それは。
ランチタイムをリシェル・ルシアンの姉弟と一人息子とで切り盛りし、休憩を挟んで三時頃からは夜の仕込を始め、夜には宿泊客に自慢の腕を振るい、夜、くたくたの身体を風呂に浸した後にベッドへ入るという生活が、「習慣」となりつつあった、ある日の夜。
「……はいっても、いいか」
枕を両腕で抱えて、リュームが部屋の扉の前、立っていた。
父親の自覚など、あるはずもない。この小さな少年の保護者のつもりは在っても、それは「父親」のそれとはかけ離れている。なにせライ自身まだ十五歳、当の本人は精一杯真っ当に生きている気でいても、幼い子供と斬って棄てられればそれまで。それでも自分以外に拠り所に出来る相手のないリュームが、上手に言葉を紡げないで、ただぶすりと言ったことを無碍には出来ない。
ベッドに横たわって目を閉じれば、明日の朝まで夢も見ないで眠れそうだったことを恨めしく思う気持ちも、ないではなかったが。
「……チビ竜になれよ」
人型のまま、枕を並べて入り込もうとする少年を見上げて咎めたが、唇を尖らせてそのまま、入って来た。竜の姿であればどうということもない、腹の上に乗せたって眠れるが、小さいとはいえ人間の姿で這入って来られては、単純にベッドの広さは半分になってしまう。
「……しょーがねえなあ……」
不満もないではないが、珍しく我が侭な少年が、意外な気もした。「珍しく」、……文句は多い、相変わらず多い。ライが保護者として物を言って、素直にハイと返事をすることは、十回に一回もないはずで、誰が見たってライが正しいようなことにも食って掛かるものだから、間に立たされる者―主にルシアン―としてはいい迷惑だ。それでも、もう既に至竜となって長く、ものの分別もつかぬはずはないし、引き際というのもわきまえている。駄々を捏ねるのも、反発するのも、リュームが「子供」として発揮できる出来る数少ない本領であるはずで、それを矯めることはよくないとは、ライも判っていた。ルシアンには申し訳ないが、日々の衝突は彼らにとっては必要なものなのだ。
「ったくおまえはいつまで経っても甘えん坊だよなあ。頭の中大人になっても根本は変わんねえんだな」
そんな日々で、不意に見せられた我が侭に、何の理由もないはずもない。見た目は少しも変わらなくとも、守護竜の知識を帯びた守護竜なのだ。一人寝の怖さが急に溢れてきたとして、それを抑制出来ない幼児ではないのだ。
「アンタは約束……、してくれたじゃんか。……どんなおれになっても……、甘えさせてくれるって」
唇を尖らせたまま、意味もなく不貞腐れたような口調で、リュームは言った。
様子がおかしい。
「……まあ、なあ」
手袋の外された両手はタオルケットを握っている。
不意に、その両目が気弱に揺れた……、ように、ライには見えた。
「ひょっとして、……アンタはこういうの嫌か? おれが甘えるの、迷惑か?」
その声が、本当に頼りなく、弱々しく聞こえたのも、気のせいか。滅多に出さないそんな声、それでも、ライは何度も聞かされて、その度、胸の内側の肉を抉り取られるような痛みを感じてきた。この少年の泣き顔泣き声、見たくないもの、聞きたくないもの、「おまえは自分の一番守らなきゃいけないものも守れないのかよ」、自分を蔑む自分の声と重なって、悲しげに揺れる泣き声を思う。
ライは笑って、リュームの青い髪に触れた。
「そんなことはねーよ。親父がどんな風にすんのか、おれにおまえの親父が上手に出来るか判んねーけどさ、おまえが甘えてーときには、甘えさせてやるくらい出来るさ」
それなのに、リュームは唇をへの字に曲げて、それを無理矢理に否定するように、
「ホントは……、もっと甘えたいんだぞ。もっといっぱい、ベタベタしたいんだぞ。でも……、アンタがそういうの嫌だったら……」
畳み掛けた。だが、勢いは長くはもたなかった。つまずいて、転びかけて、それを助けられなければ、側にいる意味もないと思いながらも、耳に染み込む湿っぽい声と、夜の僅かな光を集めて揺れた青い眼に、ライは狼狽した。
