幻想の語り終わり

 ひとたび笑えば相当に人懐っこい表情で、誰もが安心した。彼は所謂「リーダー」でも「リーダー的存在」でもなく、そもそもそういう資質に欠けていた。それも仕方ない程若く、そこまで腹と胸の其処に熱いものを滾らせていたわけでもなかったろうから。ただ何となく、彼は選ばれた。そして、それ相応の頑張りの結果、その身体は、世界を恐怖の闇から救い出したのだ。だから、彼は英雄ではない。後生誰かの口に上り謳われることはあっても、彼は、物語の進行役の一人でしかなかったろう。

「別に……構わないよおれは」

 そういう扱いを受けるであろうことをバッツは予見している。座ったチョコボの身体に寄りかかり、、飄々と笑った。

 物語の中心となるべきは、レナ、ファリス、クルル、そしてガラフ。四人の王族たちであるべきだということに、少しも問題意識を持たない。だっておれ、元々は浮浪者みたいなものだからと。花における葉としての己を諦めることもなく、ただあるがまま受け入れるつもりでいるらしい。だからこそ、タイクーンの女王となったレナと、自然な形なら結婚したっておかしくない、そして英雄に踊り出る機会を得ているはずだった、それなのに、「じゃあ、元気でな」、そう言い残して、チョコボの背に跨って消えた。広い世界にまだ見るべきものはたくさんある、自分の足を止めることは出来ないと、世界を駆けるために。

「何でそんな楽でいられるんだろうな、おまえは」

 ファリスは呆れたように笑って、その笑顔を見た。

 本来ならば彼女が継ぐべきタイクーンの家督を「レナが守ってきたんだもの」と、妹に簡単に譲った。漂浪の姫君、美しき海賊、王女の帰還、美しく語られるべき自分を捨て、元の海賊頭という立場に舞い戻った。親愛なる海竜は亡くとも、海は彼女を安らがせた。狭い城の中よりは、広い海原に身を委ねていたいと思った。

「まあ……、どうだろうな、おれだって欲はあるよ。欲しいもの、たくさんある。だけど、そういうのにいちいち駈かずり回るのが面倒なだけだ」

 戦士たちの『物語』から二年が経過し、四人は凡そ、二つに分類できる生活を送っており、バッツはファリスに近かった。世界中を旅して回るバッツは、時折立ち寄る港でファリスの海賊団の噂を耳にした。「美し過ぎる男船長」ファリスを中心にした義賊が、魔物の消えた海を荒らす悪党どもを蹴散らし、秩序を護っているという。雄々しく美しいファリスの姿を想像し、それが彼の知る彼女の姿と完全に合致するから、バッツは微笑んでその話を聞いた。

 ああ、久しぶりに会いたいな。そう考えたのが一月前で、カーウェンの港の酒場の主人に言伝を頼んだ。

「この手紙を読んだら、大樹の前に来るように。但しおれはその辺をブラブラする予定だけど、あんまり長い時間待ったりはしない」、三日間、大樹の前でテントを貼ってのんびり過ごした、夕暮れが近付く頃、ファリスは一人でやって来た。その姿が、あの旅の頃と変わらない、研ぎ澄まされた美しさに包まれているのを見て、なんだかバッツは安心する。

「変わらねえな」

 一番最初に彼は言った。ファリスも同じ気持ちだった。

「おまえもな。……成長がないって言うのかもしれないけど」

 バッツの隣りに腰掛けた。女性としては背の高い部類に入る。注意して見ればその身体が男ではないことを見抜くことは出来るが、恐らく注視すれば怒る。ためしに、首から胸、腰へと視線をゆっくりと落していったら、案の定怒った。バッツは笑って謝る。

