早朝の戯言

ショタスクアフター三題噺@都内某所のファミレス、徹夜のテンションで。
一の題「乳首」
二の題「ハラボテ」
三の題「宇宙」

 息苦しさの限界を超えたときには急激な眠気を催した。彼は先日の、三学期の始業式で初めて経験した貧血の感覚を自らの身に甦らせた。重力に従って床に二本の足で立っている心算なのに、床自体が軟体生物のように蠢き足の裏を除いて盛り上がり、口付けを請うように近付いて来る。遅れて破裂するような衝突音と、やはり硬かった床が激しく顔を打つ――、これが現実に起こりうることではないと思ったのは、身体が何処までも落下して行くことを自覚していたからだ。頭を下に、足を上に。

 然るに不可解なのは、足は足で頭は頭でぐにゃりと歪んだように思えながら痛みもないことだ。自分がどう言う状況にあるのかを確認する必要があるようだと考え始めたのは、彼の心臓がきちんと動き、遠いところで自分の呼吸が反響しつつ聴こえてくることに気付いたからだ。

 彼は、保健室に居たはずだ。同級生の「N」との放課後を二人きりで過ごすために其処を選んだのはNのほうだ。「ベッドもあるし、中から鍵も掛かる、だから誰も来ないよ」とNは甘やかに囁き、彼を誘ったのだ。

 消毒液臭いベッドの上で、彼は初めてNの裸を見た。Nは体育の授業のときでも着替えるところを人に見られるのを嫌がって、わざわざトイレの個室まで行って着替えを行っていた。そんなNをからかう他の男子から庇ったのが彼である。かくして彼はNの裸を見る特権を手にすることとなった。……Nは少々頑固で我が侭なところもあったが、猫の目ようによく変わる表情、とりわけ笑顔には人目を惹き付ける愛らしさがあり、Nが同性に恋をすると判っても彼がNの一番側に居ることへ障害は何も無かった。

 Nの裸は美しかった。背は小さいが、体幹は体操服の半袖半ズボンあら覗く腕や足の印象よりも案外に肉付きがよく、端的に言えば発達の途上にあるような緩いボディラインをしていた。

 とりわけ彼の目を引いたのはNの胸部である。腹部同様に甘ったるく曲線的であり、威勢の胸のようだと心拍を早めてしまったが、彼は気の早い心臓を諌める。女ではなく、男の中でも特別なNの胸だという理由に感動を覚えるべきだったのだ。しかしながら、それすらもフライングと言うべきであった。

「恥ずかしいな。他の子と違うでしょ?」

 Nは其処に彼の視線が彷徨うのを覚えつつ、微笑を自らに強いているように見えた。

「一緒に着替えなかったのは、それのせいか?」

 彼がこのところ掠れ始めた声で訊くと、Nは「Rになら、見られてもいいかなって。本当は隠してたいの我慢してるけど、……みたいなら」と答えた。

 彼は衝動に従順だった。ワイシャツがまだ腕に引っ掛かったままのNを押し倒し、自分のズボンのベルトを緩めるより先に、独特な形状をしたNの乳首に吸い付いていた。

「R、そんなに吸ったら、だめだよ」

 そんなことを言われた記憶は確かにある。ただ彼はぷっくりと膨らんだNの乳輪と、粒ではなく亀裂の形をした乳首――と呼ぶべきかさえ迷うような場所――を、強く強く強く、吸っていた。激しい興奮と共に、甘いような潮っぱいような味を覚え、激しい興奮とともにトランクスの前が急速に窮屈になっていくのを彼は感じる。初体験の彼らにとって段取りなどというものは無く、目の前にある性的なものに興味をまるごとぶつけていくことしか頭にないのだった。

 亀裂の内側に、本来の乳首たる粒が眠っている何となく彼の脳内で諒解されていた。そう考えが至ると、彼の中に其れを剥き出しにせずには居られないような思いが破裂し、中に詰まった熱湯が心のあちこちにむず痒いような火傷を生じさせ、何もかもがもどかしく思えるようになる。

「ん、もう……、そんなにしたら」

 Nが身を捩じらせて言葉を漏らすのと同時だっただろうか。彼の身を墜落に似た感覚が襲ったのは。――此処は何処だろうか、彼は自分の息使いを遠くに聴きながら、考えを巡らせる。視界に瞬くのは星のように思われた。明るいようで、極端に暗い。朦朧の波頭が身の縁で弾ける。周りは紺色をしているようにも見える。またちらちら星が瞬く。彼は自分のどちらが上かどちらが下かをとうに見失っていた。此処は無重力空間ではないのか、という理解が妥当としか思えなかった。

 N、と名を呼ぶ。何処へ行ったのか、問いかけた途端、「此処に居るよ」と反応よく返答があった。Nは全裸であった。

「此処が何処か判る?」

 Nは弱りきったように訊いた。彼は「宇宙」と答えかけて、しかしそれを口に出すことに迷いを覚えていたら、先にNが耳元に唇を寄せて、「あんなに強く吸うからだよ……」と囁いた。

 彼は愕然とした。おれはNの乳首を吸っていた、……中に閉じ込められた乳首の粒がどんなか見てみたくて、執拗に吸っていた。ところがおれは、逆にNの乳首に吸い込まれてしまったのだ。

 しかし、だとすれば目の前に居るのは誰だ?