「嫌じゃねーよ、そんなの一言も……。なんだよ、どうした」
潤んだ目を乾かすための手段を、情けないほど持っていない自分に気付かされて、辛くなる。ホントに保護者か、何のために側に居んだ。この頭を蹴っ飛ばしたい。
「……ほんとに、……やじゃない?」
がくん、がくがく、頷いた。
「おれの、こと……、嫌いになったり、しないか?」
「何で嫌いになんだよ。嫌われるようなことしたのかよ」
今にも零れそうな涙を、無かったことには出来ないか。
「する、かも、……しんねーじゃん、そんなの、わかんねえじゃんか。……でも……、おれ」
リューム自身が、声が裏返ったのを聞けば、頬が濡れたのを感じれば、必死で堪えているものが崩れてしまう。泣く子を抱きとめられないで何が親か。それでも、結局何の自信もない。
「心配、すんなよ。……大丈夫だよ、おれはおまえのこと嫌いになったりなんかしな」
言葉尻がぶれた。がしりと、リュームにしがみ付かれた。
「い」
「ほんと、だな……」
「う、うん」
「ほんとに、嫌いに、なんない?」
「うん……」
一日一回は「憎たらしいクソガキ」と思っているライだ。それでも、自分を心底信頼しきっている少年を側に感じ、考えてみれば自分もリュームが居なかったら困ると思っていることに気付く。
リュームが、胸の上に乗った。軽い身体だということは、知っている。身長も体重も、人間で言えば自分よりも四つは年下だと思っている。だから、圧迫されてもさほど苦しさは無い。ただ、驚いて目は丸くなる。
「アンタにキスがしたい」
「は?」
「……アンタに、キスが、したい」
リュームの尖った耳の先が、赤く染まっているのが見える。
それが見えなくなる。潤んだ眼が、近付いてくる。
「泣くなよ」、そんなことをおぼろに思った瞬間が確かにあったのが、滑稽。
「りゅ」
毎晩必ず歯を磨けと言っている。そんな下らないことにもいちいち反抗して見せては、仲の良い諍いをする。それでも「虫歯になってクノンにドリルでちゅいーんってされていいのか」と脅しをかけて、磨かせている。
すなわちその匂い、自分と同じ薄荷の匂い、一秒、二秒、三秒、四秒、五秒。
「……りゅ、……う、む」
薄荷の、爽やかに冷たい匂い。
自分の口とおそろいの匂い。
ただ、その息の、途方も無い熱さが頬を撫ぜる。
ぱくぱくとライは、水の中からリュームを見上げる金魚になった。言葉にしたいことをどうしたら言葉に出来るかを模索し、ただ、リュームの涙が自分の頬に落ちたのを感じ、結局泣かせてしまった、さあどうしたら泣き止ませられるだろうか、そんなことばかり、頭がぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。
ようやく言葉を発したときには、ほうほうの体で岸辺に上がった遭難者のような気持ちだった。
「どう、した……、んだ、よ」
まだ、まるでおぼつかないが。
リュームは、泣きそうな声のまま、頬を真っ赤に染める。
「……ごめん、なさい……っ」
至竜の知識が少年の身体を支配する。誰かを好きになるという気持ち、少年の裸のままの心に、新たな芽を吹かせ、……欲を咲かせる。
「どうしたらいいか……、わかってんだ、こんなの、一人で、なんとかすればいいんだって……。けど、……、どうしてもっ、どうしても、寂しくて、……わかってんだけどっ……」
心が、ついていかない。
少年の涙が散る。
ライの頬に散る。
「……おれは……、アンタの子供で、いたい、っ、けどっ……」
おれは、間違えたんだろうか。
ライは後々思う。思っても詮無いことを、いくらだって繰り返し思う。関係性を反芻し、今後自分とリュームがどうして行くかを考えたときに、やはり決定的な踏み外し方をしてしまったのではないかと。
