さむいさむいさむいと震えながら冷たい水で炊事洗濯、だからレシィの指はかさかさに乾いている。誰かにそれを見咎められれば心配をかけることになる、だから長い袖の中に指を隠す。主人だけは、そんなレシィを知っていて、大きな両手で包みこんで、温める。レシィはそれが涙ぐみたくなるほど嬉しくて、だから余計に頑張ってしまう。
アメルの様子を見に来た双子の片割れと食料品の買出しをするレシィ、珍しい取り合わせで、街を歩く。
「ロッカさん、リューグさんになにかあげるんですか?」
もちろん、もう間もなくに迫ったクリスマスの話だ。
「そのつもりなんだけどね」
ロッカは擽ったそうに笑う。照れているようにも見える、けれど、十分にいい顔とレシィは思う。
レシィはこの双子の仲が、リューグが苛立ちを覚えるほどに良く、同時にとても幸せなバランスの保たれていることを知っている。弟思いの兄と、兄をちっとも思いやらないふりをする弟。優しい兄と、乱暴物の装いをする弟。一枚皮を剥けば元々一つの命という事情を、レシィは知っている気がした。
「リューグ、きっと恥ずかしがるだろうし……、だから別にクリスマスって言わないで、何となくあげればいいかなって思ってるよ。君は?」
「僕は、何もあげないんです。ご主人さまが、何もいらないって、そうおっしゃったので」
察したようにロッカが笑う。
「彼らしいね。君が居ればそれで良いと言うんだろう」
レシィは北風ばかりでなく頬を赤くして、はい、とか細い声で頷いた。まさにそうなのだ。「なにか欲しいものありますか?」そう聞いたレシィを抱き締めて、「お前がずうっと側にいてくれればそれでいいよ」と言った。その抱き締める腕の、弱くも強くも無い、自分の輪郭をその胸に止めるための力で、レシィは骨も溶けるような気になる。
そうだ僕も、ご主人さまがいっしょにいてくださるなら、もう何もいらないんだ。「怖い」と思うこと「悲しい」と思うこと、そもそも「嫌」と思うこと、それはただ主人を失うこと、ひとつだけ。レシィはそれが叶うならば本当に何もいらないと信じきることの出来る愛情生命体だった。
街は何となく慌しい。大荷物を抱えて歩く人の歩幅がいつもより広い。ロッカとレシィはその点でのんき者だから、マイペースで並んで歩いた。風のような速さでパッフェルが追い抜いていく、ちらりと手を振った。
「何をあげようかな。セーターとか……、でも、着ないだろうな」
ロッカは一人呟く。
「恥ずかしがり屋さんですものね、リューグさん」
「うん、そうなんだよね。もっと素直になってくれれば、僕もありがたいんだけど」
でも、そう言うところも含めて、好きだと思ってるんですよね、レシィは腹の中が少し温まる。
「まあ、少し探してみるよ。……じゃ、僕はここで。また後で会おうね」
「はい、お気をつけて」
誰かからプレゼントを貰うのも素敵だけど、誰かにあげるときの気持ちも素敵なんだ。物をあげる喜びは、正直あまり品のいいものではないのかもしれないけれど、嬉しい気持ちになれるやり方を択んで捨てたりするのも、あまり賢くないだろうとレシィは思う。だから主人がくれた言葉に付随する自分の存在意義は、レシィを心から喜ばせた。物ではない、もっといいものだ。
「おかえりレシィ」
部屋の戸を開けたレシィはぺこりと「ただいまもどりました」と。リューグがいた。「おひさしぶりです」とぺこり頭を下げても、ぶっきらぼうに「おう」と言うだけ。マグナはリューグに関せず、冷たくなったレシィの耳と頬を包み込む。「寒かったろう」と労って、額にキス。リューグはその様子、見て見ぬふりを決め込む。
ロッカにそんな風に甘ったるいことをされたら、きっと怒り狂うはずのリューグである。しかし、怒りの中に、微量ながら喜びが混じり得ることを、リューグは予測している。素直に頬を赤らめ、「お返し、ちょうだい」と言われてマグナの頬にキスをしかえすレシィを見ながら、しかしどうしたらと心の中でぶつぶつ言う。
レシィは二人のティーカップが空になっているのをすぐに見つけ、お茶を注いで来ますねと。自分の分のも持っておいでとマグナに言われて、嬉しそうに「はい」と返事した。
紅茶を入れて、主人と自分のを甘くして、部屋に持っていく途中、玄関のドアが開く音を聞いた。ネスティさんとアメルさんかな、それとも、ロッカさんかな。思いながら、とにかく部屋までと、自分の仕事をした。
主人とリューグは向かいに座って寛いでいる。リューグは口を尖らせてロッカを悪く言っている。マグナはにこにこしながらレシィを撫でる。「大体アイツは」とリューグの言う科白の九割を愛情が占めていることを、聞いている二人はよく理解できた。
