温もりを感じていたい。









「あれっ?」





ドロドロに汚れた練習着を乱雑にバッグの中に詰め込みながら叶はふと声を上げた。

「叶?どした?」

「忘れモン、ワリィ先帰ってて。」

どうやら今日出された数学の宿題プリントを忘れてきてしまったらしい。いつもならそれ位気にも留めずに帰ってしまうところだけれど、明日の授業で当たる予定なので流石に真っ白のまま授業に臨むわけにはいかない。

叶は小さく舌打ちをすると薄暗い校舎へと足を向けた。








廊下の端から目を向けると己の教室に明かりが灯っているのに気付いた。

時刻は既に6時半少し手前で完全下校の時刻も近いこの時間、校内に残っているのは遅くまで部活動にあたっている生徒達くらいのはずで。
大抵の生徒達は部室から真っすぐに帰宅してしまうのに珍しいこともあるものだと叶は首を傾げてゆっくりと教室に近づいた。

半開きの扉からそっと中を伺うと、そこにいたのは薄っすらと涙を浮かべた廉だった。

「れ、ん?」

驚いて思わず声をかけると廉はビクリと大きく肩を揺らして振り向き、叶の姿を確認すると今度はほっと安心したように顔を緩ませた。

「かの、うくん…っ。」

「何やってんだよ、忘れ物?」

「あ、う、えっと…今日貰った、す…がくのプリント…失くしちゃったみたいで…。」

どもりながら話す廉の様子に合点がいった。

誰かに、故意に隠されてしまったであろうプリントを部活が終えてから今の今までずっと探していたのだろう。

廉が誰かに隠された、なんて口にしないから叶も問い詰めたりはしないけれど。



けれど。


こんなときくらい、自分を頼ってくれてもいいのに。



そう思わずにいられない。

廉は叶を頼らない、どんなことをされても叶を頼ったりはしない。何もかも全て一人で抱え込んで、傷付いて一人で泣く。

その証拠に廉は「修ちゃん」ではなく「叶くん」と呼ぶ。

せめて二人きりのときくらい昔みたいに名前で呼んでほしい、叶がいくらそう願ってもいくらそう言っても廉は。

控え目に他人行儀な、ぎこちない笑顔で寂しそうに「叶くん」と呼ぶから。

だから。

叶は何も聞かない。







「…オレもプリント忘れて取りに来たんだ、探すの手伝う。」

そう言うや否や、廉の返答も待たずに叶は手を動かした。

「か、叶くっ…!いい、よ!オレ一人で大丈夫、だからっ!」

思いも寄らなかった叶の申し出に廉は慌てて手と首を横に振って遠慮する。

「いいから、お前は机とカバンをもっかい見てみろよ。」

努めて明るい声で、笑顔でそう言うと廉は俯いて小さな声でポツリと礼を言った。そのときの表情は本当に嬉しそうで叶はそれだけで充分だと、そう思った。

ゴミ箱と学級文庫の棚の周辺を見回してみる。

判るようになどなくて、破り捨てられた形跡もなく、もしかしたら焼却炉に直接捨てられてしまったのかもしれないという悪い予感がちらりと頭を過ぎった。

教卓周辺を見て、なかったら廉には己の分をコピーしてやればいい。そう考えてひょいっと教卓の中を覗いていた。



―――あった。



泥っぽい靴痕がついて、くしゃくしゃに丸められてしまったプリントが教卓の中へ押し込まれていた。

恐らくわざと。

見つかるかもしれないような場所に置き捨ててあることに陰湿な悪意を感じ、怒りを感じずにはいられない。



「叶くん?あった?」



怒りで見つけたばかりのプリントを更にくしゃりと握り潰してしまったところで廉に声を掛けられてはっとした。不思議そうに教卓の前にしゃがみ込んでいた叶の顔を覗き込むようにして身を屈めながら。

思わず手にしているプリントを後ろの隠す、その拍子に手が廉の身体にぶつかってしまいそのまま廉はバランスを崩して抱きついてしまうような体勢で叶の胸の中へと倒れこんでしまった。









首筋に廉の息が掛かる。



ふわふわした茶色のくせっ毛が鼻先を掠めて、腕の中にある廉の身体は小さくて華奢だった。



心臓が煩いくらいにドキドキしているのが自分でもよく判って。



身体中の血管が沸騰しているかのような錯覚。



全ての感覚を廉と触れ合っている箇所へと集中させる。



「叶、くん…?」





衝動的に。

そう言うのが正しいのかどうかなんて判らないけれど、身体が勝手に動いていた。



腕の中の廉をきつく抱き締めて、口付けた。

少しかさついた唇は柔らかくて温かくて、叶を夢中にさせるに充分で。

驚いて、見開いたままの廉の瞳に否定の色が浮かぶのを見たくなくて、叶は目を閉じた。


かたかたと小さく震える唇。








このキスが終わったら廉はまた泣くのかもしれない。


泣かせたいわけではなかった。


笑っていてほしかった。


だけどやめられない。




…このまま時間が止まってしまえばいい。

震える廉を腕の中に堅く閉じ込めながら、廉の温もりを感じながら。

無理だと判っていても、叶は願わずにはいられなかった。





このまま時間が止まってしまえばいいのに。

















ハスしゃんへの捧げもの。