そう考えるのは、とても自然なことだとも思う。おかしなことをしてしまった、おかしなことになってしまった、それはどうしたって事実のはずだ。しかしそれを「事実」と呼ぶなら、リュームが泣いたことも紛れもない事実であって、ライにしてみればその瞬間、リュームの涙を乾かすことが何より重要に思えたのだ。少なくとも、疲れているという理由で眠りに縋りつくよりは、よっぽど。
「……大人、に、なんて、なりたくねえよ……」
「リューム……」
「こんなの……っ、アンタが、迷惑すんの、わかってんのに……、でも……っ」
極めてラディカルな形ではあっても、ライは受け渡されたものが、結局「好き」という単純な言葉で表される感情であることを、知っている。
「あの……、おれは、さ、その」
ライは口篭もりながら、ライの欲の矛先が自分に向いているのを把握する。
「嫌がってる、ように、見えるか? 大丈夫だ、だから、な?」
言いながら、ぎこちなくとも、笑うことが出来ている自分に安堵する。リュームと同じく真っ赤になって泣いたりしては、台無しだとの自覚はちゃんとある。
「だから、その……、まあ、とりあえず、落ち着け。な?」
リュームが、身体から降りる。普段の大きな態度からは想像も付かないほど、ちんまりとベッドに座る。叱られたってそんなしおらしい態度は見せないものだから余計、胸が締め付けられる。
眠たかった、はずだ。それでも上を羽織って二人で台所に入り、ミルクを温めた。
「ほれ」
マグカップを両手で受け取って、赤い目元を白い湖面に向ける。蜂蜜をほんのひとさじだけ入れたリューム好みのミルクのはずが、少年はいつまでも口をつけない。ライ自身も、果たしてこれを飲んで何がどうなるのかと、途方に暮れる。
……キスされ……たんだよな。
キスをしたこともされたこともない十五歳、白状すれば奪われたファーストキス、ここは、怒っていいところか、怒鳴っていいところか。昼間のおれなら判んねーな、とライは思う。拳骨の一発は確実にしている気がする。しかし、昼間のリュームなら、それに対して相応の元気で反発してくるはずで。
いまこんなに萎れている子にそれが出来るかと問われれば。
「……ごめん、な」
ぽつり、リュームは言った。
アンタに嫌われるのが怖いと、リュームは寂しい声を上げた。甘えたいと言った。それを受け止めてやるつもりで、ライは生きている。
「なあ、おまえはどういうつもりで、あーゆーことしたんだ? 竜ってのは……、その、結婚とかさ、そういうの、……」
リュームはようやく一口だけミルクを啜って、首を振った。
「つがいになる相手が、おれには、いないから」
けど……、リュームは言葉を繋ぐ。
「そんなこと、どうでも、いいんだ。……おれは……、アンタと、……つがいにはなれなくっても……、アンタと、キスがしたくって、……おかしなことしてるって、……判って、んだ、頭では……っ、けど……」
また、声に涙が混じった気配を感じて、ライは視線の高さを合わせる。リュームの手の中のミルクが震えていた。何と言えばいい、それすらもまるで判っていないままで、これまでどんなものを抱えて過ごしていたんだろうと、傍の小さな身体の中を、少しでも覗けたらいいのにと思った。
「……おれと、何がしたいって?」
零れそうな涙、零れる前に答えてくれと念じた。
願いは届く? リュームは、洟を啜って、声を詰まらせる。
「……ライ、と、っ……、おれっ……、つがいに、なれな、くっ、ても、……そう、なりたいっ、って。おれ、っ、アンタのっ、こと、おやじだって、っ、おもってっ、るっ、けどぉ、っ、……それだけ、じゃ、っ、なく、て、っ……」
両手からマグカップを受け取って、「せっかく作ってやったのに」と聞こえるように呟いた。肩を震わせる様を見せられるのは、あまりにも胸に堪える。
「別に、気にしてねーや」
口から出任せを言った。
気にしている、凹んでいないはずもない。そういったことをする相手がこれまでそばには居なかった、出来たと思ったら、……同性の竜の子? 一応は息子?
