バイバイ。

 

 

I am busy now.

 

カーテンレールとか、戸棚とか、そういうところから釣り下がっている折り紙を細く切り取った物を繋ぎ合わせたチェーンは、ルーファウスが作ったもの。

「……社長業など、そう忙しいものではないのでな」

彼はフッと笑ってそう言って、まだ色々と気になる部分があるのか、落ち着きなく戸棚のところを弄って直したりしている。かなり、念入りに。クラウドが両手で抱えても持てないような大きな看板を片手一本で持ってきたのはセフィロスだった。この部屋まで持ってきたそれはプラスチック製、燃えないゴミで集積場に出したら何事かと思われそうな代物だ。

「大切な部下の異動だ」

生真面目な顔で言い、大きな看板をよく見えるところに飾る。

「これくらいするのが上司というものだろう」

微妙なところだが、とりあえず意図理由はどうあれ、熱心だ。

「いいボスたちを持って幸せだなぁ、ザックス」

スナック菓子の空気ばっかり詰まってかさ張るのを両手いっぱいに抱えるクラウドはにこにこと嬉しそうだ。

それを食卓の中央に置くと、今度は清涼飲料水のペットボトルを取りに冷蔵庫へ。

冷やしておいたビール、寝かせておいたワインも、一緒に。それから、クラッカーとチーズも忘れてはいけない。

ささやかなようで、ゲストはとんでもなく豪華なパーティーの準備は着々と整っていく。

それはそれは楽しそうに七面鳥を焼いたり新鮮な魚を捌いたりする三人を、主客はじーっと見つめ、やがて大きな溜め息を吐いた。

「な〜んか、嬉しそうでないかい? キミたちは」

馬鹿のように、キラキラの尖がり帽子を被らされ、一番いい席に座っているのは、本日の主人公である、ザックス=カーライル十九歳だ。彼の顔色は、優れない。体調不良とはもちろん別の原因で。

「嬉しいことなどあるか。私としては、有能なソルジャーを一人欠くことになる、それは痛い損失だ」

ルーファウスが残念そうな顔を作って慰める。

「下手なことを気にすることはない。お前は出向先でしっかり働いてくればいいんだ。よかったではないか、給料もいいし、その上戦場で命をかけるよりずっと楽と来た。代わって欲しいくらいだ」

セフィロスは、ザックスに与えられた境遇を羨むように言う。

「……じゃあ代わってやろーか」

「生憎だが、今月は俺も書類仕事があってミッドガルを離れられんのだ」

今日のパーティー、セフィロスが担いできた看板には、

FAREWELL!! ZAX CALYLE」

と大書されている。

要するに、ザックスのお別れパーティーなのである。

乾杯をして、ルーファウスが袋いっぱいに持ってきたクラッカーを片っ端から鳴らし、まるで年が明けたかのような騒ぎだ。ザックスはライバル二人の、あまり表面には出ていないがやはり隠せないほど嬉しそうなことに気分を害しつつ、さらにクラウドまでが一緒になってにこにこしていることに泣きそうになる。

「なー、クラウドは寂しくねぇの? 俺がいなくなるのに」

ぶすっとクラウドの後ろ髪を解きながら、ザックスは問う。普段なら「触るなッ」と怒ってつっぱねるところだが、今日を最後に暫く会えなくなるのだからということで、クラウドは大人しく髪を触らせていた。

「別に。……戦場に行くわけじゃないし、たかが一ヶ月だろう。俺にとったら丁度いい休暇だよ」

さらりと言われて、ザックスはやはり凹んでしまう。

「天罰が下ったのさ。ずっとクラウドを一人占めしたりするから」

ルーファウスがワインをくっと飲んで、言う。それ見たことかと。ちなみにこの若社長、どうやら脈のないザックスは諦めて、最近はクラウド一本に絞ったらしい。

「ジュノンの方が気に入ったなら、何年でも居ていいぞ。この際、帰ってこなくてもいいからな」

「るーちゃんの馬鹿」

セフィロスはザックスの胡座の中からクラウドを抱き上げると、今度は自分の膝の上に座らせた。

「安心しろ。クラウドの面倒は俺が責任をもって見る」

「セフィロス、それはずるいぞ。ソイツのいない間は、私が世話をするのだ。……クラウドもそれを望んでいるだろう」

言いながらルーファウスはクラウドの頬に触れる。

「副社長はお仕事でお忙しいのでしょう」

セフィロスが柔らかな口調で、しかしキッと鋭い視線でルーファウスに言う。

「お前こそ。お望みならミディールにでも異動させてやろうか」

腕を組んで、職務権限の濫用を示唆する。

「あの……俺は、いいよ。二人とも、喧嘩しないで」

クラウドは四本の腕を潜り抜けて、にっこりと、作り笑顔。

「一人で平気。セフィ、ルゥ、心配してくれてありがとう」

その、クラウドしか許されていない渾名で呼ばれ、二人のオロカモノは合図もしていないのに同時に。

「どういたしまして」

その三人をじぃっと見ながら、ザックスは寂しそうに、海より深い溜め息を吐くのだった。

「さて……と、そろそろ遅いな」

ルーファウスが時計をちらと見る。午後十一時、消灯時間はもう過ぎている。いくら副社長と英雄がいるからといって、ルールを曲げてしまうのは好ましくない。

「寝る時間だ。ザックス、布団はどこだ」

「なっ……るーちゃん、ここで寝んのかよ!? 」

「副社長だけではない。ガードマンとして俺もだ」

「……ッあんたたちなあ! デリカシーってもんはねぇのかよ! こうゆう時は……」

がしっとクラウドに抱き付く。

「俺たちの仲を考えて二人にしとくのが友達ってモンだろ!? 」

顔面、クラウドの拳がヒットし、ザックスは鼻血とともに倒れた。

「……あんたが一番デリカシー無いよ」

 

 

 

 

それでも一応、セフィロスとルーファウスは窮屈なソファに横になって寝ることで妥協した。ザックスは何とかクラウドの隣を確保し、いつもの、二つくっつけたシングルベッドの真中で恋人を抱きしめた。

「……マジ、超寂しい……」

薄明かりの中、ザックスは情けない顔でクラウドの温もりを両手で感じ取る。一ヶ月はこの温もりともお別れなのだ。そう想うと、寂しさで気が狂いそうだ。たかが一ヶ月、されど一ヶ月。

クラウドにとっては短く、ザックスにとってはあまりにも長い。

本当なら、深く深くキスをして、一ヶ月間消えないような跡をそのカラダにつけて、俺のことを忘れないようにするのだけれど。クラウドは優しいから、アイツラに望まれたら、きっと答えてしまう。

「……クラウドー」

「ザックス……」

クラウドも、全く寂しくないわけではない。ザックスのことは愛しく思っているし、ザックスの与えてくれる感じは大好きだ。

けれど、ザックスはいつも加減を知らず抱いてはクラウドを困らせる。腰の痛みは消えないし、いつも何となく疲れている。性欲が半分くらいだったら、もっと好きになれるのに。

「……しょうがないな……」

セフィロスとルーファウスを起こさないように、そっと布団を剥がすと、クラウドはザックス唇に唇を重ねた。舌を求めてきたから、それにもちゃんと答えてやる。深く絡み合って、互いの息は、すぐに上がった。

「……っ……クラウド……? 」

「黙って。……セフィたち、起きちゃうから……」

クラウドはザックスの下半身に移動してトランクスを下ろし、熱くなっているものにキスをした。

「しょうがない奴だよな。……ソルジャーのくせに。俺は絶対あんたみたいなソルジャーにはならない」

クラウドは苦笑して呟いた。 そして、温い舌でザックスの先端から、ゆっくりと愛撫してやる。

ザックスは、今日のいつもよりずっと積極的なクラウドの舌の動きに、思わずぴくんと反応し、やがて耐え切れず射精してしまった。クラウドは、ザックス(時にセフィロスやルーファウスも)がいつも悪趣味に頼むように、自分の顔についているザックスの出した精液を手で取って、舐めた。

「今日は、動かなくていいよ。……俺が、してやるから」

自分の下着も脱いで、秘穴を自分の指で慣らし、ザックスの上に跨る。

「んっ…………」

ザックスの熱が、クラウドの胎内で暴れ回る。ぶるっとクラウドは身を震わせて、ザックスの伸ばした手を握った。

「ふ……っ……ぁう……」

セフィロスたちを起こさないために、必死に声を堪える。ザックスは、自分の上に舞う恋人の手を、ぎゅっと握り締めた。

「っ……クラウド……」

「……ザックス……ザックス……」

この互いの名も、暫くは呼び合えなくなるのだ。

そう思うと、喉の奥、舌、唇、紡がずにはいられなくなる。

「……ザックス……」

何だよ、俺、結局寂しがってる。

……まあ……いいや……。寂しいんだもん、しょうがないじゃない。

「……ザックスっ……ッ」

 

 

 

 

荷物は既に送ってあるから、ザックスが手に持っているのは道中に読む雑誌と、梱包し忘れた歯ブラシその他洗顔セットが入った小さな鞄だけだ。

「そこらのものを拾い食いするなよ、金が無かったら送ってやるから、間違っても万引きなどするなよ」

セフィロスが言う。

「寮母さんの言うことをちゃんと聞けよ、ソルジャーだというのを出汁にいたいけな少年を取って食ったりするなよ」

ルーファウスが言う。

「僕……あなたたちのこと嫌い……」

ザックスが苦しげな声で唸る。

「……気をつけろよ」

クラウドは、少し不貞腐れたように手を差し出した。

寂しいということを認めてしまったら、もう、寂しい以外の何でもない感情が、心の中にいっぱいだ。これは、困る。

「……クラウド」

ザックスはその手を取ると、甲に口付けをし、ついでに少し舐めてやった。もろ、英雄と副社長の目の前だったからクラウドは慌てて手を引いた。

「バッ……違うッ、握手だってばっ」

かっと頬が熱くなる。こういうとき、反応が出やすい俺は損だとクラウドは心底思った。背後の二人からはあきらかに不穏な空気が。ザックスはにっこり笑うと、クラウドの頭をくしゃくしゃと撫でて、くるり背を翻し。

「じゃあ、行って来るから」

クラウドに触るなとも、手ぇ出したら絶交とも言わぬまま、ザックスはヘリポートへ向かった。

 

 

 

 

「イタリアンだろう」

「中華料理です」

クラウドは二人の飼い主を持った犬のように、両方に困らされる。

右に曲がるか左に曲がるかで揉め、車で行くかバスで行くかで揉め(どっちにしろ酔うものは酔うのだ!)、果てはどちらがクラウドの右手を握るかで揉め。

二人曰く、髪の毛が右の方を向いているから、右手の方が「得」らしいのだ、「クラウ度数」が高いとか言って。

「フレンチ」

「和食」

そして、今揉めているのは今日の昼食をどこの店で食うか。馬鹿らしい、なぜこんなことに時間を割かなければイケナイのか。クラウドは早くも、いまごろ遠くジュノンの空の下で新しいデスクをあてがわれ、似合わない書類仕事に従事しているであろうザックスが恋しくなってきた。

