うまでもなくヴィンセントと俺は二十人のうちの二人だ。曲線で彩られた陰影。柔かい体は、女しか持つことの出来ない宝物。彼女は多分、自ら誇ることすら可能な美しい体を持っている。

 だからこそ、錯覚も出来るのか。

「彼女自身が思い込むことだ」

 美しい自分の夫は英雄。

「悪魔自身、ティファのことを何とも思っていなくとも、悪魔はティファを幸福に出来る。ティファは英雄の妻という自意識があればこそ、より深く『クラウド=ストライフ』を愛する。……こうまで打算的かどうかは知らん、やや邪推の混ざることも認めるが、お前を評価する目を持っていて当然だ。お前を好きにならなくてはお前と結婚もしなかったろう。その好きになる拠り所がどこにあったか。お前がただの男だったからではない、少なくとも彼女の物語に於いてお前は英雄だったし、その点で悪魔の物語と利害が一致した。……当然、少年と、そしてお前自身の物語とは、対立するが」

 ヴィンセントは、少し笑う。こういう時に笑うのだと、掴めてきた。

「それは、『物語』なんだよ、クラウド」

「……物語。って……」

「人間は事象を自己流に解釈する。……判るか? 今回の一件にしろ、ごく一部の人間以外は、全員ティファを被害者として取り扱った。バレットが典型的な例だ。それは目の前で起きた事態を、そこに至るまでのプロセスを、彼なりに解釈して思いたいように思ったその結果だ。自分の耳目に快い物語を創り出し、改めて読んで満足するという、一連のプロセス。だから彼らの眼にお前はそれこそ悪魔の如き男として映っているのかもしれないな。そしてお前に加担する私も恥知らず、と。彼らは彼らなりに解釈した結果、お前と私を仮想敵ならぬ理想敵として仕立てあげた訳だ」

「あんたも何か言われたのか」

「いや。ただ、私だって物語を創るわけだ。彼らからお前が悪く見られている、そんなお前を側に置き、密やかにではあるが幾つも夜を重ねた。周囲がそんな私のことを悪く思う、のではないか、……推察することは物語を創るのと同義だ。敵役として彼らを配して、『それも構わない』と開き直る主人公が戦っていく、側に唯一の味方としてお前が居る、……そういう、物語だ」

 幾つかの物語――『幻想』と言い換えても良いかも知れない――の崩壊の末、ヴィンセントの物語が最後に俺の側に残って今在る。少なくとも彼の物語は俺に不愉快なものではない。惑い迷い行くあてもない俺を共に連れて行ってくれるのであれば、この物語の果てを側で見ていたいと思う。

 ただ、とヴィンセントは言った。

「お前が生きるのも、お前の物語だ。ソルジャーの幻想が崩れたとしても、お前自身の生ある限りは物語も続けなければならない。無論、それは言葉にして誰かに語るべきものではない。しかし、お前の中に常に在って然るべき軸だ。お前が消し去り様のない過去を持って、これから先生きていく上では欠かせないものだな。

ともあれ……」

 ヴィンセントは言葉を切った、僅かに目線が強くなったように思えたのは気のせいか。

「私は何度か言った通り、お前の世間一般の『英雄』と呼ぶ姿、ティファの夫として在った姿、輝きの中に立っていた姿……、を嫌悪している。今も目の前に居るお前があの頃のお前と同じであれば、どれほど辱めても足らない。はっきり言えば、あの男のことを考えるだけで私は苛立つ、血圧もゆうに十は上がっているだろう、……なあ、愚なことと自分でも思う、憎い憎い相手が死んだのが惜しいのだ、恨みを晴らしきっていない気で居るからな。安易な死よりも猶酷い目に遭わせても、私の気は晴れまい……。だが私の末路は憎しみに我を失い、この姿すらも歪ませ、堕ちきった悪魔だ。ただ悪魔がどういう生き物か知っている私にとっては、それも怖くはないし、既に悪魔とも言える」

 手を伸ばした。その手は俺の首に触れ、頬に触れ、額に触れ、前髪を上げた。そして、無表情で、あくまで静かな声で、

「人には耐え得ない苦しみを飲み込み私はお前を此処に置く」

 額を大きく晒すような髪形にしたことがない。前髪を全部上げた自分の顔が妙に幼くなることを知っているから、誰にも見せたことはないはずだ。或いは、ティファは知っているのかもしれない、俺が知らぬ間に、そういう髪型をしていたかもしれない。想像したくもないし、してはいけないことだ。

「お前が過去を憎むその心もまた私の餌になる。お前がかつての妻を引き千切るように捨てるそのやり方は私を愛撫し、お前の友がお前に浴びせる罵声は私を潤す。眼に映るものしか信じられぬくせに眼に映らぬものは都合よく飲み込んで美味い美味いとほざく現実以外の物語の語り手を咀嚼し嚥下し血とし肉として、私はかつてより少し、大人になった」

 赤い眼の中に吸い込まれたような気持ちになる。赤い眼で見る景色はやっぱり赤いのだろうか。そういう視界で見ると世界はどうなる? 俺の想像もまた物語と否定されればそれでお終いの妄想。

「裏切るなよ、お前は、私を」

 短くそう言って、ヴィンセントは手を離す。煙草に火を点けて、それはそれは美味そうに吸って吐く。俺は彼と、共通の『対象』を見つけた。此処こそが世界で、それ以外はまさに埒外だった。嫌悪する対象としての英雄を意識したとき、俺はそもそもセフィロスという存在に対し傲慢に過ぎた自分に気付く。ザックスという存在に対し無知に過ぎた自分に気付く。俺は彼らにはなれない。なろうとする過程で幾つものミスを犯したならば、元より不自然なことだったのだ。いま無様に在る自分を、無様と思うのが自分と埒外の者たちだとしたら、どうやら赤い眼のこの男は安易にそうとも言わないらしく、自分のことをそう悪くも言わないのであれば、俺も敢えて自らを貶めるようなことは考えまいと思う。

「何を不安がっているんだ」

 俺は、腹の中に底を作ったような気になって、その場所から声を出した。

「裏切れる訳がないだろう、……あんたは俺の、唯一の味方なんだ」


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