それでも口から出任せ、言ったことを自分で聞いて騙されている限りは問題はないはずだ。
「それに、甘えていいっつったのはおれだしな、前言撤回はしねーし」
間違いでもいいし、場違いでもいいし、東から西へ太陽が巡るぐらい確かなことは、一先ず今は、リュームの泣き顔を見たくない。
甘いミルクを含んだ唇を、リュームに押し付けた。ビクンと強張らせ、……唇の端から一筋、零れた。
「……ベッド戻ろうぜ、ここ寒ぃ」
さっき丸くさせられたのだから、丸くしてやることでお相子になると、ライは勝手に解釈する。まだ固まったままの軽い身体を抱き上げ、冷え切っていることを知る。風邪でもひいたらどうすんだと、今は言ってもしょうがない。ベッドに再び下ろしたとき、怯えきったような眼で見上げられて、ずいぶんと心外な気になる。
「……おれは……、そりゃおまえの保護者のつもりでさ、実際の親父がどういうことすんのか判んねーけど、そこんとこは実際の親父でもねーし、おれなりにやってきゃいいと思ってるし、おまえや御使いたちに文句言わす気もねーし」
リュームは驚いた猫のように、身動き一つ取らない。打たれたような顔をして、ぴたりと固まった。
「おれは別に、おまえとつがいになんなくてもいい。……そんなこと考えたこともねーよ」
手を伸ばして、髪に触れてみた。本人の性格同様、好き勝手な方向へ伸びて、時折ライがハサミを入れてやる。放っておいたらどんなことになるのだろう、この「三次元」という言葉を考えさせられる青い髪。
「とりあえずさ、『至竜』なんだろ、立派な守護竜様がこんなことでいちいち泣いてんじゃねーや」
肩を掴んでみると、……何と細く小さいことか。自分と揃いの槍を手に、どんな強大な敵にだって臆することなく向かっていく印象とは余りに裏腹だった。だが、改めて感じるまでもない、いずれにせよ自分の守らなければならないたった一人の。
嬉しいんだろうな、とライは自分を覗き込む。
泣き顔で、本当に素直な言葉を並べて自分を好きだと言ってくれたことが。相手が誰であれ、そこまで剥き出しの心を渡されて、悪い気分にはなれない。ただ胸の内に、余計なものを取っ払ったときに残るものは、「嬉しい」というシンプルな思いだけだった。
「知らねーぞ」
「……え……?」
「おまえみてーに色々知ってる訳じゃねーからな、おまえの思うようにしてやれるかどうか……」
恋をすることを知った少年の顔は、おととい昨日と何が違うと問われても上手に指摘は出来ないけれど、それが自分にとって価値があるなら、今までよりも良い顔に見えても構わないだろう。とりあえずおれはそう見てやるよと、とても寛容な気持ちになる。
リュームがぎゅうと、首にしがみ付いた。尖った耳に、唇を歪ませ、差し込んだ。
「てめーはおれのファーストキス奪いやがったんだからな、責任取れよ」
低い声で言って、……押し付けようとしている自分の大人気なさの理由をどこに求める? 単に両腕絡めてしがみ付く竜の少年が可愛いというそれだけではいけないか。
急襲されたときには感じなかったことも、主導権の手の中に在ることを確かめながらならば、次々に生じ、心に降り積もっていく。
「んっ……む、ん……んぅ」
例えば、舌ってこんな滑らかなものなのか。
誰かとキスをした事がなくても、十五にもなれば耳に入る情報がある。それはリュームが隠し持っている知識の何十分の一か判らないような些細なものに過ぎないし、していることも猿真似がせいぜいだが、愉しむ余裕がある。
リュームが可愛い。
それまでだってずっと思っていた。生意気なことばかり言っている、けれど、本気でおれを必要と思って、健気に両手を伸ばす様、息子とは思えなくても守るべきものとして、少年を可愛いと思えないはずはなかった。
