お婿さん

 それは、資料を捲る指先に引っ掛かった言葉だった。

 健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け。

「……みたいなことは、言えない。これは言えない、言ってはいけない」

 窓から吹き込んで来た夏の風がページを捲ったのをしおに、眉間に皺を寄せてマグナは本来の目的を思い出した。

「どこだったっけ……、建築様式……、建築様式、……あ? そもそもこの本じゃなかったかな……」

 そういう言葉がある、ということは前々から知っていた。知っていたけれど、それを正々堂々愛しきひとに口に出来るほどの人間かと自問すると、意外なことかもしれないがこの点に関しては謙虚なマグナは首を振る。俺はまだまだそこまでの男じゃないなあ、と。

 だって。

「少し目を離した隙に」

 眼鏡の奥の瞳を冷徹に光らせたネスティが睨みつける。「何をぼうっとしているんだ」

 彼の御髪は少々乱れていた。無理からぬこと。先日降った大雨で青の組織の図書館は閉架が雨漏りし、いくつかの貴重な蔵書が水浸しになってしまって、その修復作業に追われている。滲んだインクと辛うじて残った――これまた古い――写本を手掛かりに一から編み直すという苦行、おりしもダメージを受けたサプレス関連の蔵書に最も明るいギブソンの不在とも重なり、ネスティはこのところ寝る間も惜しんで当たっているのだ。そういうときには当然猫の手だって借りたい訳で、たいして役には立つまいがという前提付きでマグナに手伝わせているのだが、この通り能率が上がっているとは言いがたい。

「やってるよ、ちゃんとやってる。……資料漁ってたらちょっと気が散っちゃっただけだよ」

 眼をしょぼしょぼさせてマグナが差し出した新しい写本を手に取ったネスティの表情が、たちまち曇る。大きく溜め息を吐き、

「……もう少し綺麗な字で書けないのか。これらの資料は何年も何十年も何百年も先まで継いでいかなければならないものなんだぞ。君は自分の悪筆が未来の召喚士たちを苦しめることになるとは思わないのか」

 冷たい言葉と共に突き返す。「今日はもういい。……明日までに書き直して来い」

 こんな俺で、誰かを幸せに出来るのか、ということをこのところマグナはよく考えるのである。ネスティが特別辛辣な言葉を吐く男だということは知っているけれど、例えばここ一年というスパンで考えても自分が重ねた時間の分だけでも成長しているだろうかということについては、全く覚束ない。この一年でさえそうなのだから、次の一年、その次の一年、十年たっても百年たってもこのままなんじゃないのか俺は、そんな不安に駆られるのも無理からぬこと。

 それでは困るのだ。まず俺が、そして誰より。

「あ、お帰りなさいご主人さま」

 肩と背中に鋼のような強張りを覚えながら戻った部屋に待つ、愛しき者のいる限りは。

「ただいまレシィ。……あれ、また掃除してくれたのか」

 マグナの愛しき者、エプロンを外し、夏らしい白いシャツと太腿までのデニムといういでたち。シャツは買って来たものだが、デニムはマグナのおさがりで、もちろんレシィのウエストに合うはずもないから腰に紐を通してある。

 デニムのウエスト後部に開けた穴からは尾が伸び、それの半ばから先は巾着型のカバーが掛けられている。

「この間のは掃除じゃなくて模様替えですよ。ベッドの下とかも、少し放って置くとすぐ埃が溜まっちゃいますから」

 甲斐甲斐しく尽くす姿は護衛獣の領分を大幅に超えるものである。彼自身、そうした働きを主のためにすることを悦びと感じるような家庭的かつ献身的な性情を持って生まれ育って来たということはまず否定できないにせよ、傍でそうされる立場のマグナとしては、……この子を幸せにしてあげなきゃいけない、健やかなるときも病めるときも以下略と考えるようになることは当然であり、端的に言えば「この素晴らしいお嫁さんに相応しいお婿さんにならなきゃいけない」と、このところ強く思うようになっているのだった。