「しつこい男は嫌われるぞ、セフィロス」

「副社長こそ……男は引き際が肝心」

ああ。

クラウドのカラダ、腰痛は収まりそうだが、どうやら今度は頭痛。

「……誰だ、こんな時に」

ルーファウスのポケットの中、ぶるぶると電話が震えだした。彼は舌打ちをしてそれを取り出し、通話開始のボタンを押す。

「……私だ」

受話器から漏れて来る声が、怒鳴っている、叫んでいる、というか、悲鳴を上げている。

「ああ……うるさいぞ馬鹿者、少しは落ち着いて喋れないのか」

セフィロスはニヤリと笑う。

「……解かった。すぐ戻るから、叫ぶな。鼓膜が破れてしまう」

「ツォンさんから? 」

PHSをポケットに入れながら、ルーファウスは頷いた。

 はぁっと溜め息を吐くと、急用を持つ者の特権と言わんばかりにクラウドにキスをすると、敗北宣言。

「……仕事が入った。私は会社に戻る。……中華でも和食でも、セフィロス、お前の連れて行きたいところに連れて行けばいい」

じゃあな、とクラウドにだけ言い、苛立ちを覚えた背中はタクシーを捕まえて、消えた。

「……あ〜あ」

クラウドはごしごしと頭を掻いて、言った。敵、というか恋敵を失って、あっという間に二人きりになり、セフィロスも所在無げだ。

「どうしようか」

セフィロスを見上げて、クラウドが訊ねた。ここまで、ルーファウスがいたから何とか、妙な事もせず考えもせず来たセフィロスだったが、二人きりになると何をどうすればいいのか、はっきり言って解らない。

そもそも、英雄セフィロスは戦いの事にかけてはプロ中のプロ、他の追従を許さぬ程だが、恋愛については疎い。ザックスやルーファウスのように強引にするとクラウドが嫌がるということを知ってからというもの、セフィロスは、たとえそういう機会があっても、クラウドに対して行動を起こすことは出来なくなっていたのだ。ここはクラウドを手中に収める千載一遇のチャンスなのだが、英雄は恐くてそれが出来ない。

「お前はどうしたい」

だからこの言葉はクラウドに対する配慮などではない。救いを求めただけのこと。

「俺は……どうでもいいよ。セフィは?」

「……俺も、実は別に和食とか中華でなくてもいいのだ」

決して不器用そうには見えない外見、実際、不器用ではないのだが、セフィロスは繊細な作業というのが、実は苦手だった。ボタンつけなどやったこともないし、もしやったら服は血染めになるだろうと、彼本人は推測していた。

だから、今こうして、料理を作っているのをすぐ隣で見つめられるのは、恥ずかしいのを通り越して、苦痛だった。

「大丈夫だよ」

何とかかんとか出来たぺペロンチーノを前に、クラウドは優しく微笑んだ。優しくでなければ、何の救いにもならない。味はどうあれ、見た目はかなり、嘲笑を誘うような出来。

「俺も、不器用だし、料理下手だから」

言ってくれる優しさが痛い。

「おいしいよ、セフィ、料理上手だよね」

言葉の相手は、実は食卓でクラウドと面と向かう余裕はなく、散らかったキッチンを片付けている真っ最中だった。クラウドの言葉は耳に刺さるが、いっそ聞こえない振りをしたかった。

ザックスは、あの大雑把な風貌で、炊事洗濯、家事一般は得意だし、ルーファウスは恋人のエスコートの仕方だけは一人前だ。

彼らに対して、自分は用意された空間で用意された仕事をし、時にひとごろしをするだけの、無能な人間だ――英雄なんてそんなものだ。セフィロスは案外自分が無力なことに、嫌悪を感じた。

「美味しかった、ありがとう」

けれど、パスタを一本も残さず平らげてくれたクラウドは、セフィロスの救いだった。

「どういたしまして」

「俺、考えたんだけど」

皿洗いに取り掛かるセフィロスに、クラウドが提案。

「いっつも、ザックスと一緒にいるだろ、俺」

割らないように、丁寧にやらざるを得ない。セフィロスからしたらプレート一枚など、ちょっと力を入れたらいとも簡単に「ぱきっ」と割れてしまう華奢なものなのだ。

「……そうだな」

返事に意識を取られる間は手を止めないと危なっかしい。

「ここのところは、ルゥと遊ぶことも結構あるし」

また手を止めて、相槌を打つ。

「……そうだな」

「でも、ザックスはジュノンに行ったし、ルゥも何だか忙しそうだ」

「……そうだな」

洗剤のぬるぬるで滑らないように。セフィロスは徐々に神経をとがらせていく。

何の恐怖も抱かず正宗を振るうのに、たかがスポンジ一個に胃を痛めるとは。

「だから」

クラウドは、冷蔵庫の扉に、似合わず所帯じみたカレンダーを目を細めて見ると、言った。

「来月まで、俺、セフィと一緒にいるよ」

ぱき、と皿が割れた。

 

 

 

 

訓練及び勤務時間中は、真面目に会社のために尽くす。

少年たちに課せられる「勤務」と言っても、それはたかが知れているが、訓練はやはり曲がりなりにも訓練で、相当にキツイものだ。夜は少年兵たちにとって、一概に、「休息」の時間であるはずだったが、

クラウドにとってはザックスと共にいる限り、決して休息には成り得なかった。

不必要に神経をとがらせて、いつ抱き付かれるかと戦々恐々としていたからだ。

「ただいま」

部屋に戻ると、セフィロスがいる。

オフィスのパソコンをそのままこの部屋に移し替えて、仕事を終えるか終えないかの頃。

鞄を置いて、制服を脱いで、気を抜いて、布団に大の字になる。ザックスなら、放って置かない無防備な体勢、でもセフィロスはパソコンのスイッチを切ると、まず冷蔵庫を開けてクラウドのために、よく冷えたミネラルウォーターを一杯。

「ご苦労」

「ありがとう」

ごくり、美味しそうに水を飲むクラウドを見ながら、夕食は何にしようか思案する。

「何でもいいよ」

クラウドはいつもこの意見。

「……それが一番困る」

クラウドといるときのセフィロスには、主体性というものがまったく無いから。

セフィロスは苦笑して、冷蔵庫の中を覗く。大して入っていないが、辛うじて2人分は足りそうだ。クラウドの希望になら、答えられる。

「セフィの食べたいもの作ればいいじゃない。俺はそれでいいよ」

「……俺はお前の食べたいものならなんでもいい」

そう言うセフィロスの微笑は微かに照れている。

クラウドは、ふふっと笑い、じゃあ俺はセフィの作ってくれたものなら何でもいいよ、と。少し、困らせるように。

堪らなく嬉しくて、素手で心臓をぎゅっと捕まれたように心がいっぱいになる。

セフィロスは腕を組んで少し考えたあと、提案。

「なら……ロールキャベツはどうだ? ……味の方は保証しないが」

キャベツは丸ごとひと玉、あと挽肉があった。絶対に、腕によりをかけて、クラウドが笑顔でオイシイよと言ってくれるロールキャベツにしなければと思う。

「そう言って、美味しくなかった試しがないじゃない」

もう、壊れてしまいそうだ。

クラウドはそんな科白を、きっとザックスには見せることはないであろう純粋に優しい微笑みで、言うのだ。

「あれ? セフィ、PHS……」

バイブが机の上で震えている。ガガガガ、と振動で音がする。クラウドからそれを受け取って、通話ボタンを。

「……今忙しいのだ、邪魔をするな」

心底不機嫌そうに、セフィロスは電話を切った。

 

 

 

 

夜になっても、一緒にテレビを見て寝るだけだ。ザックスの如く、ケダモノみたいに求めてきたりすることもない。というか、セフィロスは自分から「したい」と言うことはなかった。それが「我慢」だということは、クラウドには解かっていたから、時に甘え、セフィロスに求めた。セフィロスは戸惑ったような表情を見せて、しかしやがて長いキスをして、ひんやりとした愛撫で、クラウドを抱くのだ。

クラウドの裸は、セフィロスにとっても、何より美しいものに見えた。薄明かりの中で、自分だけの為に舞う姿は、愛しく、愛しく。けれど、それでも。 その唇が紡ぐのに一番似合う言葉は、「ザックス」なのだろうなと思うと、やりきれない。

クラウドで達したあと、ただ辛さだけが残ってしまう。だが不思議と支配慾は浮かんでこないのだ。

この少年を、この少年の幸せを、どんなことをしてでも守るのだと、セフィロスは思っているから。

この少年は、自分とふたりきりになることなど望んではいないのだ。小さなカラダいっぱいに愛をたたえて、自分を望むもの全てに愛を。ザックスに、ルーファウスに、そして、セフィロスに。愛してる、と言われる気持ちに嘘はない、嘘などないから、自分も全身全霊を篭めて、愛してると返さなければならないと、クラウドが思っていることを知っているから。そんなクラウドからザックスを、ルーファウスを遠ざけることなど、どうして出来ようか。

眠るときはクラウドのコトをそっと抱いて、クラウドが寝息を立てるまでずっと眠らないで待っている。クラウドがその広い胸の中で眠りにつく表情を、セフィロスは胸の苦しい思いで見守るのだ。

クラウドにとって、セフィロスは、ひとりしかいない自分の英雄であり、セフィロスは決して恋人ではないけれど、でも大好きな存在、自分のこの思いは間違っていたとしても、だ。クラウドは、シアワセな気持ちで、その腕の中眠りにおちること、罪悪感なしでは出来ない。

安寧などではない。

二人にとって一番忙しい一ヶ月がはじまった。

 

 

 

 

Yeah, we are busy now to say I love you.

 

 

 

 

ザックスはあるいは解かっていたのかもしれないと、クラウドは回らない頭でぼんやり考えた。そうでなければ、どんな手段であっても、異動を回避することをしたはずだ。

あるいは、異動先から毎夜の如く電話を鳴らしたりすることをしたはずだ。しかしそのどれをもザックスはしていない。全て。

そんなザックスの、異様なまでに寛大な行動から読めるザックスの真意。――この一ヶ月はいい機会だ、と。

ザックスは全部解かってるんだ。俺の事よく解かってる、俺の事くらい。

……頭が痛い。

セフィも、知ってる。

きっと、ルゥも。

俺はその感情に甘えて、自分勝手で、自分勝手にしてる。

クラウドは浅い呼吸の中、胃が少し詰まる感じを覚えた。

 

 

 

 

筋肉痛も腰痛もない休日を迎えるのは久しぶりだった。朝食もここ数ヶ月間にないほどたっぷりと摂った。全ての皿は、二人の旺盛な食欲により、半時間で空になった。体調も、すこぶる好調。そして天気も上々、全てが好都合な日。

「どこかに行こうか」

部屋を散らかす者がいないので、片付ける必要も無い。洗濯が済んでもLEDはまだ11時を指している。せっかく幸せな休日なのだから、いっそもっと幸せにしてやろうと画策して、クラウドはセフィロスに提案した。

クラウドが洗濯をしている間セフィロスは、新聞の一面から最終面までじっくりと目を通し終え、柔らかな香りのコーヒーを飲み、いつもよりも幸せな日曜の朝を過ごしている最中だった。

「別に構わないが……どこに行きたい? 」

またいつものパターンの会話になりそうなので、セフィロスは新聞を畳むと少し考えた後、珍しく自分から提案した。

「……水族館などどうだ? 」

「すいぞくかん? 」

思わずクラウドは鸚鵡返しに聞き返してしまった。故郷(くに)は、海こそ近いもののやはり山がちな地形だったから、海洋生物に興味がないわけではないが。なんとなく、「ゆうえんち」と言い出す誰かの発想と似ていて、やっぱり俺って子供っぽいのかななどと、僻みっぽいことを考えてしまう。