少し離れたところでドアの閉まる音がした、帰ってきたのはロッカだったようだ。レシィはすぐに、商店街の方へ折れていったさっきの背中を思い出した。きっとリューグさんへのプレゼントを買って来たんだ。クリスマスの二日前という、いい加減な時期に、まるでただの買い物を装って。そうしないと構えてしまう双子の弟のために。何を買ってきたんだろう、レシィは失礼と思いながら、想像した。さりげなく渡せるもの、それでいてリューグさんが喜ぶもの、すんなり受け取りそうなもの、なんだろう。
まさかロッカが「僕のいること自体がプレゼントだよ」なんて事を言うはずも無いし。
その日の夕食後、広いが一つしかない浴室をいつもの通り、五番目に主人と使ったレシィは、続いて入るはずの双子と擦れ違った。いつもより、二人の間がぎこちない。互いに目線を合わせようとしないで、気まずそうに言葉無く歩いていく。一番に入浴するのはミモザ、続いてアメル、三番目がギブソンで、四番目はネスティ、これにマグナとレシィが続く。客人の身分ではあるが、後が詰まるプレッシャーを味あわせるよりはゆっくりと最後に心行くまで入ればよいと、二人を後回しにしたのであるから、別々に入ればよい。
一緒に入るなら入るでそれも構わない、だが、あの微妙な距離感は何か。レシィは訝った。マグナも同じ事に気付く。部屋でぽかぽかするレシィを膝に乗せて、
「どうしたんだろうな、あのふたり」
と漏らした。
「また……ケンカでもしたのかなあ。でもそしたら一緒に風呂なんて入らないよね」
「そうですよねぇ……、何があったんでしょう。晩ご飯の時はお二人とも普通でしたよね?」
「うん。普通って言うか、まあ、いつもの通り微妙に険悪な空気醸してたけど、あんな気まずそうじゃなかったよなぁ?」
二人してうーんと唸る。やがてマグナが「まあいいか」と片付けてしまう。
「それよりも、レシィ。今日のご飯美味しかったよ」
「ほんとですか? ありがとうございます」
「うん、こちらこそありがとう。ネスのご飯は問題外にしても、アメルのご飯も美味しいし、ミモザ先輩のご飯も美味しいけど、やっぱりレシィのご飯が俺は一番好きだな。これからも楽しみにしてるよ」
一欠けらの嘘も無い笑顔でマグナは言う、赤くなったレシィの頬にキスをする。
「……大好きだよ、レシィ」
「僕も……、大好きです、ご主人さま」
だいすき、この四文字に詰め込めるだけ詰め込んでも、まだ言い足りない、吐き出しきれない、泉のように愛情は沸き出ずる。字に書いても、書ききれない、書き足りない、どんなに時間があってもまだ足りない。仕方なく「だいすき」の四文字に出来るだけの量を代入して我慢するけれど、正直、少し悔しい。
レシィのまだ湿っぽい髪に指を通して、唇にキスをする。その唇に隙間があった、それを感じて、レシィは何をされるかを飲み込む。寧ろ、望んでいることだった。静かな三度のキスの後、四度目にそっと舌が入ってきた。主人の舌の先が、レシィの舌を擽る。絡んでくる舌に、縋るように伸ばす、すると、逃げるように舌は、もとあった場所へ縮む、レシィは寂しくて、それを追った。
「ん、ふ……、んん……、ん」
尖った耳に、指を入れられ、首筋まで火照りが走る。主人の指一本でこうなる身体を持って生まれてきたことは、今後一生マグナの護衛獣として生きると決めたレシィには誇り以外の何でもない。
二人の体温が同じになった、その瞬間、ノックで破られた。
唇は離したが、マグナはレシィを抱きすくめたまま、しばらくは動かなかった。
しかし、苛立ったようにこんこん、こんこん、こんこん、三セット繰り返された末に、ようやく溜め息を吐いて、名残惜しむキスを一度してから、ドアを開けた。
「ノックしたら一度で出てきてくれ」
「なんだネスか」
「……何だとは何だ……」
ちら、と部屋の中、頬の赤い護衛獣を見て、まあいい、と飲み込む。
「双子が風呂から出てこない。ちょっと見て来てくれないか」
「……ゆっくり入ってるんじゃないの?」
「ならいいが、声もしないしな、……二人揃って上せている可能性もある」
「なんでネス自分で行かないんだよ」
「彼らとは君らの方が親しいだろう。それに僕は先輩に頼まれた調べ物がある。もし倒れていたら相応の処置を取れ。ちなみにアメルはもう休んでいるから起さないように」
いつもの如く、投げて捨てるように言ってネスティは居なくなった。
「……全くもう……、『彼らとは君らの方が親しいだろう』、なんて、親しくないならこういう機会にもっと仲良くなれば良いのになあ? これからって時だったのに……」