 マグナは無自覚であるが。

 一年も共にいて、この子が可愛いこの子が好きこの子が愛しいという気持ちを四肢に行き渡らせて生きていたならば、当然責任感だって育ちゆく。一年前の彼と今の彼と、何が違うかといえばまさに其処で、その点だけこの未熟な男は、未熟なだけではない男へと変わるのだ。

 誰に言われるまでもなく、自分がなりたい自分が出来た。護りたいものが出来たときに、腹の底、当たり前の作用として生じた理想像を、穢さぬように削らぬように、日々を生きなければいけないと思った。

「ごめん、仕事持って帰って来ちゃったんだ。ご飯もうちょっと待ってもらえるか」

 一年前なら夕餉の匂いを嗅いだら持ち帰って来た仕事も忘れて愛の虜に変じていたろう。レシィは案じるように眉間に浅い皺を寄せて、「今日も遅くなりそうですか?」と問う。

「まあ……、しょうがないさ。みんな頑張ってるんだから、俺もちゃんと役に立たないとな」

 無論、腹が減っては頭だって回らないに決まっている。レシィだって腹が減っているだろう。あまり時間を掛けずに片付けることが大事だと自分に言い聞かせて、マグナは自室の机に向かう。首を回すと、頭の中心で寂しさがころころと鳴った。

 本当は、帰って来るなりレシィを貪りたいと思った。レシィの柔らかな、それでいてきちんと少年な、身体をぎゅうっと腕に胸にしまって、その匂いでまず腹を満たしたい。しかしそれをしてしまえば、夕飯はもっと遅くなる、明日ネスティに怒られる、ちっとも賢くも美しくもない自分のままだ。それはわざわざ裸足で夏の砂を踏んで歩くような苦しい道だ、……大げさでなく、その歳の少年にとって、愛しいものを抱きたいという欲を堪えるということは。

 

「……午後はもういいぞ、君は抜けていい」

 閉架の浸水に伴う資料の復元にマグナが駆り出されてから一週間が経過していた。その一週間、マグナの心を慰めてくれたのは毎朝レシィが持たせてくれる弁当で、あの少年は毎朝マグナよりもずいぶんと早起きをして、心をこめた昼食を拵えてくれる。本当に、自分にはもったいない、良く出来過ぎたお嫁さんだと、弁当を噛み締めるたびに胸の熱くなるような思いを味わうのだが、ネスティが背後から冷や水を吹っ掛けた。

「え、え、もういいって……」

 また何かやらかしたかと、背筋が凍る。実際、この一週間だけでも思い出せないくらい――もちろんネスティは全部覚えているに決まっているが――のミスを重ねて来たマグナである。愛想を尽かされてとうとう……。

「先輩が帰って来たから、もう君の手を借りるまでもない。君が受け持っていた分は僕が引き継ぐ。どこまで終わっているのか、あるいは一体どれほど終わっていないのか、後で報告をしてくれ」

 レシィの弁当で栄養を補給しているとはいえ、少々脳が糖不足に陥っていたかもしれない。マグナがネスティの言葉の意味をきちんと解するまでには今しばらくの時間を要したし、次には少々の苦しみを味わうことにもなった。

「こっちの、建築様式についての本は、ここからここまで。それから旧式の杖の装飾については、これと、ここからここまで、それからここから最後まで。あと、サプレスの鎧装召喚に関する辞書の索引は、真ん中のここだけ終わってる。無機送還法と融合送還法のこの本は、後半は全部終わってるけど前半は手付かず」

「……どうして一つのことをきっちり最初から最後まで終わらせてから次に取り掛からないのか」

「いや、そっちの方が飽きないし、目先が変わった方が集中力も続くかなと思って……」

 頬杖をついて溜め息を吐いたネスティは、「判った」とだけ言って、手の甲で弟弟子を払った。「後は僕がやる。……家のこと全部あの子にやらせているんだろう、早く帰って掃除でも洗濯でも買い物でも手伝ってやれ」

 マグナはまたしばし、優れた兄弟子の冷淡な顔を眺めていたが、「わかった、ありがとう」ぺこりと頭を下げて、小走りに部屋を出た。

 それは降って湧いたような休日、余暇。想定していなかったものだから、持て余す。やりたいことならたくさんあるけれど、何から手を付けたらいいのか判らない。こういうときには例えば、ネスティの言うことを素直に聴くのがいいに決まっている。まっすぐ部屋に戻ったら、