しかしたった今、重なった唇と舌との間に漏れる音を聞いて、新しい色が次々足されて、リュームがもっと可愛くなる。
「……らい……っ」
知識についていけない身体を、さらに置いてけぼりを食らった心を、持て余したリュームを、そのままでいい無理すんな、安心させて、出来ればもっと愛を込めて、舐めることで伝えられる何かがあればいい。舌同士絡んで解けた刹那に、ごく細い糸で繋がって、その糸が切れるのが寂しく思えた。
「ライ……、おれ……っ」
窮屈そうなスパッツを、隠したくても隠せない。羞恥に、濡れた頬を染めているのを見て、うん、それはおれが脱がしてやればいいんだな、ウエストに指を差し入れたら、そっと腰を浮かした。躊躇いなく下ろして、身体に比してずいぶん長い気もする尻尾も抜いて、露わになったのはいつも風呂で見る指のように小さな泌尿器ではなく、精一杯の背伸びを強いられて息切れし、赤く染まった性器だった。先が、少し濡れている。それが小便ではないことを知っていて、こんなになるほどきつく感じているのを見て、慰めてやらなくちゃと思うのは、決して保護者としての気持ちに止まるものではない。もっと生々しい、男としてのそれだと自覚したとき、愛撫することに何の抵抗もなかった。
「あんま……、じろじろ、見んなよ」
ぎりぎり強気な自我を抱えて言った顔に微笑み返して、触れた。その身全ての動きを止めて、じいっとライの眼を覗き込む。
「大変だよなあ……、おまえも。訳判んねーうちに大人になっちまって、……知識だけならいいけどさ、大人の欲も思いっきり植え付けられちまって」
まだ皮も剥けてないような子供が、さ。ここの中だって発達してないだろうにな。
「そ、そんな……、ふにふにすんなよぉ……っ」
「文句言うな、ふにふにしてるとこふにふにしたっていいだろ」
自分以外の誰かの体に触れたい欲は誰にでもあるはずだ。それが異性であろうと同性であろうと、年上であろうと年下であろうと、伴って震える体温に触れて、リンクする自分と相手を比べて、とりあえず一人ではないと判る。「ふにふにしてるだけじゃ気持ちよくなれねーもんな?」、笑って言って、真っ赤にしてから耳元で、
「どうしたらいい? ……言ったろ、おれ、初めてなんだ。おまえがどうして欲しいか教えてくれよ」
と囁いた。
「……そんなん……、言えるかよぉ……」
「恥ずかしいのか?」
「……っ、バカ、ヘンタイ、エロ親父っ」
「おまえもエロガキじゃねーかよ」
髪をくしゃくしゃ、でも、抱き締めた。
「いいんだぜ、笑ったりしねーし、おまえのしてほしいこと全部してやるよ」
キスもした。
しばらくは、リュームのためらいがちな呼吸の音だけを聴いて待っていた。容易に整理のつくものではないだろうということぐらい、ライにも想像出来た。とにかく小さなその身の潰れそうな思いを抱えているのだ。
「……おっぱい……」
夜に解けて消えてしまいそうな声が、そう呟いた。
「おっぱい……、して、ほしい……」
「おっぱい? ……胸、どうしたらいいんだ?」
顔を覗き込んで問うてから、謝りたくなった。
「そんなのっ……、知るかよっ」
恥ずかしさに顔を真っ赤にして、また涙を浮かべてしまう。ただ、ライの申し訳なさを救うように、「……いじったり、……なめたり、すりゃ、いいだろ……」、唇を尖らせて、ぶつぶつと言った。
「おれがしてほしいんじゃないぞっ、おれじゃなくて、おれの中の大人のっ、先代の知識がそうしてほしいって言ってるだけなんだからなっ、おれは別にそんなのしてほしくなんかないんだぞっ」
リュームのシャツを捲り上げた。発展途上のライ自身も思うほどに、未発達な薄い胸板に、一対、ピンク色の乳首が息衝いている。片方に指を当て、もう片方に、口付けた。