マグナは溜め息混じりに笑う。レシィも、仕方なく笑った。
「仕方ないですよ……。でもネスティさんも昔に比べたらだいぶ解れてるって思いますよ、僕が言うのも生意気ですけど……」
「そうかなあ……、解れてるかなあ。『彼らとは君らの方が親しいだろう』だよ? そんなさ、『彼らとは君らの方が親しいだろう』なんてそうそう言わないよなあ」
笑いながら、ネスティの物真似をする。ギブソンの部屋の扉ががちゃと空いて、ネスティが冷ややかな目でマグナを睨んだ。マグナは笑顔を硬く張り付かせ、無理矢理な口笛を吹きながら風呂場へ向かう。
こんこん、こんこん、こんこんと三回ノックして、中からやっとロッカの声がした。
「『ノックをしたら一回で出てきてくれ』」
しつこくネスティの物真似をして、レシィをはらはらさせてから、マグナはドアを開けた。
「別に長風呂でも良いけど、ネスティが心配してたよ。ノックしたら返事してやってよ」
そのせいで、と言いかけた主人の腕をレシィは慌てて引っ張った。
「ああ……、ゴメンね」
ロッカは素直に謝る。
双子は二人とも下着一枚だけで、ともに頬が赤い、上せかけの状態のように見える。
「……大丈夫か? 水持って来ようか」
「平気だよ、心配かけてゴメン、もう出るから」
「……うん、ならいいけど。じゃあおやすみ」
「おやすみ」
レシィは、マグナに手をぎゅっと握られて部屋へ戻る帰り道、マグナに良く似た匂いを発していた双子を少し思った。何があったのかな? あの「匂い」は、主人がそして自分がときに強く発する愛情の匂いだ。あんなに微妙な雰囲気だったのに、どうしたんだろ。
「ただ上せたって感じじゃ無かったよな、あれは」
主人は部屋に戻ってから、ニヤリと笑う。レシィは申し訳ないなと思いながらも、こっくり頷いた。
「何かこう、口ではあまり言えないからこれから実践してみせるようなことをしてたんだろうな」
マグナの婉曲な言い回しに、レシィはまた、こっくりと頷いた、頬は呆気なく染まる。
「……まあ、いいか。ひとのことだし……、レシィ」
主人がベッドに仰向けになる、その両腕がレシィを誘う、そのままに、レシィは主人と身を重ね、唇を重ねた。もう邪魔する者はなかった。
レシィとマグナの疑問は何となく解けた。宇宙まで透けるように晴れた翌朝にレルム村へ帰ると言う、相変わらずぎこちない双子が、共に余計な荷物を抱えているのだ。
それらがまた、本当に邪魔っけに見えるのだ。ロッカはまだいい、やはり嬉しいものは嬉しいと素直に思える性質だから。問題はリューグだ。貰ったものすらかさばるのに、心まで持て余して、今朝、少なくともレシィの見ている限りでは口を開いていない。俯き加減でぶすっとして。
「じゃあ、ご迷惑でなければまた遊びに来ますよ」
ロッカがお辞儀して、「良いお年を」。
「うん、いつでもまたおいで」
ギブソンがちらりとリューグの抱えるものを見てから、ロッカに微笑んだ。ネスティも同じようにちらりとリューグを見てから、
「ああ。君たちが来ればアメルも喜ぶしな」
結局リューグは一言も発さずに、無愛想なまま帰っていった。玄関先い揃ったレシィも含めたこの家の人間六人は、扉が閉まったあと、しばらくじっと立ち尽くす。
やがてミモザが口を開く。
「……双子ねえ」
「双子ですね」
ネスティが頷く。
「……双子だからだろうな」
ギブソンが感心したように呟く。
「双子だし」
「双子さんですから」
マグナの言葉に、レシィも同意する。
「だって、昔からああでしたよあの二人。本人たち無意識のうちに似ちゃうんですよ」
アメルが総括した。きっと相変わらずぎこちないまま、街路を、街道を、かさばる荷物を抱えながら歩くのだろう、周囲の何となくの視線を集めながら。
ロッカが用意したプレゼントが新しい斧ならば、リューグがロッカに渡したのは槍だった。それぞれ、「自分の買ったついでに。お前のも古くなってただろ?」と言い訳を用意して前日のうちに用意していたのだ。
髪の色が違うだけで全く見てくれの同じ人間が相次いで同じ物を買いにきたのだ、店の主人はきっと訝ったろう。
部屋に戻ってつくづく考えると、呆気なく笑顔になるレシィだった。
「嬉しい気持ちを素直に表せるっていいなあ」
マグナはレシィの頭を撫でる。誉められたような気になる、一人で勝手になる。
「俺はレシィが嬉しいことしてくれたら素直に嬉しいって言えるし、レシィも嬉しいって言ってくれるからいいよな。リューグもそのうちさ、なれるよな?」
「ええ、そう思いますよ、きっと」
人の幸せに便乗して、一緒に幸せになってしまうつもりのマグナとレシィは、こんな晴れた冬の午前中にまた、しっかりと抱き合った。