「レシィただいま! ただいまレシィ!」

 まず第一に、弁当箱を洗うべきなのだが、

「わあ痛」

 テーブルの足を拭いていたところ、突然主が帰って来たものだから、メトラルの少年は驚いて天板に頭をぶつけた。その護衛獣の膝に、自らの膝を当てる近さまで滑り込んで、

「ご、ご主人さま……」

「ただいま」

 夏そのもののごとき笑みで、マグナは言った。もちろん、レシィは何故この時間に主が帰って来たのかを理解できていない。マグナの義務としてはその経緯を一からきちんと説明するべきなのだ。そういう手間を省くから、

「何か、お忘れ物ですか?」

 レシィは心配をする。だってこの少年は心配性である。加えて、マグナが贔屓目で見ても粗忽なところのある男だということをレシィは学んでいる。

「いや、そうじゃない、そうじゃなくって……、ネスが、もう来なくていいって」

「えっ」

 掃除よりも洗濯よりも料理よりも、心配することこそがこの少年の仕事とさえ言うべきかも知れない。

「ご主人さま……、何かやっちゃったんですか」

「何もしてないよ。いや、仕事はしたけど! ……そうじゃなくってさ、先輩が帰って来るから、とりあえず俺はもういいんだって。やっぱり専門の人がやった方が効率もいいだろうしさ」

 マグナがそこまで言ったところで、ようやくレシィはほっと息を吐いた。

「じゃあ、今日からはお忙しくしなくて大丈夫なんですね? ……よかった。ご主人さまお疲れみたいだったし、心配してました……」

「俺そんな疲れた顔してた?」

 疲れを感じていたことは事実である。ただ、レシィの前では隠しきれていたつもりでもあったのだが。

「毎日朝晩お顔見てれば判ります」

 雑巾を手にしたレシィは慎重にテーブルの下から抜け出す。緑色の尻尾の先のカバーを引っ張って外したら、レシィが目を丸くして振り返る。

「掃除はもういいよ。お風呂入ろうよ、……そっちもちゃんと掃除してあるんだろ?」

 レシィが尻尾に被せるカバー、それは彼の尻尾の毛皮が埃をかぶらないようにするためのものだ。メトラルは獣人としては毛皮の保有面積が少ない種族である。だからこそその尻尾は大切にするべきだと、不器用なマグナが繕ったものである。

 レシィが何をしていても、それを見れば今日は掃除をしたなと判る。そしてその頻度は、非常に高い。

「もちろん、してあります。……ええと」

 テーブルからようやく這い出したばかりのマグナの前に膝をついて、「こんな明るいうちからお風呂に入るっていうことは、その、そういうことをすると、いう風に思うんですけど、僕は」不安そうに、訊く。

「んー、そうだなあ。ここのところレシィの身体見てないし」

 忙しくとも、優先したい愛情行為、だけれど、きちんとした男でいたいと思う。理想を捨てることが出来ないからこそ、現実は当然しんどいものとならざるを得ない。明日の朝も早いから、仕事を済ませてすぐベッドに横たわり眠りに就くとき、二度三度の寝返りを打つたび思いのままその腹に顔を埋めて腹いっぱいに匂いを嗅ぎたいという思いを堪えて越えた夜の先、生まれた余白をどう埋めようと、それはまだ「夫婦」より「恋人」という言葉の方が似合う若い二人の自由だろう。

 時間を経済的に節約するならばキス一つで済むとしたって、

「裸見たら、当然触りたくなっちゃうだろうなあ」

 そればかりではきっと干からびてしまう。

 レシィはじいっと主の顔を見詰めて、

「まあ……、それは……、いいです、けど」

 ふわりと頬が熱を帯びる。年の割に身体の成長が遅く、幼さ甘さの抜けきらない身体をしたレシィが浮かべるそういう表情は、マグナの精神年齢を幼くする。俺にはあっちこっち問題があるけれどこの子の前でぐらいはもう少し立派で格好いい男でいたいと常々思っているにも関わらず、そんな理性をどこかへ置き忘れて、