クラウドの表情が微かに曇ったのを見逃さず、セフィロスは内心少し焦り、言った。

「いや……どこか別のところがいいか。……美術館……映画館でもいい」

クラウドの微かな蟠りは雲散した。セフィロスは別に、クラウドを子供扱いして水族館という提案を出したのではないらしい。要するに彼の乏しいデートコースのプランの中から引っ張り出したのが、たまたま水族館だったのだろう。

クラウドは少し笑って、言った。

「いいよ、水族館で」

セフィロスはまだ何か不安げに思案した後、付け加えるように。

「……どこかのレストランで昼食を摂って、水族館に行って。それから、美術館にも行こう」

なんでも、どうでも。

だから、セフィロスの行きたいところに連れてってくれればいいのに、クラウドは内心苦笑する。

けれど、色々と、俺を第一に考えて俺の良いようにしてくれる、そんなセフィロスをクラウドはいとおしく思う。

「大好きだよ、セフィ」

髪を梳かしている後ろ、鏡ごしに言われて、櫛を取り落としそうになった。

社宅から徒歩四分の距離にあるバス停から、街に出るバスに乗った。

「んー……」

一度酔うと、あとはどうやっても治らない。だから、何よりも酔わないよう努力するのが肝要だ。クラウドはセフィロスに寄りかかって、バスの窓からひたすらに通り過ぎる街並みを眺めることに始終していた。

「……大丈夫か? 」

「ん……まだ平気……。やっぱりセフィのバイクで来ればよかった」

駐車場まで遠いという理由で敬遠したのだ。

 二十分程度の距離でも、クラウドにとっては苦痛極まりない。

隣のセフィロスの指に指を絡め、さっきまでの最高の気分はどこへやら、もう絶望のどん底に陥ったかのような暗い表情。セフィロスは、何とかクラウドの気分を優れさせようと、クラウドの髪を優しく撫でる。必死の抵抗だ。クラウドにしてみればその愛撫は、大して役には立っていないのだが、それでもセフィロスの優しさはクラウドの心を少しでも和ませた。

一緒になって、今日で一週間なのだ。セフィロスもクラウドも、二人のペースのようなものを互いに、無意識のうちに露出しあい、互いにそれを認め合うという、共同生活を送る上で最低限の準備は整わせていたので、二人にとって互いが、どこか当然のものになりつつあった。

それは、セフィロスが一番望んでいたことで、クラウドも、ひょっとすると。

互いを思いやる気持ちに加えて、自分のことも少し考えないと、恋愛というものは成立しない。

完全無欠自己犠牲の精神は、結果的に相手の負担になってしまう。セフィロスは、この一週間でようやくそのコトを理解しつつあったのだ。それでも、バスからよろよろと降りるクラウドに手をかしてやりながら、セフィロスは思う。それでも、俺には無理だ。そんな器用なこと。

「大丈夫か? 」

「んん……」

少なくともこの状態で感じる幸せを自覚している間は、俺は敗者なのだ。そして、敗者でいた方がこの子には楽だ。

この通り、結局クラウドを第一に考えている。水族館には、クラウドにたっぷり休憩を取らせてから入ったのだった。

エスカレーターで地下に下りていく、そこは青く暗い空、一種の海底トンネルだ。

「ジュノンの地下にも同様の設備がある。……もっともあれは、水族館などではなくて、海底魔晄炉への通路なのだが」

「海底魔晄炉? 」

「ジュノン方面の電力供給は主にそこが拠点なのだ。ミッドガルにある八基では手が回らないのだ。海底魔晄炉の方が出力限界は高いから、広範囲をカバー出来る」

頭上をイルカがすっと通り過ぎる、青の神秘的と言っていい光景。何となく、しかし、それは成り行き上ではなく、二人は手を繋いで歩いていた。

他の誰にもバレナイように、互いのカラダで隠すようにしながらも。

神羅の、世界の、英雄が一人の少年に「手を出している」姿など、あまり見られて心地いいものではないし。

「何これ……生き物? 」

クラウドがひとつの小さな水槽に目を留めた。白い、烏賊の頭をひっくり返したものから頭が生えたような、微細な生物が下から上へ、忙しなく手のようなヒレをばたつかせて泳いでいる。

「クリオネだな。北方の海に生息する貝の一種だ。……珍しいな、こんな都会の水族館で見れるとは」

その、クラウドの小指の先ほどもない小さな貝は、北極の冷たい冷たい水の中、必死に下から上へと泳ぎ上がる。暫く、その翼にも似た器官を休め、ゆっくりと沈んでいくと、またそれは思い出したように、はたはたと水を掻いて浮き上がらんと努力をする。

クラウドはじっとその小貝を見つめていたが、やがて、困ったような溜め息を吐いた。

苦笑して。

その表情は水槽に反射してセフィロスの目にも入った。

「どうした? 」

 軽く首を振って、もう一度、じっと覗き込む。

「何が楽しいんだろうなって……」

クラウドの言葉の間も、クリオネはそれが生きがいであると言わんばかりに、氷水を掻く。

「連れてこられている訳だよな、ここに」

「……そうだろうな」

「ずっと、こうしてるのかな。……眠ったりしないのかな」

「……する、時もあるだろうな、それはもちろん」

「そうか」

クラウドはまた暫く黙って水槽を見つめていたが、やがてふと興味を失ったように水槽から離れた。

「あれは……」

「蟹だな。タカアシガニ」

「……大きな蜘蛛みたいだ」

二人は、蟹の水槽へと向かう。

流れる水に最大限抵抗せずに泳ぐエイ、今ひとつ元気のないイワシの群れや、ギラギラ体を艶っぽく光らせたサメ、誰かが作りかけのまま飽きてしまった粘土細工のような翻車魚(まんぼう)、それら一つ一つに、何か拠り所を求めて、クラウドはセフィロスを引き摺って、水族館中をさまよった。

クラウドの漏らす、時に無邪気で、それでいて困る感想に、セフィロスは、傍から見たらこれはデートとは呼ばないのではないかとうすうす感じていた。

というか、自分でも想っている、これはデートなんかじゃない。が、セフィロスは幸せだった。多分、それでいいのだと自分に言い聞かせる。

手を繋いでいる、恋人ではないけれど恋人と。自分と寄り添って歩く、クラウドと。

コレはなによりも幸せな事で、コレは自分にとっては間違いなくデートだ。幸せ、何か文句があるのか。

クラウドも俺と同じように、幸せだったらいいと願う。心が常にザックスのもとにあったとしても。

 

 

 

その事をセフィロスもやはり知っていた。クラウドも、多分セフィは解かっているんだろうなと思いつつ、セフィロスと一緒にいた。それはクラウド自身が選んだ事だ。裁きだとか償いだとか、そういう大層なものではなくて、自分の責任のようなものだとクラウドは考えていた。

「あ、このパスタ美味しい……何だろう、すごく良い香り、バジルかな」

「バジルに松の実……ジェノヴァソース、というやつだな」

自分は、誰に対しても胸を張って心から本当の気持ちを言えない。

それはとんでもなく後ろめたくて、罪悪感抜きには出来ない。

自分の卑怯さを優しさに見せかけてしてきたこれまでの愛に似た罪科のことを思うと、そんなことなどとても。

自分の事が好きなのだ、つまりは。

アイシテル、その言葉は美味だ。甘くて、嬉しい。今まで母親にしか言われた事のなかった(それも、「母として」という前置きがつくもの)言葉を、自分と一切のつながりがなかった人間に言ってもらえるという事が、クラウドには嬉しくて嬉しくて堪らない。

自分の存在をかけがえのないものだと言ってくれる言葉に、何だか泣きそうになる。

ただ、同じ言葉を自分の口から出す事は、間違えているように思えてしまう。

「ザックス、アイシテル」

「ルゥ、アイシテル」

「セフィ……」

俺はどこでそんな言葉を憶えたんだろう、誰に教わったんだろう。言葉の意味もよく分からない。愛って何かも、もちろん知らない。けど、口に出さずにはいられない、どんなに胸が捩れようとも、自分に「愛してる」と言ってくれる、ザックスに、ルゥに。それは、汚い心で綺麗な言葉を発する、一番、卑怯なやり方だと知っていながらも。

目の前で、上手にパスタを食べているセフィロスに対しても、感情は一緒だ。自分の望んでいる心を「捨てる」こと、クラウドはそれを実行する勇気がなかった。

そのことの答えを「一人になる事」だと考えていたからだ。

「あ〜、美味しかった。ここ、いいね。雰囲気も明るいし」

「気に入ってくれて嬉しい」

自分は、間違えている。

嘘をついているわけではない、もちろん、みんな「アイシテル」。

出来れば誰も、俺の事なんて愛さないで。

そしてセフィロスも、クラウドを困らせる結果だと知りつつも、

けれどその言葉を言うことが間違っているわけでは決してないから、言うのだ。「アイシテル」を。

セフィロスにだって、その言葉の意味が解かっているわけではない。漠然とした、気持ちを表わす言葉なのに確固たる意味なんて必要ないハズだと思っていた。

俺はクラウドを愛している――しかしセフィロスは、その感情は自己完結で構わないとも思っていた。

クラウドにはザックスがいる、俺は、クラウドのことを好きだという感情だけ持っていればいい、それ以上は要らない。

それ以上、を望む事はクラウドを困らせる結果になるという事を十分理解していたから。俺のことなどどうとでも出来る、問題は、優しいクラウドの心だ、と。

 二人は、愛し合っていた。

「俺、半分出すよ。給料あるんだし」

「……俺が出したいのだ。俺に出させてくれ」

間違いなく。けれど、その「愛」があるからといって、互いの間が全てうまく行くというわけではない。

 

 

 

 

二人の一応は幸せな休日にケチをつける者などいはしなかった。ザックスはもちろんジュノンで孤独な日曜日を過ごしているし、ルーファウスも急に忙しくなった仕事のせいでクラウドと見えるチャンスを逸

し続けていた。しかし、邪魔物は、二人の日曜日に泥はね、というか、染み、というかを作った。

「……凄い雲だな」

「雨、降るのかな。……傘持ってきてないよ、どうする? 」

上空、今朝の青天は嘘のように黒色の雲が覆う。不安げな空に道行く人々の足も、心なしか速まる。

「天気予報では、今日は一日晴れだって言ってたけどな」

クラウドの頬にぽつり、大きな雨粒がひとつ落ちてきた。ひとつ、またひとつと。

慌てて駆け出した二人がデパートのショウウィンドウの軒下に辿り着く頃、雨はバケツをひっくり返したように地面を叩き、二人の体はもうビショビショになってしまった。

たっぷり水を吸って重たい髪を掻き上げて、クラウドは苦笑、あ〜あ、と溜め息交じりに。

「濡れちゃったな、結局。セフィ、前髪降りてるよ」

いつもはキチンと立っている銀髪も、水で額に下りてしまっている。セフィロスは乱暴にそれを掻き上げ、後ろへ流した。印象がいつもとまるで違う。いつもの五倍以上、穏やかで大人しそうに見える。