 つまらない話を、二人だから面白くしながら、彼らは物語から捨てられた場所に物語を書くことの意義を話し合う。つまり、バッツは誰の目にも触れぬ、世界の些細な秘密を読み解いていく。ファリスは同じように、海原の本当の果てにある焼け付くような太陽の色を刻み込んでいく。国ではない。歴史ではない。しかし同じように自分たちが紡ぐのは物語である。そんなことを、確認しあっていい気持ちになる。

「じゃあ……、なんだ、城には全然行ってないのか」

「全然ってことはないよ。……たまに会いに行く。手紙も出す。でも、レナがやっぱり、別れ際に寂しそうな顔するから」

「たまにしか行かないから寂しがるに決まってるだろ」

「でも、城で暮らしたくないし。おれにはやっぱり似合わないよお姫さまなんて」

 それは確かにそうではあるがと、バッツは苦笑いする。そのバッツの表情を見て、ファリスは舌打ちをする。

「いいんじゃねえか?」

 放り投げるようにバッツは言った。く、とコブレットに注いだ酒を飲み干した。

「色々あった。……しょうがないさ。おまえにお姫さまが似合うことはこの先ずっとないだろうよ」

 憮然とした表情のファリスを笑って、皮袋の酒を注いでやった。ファリスはそのまま飲み干す。ぱちぱちと爆ぜる焚き火の光と共に、ファリスの目元を紅く染める。ちらとそれを見て、バッツは中身を把握している皮袋を覗き込んだ。

「あのさ、ファリスはさ」

 それを注ごうかどうしようか、迷って結局口を閉じる。

「これからもそんな感じで行くのか?」

「なに?」

「だからさ、これからも、そういう……、男の格好していくのか?」

 ファリスは自分のジャケットを掴んで引っ張って、首を傾げた。

「そう。……女の格好でも別にいいんじゃないかなって思ったからさ。別に誰も馬鹿にしやしないさ、おまえくらい強くって格好良かったら別に海賊女なんてさ」

 格好良いという評価にファリスは少し笑った。

「ずーっとこういう感じで来たからね。急には変えられないよ」

 蓮っ葉な口の聞き方、いい加減な足の崩し方、乱暴な仕草、そこには寸分の無理もない。男としての自覚が女の身体には確かに宿っていた。それに違和感を感じるようなバッツではない。ファリスとはそういう存在だと、よく知っている。

「それとも、バッツはおれがお姫さまみたいなフリフリのドレス着て、おしとやかな喋り方して。そういうの見てみたいのか?」

「あー、見てみたいなあ」

「悪趣味だよ、おまえ」

 ファリスはくいと一口飲み、焚き火を見つめた。眩しさに目を細める、長い睫毛が伏せられる、横顔は男にしては美しすぎたし、しかし、女にしても美しすぎた。

 男ではない、だからと言って、女と言い切るには問題があるような気がする。超越したところに「ファリス」はいて、彼女を「彼女」と呼ぶべきかどうか、バッツは不意に躊躇いを覚えた。

「男に生れてくれば、もっと自然だったかなあ」

 ファリスは投げ出した足先、足だけで靴を脱いだ。高貴な血が其処にあることを、邪魔とすら思っているかのような在り様だ。

「そうか?」

「うん。……おれ、自分が女である意義っていうか……、理由?あんまり感じないんだ。男だったらスムーズだったのにって思うし……」

「スムーズ?」

 うん、とファリスは頷く。

「もっとおまえの側にいられたな、と。そう思う訳だ」

「……?」

「要するにさ、おまえ以外、おれも含めて、女三人だった訳でさ。だから、色々気を使わせた部分もあっただろうし、……まあ想像だけど、多少寂しかったんじゃないのかなって」

 ファリスの言葉に、バッツはまた少し、苦笑いをした。

 確かに言われてみればそうだった。難しい年頃の女性を三人。あまりそれを意識しないようにはしていたけれど、男一人。ファリスがかなり男性的な振る舞いで、それを感じさせないようにという配慮をしていたからか、バッツがそれを強く意識することはなかった。