「んぁあ……っ、ん、あ、わ、かってんの、かよぉっ……、おれ、は、こんなんっ……、ひゃう!」
判ってるよ、おまえが悪いんじゃないよな、悪いのは先代の知識と、おまえのおっぱいを吸ってみたいおれだよな。
舌の上、リュームの左の乳首はすぐにぷつりと粒状に勃起した。もちろん乳首を弄られたことなどないライは、男のこの場所を愛撫することなど考えたこともない。ただリュームの身体が、ちゅ、ちゅ、とわざとらしく音を立てて吸うたび、ぴくんぴくんと震えるのを感じて、豊富な知識の一端に触れた気になる。
「気持ちいい?」
そっと指を当てた性器が、苦しげに震えている。
「……しる、かよ、ぉっ……、んっ」
自分の唇舌指の動き一つでリュームが泣き声を漏らす。それはごく興味深いことだったし、ライに新しい発見を齎す。すなわち、リュームの声が、とても愛らしいということ。日頃当たり前のように聞いている変声期まで間遠いリュームの声は、蜂蜜小匙一杯に同量のレモン汁を合わせて以下略の味を、耳のみならず舌にまで与えるのだ。
「……次は?」
その声の紡ぐ淫らな言葉は、更にライの下半身まで甘酸っぱさで染み渡る。
「……次。どうしたらいい?」
「ばっ……、か、ライの、ばかぁっ」
あまり執拗に顔を覗き込んだら、泣き顔を腕で覆ってしまった。ただ、理性は欲求に、涙と共に押し流されたのか、リュームはもう隠すことはしなかった。
「ちんちんっ、もお……、いじって、……しごいてっ、……せええき、出してぇ……よぉ……っ」
「……出るのか?」
改めて見る。破裂寸前、弾けそうな赤さ。身に不相応な欲を口にしているように見えなくもない。それでも、悩む必要もない。誰でもない自分が、試してみたい。
リュームを起こし、膝の上に座らせた。戸惑ったような声を上げた耳に「してやんだから、暴れんなよ」、唇を掠めて言葉を差し込む。自分のものを扱く要領で、しかし握り込むというよりは摘んで、そっと上下に動かした。
「はぁ……あっ、ん! んっ……、んんっ、あ……ああ、あっ」
だらしなく溢れる声もだらしないと指摘しないで、流れるに任せる甘い音楽のつもり。左手では続けて乳首を指で転がしながら、右手は指の間で、リュームの幼茎が何度も強張るのを感じる。皮は剥き下ろしては途中で突っ張って止まり、生甘い色の亀頭と中央にささやかに走る尿道口の濡れた様子を僅かに晒すばかり、くちゅくちゅと音を立てて、縁でかすかに白く細かな泡が立つ。
「らいぃ……っ、もぉ、ダメ……っ、おれ、っ、出ちまう……っ……もおっ、出っ、ひ、あっ、ひぅっ」
とぷん、と指の奥の尿道を突き上げた精液が、少年自身の胸に散る。少年の肉体年齢は定かでなくても(実年齢は三ヶ月にも満たないのだ)、機能だけは備わっているのだと、残り僅かとなったライの、まともに回る頭の部分が感心した。
「あ……、はぁっ……、あん……、……っん」
息と声を乱しながら、震える身体をしばらくは抱き締めてやって、その息で理性の灯火を揺らされている気になる。欲を全部満たしてやって、……おれはどうしたらいいんだろ。「親父なんだから」、こいつを満たしてやれたらそれでいい? そんな聖人君主の訳もない。リュームの軽い尻が載っているのは、ライの丁度、その部分なのだ。
「……ごめん……な……?」
どうにか、息を落ち着けて、意志の伴う言葉をリュームが発した。その声の寂しげなこと、か細いことに、自分の欲を突きつけることの難しさに、ライは直面する。けどさあ、……なあ? 唇を尖らせて、同じように反抗的なふりで、ぶつぶつ言いたいのを、押し殺すにはずいぶん努力が要った。