「せっかく楽しんでいたのに」

セフィロスは忌々しげに、雨を降らせる黒雲を睨み上げた。

何か俺たちに恨みでもあるのだろうか。

「神様と喧嘩したって勝てないよ」

もっともな事だ。しかし、セフィロスにとっては楽しい楽しいデート、それの妨害をされたのだから、そんな感想を抱いてしまうのも無理のない事。二人は所在無げに寄り添って、雨の止むのを待つほかなかった。雨がやむ頃にはこの濡れた体もきっと乾いているだろう。

そうしたら美術館に行こう。

傍から見たらどう見えるだろうと、ふと思った。乾きを求め急ぐ人たちは、誰も二人のほうなど見ていない、しかし、どう見えるのだろう。

誰も恋人同士だとは。

「バチが当たったのかな」

ぽつり、クラウドが言った言葉に、セフィロスは思考を中断した。

クラウドは苦笑している。

「ザックスほっぽって、セフィとずっと一緒にいるから、バチが当たったのかな……」

クラウドの言葉の意味が、セフィロスには飲み込めなかった。

 飲み込めない、というのは、それが意味不明だからではなく、その意味がセフィロスにとって不都合なものだったからだ。

苦くて大きい錠剤がなかなか飲み下せないように、喉の奥が言葉の意味を嚥下するのを拒んでいる。

「気にしなくても良い、そんなことは」

それは自分の言うべき言葉ではない。そう思ったが、そう言った。

「お前は間違った事をしているわけではない。お前は、お前がしたいようにすればいい。少なくとも、ザックスも、ルーファウスも、俺も、そう思っている」

うん、とクラウドは頷いた。しかし、クラウドは言葉を続ける。

「好きだよ、セフィ。アイシテル」

「……解かっている」

「ごめん、でも俺は解らないんだ」

無遠慮に雨は降り続ける。 クラウドはふと、繋いでいた手を解いて雨の中に躍り出た。

「クラウド? 」

クラウドは降り注ぐ雨の出先を見るように上を向いた。

十数秒、セフィロスが停められぬままそうしていると、全身シャツをべったりと体に纏わせて、また軒下に入った。

「何で、アイシテルなんて言うんだろう」

「クラウド……。風邪をひく、馬鹿な事をするんじゃない」

「いいよ、ひいても。罰当たった方がいいんだ、俺。――解かんないから」

クラウドの目が変に赤いことに気付いたのはその時だった。

「すっごい、幸せなんだ、俺、今も」

クラウドは言った。

「俺は何でもない、ただの一般兵なのに、ザックスや、ルゥや、セフィに好きだって言ってもらえるんだ。抱きしめてもらえるし、一緒にいて俺の話を聴いてくれるのが、すごい幸せなんだ。すごく、嬉しい。だから、ずっとずっとこのままで」

何だか胸が一杯になったのだ。

突然の雨、さっきまで晴れていたのに、振り出した雨に責められたような気がして。

お前に幸せな休日なんて必要ないのだ、と言われたようで。

「クラウド……」

「ごめん。一番卑怯なコトしてるって俺、解かってるのに」

泣いてしまったことがばれたと悟り、クラウドはムリヤリ苦い笑みを浮かべた。

「セフィのこと大好きだ。ルゥも、ザックスも、大好きだ。……俺が三人いればいいのに。そうしたら、みんなの気持ち、ちゃんと、答えられるのに」

ひょっとしたらそれが一番卑怯な事かもしれない。けれどそうすれば、少なくとも誰も傷付く人間はいなくなる。俺も、セフィロスも、ザックスも、ルーファウスも。卑怯なやりかたでもいい幸福を願うのか、純粋なままでの不幸を認めるか。セフィロスは、自分たちがクラウドの、その中途半端な感情を容認してしまうから尚更悲劇を招くのだと解かっていながら、またクラウドを認めざるを得ない。

卑怯なやり方でも、精一杯の答えだということが解かっているからだ。

だからこそ、支配欲を抑制するのだ。

「気にするな。俺たちは今のままで構わないのだから。お前は、お前が幸せになるようにしていればいい。そうしたら俺たちも幸せだから」

喉の奥が痛い。微細な針を飲まされたかのような、神経に障る痛みだ。何かの発作をどうにか抑えると、セフィロスはクラウドを抱きしめた。

髪型は違うし、私服だからきっと、道行く奴らには俺だと解るまい。

「泣き止んでくれ」

「……」

「通行人に、俺がお前を苛めていると思われるだろ?」

クラウドを愛す、認める、助言もしよう、クラウドのことを出来る限り支えもしよう。

けれどセフィロスはずっと、決めていた。

クラウドのことを助けはしないと。

クラウドが自分で納得していない愛情に蹴りをつけぬ限り、俺はクラウドのものではない。ルーファウスも、ザックスですらも、クラウドのものではない。クラウドの犯したことは、クラウドが自分で答えを見つけなければならない。

俺には何も出来ない。

 

 

 

 

雨を降らせたのは俺、だから、自業自得のこのだるさ。

熱いシャワーを浴びて疲れたからだ、ソファに任せていると、頭がぼんやりして、少しずきずき痛んでくる。自業自得だ。温かいミルクを入れてもらった。セフィロスはクラウドの入ったあとに入浴。不器用な事だと思いつつも、それは苦笑とか嘲笑とか、ああ呆れた、とか。そういうので片付けられるはずもない。不器用だ、可哀相にと同情する事もまた間違えている。

自分たちの存在が既に問題――

俺には、普通に幸せな休日なんて来ちゃいけないんだ……。

――いつからそんな風に

俺は、答え続けなければいけない、気持ちに……。

――こころを汚い言葉で

愛しているという言葉には、アイシテイルと返さなきゃいけない……。

――表わす事を覚えた

好きという感情には、好きという感情で返さなきゃならない……。

「あ、い、し、て、る」

 

 

 

 

案の定その夜からクラウドは発熱した。セフィロスはタオルを代えてやりながら、軒下でもっと暖めてやればよかったと後悔した。

クラウドは軋みながら回る頭で、ただ考えていた。

俺はザックスの恋人だ。

セフィの、ルゥの、恋人じゃない。

けれど、セフィもルゥも、俺の事を好きだって言ってくれる。

だから俺は、答える、その気持ちに。

俺のどこが間違っている?

クラウドは問う。

俺は、精一杯、あんたたちの気持ちに答えようとして……。

歪んだ言い訳、結論から言うと、「あんたたちが俺の事好きになるからいけないんだ」、答える気持ちは「義務だ」と。

額に当てられたセフィロスの手のひらの、ひんやりとした心地に目を覚ました。

「ストレスが溜まっていたのも一因だったようだな。慣れない生活をするから」

一夜明けて、平時と同程度まで下がった体温。けれど体を包む倦怠感はまだ消えていない。汗を掻いたから、背中が気持ち悪い。

しかし、その感じ以上に、精神的に、クラウドは沈んでいた。「慣れない生活」という言葉の意味が、それをさらに増長させる。遠い空の下の「恋人」が、やっぱり自分には必要なのかと。

「帰ってきて欲しいか? ザックスに」

セフィロスはよく冷えた清涼飲料水がたっぷり入ったグラスをクラウドに渡す。

クラウドは首を横に振った。

「……いい」

「そうは言っても。お前を充足させられるのはどうやらザックスだけらしいからな」

「…………」

「もっと楽にしたらどうだ」

セフィロスは、クラウドの身を起こし、飲み物を飲ませてやりながら言った。

「誰もお前に『苦労しろ』などと言うワガママは言ってないぞ」

やっぱりそれは俺が言うべき言葉じゃないんだろうなと感じつつ。

「お前が今してるのは、自虐行為だ。そこまで思いつめる必要はない。どうあがいても、お前は一人しかいないのだし、できる事など限られている。その限られている中で、無理をするのではなくて、お前のやりたいことから選んでやっていけばいい。その結果、あぶれるものが生じたとしても、それはそれで仕方のない事だ。誰もお前の事を責めたりなどしないし、それが原因でお前の事を嫌ったりなどするものか」

セフィロスは付け加える。

「それに……」

クラウドの手が震えているのを、押さえてやりながら。

「お前が苦しんでる姿を見るのは、俺も辛い」

セフィロスはクラウドが謝ろうとした言葉に耳を貸さなかった。半ばムリヤリにグラスを空にしたらすぐに流しで洗い、病人向けの料理作りに取り掛かる。

俺も、無理はしない、

から、お前も。

 

 

 

 

I love you.

In the morning, breakfast makes me feel fine, when I am close to you.

 

 

 

 

まだ、体はだるい。

風邪が治りきる前にまた余計な事をしてしまったせい、これこそまさに自業自

得だ。

「ん……」

ゆっくりと上下する何かの上に頬をあてたまま寝てしまった。それが何かは解からなかったが、よくよく見ると、肌色。

「……セフィ? 」

この、少し無理がある体勢。いつもザックスが「しろ」と言う。何故かと問うと「守ってやってるって気がするから」。いくら自分が軽いとしても、胸の上に俺を乗せたまま寝るなんて。

「降りなくていい」

少し前から目を覚ましていたらしいセフィロスの明瞭な声。クラウドの頭に手を乗せて、優しく撫でる。温かく、少し座りの悪い枕、二度寝をしろと言われているようなものだ。

何かに導かれるかのように瞼がまた重くなる。目を閉じると、セフィロスの心臓が動いている音が聞こえる。

「……今日は休め」

クラウドの真っ暗闇な視界に、セフィロスの声が語り掛けた。

「まだ身体が少し熱い。……治りかけが一番危ないからな」

といっても、昨日抱いて欲しいと頼んだクラウドを拒まなかった自分も悪い。ぼんやりする頭は、堕落を望んでいる。一日ゆっくり休もう、セフィロスと一緒に、うだうだしてても、きっと罰は当たらない。

二度寝をやめて、セフィロスの体から降りて、よろよろとベッドの側の窓、カーテンを開ける。外は薄ら白い。分厚い雲が空を覆っている。雨を降らすでもなく、雷を鳴らすでもなく。ただ重苦しい白と灰。

裸だと、ひんやりと肌寒い。クラウドはまたベッドに頭から潜り込んだ。

セフィロスが包み込んだ。

「セフィは」

再びセフィロスの上に乗り、顔のそばに顔を出す。

「誰かに抱かれた事ってある? いつも、俺がされてるみたいに」

クラウドが好奇心本位でいうと、セフィロスはニヤリと笑うと、逆に訊ねた。

「さぁ……。何なら、試してみるか? 」

攻撃的に言って、クラウドの手を取り、指先をペロリと舐める。くすぐったさと、あと何かで、クラウドは不本意に小さく震えてしまった。

「どうする? 」

「ん……やめとく」

呆れるほど感じやすい。その細い指を甘く噛んだり、細かなキスを幾つも与えたりするだけで、クラウドは切なそうに顔を顰め、目を潤ませて。

時に愚痴を零す、「ザックスは嫌だっていってるのにやってくるんだ」その気持ちも分かる。

「んん……」

甘い鳴き声。今度は反対に、セフィロスがクラウドの口腔に指を入れる。言われるまでもなく、舌を指に絡めて、口の中、セフィロスの意のままに犯させる。

セフィロスは指先でその柔らかな感触を楽しむ。朝っぱらから。セフィロスは苦笑で済む。朝っぱらからなんてコトをしてるんだ俺たちは。

けれど、クラウドにはもうそんな余裕などない。

クラウドの趣味も、以前に比べたらセフィロスは熟知と言ってよいほど深く知り尽くしていた。コーヒーには少しずつ砂糖とミルク、紅茶にはそれぞれたっぷりと入れて飲む。甘い方が心も体もあったまるのだそうだ。トーストと一緒に出したそれ、バターで濡れた手を舐り、美味しそうに飲む。

