PLEASURE

「寒いからな、風邪ひかないようにしないとな」

 主人はそう言って、しっかりとレシィを抱き締めた。密着すると、まだ収まらない鼓動が筒抜けになる、それが何とも、……今更のこととは言え、恥ずかしく思えた。主人が「ふー」と息を漏らす。

「あの、……あの、ご主人さま」

 温かな胸の中から顔を上げた。疲れても眠くもないと、そんな顔の色でマグナはレシィを見た。

「……あの……、お疲れじゃないですか?その……」

「レシィとえっちして疲れるっていうことはないよ?」

「……うう」

 すんなり、言ってもらえて、ただただ、恥ずかしさが募る。どうしてそんな優しい笑顔で言ってしまえるんだろうこの人。幸せの、抱えきれないほどの大きさに、困惑すら覚えてしまう。

「癒されるっていうのはあるかもしれないけど、……あれだけ気持ち良くって幸せになれて、それで『疲れた』なんて思ったらバチが当るよ」

 だから、と、ぎゅっ。

「大好きだよレシィ。……お前こそ、疲れてないか?お尻、痛くないか?大丈夫か?」

「そ、っ……、だっ、……だいじょぶです」

「……そうか?無理しなくていいんだからな、大丈夫なときに、気が向いたときに、応えてくれるだけで俺は満足なんだから」

 レシィは、自分の心の陰湿な部分が呟くのを、何とか口には出さないで飲み込む、「いつだって求めて欲しいですよ、僕の身体のことなんて心配しないで」。

 おやすみ、と夜、最後のキスをされて、レシィは安心しきって目を閉じる。ただ、身体の奥がまだ腫れたように熱くて、瞼を閉じても、意識は濃かった。背中に回り自分を守る腕を意識すれば余計に、寝てしまってはいけないような気がしてくる。

 相変わらずマグナのことを「ご主人さま」と呼ぶレシィである。それだけ、レシィはマグナを尊敬していたし、まだ自分の存在を卑下していた。マグナのレシィ認識は間違いなく「恋人」であって、最早使役する者される者という範疇を超えていた。だからこそ、セックスの相手として耐え得るのだ。そして、マグナがそう考えてくれていることを判っていながら、レシィはまだ、「ご主人さま」と呼ぶのだ。

 恐らくこの関係性の崩壊にはもうしばらく時間が要るだろうなと思う。主人のことを「マグナ」なんて呼び捨てには、やっぱり出来ないだろうなとレシィは考えるのだ。実質的には「ご主人さま」でなくとも、そう呼んでいれば、どうしてもそんな意識も生まれるもので。自らが「護衛獣」という、マグナにとって唯一の立場にいることを誇りに思う気持ちも在る。容易に整頓は出来ないのである。

 マグナを護るべき立場にある護衛獣、身辺の世話をする小間使い、性行為の相手をする稚児。結局全てを包含した言葉を捜せば「恋人」以外の何でもないのだが。召喚獣として呼び出されたというきっかけが良くないのだろう、ぼんやりそうは思うが、護衛獣としてある種の運命的な出会いを主人と果たせたことは、またそれはそれで喜ばしいことなのだった。

 確かに多少尻と腰が痛むことは事実だが、それすらも幸せと思うような自分なのだ。

 一番自分が自分らしく在れる場所がここだとレシィは確信している。

 マグナの指が声が幾つもの意味をレシィに与えた。

 命はその在る場所が在るべき場所に変わったとき、初めて本当に意味を持つ者だ。レシィはマグナと出会えたことを心より喜びと思っている。

 

 

 

 

それは初めて結ばれた時から、それはレシィの中で息衝く想いだ。

「俺、色いろ問題あっても多分、すごく、やっぱりさ」

 一緒にギブソン邸の玄関を掃除する。はらはら散る落ち葉、柔らかな風の匂いがもうすぐ冬と告げている。寒い季節なら、温め合える誰かに居て欲しい。その時のマグナの言葉が、そういう思いが契機となって零れたものかどうか、今のレシィには判るはずもないが。