「ま、まっ、待ってくださいご主人さまっひゃっ」

 夢中にさせる。ちっとも格好の良くない、欲望に駆られたただの牡にまで心を堕す。裸になったレシィが身体を洗うことさえ待てずに、その下腹部に顔を埋め、抱き締める。

 滑らかな、柔らかな、肌。中性的という言葉で括ってはいけないようにマグナは思う。確かに曲線的で、ほんのりと脂質感もある身体ではあるけれど、

「ご主人さまぁ……、何してるんですかぁ……」

 ちゃんと、少年だ、牡だ、男の子。そうでなかったらレシィじゃない、だから男の子なのであって。

「レシィの、ちんちんの匂い嗅いでる……」

 少し前から当然気付いていたはずだ。普段これをやると怒る、……当然であろう。怒らせたいとは決して思わないのだが、レシィがレシィたるゆえん、自分と同じ性のシンボル――でありながら、ずっと幼くそれゆえに「愛らしい」としか形容できない場所――の匂いを嗅いだりしゃぶりついたり、いつまでも飽きることなく指で弄り回したりと、マグナはいつも執着した。レシィと出逢うまで、一度だってそういう類の興味を同性の性器に向けたことなどなかったのに、……まだ、毛も生えて来ない、皮も剥けない、シンプルで未成熟な少年の証がマグナを虜にして久しい。「レシィちんちん見せて!」と、まあこのところはここまで直接的な求め方こそせずにはいるけれど、マグナはレシィの全体が可愛く思うのと同様に、その局所もいとおしくて仕方がないのだった。

 レシィが恥ずかしさに身を捩るのも構わず、顔そのものを使って愛撫するようなやり方をいつもマグナは選ぶ。そういうやり方の延長線上に、どうせ心地よくなって甘い声を漏らすことを学んでレシィはだから、余計に恥ずかしがる。そもそもマグナだって自分の不潔と思う場所を洗わずにレシィに触れさせることは厭うくせに。

 しかるに、

「……嫌がらないの?」

 尻の弾力を掌で味わいつつ、鼻を当てるだけでは足りなくなって来ている。レシィの、胸の前で組んだ手が、そろそろ頭を押さえつける頃だろうと思っているのだが。

「……やですよ、恥ずかしいです、……今日どれだけ汗かいたと思ってるんですか、すごく、暑いですし……」

 マグナは自分の鼻腔の奥に届く匂いの粒子でそれは判った。ほとんど拝みたいような気持ちさえ抱くのだ。俺のために俺なんかのために完璧に家事をこなしてくれる、少年の姿形をし精神を宿した「お嫁さん」のその場所は、レシィが今日半日どれほどの純情を纏って働いてくれたかをマグナにとても判りやすく伝える。

 だからこそいとおしい匂い。

「でも……、ご主人さま、お仕事頑張ってた、から、……だから、今日は、特別です……」

 組んでいた指が解かれ、マグナの髪に落ちる。

「ごほうびってこと?」

「……ごほうびだったら、もっといいものあげなくちゃ、ダメです……」

 舌先をまだ柔らかい茎に這わせても、レシィは咎めない。「明日は、お休み、なんですよね……?」

「……ん?」

「……お腹、壊したら……、困りますから……」

 まあ、壊しはしないとは思う。仮に壊したときのことを考えて、一口に含んでしまいそうな衝動を堪えることが出来たのは、病めるときもこの少年は自分のために働いてくれてしまうに決まっているから。

「レシィのちんちんは洗っても美味しいからな」

 跪いたまま顔を離して、ほんの少し安堵したような恋人を見上げる。

「俺のは洗わなきゃ色々まずいし、とりあえずせっかくお風呂沸かしてくれたんだから綺麗になろう」

 綺麗な身体でなければ綺麗なベッドに裸で横たわるのも憚られる。それからもう一度風呂に入る。そういう予定を立てて、……ああまず第一にレシィとキスをしたい、ちんちんだけじゃなくっていろんなところにしなくちゃいけない、同じぐらいにしてもらいたい。