「クラウド、今日の二時から試合があるぞ。タイガースとカープの試合」

「ホント? じゃあ、一緒に見ようよ」

平日に珍しいデーゲーム、よく見ると、衛星中継でのその試合は練習試合的なものらしい。

たぶん今ひとつ盛り上がりに欠けるのだろうが、クラウドが野球を好むことくらい知っていた。身体がよければ、見に連れていってやるのだが。外を見る、白い雲、雨よ降るなと思う。二人の、野球観戦の時間の邪魔をするな。

「では俺は、一時まで仕事をする。そのあと昼食を摂って一段落したら、一緒に見よう。

お前はそれまで自由に過ごせ。テレビを見ていてもいいし、使いたいならパソコンを弄っていてもいい」

こうやってたくさんの選択肢をプレゼントする自分に多少の自己陶酔を含みつつ。

しかし、自由を与えられたクラウドの選択肢などそう多いはずもなく。

「う〜ん……」

暫く腕を組んで考えた後、出した答えは。

「セフィの手伝いするよ」

急ぎの仕事が無くて本当によかったとセフィロスは思った。結局仕事にもならず、十二時ちょうどに昼食をとり、ぼんやりと話をしているうちに二時。

クラウドはセフィロスの膝の間に座って、後ろから抱かれる体勢、遠慮なく寄りかかってテレビをつけるとちょうどはじまるところだった。両チームの先発は、一軍の公式戦ではまず出番がないであろう若い投手。

クラウドは、もちろん野球に興味がないわけではなかったがゲームが盛り上がらないこと以上に、もっと重要な事があったから、意識は内部へ向く。クラウドはセフィロスにくっついて、穏やかな体温を感じる事に、むしろ時間を割いた。

昨日の昼は散々、夜は夜で穏やかさなんて微塵もなかったから。

見た目の通り、セフィロスの体は少し冷たい。

もちろん三十五度からの体温はあるのだろうが、それでもどこか、ひんやりした感じがする。

自分に少し熱があるせいもあるかもしれないが、それ以上に。むかし聞いた事がある。優しいこころの人は、手のひらもあったかい、と。セフィロスの手のひらは温かくない。……逆だったかな、クラウドは曖昧な記憶をなかったことにした。

とりあえずセフィロスは優しい、涼しくて温かい、それでいいや、と。

でも、涼しい方が夏はいいだろうな。ザックスの体はくっついてると暑っ苦しくて困る。そう言えば、セフィロスって汗なんてかくのかな。

「英雄」だし、ちょっとやそっとのことじゃ汗なんかかかないよな、この人。セックスしてるときって、どうだったっけ? ……って、そうか、俺はしてるとき、もう頭がスパークしてるから、おぼえてるわけないか。

クラウドはセフィロスの腕の中で、セフィロスの事だけ考えていた。

自分から野球を見ようと言い出しながら、野球そっちのけでセフィロスの事を考えている。

「クラウド、ノーアウト満塁だぞ」

「うん、知ってる」

何か申し訳ない気もするけれど、どちらが重要かと問われれば言うまでもなく。

盛り上がらない試合の中で有数の見せ場も、クラウドにとっては少し五月蝿いBGMに過ぎない。

耳を澄まして聞こえて来るのは寧ろセフィロスのゆったりした呼吸。

来年の夏のことを考える。

俺は来年の夏、このひととまた、こんな風にくっついていられるのか、と。多分それは叶わぬことだろう。来年の夏こういう風にする相手がいたとしてもそれはセフィロスでは無くザックス。

それが自然な形なのだ、きっと。でも今不自然でも幸せなのは何故。

「クラウド、タイガースが先制したぞ、嬉しくないのか? 」

ぼーっとしているクラウドに言う。 クラウドは答えた。

「嬉しいよ」

けどごめんいまの俺にはあなたの方が重要。

「ピッチャーを代えるか、まあ、妥当なところだな」

解かんない、多分これが恋だとしたら、俺は恋をしてる。

この、不思議で幸せないたみ。

俺の事を抱きしめて、何も求めずに「愛してる」という、――セフィロス……セフィ、という名の俺の恋。

それが、俺の、恋。 ……矛盾だらけだ、クラウドはふぅ、と溜め息を吐いた。

恋人という存在は本来誰であるか解かっている、しかもザックスの事を嫌いなわけではない。大好きだ、「愛してる」、大好きだ、何度言っても。でも、でも、俺はやっぱり自分に嘘は付きたくない。ザックスと同じくらいセフィも大好きだ。

あと、三回休みが来たら、この休暇は終わる。そう考えると、やりきれない。幸せ、得るのは難しいくせに去るのは容易。月が代わって、例えばまたセフィロスのオフィスで仕事をすることもあるかも知れない、キスしてくれたり、抱いてくれたりするかもしれない。

しかし。

朝も昼も夜も、俺はあなたといっしょにいたい。

「セフィ……」

もう泣くのはやめた、互いにとって辛い事になるから。クラウドはにっこり笑って、言った。

「野球終わったら、ご飯食べに行こう。昨日は夕飯、食べられなかったから」

それがきっとなによりいちばん、ナイスアイディア。

 

 

 

 

高級レストランに行こうか、それとも焼き肉屋に行こうか。

「どっちがいい? 」

うーんと腕組みをして考えた後、前者を選んだ。

着替えをしながら、その理由はやっぱり、セフィロスとザックスの区別にあるのかもと考えると自分で自分に苦笑してやりたくなった。

思うところは同じなのに、何となく、そういう細かい差異を見つけては、喜んでいる。

それに、ザックスと一緒に焼き肉を食うたびにセフィロスを思い出すのはアンフェアだと思ったのもある。

幸せないたみを俺は抱いて生きていく。

たまたまそれが三つだという事、俺は全部あいしてるという事、たまには答えるのが無理になる事もあるという事、それは別に構わない事だという事、俺は俺のやりかたで愛せる限り愛して自分を大切にしていくという事。愛は結局自己中に帰るのだという、事。

ピカピカで銀色のナイフとフォーク、更に盛られた肉にかかったチョコレイトと同じ名の茸は、セフィの名前。時間も手間もかけないで、けどちゃんと美味しいものを作ってくれる、半生の方が好きな牛ロース肉は、例えばザックスの名前。昼休みにわざわざバラして食べる好き嫌い交じり合った色々が挟み込まれたサンドイッチは、ルゥの名前。

それらを抱えながら生きていくのは悪い事だけど、罪悪感なんてもうない、考えるのはもう飽きた、ムズカシイ生き方はそう悪くない。

最後の日には泣かないようにしよう。それが、セフィロスが俺に教えてくれた事に対する答えだ。

自己中の尻拭いは、自分で。もし涙を零したら、それはセフィロスをも泣かせることになる。

クラウドの愛は永遠に自己完結の場を失う事になるのだ。

「すっごい……」

「いや、俺も、これほどまでの物が出て来るとは想像していなかった」

前菜に、テリーヌとかいうカマボコみたいなゼリーみたいなのが出てきたあと、フランスパンとか魚とか肉とかが更に次々に並べられ、そしてまだメインは来ていなかったらしい。フィレステーキ、物凄い、分厚い……。

「うわ、分厚いのに柔らかい。いい肉なんだろうな……高いんだろうな」

所帯じみた感想を抱くクラウドに対し、セフィロスは机の下、財布の中にちゃんとカードが入っているのを確認する。まさか神羅の英雄が「ツケにしておいてくれ」なんていう訳にはいかない。メニューも見ずに「フルコースで」などと言ってしまったのは軽率だったと言える。

まぁ、これも楽しいデートだ。

「まだ好きなものを頼んでいいぞ」

こういう強がりもまたよし。強がる自分を発見した。いとおしい。

「じゃあ……これ」

クラウドが指差したそれ、何故また一番高い物を頼むのだろうこの子は。半病人のくせにずいぶんと旺盛な食欲である事だ。内心苦笑しながら、ボーイに。

「これを頼む。ふたつだ」

悪くない。

と、自分を無理矢理納得させてみる。

「ごちそうさまでした」

帰り道ぺこりと頭を下げてお礼。

「また、いつでも連れていってやる」

財布の余裕のある時に、な。ただ多少の散財、この少年のためになら堪えない。満足そうな笑顔を見るためにならいくらでも。

「元気になったようだな。安心した」

「え?」

「昼間、何か沈んでいたようだったからな。また昨日の事を気に病んでいたのかと思った」

「ああ……」

遠からず近からず。

クラウドは野球そっちのけで考えていたことをそのままセフィロスに伝えた。それはセフィロスが望んでいたものなのか、或いは否かということまでは理解していなかったが、クラウドにとっては少なくともそれは出せうる限りのベストな答えで、それでセフィロスの機嫌を損ねてしまったとしても、それは仕方のない事。

「なるほどな」

繋いだ手、今は、何となく自分よりあたたかい気がするセフィロスの手。

そろそろ寒くなってきたからと、ポケットの中にいっしょに入れる。何だか、嬉しい。幸せな気分。

「俺は」

セフィロスはポケットの中の手をぎゅっと握って、言った。

「……俺は、とにかくお前を愛してる。答えられる範囲で無理せず、答えてくれるなら、それはそれで嬉しい。ただ、お前が無理をして辛い思いをするのなら、俺はお前の事を愛さない、それでいいな?」

「うん」

クラウドは自己中でいい、その分俺は、自制しよう。

甘やかしているのではない、俺なりの愛し方だと考えておけば、全て納得のいくことだろう。

「……セフィ」

「ん?」

クラウドはふと、さっきのいたみのことをセフィロスに聞いてみた。

セフィロスなら知っているかもしれないという安易な考えから。

「俺のこと好きでいると、辛くない? なんか、苦しくならない?」

「……」

「これって、あのさ、いわゆる恋なのかな」

我ながら滑稽だ、クラウドは思った。

セフィロスは少し質問の意味を掴み兼ねていたようだったが、やがて答えた。

「辛いし、苦しいし、痛い」

けどそれでいいんだと付け加える。

「お前は俺の事を想うと辛いのか?」

「……うん」

俯いてしまったクラウドの手をポケットから出して、一歩引いてみる。

「手を離して、二人の間に隙間があったら? 俺がもしお前の事が嫌いで、お前の事を知りさえもしなかったら? ……お前と、永遠に触れ会えない距離になってしまったら?」

「…………」

急に恐くなって、クラウドはセフィロスの手を握った。

「多分、もっと辛く苦しい想いをすることになる」

セフィロスはクラウドを抱き締めた。少しして、また元のように手をポケットの中に突っ込んで、歩きはじめる。

「少なくとも、精神的ストレスではないと思っておけばいい。……まぁ、世間一般的に、恋と呼ぶのだろうな」

「……なんか、恥ずかしいね」

自分たち、互いのことを誰よりも深く思いあっていて、誰よりも愛し合ってたはずなのに、なんかひとことで言い表せてしまう、「恋をしているんだ」って、小さい子供みたいだ。

