さよならのキス 差し出した手におずおずしながらゆっくりと、それでも必ず。 少し緊張して、汗ばんだ掌を重ねる。 重ねられた掌をしっかりとぎゅっと握り締めて、にっこり笑って暮れかかった茜色の空の下、二人並んで家路につく。 二人でいられるだけで幸せだった。 …ただ、それだけだったのに。 三月も終わり、今年は春の足が速く例年よりも早めだとニュースで聞いた。群馬にしては珍しく、桜の蕾が目立ち始めていた。 卒業式も終え、高等部の先輩たちに混じり練習を始めてはいたが正式部員ではないので練習漬け、という程に忙しくはなく。叶は足取り軽く、向こう隣の家を訪ねた。 廉に会うために。 廉とゆっくり時間を取るのは久しぶりだった。 共学なはずなのに何故か女子部と男子部に別れている三星学園では校舎が違ってしまえば男女が会う機会なんて学校ではまずなくて。 校外で会えばいいと言えばそれまでだけれど、野球部とソフトボール部と、共に運動部に所属していては目下の予定は部活が最優先で。 家に戻れば戻ったで、廉の従姉妹のルリがなにかと邪魔をしてきてふたりきりになるどころではなく付き合っていると胸を張っては言えない状態が常だった。 だから、久しぶりに。しかも廉の方から会いたいと叶に連絡を入れてきて本当に嬉しかった。 呼び鈴を鳴らすと、ぱたぱたと軽い足音がしてすぐに扉が開く。廉はそのまま外に出てきて叶の隣を歩き始めた。 付き合いだしたのは中学に入ってからすぐのことだった。 小さな頃からお互いが大切で、大好きで、特別だった。だから一緒にいたくて付き合いだしたのは極、自然なことだった。 三星学園の男女が付き合うこと自体がとても珍しいこと、そしてその生徒が理事の孫であること。 その事実は必要以上に周囲から注目を浴びて、叶は周りからからかわれ、廉は生意気だと言われて女子部の中でどんどん孤立していった。 従姉妹であるルリは出来る限り廉を守っていたけれどそれも限界があって、元々内向的で大人しかった廉は一層大人しく、人見知りになった。 それでも叶には笑顔だったし、何より叶がいてくれるから大丈夫だと明るく振舞っていた。 だから、叶は周囲にからかわれたり、廉と付き合っていることで『逆玉狙い』だの言われることにも我慢出来た。 ―――廉が笑っていたから。 廉が笑顔だったから、だから。 どんなことにだって、廉のためなら我慢出来た。 ゆっくりとした歩調で叶の前を歩く廉が立ち止まったのは昔、叶と廉と、それからルリと。 一緒によく遊んだ公園だった。 遊具で遊ぶ子供の姿はなかった。 「か、のうくん」 「廉?そんな呼び方、どうかしたか?」 いつもは呼ばないような苗字での呼び方を訝しく思って、廉の名を呼ぶ。 廉の高すぎない声で『修ちゃん』と、そう呼ばれるのが本当に好きなのに。 「わ、かれて…下さい。」 俯いて下を向いたまま。 叶を真っすぐに見ることのないままに廉が言った。 「…えっ、?」 廉の言葉を理解することが出来なくて、叶は言葉を詰まらせる。 「れ、ん?」 「わかれ、て…おねがい」 廉は相変わらず下を向いたまま、叶を見ようとせずにもう一度言う。 「ど、…して」 叶がようやく廉の言葉を理解して、口から零れた声は掠れていた。どうして?理由が判らない。何故急にこんなことを言い出すのか、廉は本気なのか。 「ごめんなさい…」 「謝って欲しいんじゃない!どうしてっ!?」 下を向いたままの廉の顎に手をかけて無理やりに上を向かせて問いただす。 …廉は泣いていた。 「わかれ、て…」 ぽろぽろぽろぽろ。 涙を零しながら廉はうわ言のように同じ言葉を繰り返す。 「埼玉に、かえるの…。高等部へ行かない…だから、叶くん」 お願いだから別れて下さい。 そう言う廉がまるで別人のようだと感じた。 こんな廉は知らない、こんなの廉じゃない。けれど今目の前で泣いているのは間違いなく廉だ。 「どうして…」 「ごめんなさい…」 ふるふる首を横に振って泣きながら謝って、それでも廉は別れるという。 埼玉へかえる、だから別れたい。 その理屈が判らない。 けれど廉はオレが今更何を言ったってきっと考えを曲げたりしない。 どうして。 「れ、ん…」 掠れた声で名前を呼んで、嗚咽を漏らして泣き続ける廉にキスをした。 きっとこれは、最後のキス。 何度も何度も交わしたキス、馴染んだ唇。 けれど触れるのはきっとこれが最後。 最後のキスはしょっぱい涙味だった。 「ごめんなさい…」 長いキスを終えて、唇を離したとき。 廉と己の頬を伝った冷たい感触。 それはどちらの涙だったのだろう。 |
餡さんへ勝手に捧げます。