 予熱が余熱へ変じた僅かな時間を挟んで、再び熱する前に窓を閉める。マグナの胡坐の中に、向かい合わせで収まる身体のサイズはそのまま、この子をどうにかして守らなきゃ幸せにしなきゃという思いをマグナに抱かせる。繰り返しキスをして、その間中、互いの欲を煽るように指を這わせて、「レシィ」子供のように遊ぶときには、「おっぱい触っていい?」マグナの精神年齢はきっとレシィと同じぐらいか、もっと幼いところまで落ちる。

「いいですけどぉ……」

 ベッドの上に横たえると華奢にさえ見える。少なくとも首も手首も細いのだから華奢であると断じていい。少し日に焼けた頬に始まり滑らかな声を発する喉を経由してうっすらとした胸骨の凹凸を辿って、乳首、淡い甘い色で、おかしいな艶を帯びて見える。

「さわっ……」

 口で吸うことも含めて「触る」と言って問題はないはずだ。一応は召喚士でありながらも硬い肉の薄鎧を纏ったマグナのそれとは全く異質で、唇で柔らかさを感じる。些細な突起に過ぎないはずなのに、ツンと尖ってマグナを求めているかに見える。

「んんぅ、……っん」

 右の乳首を舐りながら右手で捉えたレシィの幼芯の先が濡れ始めていた。指摘するために皮先に音を立て、つまんで搾り出した蜜を茎へ伸ばしていく。陰嚢に辿り着く前に乾いて尽きたが、そのまま円い袋をたなごころに包み、中指の先でマグナが「入口」という意味を与えた場所を擽る。

「今日も、レシィが、可愛いなあ……」

「……は、い……?」

 馬鹿みたいなことをそのまま口に出してしまったから、震えながらレシィに訊き返された。

「今日もお前が可愛いから、俺は愛さなくっちゃって思う……」

 これにしたって意味不明だろう、ごまかすように唇をまた、乳首に当てた。頭部にレシィが腕を回して、「ごひゅじんさまも、かっこいいから、僕が……、愛します、愛ひ、たいって……」まだ湿っぽい髪をかき混ぜるように撫ぜて、言った。閉じられた南向きの窓からこれでもかと言うほど差し込む夏の陽射に汗ばんだマグナの肌が、焼けるように熱くなる。顔を上げて、目が合って、どういう意図かにこりと微笑んだレシィの顔を見て、恋々と焦げる焦がれる。

 ぐっ、と……、息を止めることで衝動を抑え込んでから、

「レシィが可愛いから、挿れたい……、ああ、この……、もう、何ていうか、レシィに挿れて、レシィの中で、思いッ、……っきり射精したい」

 実際の行為の代わりに、恥も外聞もない言葉を掠れた声で搾り出す。滴るような欲望をそのまま、愛しい者に――苦痛と無縁でいられるはずもないことを知った上で――求めて、一体この男のどこをどんな風に見たら「お婿さん」と呼ばれるに相応しいのか、何一つ判らなくなった瞬間は、

「……うー……、はい、いいですよ……、わかりました、はい」

 この男自身が誰よりも「お嫁さん」だと思う少年によって丹念に摘まれる。

 身体の下から抜け出したレシィが、枕に顔を埋めて尻を向けた。少年であるレシィの身体に在って、最もその性徴に乏しいと言っていいであろう尻と向き合い、緊張を催す尻尾の付け根を宥めるように撫ぜながら這わせた舌に、甘く潮っぱい汗の味が届いた。

 馬鹿になるのは簡単だ。可愛い、可愛い、そればかり考えて過ごす時間を重ねれば重ねるほど、脳は蕩けて行く。レシィが見せる一つひとつの反応を拾い上げるだけで、きっと一生退屈しない。

 指を括約筋に噛ませながら、ピンク色に染まった耳へと「好きだよ」と、「レシィ、好きだよ、大好きだよ、愛してる」と、差し込む己の声が自分で思うよりもう少し格好良く響いたと、