見透かしたわけではないだろう、また「先代の知識」かもしれない。身体を拭くのにも、ライの手を煩わせたリュームは、膝から降り、手をライの足首に当てる。
「……りゅー、む……?」
パジャマ代わりのトランクスのゴム、ぐいと引っ張って、中から燃えるように熱く滾る男根を取り出して、握る。「……ごめんな……」、もう一度呟くように言うと、リュームはライの亀頭の先に、キスをした。
「……りゅ」
「なんも、……おれ、できねーけど、……でも、アンタのこと、気持ちよく、……できると、思う」
手を上げて、ライの口許へ添える、「ゆび、なめて」、言葉の終わりには、もう、あむ、と性器の先端はリュームの口の中。否も応もなく、ライはリュームの細い指を、舐めていた。意味を考えるには、下半身への刺激が強すぎた。
「……っん」
舌が鎌首の裏側に絡む。口が外されたと思えば、先端に何度も何度も細かなキスをされ、裏筋を舌が二往復する。リュームの唾液が塗され、伝って濡れた陰嚢まで、リュームは口に含み、睾丸を転がした。生温かい舌の湿度と、這う吐息の温度に、翻弄され、朦朧としながらも、止める自分が何処にも居ないことを、まるでルシアンやアルバ、御使いたちからも身を隠すように、狡猾に安堵する。今はこのまま感じていればいい。
リュームの濡れた指は、リュームの股下へと潜る。もう一回? そう思ったところに、リュームの身体が、強張る。
「ふぅ……ぅんん、……ん……っ」
「……ちょ、……おい」
「……うる、せえ」
うるせえ、って。目を醒ましかけた理性は、リュームの口が再びライを包み込み、ぐしゅぐしゅと音を立てて頭を動かし始めたことで、再び意識を失う。
「……言ってんだよ……、先代の、が。……っ、アンタのこと、好きで、……おれが、……つがいになりたいんなら、どうしたらいいかって……」
リュームが起き上がる。性器が、また勃ち上がって解放を待ち侘びていた。おれも咥えてやろうか、そんなことを考えていたら、リュームは膝にひっかかったスパッツも、上着も脱ぎ捨て、裸になる。勃起しているただそれだけで、何て卑猥な裸だろうとライはぼんやり思った。
「……ひとつに、なる」
ライの胃のあたりに、リュームの性器の先端が触れた。つ、と糸が伸び、すぐ切れる。
「アンタと……、ひとつに、なりてえんだ……、おれの、こころ、からだ、ぜんぶ、……そう、言ってんだよ……」
リュームの、そこは出口? 入口?
「リューム」
「……あんま見んなよ……っ」
息が、一緒に止まった。
「……んあ……っ」
多分必要ないとリュームが言うはずの感情が幾つも閃いた。狭い、ほんの少し、痛い、なあ、おれ、もっと……、小さいほうがいい? おまえとおんなじくらいが丁度いい? っていうか、なあ、ダメだよ、こんなん。おまえ壊れちまう。
必要のない言葉なら、どれ一つとして言葉にならなくてよかった。
「っ……ライ……、の、……ちんちん……、でけぇ……っ」
下腹に押し当てられた性器が、熱の行き場を失ったかのようにビクビクと震えているのが判る。苦しいほどにしがみ付かれて、それでもライがしたのは、その力に応えることだった。
リュームは泣き顔で、へへっと笑う。
「……つ、な、が、った」
涙で濡れていても、それが嬉しさによって形作られた表情なのだと判る。リュームはライの肩に頬をすり寄せて、濡らした。
「……うれ、しい、……ライ……、おれ、……アンタと、ひとつ……。アンタのが……、おれの、なか……入ってる……、すっげ、うれしい……」
ぎゅう、ぎゅうぎゅう、ぎゅう、何度も何度も強く握られて、ライは視界が白くなる。背景がどこでもいいような気になる。リュームと自分が繋がった、リュームがそれを心底喜んでいる、それが判って、それ以上、何を判る必要がある?
