没文003





三月も終わり。

暖かな風の中に春の香りが満ち始めて、微かに桜の香りが鼻につく。強い風は春先には珍しくもなく、冬の北風と違って穏やかな日差しの中のそれは存外に心地の良いものだった。
先日、中学の卒業式を終えて春休みに突入したばかりで。昨年までならば毎日部活があったけれど、中学を卒業し高校に入学する前という中途半端な現在の状況では余りある時間をただ持て余してしまうだけだった。


否。


持て余す、とは違うのかもしれない。
実際、滅多にないこの休みを謳歌しようと部活仲間たちから幾度となく誘われはしたのだ。しかし、どうしても彼らと出かける気にはなれずにありもしない予定があると、何かしらの理由をつけて全てを断っているのは紛れもなく己の意思だった。

どうして。

その理由はわかっていた。
彼らと過ごすより他の誰よりも、修悟は廉と過ごしたかったからだ。



卒業式の日。

後輩らも交えた部活仲間皆集まっての三年生の送別会に廉は現われなかった。それは修悟も頭の片隅で予想してはいたこと。
けれど最後くらい、きっと。
そう僅かな希望を持っていたのも事実で。
―――その希望は見事に裏切られたけれど。
仲間たちのことが嫌いなわけではない。
彼らの気持ちも修悟には理解できた。
けれど、廉の気持ちも痛いほどに理解できたから。
だからなのかもしれない。
唯一人、廉を外しての送別会を過ごした後の春休みに彼らと過ごす気にはどうしてもなれなかった。

ならば、廉を誘って過ごしたのか。

と聞かれればそれも否だった。
向こう隣の廉の家、すぐに訪ねていける距離なのに。後ろめたさと罪悪感からか。春休みに入って数日たつにも関わらず、修悟は卒業式のあの日以来、一度も廉と顔を合わせてはいなかった。
誘おうと思ったことは何度もあった。
直接ではなしにしても、携帯を握って連絡を取ろうともした。電話なり、メールなり、きっと自分が誘えば廉は喜んでキャッチボールでもしようと言うに違いないと、そう思って。
けれど、結局修悟は一度も廉のことを誘えずにただ時間だけが過ぎて。
馬鹿みたいだ。
オレはこんなにも臆病だったろうか。
ただ一言誘えばいい、それだけなのに。それが怖くて出来ないなんて。自嘲のような笑みを浮かべて、今日もまた。握り締めた携帯を部屋の隅へと放り投げてため息をついてベッドに身を預けた。
開け放した窓から入る風が心地いい。
ぽかぽかした日差しは暖かくて、うとうとと瞼が重くなっていくのを感じた。


次に修悟が目を開いたときには窓の外はすっかり暗くなってしまっていた。
ちっと小さく舌打ちをする。結局今日も、廉の顔を見ることも声を聞くことも叶わなかった。変に臆病になってしまっている自分が悪いんだと判ってはいるけれど。
時計で時間を確認すると既に夕飯が近い。そういえば階下からいい匂いがするなとダイニングに顔を出せば案の定、夕飯の準備が整っていた。
高等部の準備はすんだのかと聞いてくる母の言葉を半分聞き流しながら食事を取る。普段は見ないテレビ番組ばかりで視線はテレビに合わせるものの内容はてんで頭に入っていかなかった。

「修悟、あんた廉ちゃんにちゃんと挨拶したんでしょうね?」

ふいに母に聞かれた。
言葉の意味が判らなくて一瞬、目をぱちくりとさせる。

挨拶?
一体なんの?

「廉ちゃん、今日埼玉へ帰ったんでしょう?高校は外部受験したから実家から通うからって。」

ガツンと頭を殴られたような衝撃が修悟を襲った。母の言葉が上手く理解出来ない。母は今、なんと言った?
帰る?
誰が?
廉が、埼玉へ?
嘘だ。
だって。
だってオレは。


オレはそんなこと聞いていない。

廉はそんなこと、オレに一言だって言わなかったじゃないか!

母の言葉から後のことはあまりよく覚えていなかった。ただ、義務のように箸を動かして食事を終えて自室へ戻った。

思考が、ぐるぐるとして定まらない。
先ほどの母の言葉だけが、頭の中にある。
廉はもう、いない。
もういない。
廉は埼玉へ帰ってしまった。
廉と野球をすることはもう出来ないのだ。









原稿からの没ネタ。
書いてる途中に本誌で8巻に収録されたカノミハ過去話が発表された
ので急遽原稿を差し替えたのでした。
「春嵐」ってタイトルでした。