「……す、っき、です……!」

 震えながらレシィが正直に答える声を耳にすることで確信するに至る。

「……挿れる……」

 小さくレシィが頷く、ほとんどそれは枕で額を擦る程度のものではあるけれど。

 考えてもみれば……。

 これほど可愛いレシィを、俺が「お嫁さん」だと思っている。そういう俺のことを、この子が受け容れてくれる。その時点でもう、俺は十分なんじゃないか。

 ……そういう考えが一瞬浮かんだことをマグナは認める。しかし、それはすぐ止まった。声を塞ぐための枕からレシィが顔を上げて、

「っああ……!」

 髪を乱して、声を放ち、その肉が、マグナを呑んだ。途端に考えを転がす余裕などなくなるに決まっていた。自分と同じ温度をしたレシィが、マグナを抱き留め、離すまいと吸い付き、絞る。俺はこんなにも愛されているのだから、もっともっと、良くならなくっちゃ……、ということを、実際に考えたかどうかは判らない。ただそれは、このところずっと意識的にマグナが考えようとしていることと同一で、言うなれば昨夜見た夢をなぞり直すように儚く、無意識のレベルで継続的に自我を支配する思考と思想の固定化。

「ご、ひゅ、っン、ん、っじっ、さまっ、っあぁ、あっ、すっ……ンッごいっ、すっご、ぉっ、おっ、っん! いっンッ! んんッ……! っあ! っつい、っ、ご、ごひゅじんさまっあっ、あっ、熱いのッ……ぉ……!」

 レシィが可愛い。それはどれほど過ぎようとも、病めるときも健やかなるときも不変のことであろう。その事実がマグナに齎す力は大きい。この怠惰で謙虚な男は、本当は自分以外の誰かがとりわけ高く評価する訳ではないのかも知れないレシィのことを思うたび、これからの日々がどれほど過酷なものであろうと膝を折ることなく進んでいくことが出来るのだ。

「熱かった?」

 並んで横たわっている。ただし、二人の頭の位置は大きく違って、マグナはレシィの股間に顔を寄せている。牡の匂いがする、汗の匂いもする、けれど飽かず、いつまでだってそうしていたいようなのんびりとした気持ちで。

「……ええと、……はい、熱かったです」

「溜まってたからかな。ここんとこしてなかったし」

「……そう、なんしょうか」

 レシィは半身を起こして、「暑くないですか……?」掌で顔の汗を拭ってマグナに訊く。陽は傾き始めていたが、締めきって陽射だけを迎え入れる部屋にいれば汗が止まらないのも当然と言えた。

「暑いなあ。でも窓開けちゃったらレシィに声出させられなくなっちゃうし……」

 溜め息を吐いて、レシィがまたころんと横たわった。

「……ねえ、ご主人さま?」

 先まですっぽり包まれた白い陰茎を指で優しく弾き回すマグナに、レシィは訊く。「飽きませんか?」

「飽きないなあ」

「そうですか。……あの、僕は」

 尻尾に顕れていないから、不快ではないのだろうと判断して、マグナはいつまででもそうする。もちろん、レシィが眠いならもうやめてもいい。

「ご主人さまのことが、……好きです。なので、……その、例えばいま、その、……僕のおちんちんそんな風に、してるご主人さまのことだって、好きなんです。もちろん、お仕事頑張ってるご主人さまは、すごく格好良くて、尊敬します、でも、そういうときだけじゃなくって、いつも、……いつも、僕はご主人さまのことが、好きなんです、よ」

 レシィは可愛い少年だ。そのことを誰より一番判っているつもりのマグナは、改めて自分の愚かさを知る。

「そんな甘やかしたらダメだよ。俺はもっと、ちゃんと、……ね」

 そう言いながら、目の前のレシィの陰茎が、いっそう甘く香るように思われてならなかった。花に寄る蜂のような、虫のレベルにまで堕ちて行きそうなところを、

「ひゃ……!」

 堪えきれずに一度、口に含んでしまったけれど、ぐいと身を起こす。

「お風呂入ってさっぱりしようか」

 中途半端な利口さを発揮する主のことを、レシィはぽかんと見上げて、小さくこくんと頷いた。


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