他の誰より幸せを願ってたつもりが、他の誰とも変わらない。この今抱いているいたみと同じいたみを、ザックスやルーファウスにたいして抱いていた気がする。

ただ、その時はまだ気付かなかった。そんな昔の事じゃないけど、そういうものだって気付かなかった。

この幸せないたみに。 少し、大人になったのかな、クラウドは思う、なんか余計に恥ずかしいぞ、と。

「あぁ……解かんないや」

でも、笑顔になる。

「ごめん、大好き、セフィも、ルゥも、ザックスも」

「誰も責めやしないよ」

セフィロスの言葉が何よりも救いだ。

 

 

 

 

何も頼まれてなどいないのにタオルと替えの下着を用意して、ソファでゆったり過ごすセフィロスを呼ぶ。

「入ろ?」

「…………」

困惑したような表情、引きずり込んで、自分は先に素っ裸に。

「セフィの背中流してあげるよ」

その言葉に苦笑。まるでもう、幸せをそのまま形にしたような構図を提示する。

どうせ期間限定の幸せなら、とことん突き詰めて考えよう。

少し恥ずかしい気もする、誰かに見られたら俺は死ぬだろうとセフィロスは冗談抜きに考える。実際、クラウドに背中を流してもらっている最中、何だか底の方から微笑みが浮かんできてしまうのを抑えられないセフィロスだった。

「最初のときも風呂場だったんだよな、そういえば」

偶然鉢合わせ、気付けばキスされ抱かれ、いつの間にやら不自然な関係に。あの頃から、互いに成長したとセフィロスは思う。

少なくとも彼は、自分の知らなかった自分の一面を数え切れないほど教えられた。

「あの時『怒っている』と言われたのが物凄く気になった。誰かに怒られた事などなかったからな。勇気のある奴だと思う反面、思い通りにならない事に微かな憤りを感じたのも事実だ」

「俺も、神羅の英雄サマのことすっごい尊敬してたのに、実際は自信家でカッコ付けたがりで自分勝手で、ちょっと失望してた」

「……ちょっと待て、それは本当か? 」

「さぁ? 」

とんでもない奴だ、とセフィロスは笑うと、クラウドと向かい合い頭に湯をかけた。

シャンプーを手にとり、金髪に指を通す。クラウドはくすぐったそうに笑い、セフィロスに洗われるがまま。

泡を流し、ボディソープをクラウドの体に素手で塗る。

「また随分と少女趣味な石鹸を使うものだ」

「石鹸に少女趣味もなにもないだろ」

「いや……ピンク色、というのが」

「ザックスが買ってきたんだ。匂いがいいとか言って」

クラウドの体に塗った石鹸に鼻を近づけて嗅いでみる。確かに、クラウドにはぴったりかもしれない。甘い花の香り。

「くすぐ、ったいよ」

クラウドが胸に指を滑らされて鳴き声を上げる。

セフィロスはにやりと笑うと、くすぐったいだけか? と意地の悪い問いを投げかけた。

「い、じわる……」

「意地悪だ。自信家で自分勝手だからな。お前の体は俺の思い通りにさせてもらう」

「っは……ぁ」

幸せだ――と思うのは、愚かな事だろうか。

胸が痛くて窒息しそうだ、けれど、幸せだと思うのは。セフィロスは、クラウドの肌を、声を、今だけは自分のものとして抱いた。自分のものだ、連呼される名前と、合間に「愛してる」、それは紛れもなく自分に向けられたことば。クラウドが「愛してる」の意味など知らなくても、言われてどうしようもなく

嬉しいのだから構わない、構わない。自分だって、その言葉を理解している訳ではない。けれど、当たり前の生活を幸せと感じるためのいちばん重要な存在に対して、言うに相応しいことばなのだという事くらいは解る。

また風邪をひいたりしないよう、少し湯を足してクラウドを抱きしめて、思う。翌朝も、その次の朝も、永遠に二人で朝食を摂れたらいいのに。それが当たり前のことだったら、どんなにいいだろう。

俺は朝刊にざっと目を通す、クラウドの好きなチームが勝っているかどうか調べる、

その間クラウドは俺のためにコーヒーを入れ、トーストにバターを塗る。俺のためだけに。

果てしない妄想。

そして、尽きる事のない恋心。

止めど無く溢れる思いをいちばん簡単に表わすことばをさがすとすれば、何だろう。

「明日はトーストではなくてシリアルにしてみようか」

そんな下らない思い付きも、永遠に近い程の量の「明日」が用意されていると思うからだ。

 

 

 

 

Feel so good when I am close to you.

Let us dance, pure soul. Let us dance happy dance.

 

 

 

 

振り返るのをやめたい自分と、振り返る弱さを認める自分。例えば二つの自分が同居していても、構わない場合だってある。誰かひとりでも、そんなアンバランスな自分を認めてくれる人がいれば。

残り少ない時間の中でクラウドがセフィロスに返せる事は何一つない。彼はセフィロスから何もかも教わり、結果的に、少し成長をした。

人を愛することの何たるかは未だ解らないけれど、それを責める者がどこにいようか。

セフィロスの隣でこの一ヶ月を過ごしたことを、ただ幸せと思えばいい。

あの夜から、狭い風呂に二人で入浴するのが癖になってしまった。セフィロスがクラウドを洗っているうちに気付けば、あるいは、浴槽の中で肌をくっつけあっているうちにだんだん、という感じだ。始めは確かくすぐったいだけのはずが、段々とツボを心得たセフィロスの手のひらで触れられているうちに、おかしくなって来るのだ。

困った事に、本人は意識していないが上手なセフィロスと、

本人ではどうしようも出来ないほど過敏なクラウドだから、毎夜の如く、風呂場にクラウドの鳴き声が響くことになってしまう。多分隣室にも筒抜けだろうが、もうクラウドと、ザックスが恋人同士であるこ

とは有名で、男ばかりの兵舎、そういうこともあろうと隣人たちはクラウドを白い目で見ることはない。

ザックスの手前、行動に移す者はいないが、少なくとも同世代、若しくはそれ以上の兵士たちの半分はクラウドに惑う時期があったのではないか。

「髪が伸びたな」

前髪やサイドの髪は、本当に言う事を聞かない。

例えば水に濡れても少し乾けば元の頭。

それに比べて、いつもは紐で結わいている後ろ髪は解くと綺麗に真っ直ぐ広がる。

その上サラサラなので、クラウドに触れた男たち――言うまでもなく現時点で三人――は間違いなくその金糸の虜になる。セフィロスはその金髪に指を通し、軽く真っ直ぐ整えると優しく湯をかけて、シャンプーを取った手でクラウドの髪を洗いはじめる。

クラウドはその間、腰掛けに座っていつもされるがままだ。相当不器用なセフィロスではあるが、こういうクラウドの体に触れるときばかりは、その指先は繊細で美しい動きをする。

頭皮に緩やかな刺激を。クラウドはうっとりと目を閉じる。

まるで理容室で頭を洗われているようだ。

「流すぞ」

長い髪はタオルで一まとめ。

ただ、長いといってもクラウドの髪はたかが知れている。問題はセフィロスだ。

腰の辺りまであるその髪の毛、洗うのは難儀な事で、毛先を洗い終える事には先に湯船の中に浸かっているクラウドが、そろそろ出ようかなどと考えてしまうほどだ。

そして、量が多いから水を含むとなかなか乾かないのだ。仕方がないから、風呂上がりはクラウドが使っているゴムのスペアを借りて結んでいるが、

ひとりのときはもうほったらかし、そのまま寝てしまうこともあるとクラウドは聞いていた。

美しいとはいっても本職は戦士、確かに見た目は二の次であるべきだが。

「セフィ、格好いいのにもったいない」

その感想は至極真っ当なものであると言える。

セフィロスが湯船に入り、湯が一気に溢れ出した。

「それを言うなら、お前だってせっかく可愛いのに、訓練中あんな無愛想なのはよくないな」

「……何でそんなこと知ってるんだよ」

「オフィスから覗けるんだ。書類仕事に飽きるといつも窓からお前を覗いている」

やってる事はストーカーだ。クラウドが唸ると、セフィロスは微笑んで、頭を撫でる。

「目が疲れたときにお前を見ると楽になれるんだよ」

何の根拠もない。精神的な物だ。

ただ悪い気はしない。

クラウドは当然ながら、セフィロスやルーファウスやザックスをカッコイイと思っていたし、そんな相手から可愛いとか言われるのは、やはり嬉しい。例え、「可愛い」というのが男にはあまり相応しくないことばであろうと。セフィロスたちが自分を愛してくれる要素の一つだと考えて不快になろうはずがない。嬉しくて湯の中その手を握る。

片方の手を封じられたセフィロスは開いた手でクラウドを抱き締めた。ついでに。

「あ……今日は、やだ」

「……最後の夜だぞ。今日に限って」

「んん……そうじゃなくて。最後だから、ここじゃなくて……、ベッドがいい」

大して変わるものでもないだろうに。セフィロスは苦笑して、わかったよと答えると、

暖まるためだけに今しばらく浴槽の中にクラウドと留まる事にした。割りとかけがえのない時間、例えば最後の日に、ある種「無駄」に過ごしてみるのも悪くない。

まやかしだとしても、何だか次があるような気がする。

 

 

 

 

洗い立ての互いの体からは柔らかな石鹸の匂いが。仰向けに寝たセフィロスの上に乗り、キスをするときにも鼻をくすぐって来る。

この間は「俺にぴったり」だったけど、セフィにだって似合う、クラウドはふと思った。

ザックスとは、風呂場ではしないようにしよう、とも。

「今日は、どうしよう」

セフィロスに訊ねる。どうせ最後の夜だ、どんな恥ずかしい事だって、セフィロスのためなら構わない、多分。

「お前はどうして欲しい? 」

「久し振りに出たな、その科白」

くすっと笑う。

「じゃあ……そうだな」

覆い被さっていた体、退いて、膝立ち、手を広げてセフィロスを誘う。

「壊れてもいいからさ」

その純粋ににっこり笑っただけの顔なのに、何故こんなに心拍数が高まるのだろう。

「俺の事、いっぱいいかせて。セフィで、いっぱいいきたい。あなたのこと、例えば明後日の夜俺が一人だとしても、すぐ思い出して一人で出来るように、して?」

セフィロスはその、まだ立ってないところを包むこむ。

「そんな事を言って……、何をされても知らんぞ」

「いいよ、何しても」

「言ったな」

ニヤリと笑うとセフィロスは半身だけ起こしていたからだをベッドから抜け出させ、

クラウドを横たえると、いつものように胸に愛撫を施すこともなくどこより弱い場所を口で。

「んっ……ぅんん」

早速身を捩って逃げ出そうとする。言葉の矛盾。構わず、すぐに張り詰めてひくひくと脈打つのが解るほど硬化したそこを舌先で遊ぶと、鳴く。

「やぁ……ぁ」

それは「嫌」という意味ではないのだろうか。

けれど、そんなことは今気にする必要のないこと。

ただクラウドがあとあと、自分を慰めることになる時のために、セフィロスはその体を抱けばいい。実際……セフィロスは苦笑した。実際、一度いった直後にまた、なんて出来るわけがない。それにクラウドにそんな根性があるはずが。