 箒で石畳みを掃く、しゃあ、しゃあ、音の合間に届く主人の言葉に、レシィはちゃんと耳を傾けた。

「レシィのことが好きだよ」

 嬉しくて、レシィはにこりと微笑んだ。

「ありがとうございます、ご主人さま。僕もご主人さまのこと、大好きですよ」

 それは、本当に素直な言葉だったろう。何ひとつ、混じりようが無い言葉だったろう。角の折れたメトラル、「レシィ」とは、そういう意味を持った生き物なのだ。

「そうじゃなくって」

 マグナはせっせと箒を動かしながら口を尖らせる。やれと言われてやっているには違いないが、、レシィが楽しそうなので、ついつい一緒に楽しみたくなるのだ。

「ただの好きじゃなくってさ、俺はレシィのこと、お嫁さんにしたいくらい好きなんだよ」

 しゃあ、しゃあ、ずっと二つが重なり合っていた箒の音が、止まった。レシィが手を止めて、マグナを見たのだ。マグナは箒を動かしながら、レシィに言う。いつもと同じく、マグナは優しげに笑っていた。

「……お嫁さんって……」

「うん。お嫁さん。花嫁さん……、レシィが、俺の」

 マグナも手を止めた。急に、しんと静まり返った。レシィは自分の耳が、マグナの声を拾うためだけに感覚を研ぎ澄ますのを感じた。

「ダメかな?俺、レシィのことが大好きだ。お前が俺と同じ、男だっていうのはいくら俺だって解かってるよ?けど……、ロッカとリューグのことはレシィも知ってるだろ?ああいう形だってあるんだ。ああいう形だって認められるんだ。……俺は、レシィと恋人になりたい。いつかは結婚したい。結婚できなくても、ずうっと俺の側にいて欲しいんだ」

 どれくらいぼうっとしていただろう、ただ、こっくり頷いたのは、覚えているのだ。大好きだよと、主人が優しく抱き締めてくれたことも。

レシィがマグナの言葉を拒まずに受け入れたのは、彼が「レシィ」だったからだろう。もとより彼に、折れた角の先が常に存在しているようなメトラルだったならば、ああまでスムーズには行かなかっただろう。レシィは、端的に言って「男」ではなかったし、何よりもマグナの側に居ることを幸福と考えていたし、これからもずっと「お側に置いて欲しい」と願っていた。それは本人に意識の有無に拠らず、そして性差も問題にならないほどに、恋愛感情だった。今も常に側に在り、濃密な感情の遣り取りをし合って生きる。「切なくなるくらい幸せ」、そんな詩的生活者二人。

 

 

 

 

 ぎゅうと抱き締められたまま眠って、目が醒めても温かな体温に包まれている。だからこそ、レシィは毎朝さっぱりと目が醒める。

「ご主人さま、僕、朝ご飯の支度してきますね」

 いつも寝起きの悪いマグナの腕の中からそうっと抜け出して、着替えを用意してから、自分の服を揃える。白っぽい肌のあちらこちらに、「レシィ、レシィ大好きだよ、可愛いなレシィ、ホントに大好き」と甘えん坊が残した赤い花弁が散っている。それを見て胸が一つ疼いたから、手早く服を着た。

 レシィが朝食の準備をはじめると、そのリズミカルな包丁の音に誘われるように、家人たちが集まってくる。まず、毎朝きっかり七時三十分に降りてくるネスティ、それから少し遅れてアメル、続いてギブソンとミモザ。全員が揃ったところで、レシィは温かいお茶を淹れて持っていく。再び朝食作りを始めて、出来上がるのはいつも八時過ぎといったところか。その時点でマグナが起きて来ることはまずなく、いつもエプロンを外してレシィが起こしに行く。そして、時にそこで、マグナに抱き締められて、全員揃わぬまま、階下で朝食が始まってしまうこともある。「スープが冷めちゃいますよう」「うん、ごめん、でもちょっとだけ」、ネスティ以外、そんな二人を咎めたりしない。それは、咎めるのも馬鹿らしいと思っているからだ。

 マグナもレシィも(そして本当はネスティとアメルも)ギブソン邸の居候であるから、午前中は基本的には家事手伝いをする。割り当てられた自由な午後に、レシィの夕飯の買い物にマグナが付き合うのが、事実上二人のデートである。まだまだ道は寒い、それでも主人が隣りなら嬉しくて温かい。