「なんだ。そんなこと気にしてくれてたのか」

「そんなこと、とはなんだ。人が……」

「十分だよ。ファリス、側にいてくれたじゃないか」

 バッツは笑った。

「男だとか女だとか……、あんまりそんなこと気にしなかったな。それもファリスのおかげだろうけど。三人ともおれの大事な仲間だって思ってたからさ」

「でもさあ……」

「ファリスが女じゃないみたいだったから楽だったんだよ俺は」

「……女じゃないみたい……」

「怒るなよ」

 ファリスの表情が刻々と自分の言葉で変わるのを、バッツは楽しげに見た。まだ飲むかと皮袋を掲げる、ファリスは首を振った。

「何て言うかさ。おまえはあんまりおれに、そういうことを意識させない。男だとか女だとか、そういうことは。……いい意味で」

 背中のチョコボはクルクルと寝息を立てている。もうそんな時間かと見上げると、夜空高いところに月がある。

「だけど……、まあ、その、ほら、な?」

「あー、うん……」

 バッツとファリスは視線を背けた。頭の上に同じ光景のフキダシが浮かんだ。

「物好きだよな」

 ファリスは唇の端を歪め、笑う。

「物好き?」

「ああ。敢えておれを選んだ」

「敢えて?」

「そうだろ。何だっておまえはおれなんかを選んじまったんだろうな」

 自虐的な物言いを聞き、しばらく唇を尖らせた。ほんの僅かな空白で、バッツは笑顔を見つける。

「本当にな。何でおまえだったんだろう。……偶然だろうな」

「おれはその理由を知ってるぜ。おまえはホモなんだよ、フツーの女じゃダメなんだ」

 ハハッとバッツは笑った。

「そうかも知れないな。そもそもおれは、ファリス、おまえのことを、女と思ってないんだから」

「乱暴だし、かわいくないし、身体だって女っぽくないし……」

「ああ、だいたいそんなところだろうな。ただ一個違う」

 既にして、くすぐったいような気持ちになりながら、バッツは言った。

「ファリスは可愛いよ」

 彼女はぽかんと口を開けた。ぎりぎり正気でいるような顔で、バッツがそう言ったのを彼女は見た。

「……馬鹿でぇ……」

 口からそう零れた。格好付けて言った彼の顔が、とても滑稽に思えた。アホだ、馬鹿だ、青年を詰るのに適当な言葉が幾つも頭に浮かんだ。ほとんどを口には出さなかったけれど。そして、軽蔑という感情には至らないことを自分で判っているのだけれど。

 彼が嘘をつかない、というか、つけないような、ある意味では子供のように純真な心の持ち主であることを知っている。「おれが、かわいい?」嘘か本当か判らなくても、バッツがそう言うためにどれほどのエネルギーを使っただろうと想像するのだ。

 彼女たちが「そういう」関係にあったことは一度もなく、ただ何らかの交叉点を共有した経験だけは事実を物語っている。既に書いたとおり、旅を終えて二人は全く別の場所で生きて二年が経ったから、その間は互い、孤島のような在り様で、肉体的な、精神的な寂しさを持って生きていたことは当然。こうして再び会う事に、積極的ではなかったフリをしながら、会えばそういう方向に話を転がそうとするあたりが姑息な男女のすることで、バッツには性欲があったし、ファリスにはそれを受け入れられる身体があった。上手に一対として成れる二人だった。

「女でなくてもいいや」

 断定的口調をバッツは選んだ。

「でも、男が良いっていう気持ちも無いかな。おまえがいいんだよな、おれは。女みたいで、男みたいで、どっちでもない」

 確信を持って、バッツは手を伸ばした。ファリスの髪の中に、ダイレクトに指を入れた。ファリスは怯み、首を竦めた。だが、怒ったりはしなかった。

 当たり前の自覚として「おれは女だ」、そういうものはあった。だが「女だからバッツとこうなる」、そういう考えは少しも無い。


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