「はぁ……っ」

一体、この一ヶ月どれほど同じ事を繰り返してきたことか。クラウドはセフィロスの口腔に注ぐと、荒く息を吐いて、シーツを握り締めていた手の力を緩める。

「クラウド、俺のも、してくれ」

クラウドを逆さまに自分の上に乗せて、促す。言われた通りに、クラウドはする。

「ぅあ……ぁ……やだ……、それ……っ」

「何をしてもいいと言ったではないか」

「けど……んっ、ああ……」

「痛いのは嫌だろう」

こんなことをしなくても充分入れるようになることくらい解かっているくせに、わざとらしい。クラウドの最奥へ指を侵入させ、奥へ、奥へと。 いっそ、不要とも言える行為に固執するのは、クラウドの意図が自分にも言えるという事。明日の晩から、互いに互いがいなくなる。例えば性的なことだけでも、下らなくても思い出作りを。

そうすれば、キスをした跡が残ったり、想っただけで感じてしまったり、そんな奇妙な共存にも似た感覚を得る事が出来るだろうから。言葉よりもひょっとしたら重大で、けれど言葉よりもかなり下劣。だから互いに思う。

「やはり、貪欲だな、お前のここは」

「ぁ……っ」

「解るだろう、俺の指をこんなに……締め付けて。……ここがいいのか? 」

クラウドが一番きつくする場所を指先で刺激する、とても楽しそうに。

セフィロスは、こんな風にクラウドが感じてくれた事を忘れない。クラウドの愛くるしい反応を、こびり付いて剥がれないくらいに頭に焼き付けて。

「あっ……ぅ……セフィ、だって……俺が、舐めると、いいんでしょ……っぁあ」

「……当たり前だ。お前が、そんな可愛い顔をして、そんなことをしていると思うと、嫌でも感じる」

技術云々というのではなく、その愛情溢れる奉仕がセフィロスにとっていいのだ。

クラウドも、セフィロスが自分でよくなってくれたことを、忘れないように。感じる。 熱すぎるけどそれでも温もり、気持ちよければなおいい。

「セフィ……欲しい、よぉ……」

すがりつく体温をとどめておけないから、体の中に、その破片でも残しておきたい。

「何が欲しいんだ?」

「う……や」

「言ってごらん。ほら、クラウド?」

「……、ちんちん、セフィの、チンチンが欲しい」

「……全く。お前の教官たちに見せてやりたいよ、その無防備な裸の心を」

俺たちはイヤラシイ。だけど、俺たち明日からひとりになるから。

「こんな事を言ったら傷付くかもしれないが……お前は、どこかで間違えてしまったのではないか? 女に産まれるところを……」

そんな見られたものではない彼らの形、彼ら自身が間違っていないと信じているなら、それが正解。そう想っていた方が、明日帰って来る恋人に対しても、言い訳ができる。ごめんなさい、でも、俺はやっぱりセフィのことも好きなんだ、と。

「どっちでも、ぁっ……いい……っ、セフィ、してくれるなら……」

だから今はもう、他の物なんて見えない。二人が見ているのは二人の姿だけ、最後の一夜という事実も、本来有るべき姿も。

二人の幸せ、一緒に食事をして、一緒に皿を洗って、一緒にテレビを見て、一緒に風呂に入って、一緒に。

一緒に。

こんなに愚かな俺、と同じ事を思う。こんなに愚かな俺と一緒にいてくれてありがとう、

一時にしろ、自分だけ見ていてくれてありがとう。その自己中心的な考え方が、汚すぎてかえって綺麗だ。

耳に入るのは荒い吐息だけでいい、目に入るのは偽者の姿だけでいい。本物は残酷な形をしているから、見るのがコワイ。

それがコワイモノだと解かっているから余計性質が悪い、明日から自分はどうやって過ごせばいいのか解らない。

その生活は不幸な形ではないのだろうけれど。

昨日までなかった物を今日手に入れる、幸せになる。

けれどそれを明日喪ったとしたらそれは不幸という形になる。

だったら幸せにならないのが一番手っ取り早く不幸を回避する手段になる。

けれど、それでも。

「セフィ……っ、好き……セフィ……」

喘ぐ声が紡ぐのは紛れもなく本当の事、しかし、誰か、

 例えば神様がその言葉を批判する可能性は限りなく高い。

お前にはそんな言葉を吐く資格などないと。

が、全ての人間を敵に廻しても……たとえザックスに嫌われても、もう、クラウドが鳴咽のように繰り返す言葉はそれしかなかった。

「……俺もだ。……と、いうか……解りきった事だが……愛してる」

不幸せでもいい俺はこの少年を愛している贈れる言葉はただ、愛してるとありがとう。

もう……何も見えなくなる。

セフィロスにとってクラウドが、クラウドにとってセフィロスが、目隠しになっていると自分たちでも解かっているのだが。その目隠しが、心地よく、優しく、温かいから、本物を、見たくない。お前を離したくない。諦めていたはずの独占慾が目覚める。

 

 

 

 

……ここまで無理をさせるつもりはなかった。一度か二度で、きっと満足するだろうと想ったがそれは浅い考えだった。下半身が痛い。クラウドは失神して、ただセフィロスにくっついているだけだ。ひとりぼっちになるわけではないのに、それに近い状態を危惧する寂しい心が接合を解くことを拒んだのだ。誰にだって時間は平等に流れる。長いような短いような一ヶ月は、あと一日で終わる。その一ヶ月、クラウドと共に過ごす事が出来た俺、クラウドと離れて過ごしたザックス。俺たちの間にはその差しかない。二人ともなにも変わらない。 俺たちは敵ではない。

互いが偶然、同じ人間を愛してしまったというだけ。それだけ。

独占慾はワガママか。 ワガママだ、卑怯な手段を取れば、俺はクラウドを永遠に自分の物にする事が出来る、自分の幸せだけを考えるならば。

泣いているクラウドを抱いて満足出来るならそれでもいい。

……違う、セフィロスは溜め息を吐く。

俺が求めているのは、ザックスやルーファウスと一緒に、いつも楽しそうに、幸せそうにしているクラウドだ。無愛想なくせに笑顔が似合うクラウドだ。「クラウド」は俺の隣だけにいる存在ではない。結局のところ、皮肉な事だが、クラウドの自由は自分の不幸であり、しかし自分の幸せとクラウドの幸せ、

どちらを選ぶかといったら聞くまでもない事。

「済まないな、困らせてしまって」

声が、まるで自分の物でないように掠れている。

「俺は……」

どうせ、眠っていて聞こえない。

「いや……もう、自分のことなどどうでもいいか。お前が明日から、また幸せになってくれる事を、願っている。俺の事など気にしないで、ザックスの隣で……」

どうせ、眠っているから、自分がどんな顔をしていようと、関係ない。

お前が……、幸せになってくれれば、俺はいいから、幸せだから。

「……俺は、幸せだったから、お前と暮らせて、幸せだったから」

ただ願うのは、いまと明日の事。

伏せた瞼の奥、幸せな夢を見ている事を祈り、明日からまた窓の外、不愛想な訓練中の横顔を、ザックスに纏わり付かれて不機嫌ながらも幸せそうな後ろ姿を望む。

俺はそれをふと見つけられたらいいから。

 

 

 

 

寂しい。

お前を俺だけの物にしてしまいたい。

 

 

 

 

We danced, stepped and made our rhythm of happy dance.

Rhythm makes me happy and sad. So I can stand without...

 

 

 

 

after glow.

 

 

 

 

誰かが空を掃除してしまったように、雲一つない。

あの日にこれくらい晴れていればよかったのにな、クラウドは苦笑いで言った。

昼過ぎまで寝たのに頭がぼーっとする。風邪じゃない、単純に昨日の夜、無理をし過ぎただけだ。全身がビリビリ痛い。布団の中、覗いた自分のからだには無数の紅い跡が付いている。付けてくれと頼んだ気がする。

そして、「バレてしまうぞ」と言われて、「構わない」と応えたような。

「何時ごろに帰ると言っていた?」

セフィロスの声にも張りがない。精神的以上に肉体的に疲れているのだ。

「五時とか、それくらいになるって」

「五時か」

あと三時間。

二人に残された時間は、あと三時間しかない。

「ずっと、くっついていよう」

クラウドの提案は、わざわざ口に出す必要もなかった。クラウドは既にセフィロスの腕で包まれていたから。

……そう、これだ。

こういう、朝の形、いつも過ごしている、朝の。漠然と、こういうことを幸せだと感じる。けれどこういうことを幸せだと感じてしまう事で、それを失うのが恐くなってしまう。

「その……」

言わない方がいいかな、と、少し考えたが。

「やっぱり、寂しい」

どんなコミュニケーションでも取っておきたい。

「……ああ、寂しいな」

セフィロスも、同じ気分だった。しかし、寂寥感はあっても焦燥感は不思議と無かった。あと、いくつかの言葉を交わせば、終わりだ。ひょっとしたら一緒にいることが互いに少し辛かったのかもしれない。……いや、嘘だとしても。

 終りに安心しているのかも。

「……傲慢な事だが」

セフィロスが口を開いた。

「……この一ヶ月、ずっと考えていた。……もしも俺が神になれたとしたら、俺はお前を、俺だけの物に出来たのに、と。誰のことを悲しませる事も無く、俺だけの物に、と」

全てを作り出すときに約束を。

クラウド=ストライフという少年は、ザックスにもルーファウスにも出会うことなく、セフィロスの元へ、という物語。美しい少年は、その神のもとで、ずっとずっと幸せに暮しましたとさ。

クラウドは小さく笑うと、頷いた。

「なってよ、セフィ。俺の、かみさまに」

きっと少し寂しい世界がそこにはあるに違いない。だけど、今はそれも悪くない。その寂しさは、そういうものを選んだ自分に対しての罰。そして、そういうものを造るのも悪くない。その小さな背中を、綺麗なくせにそう見せることを拒むくちびるを、普段は濡れないひとみを、俺の前でだけは純情でいてくれた薄紅い頬を。

逆に、見られなくなるのはそういうものを造った自分に対しての罰。

俺だけの物に出来たらいいのにと、いったい何度……。

考えること自体すでに間違っているのか、罰を受ける結果を促すのか。

だとしたら生きることが既に。

いくらだってこのようなことは起こる、間違っていても、誰かを愛するということ。

「愛してる」

そんな状況の中で、救いになるのは何なのか。言葉や想いのほかに何があるというのか。俺だけのものに出来たらいい。この痛烈な感情に嘘はない、けれど、これも罰を呼び込む想い。

「うん……愛してる」

そして答えることも。

 

 

 

 

「心配するな」

服を着て、パソコンを片付けて、あと、数十分。

「俺は、いつもお前を見ている。……オフィスの、窓から。それに、今日からもう永遠に会えなくなるわけではないだろう。お前は幸運にもソルジャー1stの恋人なのだ、会おうと思ったならいつでも会いに来られる特権を持っているじゃないか」

「うん」

クラウドは頷いた。寂しそうな顔は見せない。そんな、重たい部分は昨夜のうちに捨ててしまった。寧ろ、寂しいことをプラス材料に、本当の恋人を愛してやればいい。そうしろ、とセフィロスは言ったから。

 この部屋からセフィロスがいなくなるという事実だけで、

俺は何でこの一ヶ月こんなに振り回されていたんだろう――

そう、考えることにした。けれど、決して無駄な時間じゃなかった、と。

「……さて……と」

この、互いに切り出せないセツナサがいい。背中を屈めて、キスをする。ギリギリ、互いの息が続かなくなるまで。

唇を、離した。

「……そろそろ、帰るよ」

次の一ヶ月は、少しは平穏だろうか。

暇すぎて、苦痛だろうか。

 