「手、繋ごうか?」

「へ?でも……」

「ほら……、あったかいよ」

 召喚士と護衛獣、には、見えないかもしれない。と言って、兄弟にも見えない。興味の対象となることは快くは無かったが、それでもレシィは嬉しかったし、マグナはいつか回りが興味も抱かないほどに当たり前になってしまう日を本当に作るのだと思っている。

 レシィの冷たい指を包んでいたマグナの手が冷たくなった頃、帰り着いて、夕飯までまだ間があるからと、マグナはレシィを膝に乗せる。

「……あの……」

「うん、レシィ、顔上げて?」

「……ええと……、はい」

 予想していたことではあるが、やはり一つ、身体は強張る。唇に唇を当てられて、耳の下が熱くなる。

「……ご主人さま」

「キス……、ひょっとしてしたくなかった?」

「いえ、そんなことないです、嬉しいですよ。で、でも……あの」

「ん?」

 レシィはまた俯いて、口篭もって、

「まだ、うがいしてないです、手も洗ってないです」

 と言う。マグナは笑って、「じゃあ、してから、しようか」、そんなことを言って、二人でちゃんとうがいと手洗いをして、また部屋に戻ってきて、あとはもちろん。

「……大好きだよ、レシィ」

 裸で横たえられて、見上げた主人の身体は、心臓がむず痒くなるくらい、素敵だとレシィは思う。苦しくなって、それだけで目が潤んでくるのを止められない。レシィの持っていない要素を、マグナが全部持っていて、そんな相手が自分を幸せにしてくれるということが、堪らない。

 大きな掌が、頬から首へ、肩へ、腰へ。

「……レシィ……」

「は、い」

 律儀に返答したレシィを、主人は主人で、可愛すぎてどうにかなりそうだなどと考えながら、舐める。尖った耳の先から、熱い耳の下へ、細い肩、「あ、あ、あらってないから汚いですよう」と気にするわきの下も。そして、時折、忘れていないとでも言うように、キスをする、キスをする。舌を絡めてしまうと、レシィは思考能力が著しく低下する自分を知りながら、それでも舌は伸ばした。

 主人の指が舌が、レシィの貧弱な身体に意味を与えた。平たいだけの胸に在る乳首も、男であってもマグナが吸うから、そこはそれだけのものではなくなったのだ。排泄器官として使われるはずの場所も、マグナが触れれば、貴い価値すら持ち得た。何より触れた主人の性器が硬いのは、自分が裸でここに在るからだ、……そう考えるただそれだけで、死ぬことが何倍にも怖くなる。

 繋がって、一つになって、同じようなリズムで呼吸する。

「レシィ」

 長い時間をかけてキスをした。

「お前が大好きだ。大好き」

 その言葉を、そこに詰まる意味を、擦って染み込ませるように、マグナは言った。

「……ごしゅじんさまぁ」

 僕も、あなたが、大好きです、喉が涙で塞がって、言葉にならないで。そんなレシィに、主人は、レシィの知る誰よりも優しい笑顔で微笑んで、抱き締めて。

「……ありがとうな」

 聞こえているからと、言う。どこまでも、満たされる瞬間が、確かにあるのだとレシィは知る。自分の貧相な身体では到底抱えきれないはずの幸福が、それでも濃厚な密度で身体の中に浸透していく。主人が自分を衝くのを、揺すられながら見、その圧力を感じ、ああ僕はご主人さまの恋人なんだ、その認識が、何よりも「当たり前」になっていくのが、苦しいほどに嬉しい。

 幸せは、常に愛しき者と共に在る事。レシィは主人に抱かれ、「大好き」を聴き、そして言う度にそのことを思う。そして、幸せすぎて、時に怖くもなる。それでも主人がにこにこ笑って、「レシィ、大好きだよ」、そう言うから、また泣きそうになって、この幸せを、ご主人さまの喜びを、僕が守るんだ、だって僕は護衛獣なんだ、決意も新たに、美味しい晩ご飯を作ろうと思う。


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