「なあ……、動いて……、おれのなかで……、ライの、出して……?」
そんなことしたら、言いかけたのを察したか、リュームが首をふるふると振った。
「だいじょぶ……だから……、壊れねえし……、おれ……の、ほら……」
腕を緩めて、腹と腹の間に挿まれて、苦しげに震える部分を、改めてリュームは晒した。
「……こんなこと、して……」
最後に言ってしまったのは、そんな馬鹿げた「不要な」こと。
「いいんだ……」
リュームは、また、ぎゅっと抱きつく。
「アンタと、こうしたかった……」
それ以上、意味のある言葉はもう要らないとライは信じられた。リュームの身体を仰向けに寝かせ、持っていた僅少な情報ではなく、本能として、似た形の身体の、繋がるには不適な場所に挿入した性器が、どうしても気持ちよくて、もっと気持ちよくなりたくて、
「あ、あっ、うぅ、んっ、あ……あ、あ、あああっ」
リュームの声の飛び散って、自分の肌を濡らすのを、存分に味わう。意味のある言葉だったかどうかは判らない、快感に押し流されそうだったから、記憶も曖昧だ、ただ、「好きだ」とか、「愛してる」とか、誰かにいつかそう言いたいと、思ったことは確かにある音を、眠りに落ちるまでずっと口走って。
「リューム……っ、おれ、出るっ……」
尖った耳を噛んで、ライは言った。
「っ、して、っ、……んっ、ひぅんっ、んんっ、……あっ、アンタのっ、……はっ、あ! って……るっ……、ライ、の……っ……、で、て……っ、ひぁああっ」
厳密に言う気はない。ただ、同じ瞬間だった。記憶の錯綜、でも、二人だけで本当と言う。
靄の掛かったような頭で、目の前の少年の顔を見る。眉間に皺が寄っているあたり、身体に負担のかかる夜だったのだと判る午前六時。服も着ないで、毛布一枚、体裁を整える程度の理由で巻きつけただけの身体なのに、お互いの生み出す体温というものの偉大さを、ライは知る。
「……リューム」
声をかけたら、うううと唸って、赤い目を薄く開けた。寒そうにしっかりしがみ付いて、頬をすり寄せて。そこまでは、夜の気持ちだったろう。だが聞こえてくる朝の音にはっとして、反射的に離れる。
「……見んな」
ぶす、と言われて、反応するのは理性。しかし、そこが穏やかに微笑んで、髪に手を伸ばし、スムーズな動きでくしゃくしゃと撫ぜるのみならず、
「朝の支度はおれがしとくから、おまえは寝たいだけ寝てろ」
顔を押し付けた毛布を剥して、少し乾いた唇にキスをする。
またああいう気持ちになったら言えよ、と言いかけて、今夜もしようなと素直に言うべきだろうかと迷ったが、「バカ」、毛布に口を当てたまま、くぐもった声で言われて、ただもう一度髪を撫ぜるだけで起き上がることにした。夕べは可愛かったのになあ? ごく自然な笑顔でそんな言葉も思いつく。身体はくたくたに疲れきっていたが、そこは、保護者の意地にかけてベッドから降りて、服を着る。ふと見た自分の肌のあちこちに、赤いしるしが残っているのを見て、改めて青い髪の後ろ頭を見て、
「楽しかったぜ、またしような」
呼吸のように言う。身じろぎ一つなく、ただ尖った耳がぴくんと動いたのは、見逃さない。