 

 

 

あとクラウドに出来るのは待つことだけだった。冷蔵庫の中を覗いたり、テレビを点けたり消したりして時間を無駄に過ごす。

ベッドで大文字になり、天井を見たり、今朝読み過ごした朝刊を拾い読みしたりしても、身は入らない。一人では圧迫感があるほど広すぎる。静かすぎる。寂しい。

「でも俺はそんなことはもう考えないコトにしたから」

独り言で強がりを言っても、聞く物がいないから裏付け出来ない。そんな自分がひどく情けない。

「でも……いいんだ!」

紅茶でも入れて飲もうと立ち上がったところに、玄関から鍵を閉める音がした。

ノブを廻す、しかし、開かない。様子を見ていると、焦れたように鍵を開けて、ザックスが入ってきた。

「ああ……お帰り」

「タダイマ。っていうか、鍵開けとくなよ、不用心だな〜。クラウド可愛いから、近所の奴に犯され……ッ」

「お帰りと言われたらただいまと言え、それだけで充分、あとはいらない」

ぶすっと言われて、蹴られた腹を抑えて、でも笑う。

「あー、何か、帰ってきたって感じすんなぁ、やっぱり」

自分の分のティーバックと、ザックスにはミネラルウォーターをグラスに注いで用意。

そのグラスを、昨日までセフィロスが座っていた席にどっかりと座るザックスに。

「なんつぅか、お前としてるときと、あと蹴られてるときが生きがいっつぅか何つぅか」

「馬鹿だな」

「断言すんな。……そうそう、さっきそこでセフィロスに逢ったぜ。クラウドが待ってるから、早く帰ってやれ、って」

クラウドは「ふぅん」とだけ言って、色の出た紅茶にミルクと砂糖を少し入れて、自分も自分の席についた。

「俺さ、昨日までセフィと一緒に寝てた。……っていうか、一ヶ月間ずっとセフィと一緒にいたんだ」

悪びれもせずに。

今度はザックスが「ふぅん」と。

「知ってたし。お前言わなくても」

「だろうな」

「本人から直接言われたよ、さっき。『クラウドを、お前の許可無しで抱いた。あわよくばどこかに連れ去ろうかとさえ思った』って、真面目な顔でさ」

苦笑。一気に水を飲み干す。

「ごめん」

謝ったクラウドに、大きく溜め息を吐く。俺たちは損だよと笑った。

「なぁ? るーちゃんにしてもそうだけど、俺たちはお前を好きなだけでこんなに苦労しなきゃいけない。まぁ、お前も大変だと思うけどさ。……ただ、俺はまぁ、なんていうか……お前と一緒にいて楽しーし、それは自己中なことだと思ってるから、別に構わねぇ。お前が浮気とかして、イイ思いしてても実はあんま関係無いのかもな。俺がお前のこと好きッてことが一番重要な気もするしさ」

ザックスはクックックッと押し殺したような笑いを漏らし、また大きく溜め息を吐く。

「はぁあ……」

眉間を指で抑え、うううと唸った後に立ち上がり、クラウドのところへ。殴られる。そう覚悟して目を瞑り歯を食いしばった。

「…………」

けれど、殴られたとしても後悔はなかった。自分勝手を通して、何も無くなる。

心の準備は出来ていた。

「大変だよな、お前も」

ザックスは、抱きしめてきた。目を瞑り体を強張らせたクラウドの頭を、そっと胸に抱いた。

さっき、セフィロスには、ゲラゲラ笑ってキスをしてきたところだった。

おつかれさん、ごくろーさん、クラウドの事どうもありがとう、と。

「一ヶ月間、留守にして悪かった。お前に大変な想いさせちゃったな。……でも、いいよ。もうお前に辛い想いなんてさせない、苦しませない。俺がそばにいるから」

迷う暇なんてもう与えない。

「俺……セフィのこと、好きだった。愛してたんだ、……多分、今も」

ひょっとしたら、あんたよりも。

「愛してるなんて意味も分かんないくせに」

「ザックスだって知らないだろ」

「まぁ、な」

ふっ、とザックスは格好つけて笑った。

「……ごめん、なさい」

「もう謝んなよ。じゅーぶん悩んで、困ってたんだろーが。それでOKだって」

全てを掌握する彼は余裕綽々。

絶対にクラウドがその胸の中から逃げ出せないことを知っているから。

それは暗い意図ではないけれど。

「お前が誰愛してようと知るもんか」

俺より好きな野郎がいようと、関係ない。

 

 

 

 

ザックスの頑丈な胸に舌を這わせながら想うのは、試すように聴いてきたセフィロスのこと。

けれど、今はそれは必要のないこと。

大切だけど、どこかにしまっておけばいい。

「そう……上手だぞ、クラウド」

夕食後、することを求められるのは解かっていたことだが、いつもと逆の立場を求めて来るとは予想していなかった。曰く、

「離れてて寂しかった、寂しかったから、抱いて?」

一ヶ月間されていたことを、そのままザックスにしているような気になる。自分がセフィロスで、ザックスは自分。不自然な関係が解けて、元の形に戻っていくような感じを、クラウドはおぼえていた。

……不自然な形の恋をしていた。

考え様によっては、それは不自然な形ではあるけれど幸せで大切な記憶と言えなくもない。

あいしてるアイシテルと意味も分からずに言っていたことを、いつか、思い出して、幸せな想いになれるように。ザックスが俺、俺がセフィロス。この今「してる」形が不自然であればあるほど、俺たちのしていた過去の歪みに気付いて、元の形を望するようになる。

一つの卑らしい罰の形なのだろう、ザックスなりに。

「やっぱり……俺、無理だよ」

「何で」

「慣れてないし、出来ない。……ザックス、して」

元の形に戻ることを、出来ればクラウドの痛み無しで――ザックスの意図はそんなものだった。

違う熱さを身で受けながら、もう、セフィロスのことは思わなかった。

思わない方が、ずっと、むしろ。

 

 

 

 

after glow / Ordinary days

 

 

 

 

「クラウド……、別に、いつまで居ても俺はいいのだが……」

フカフカのソファに乗り、本を読む。座っているのではない、乗っているのだ。

まるで自分の部屋のように寛いでいる。

「……そろそろ帰らないと、ザックスが心配するのではないか?」

英雄がその名を出すと。

「いいんだよ。だって昨日アイツ……」

 クラウドの愚痴がはじまる。

セフィロスは苦笑して、パソコンを閉じた。

おつかれさん、ごくろーさん、だ。

これでも充分幸せ、それが永遠に続くことをただ……。

「あ、もう七時だ」

「……そろそろ帰らないと」

「ああ、そうだな。よいしょ……」

セフィロスの膝枕から立ち上がり、うーと欠伸をして本を片手に、ドアノブのところで振り返る。

「それじゃ、セフィロス。バイバイ」

「ああ。……また明日」

考えてみると、お互い、フラれたようなものかもしれない。中間に、ザックスという存在が居て、二人とも、「ザックス」を選んだ。クラウドは、「ザックス」の側から見るセフィロスの姿を選び、セフィロスは「ザックス」の側にいるクラウドの方が良いと。

それはどんなに憎んでも憎み切れない事情。自分の幸せには、不幸せが必要。

それは、辛いことだけれども、悲しむべきことではない。

「セフィロス」

「……クラウド? 」

インターフォンごしの声、訝ってドアを開ける。寒さに頬を赤くして、白い息を流しながら突っ立っているクラウドがいた。

「今夜から、ザックス出張なんだ。だから」

はじめは、一人で過ごそうと思っていた。けれど、なんだか我慢が出来なくなった。

自分の体が空いているなら、心がヒマなら、誰かを愛していこう。

って、結局、何の成長もしていない?

「仕事終わってる? 」

「ああ。今終えたところだ」

セフィロスが入り口を譲り、ドアを閉めた。

「じゃあ、一緒に入ろう? 」

いつかのように。

 

 

 

 

「愛してる」の意味さえ知らないくせに「愛」振りかざして面白がってたその刹那に俺たちだけが許されていた他には誰も要らなかったその刹那に俺たちだけが許されていたもう他には誰も要らない。

 

 

 

 

その広い胸に抱かれていると、何故だか、他の何時よりも安心する。油断して目を閉じたら、きっとすぐ居眠りしてしまう。

「あの時」

ぼんやりとセフィロスが呟く。

「あの時……お前を手放したのは正解だった」

「…………? 」

セフィロスは見上げたクラウドの唇を捕らえた。そのまま、暫く息も止めて動かない。

「……もしも俺が、いつもお前と一緒に居たなら、お前は歩けないだろうな、いつかのように」

戸惑ったような瞳、が、セフィロスはニッと笑うと、クラウドの白い裸の、殆ど唯一男性的な部分に指を泳がせる。

「毎晩、いや、昼間でさえも、お前の事をずっと抱いているだろう。永遠に、飽きることのないお前に恋をして、そして、いつか一緒に死ぬ日まで、ずっとずっと」

が、やっぱり矛盾。それは本当に幸せなことじゃない。自分の側に置いておくよりも。

「相変わらず意味は分からないけど」

その手を押さえて、逆にセフィロスの身体に手を這わせて、クラウドは言う。

「愛してる」

他に誰かが居ようと、あの一ヶ月と今、僕はただあなただけのもの。あなたは俺のたったひとり、の恋人。

「愛してる」

少しは大人になった、だが意味は分からない。

それでもその言葉を吐く相手は瞬間に一人でいいと考えておこう。

 

 

 

 

自分で作り出してしまった過ちだから、自分でケリを点けたのだと今になって分かる。

あの時はただ剣を振り下ろしただけだったけれど、それだけじゃなかった。自分の中にあったセフィロスへの想いが逸れないように、逸れて、歪んでしまった言葉なんて投げかけないように、その時、自分を断ち切ったのだ。何もない、自分を。未練を引き摺って生きるのだ、

感情に流されて生きるのだ。誰もそれを否定したりなどしない、できるはずもない。生まれ持って来てしまった悪癖は相変わらずのものだから、幼いその癖を無理に直す必要はない。

あなたのことをあいしてるあいしてると意味も分からずに言うこと、それは間違ったことなんかじゃない、意味なんか知らなくたっていい「あなたと生きたあの時は僕にとって何よりも幸せな」……。

今、セフィロスを失う。

その剣を、いつも通り、はるか上段に構えて、

全身全霊を込めて、振り下ろす。

「セフィ」じゃない、「セフィロス」だ。

母さんを殺し、街を焼き、エアリスを殺し、たくさんのものを壊した、「セフィロス」だ。

ほかの、だれでもない。

この男はたくさんのものを壊したんだ。

憎しみが暴れる力だけで、その、自分を慈しんでくれた、

指を、

腕を、

胸を

額を、

頬を、

髪を、

バラバラにするために。

――オモイダサナクテイイ、ボウエイホンノウガ、ケイショウヲナラシタノダ。

オモイダシタラキットシンデシマウ、から。 

全てが終わったあとは、いつか、あなたの作り出した世界で、二人きりになれる瞬間が来ることを祈って。けれどそこでも言うのだろう。そこでも選ぶのだろう。あなたは、僕は、お互いに。

自分のそばにはいない恋人の姿を。

「……愛してる。セフィロス、愛してる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんなにあなたのことを想っていたのに、どうして僕の胸は痛まないんだろう。


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