「R、大丈夫?」

 Nが両手を伸ばして彼の頬を包む。柔らかくて冷んやりとした掌が心地良く嬉しかった。こんな状況に在っても一瞬で心が和み、胸に思いが湧き上がり、

「Nは可愛いな」

 と思った事を思った以上の素直さで声に出していた。或いは、それはいま彼の在る状況の不確かさを示唆していたかもしれない。しかし彼はそれには気付かなかった、Nが彼の相変わらず勃起したままの性器に手を伸ばしたからだ。この期に及んで彼はようやく、自分も知らないうちに全裸になっていることを知る。

「ぼくの中に、来る?」

 Nの問いに、どう答えるべきなのか彼は悩む。此処は既にNの中ではないのか、そういう気がした。ただ、誰かにあらましを述べたところで納得してもらえないと彼自身判る状況に在って、Nの問い掛けに首を振る理由もないのだった。

 浮遊するNはぴったりと彼に身を重ねる。両足を彼の腰に絡みつけ、腕を首に回してキスをした。「Rは……、じっとしてていいよ。ぼくが、してあげるから」

 Nの肛門だ……、と彼は思う。しかし想像していたほどに苦しさは無かった。彼の性器はNの足の間の後部にある窪みの中に、快いほどの圧力とともに呑み込まれていた。

 彼の頭は白んだ。Nと一つに繋がることを、彼は何度も何度も夢想してきた。この曖昧な空間で其れがこうして叶ったことに、彼は言葉も発せないほどに感激していた。

 Nの胎内はうずうずと彼の男根に微細な肉壁で以って絡みついた。浮遊したNは腰を揺さぶり、時折吸い付くように扱き上げる。陰嚢の内側がしみて痺れた。酸に晒されたような錯覚に迷い込む。自分が間もなく射精するのだと気付く。Nの身体で射精するのだ、Nの胎内に射精するのだ、大好きな大好きなNで。

「R、大好き」

 その言葉が、性器の内側に重たく圧し掛かった。苦しみにも似たその重さを解放するためには、括約筋を絞り上げるだけで良かった。

 彼の射精は長く続いた。Nは嬉しげな声混じりの息をその唇から溢れさせる。……やがてゆっくりと接続は解かれた。ふわふわと浮かぶNは彼に相対すると、大事そうに自分の下腹を撫ぜて、「Rの精子、呑んじゃった……」と微笑む。

 信じがたい現象が起きたのはその直後だ。射精の余韻に揺らめいた彼の視線の先でNの手の外された腹部がむらむらと膨らみを帯び始めたのだ。一つ瞬きをするたびに、Nの下腹部は膨張し、……体操着の内側にバスケットボールを仕舞い込んだときのように、……いや、Nは裸である、Nの腹部が急激に肥大化していることは、疑いようもなかった。

 Nは、妊娠しているのだ。

 彼は呆然としつつも、凄まじいスピードで思考を回転させ始めていた。……Nを妊娠させてしまった、十月十日たった後に、Nは出産するだろう。Nから産まれるのはおれの子供だ、おれはその子供の父親だ。「責任」という言葉が彼の中にぽくりと泡のように浮かんで弾けた。

 ……Nと結婚しなくてはならない。

 決定的な結論に至る前に一瞬の躊躇いが挟まれたことは否定出来ない。しかし再び、自分の膨らんだ腹部に手を乗せ、幸せそうに優しい手付きで撫ぜはじめたNを見て、彼は自らを恥じた。幸せにしなくては、……Nも赤ん坊も、幸せにしなくては……。

「N」

 次に顔を上げたときには十月十日が経過していた。Nの手には赤子が抱かれていた。真珠のように美しく愛らしい赤子であった。

 

 

 

 

「赤ん坊は? 俺たちの、子供は……」

 足の間から見上げるNへの、彼の第一声が其れだった。

「R……?」

 唇をぺろりと舐めたNが目を丸くして、それから安堵したように笑った。「よかった、気が付いた」

 彼はズボンとトランクスを脱がされていた。Nは相変わらず上半身が裸で、苺飴のような乳首を晒している。

「もう……、びっくりしたんだよ、急におっぱいすっごい強く吸ったと思ったら、ひっくりかえっちゃうんだもん」

「ひっくり……」

「呼んでも起きないから、……だから、Rのおちんちんに悪戯しちゃった」

 じわじわと広がっていく理解に、彼は知らず頬を赤らめた。何という夢を見ていたのか……、自分の想像力の無節操さがたまらなく恥ずかしかった。Nが酸欠で気絶した自分の陰茎を、どうやら咥えていたらしいという事実は、彼の頬をなお一層赤くしていく。Nが独特の形の乳首を恥じるように、彼もまだ指を使っても上手に剥けない自分の性器を、出来ればぎりぎりまでNにだって隠しておきたいと思っていたのだ。

「そう……、そうか、うん……、うん」

 彼は自分の胸に手を当てて、幾度か深呼吸をして、現実を把握しきった。

「赤ん坊ってなに?」

 Nに訊かれて、咄嗟に彼は言っていた。「もしもお前に赤ん坊が出来たら、……おれの赤ん坊が出来たら、おれ、命を賭けてお前と赤ん坊を幸せにするよ」

 それは夢の中以上の円滑さで彼の舌が紡いだ言葉だった。

 Nはぽかんと口を開けて、やがてにっこり微笑むと、こっくりと頷く。

「……ぼくにも、赤ちゃん出来るかなあ」

 Nはふっくらとした自分の腹をひと撫でした。程よい脂質感のある表面を指先が撫ぜるとき、微かに撓むように見える。まだその場所も、他の場所も、彼の指は知らなかった。順番に一つひとつ、隅々まで触って、知っていけばいいのだという気がいまはする。

「試してみようか、……いっぱいしたら、ひょっとしたら出来るかもしれないよね?」

 Nの言葉に、彼は意志を篭めて頷いた。もし仮に、二人にそんな未来が来なくとも、一生をかけてNを幸せにするという決意には一点の濁りもない。

 


お疲れ様でした!