ゆっくり深呼吸して。 「修ちゃんが一番す、きっ!」 「オレも。廉が一番好きだ」 子供の頃、オレたちの世界は狭かった。オレたちの世界には互いの存在とボールとグローブ。それだけがあれば、それででよかった。 廉が好きだった。 家族より、ほかの同級生たちの誰よりも。 「修ちゃん」 オレのことをそう呼ぶ少し擦れ気味の高い声が好きだった。 オレが知ってるどんな女よりも大きな瞳も、白くて細い華奢な身体も、ふわふわした色素の薄い柔らかな髪の毛も、泣きながらオレの名前を呼んで頼ってくるところも、照れ臭そうに控えめにはにかんだ笑顔も。 なにもかも、廉が。廉のことが大好きだった。 だから会えるときにはいつだって一緒にいて、いつも傍にいられるわけではないからと離れていた時間や距離を埋めるようにずっとずっと一緒にいた。 中学に入学するまでずっと。 母親に起こされるより、セットした目覚ましよりも早くに目を覚まして、時間を確認した。 朝練のためにいつも起きる時間よりほんの少し遅目だったけれど、年末年始で練習もない日だと考えれば十分に早い時間だ。 これがいつもだったら午前中いっぱい寝ているところだけど、今日は違う。 廉が今日やってくる。 それは三橋の従姉妹のルリと母親から何度も確認して楽しみにしていた。 廉に会えるのは久しぶりだったから余計に。 最後に会ったのは五月の連休にあった練習試合の日で、今年は夏休みにすら会うことは叶わなかった。昔なら最低でも盆には本家に行くからと家族で群馬にやってきていたけれど今年の夏はオレも、廉も部活でそれどころではなかったから。 だから、廉に会うのは半年以上ぶりで。 そりゃ、メールや電話はたまにしていたけれど廉もオレも決してマメな性格とは言い難くて。 それに部活で疲れきった身体は帰宅してしまえば飯食って風呂に入るだけで限界ですぐにベッドに倒れこんでしまうから、連絡を取ることもあまりなくて。 だから、廉に会えるのが楽しみで楽しみで仕方なかった。 廉に、会える。 昔みたいな関係に戻れるかもしれない、そう思うと胸が高鳴って鼓動は早くなり、自分でも顔が熱くなるのが判った。 五月のあの練習試合の日。 オレたちの間に残っていたわだかまりを解消して。 中学の三年間ですっかりぎこちなく、遠く離れてしまった関係を元のようにすんなりと戻れたかと言うとそれはやっぱり無理だった。 すぐに元には戻れなくて、それでもぎこちなさはすっかり薄らいで。けれどやっぱり微かに残る違和感はこそばゆかった。 「叶くん」 「三橋」 呼び始めた当初こそ違和感のあった、他人行儀な苗字呼びは最早すっかり馴染んでしまっていて。 オレは何度かメールで『廉』とそう、呼びたかったけれど。どうにもしっかりこなくて、ずるずるとそのまま今日まで来てしまった。 でも今日こそは。 昔みたいに戻りたくて。 また『廉』って。 そう呼びたくて。 意を決して。 朝食が終わってから、そわそわと廉の到着を待つ。 部屋の窓からずっと外を眺めて、廉の家の車がやってくるのを待つ。 昼食時すら窓から離れようとせずに母親は呆れていたけれど、黙って大きな握り飯を三つとペットボトルを持って来てくれた。 早く、会いたい。 夕方近く、ようやく見慣れた車が近づいてきたのに気が付くやいなや、家から飛び出して車が家の前で止まるを待った。 車がゆっくり止まって、窓から見えたおばさんとおじさんに軽く頭を下げて。 びっくりしたような廉の顔。 柄にもなくちょっと緊張して、すぅと深呼吸してから。 「久しぶり、廉」 照れくさかったけで笑って。 次の瞬間、廉も困ったような嬉しそうな顔で笑って。 「し、修ちゃん」 急がないから、焦らないから。 ゆっくり少しずつ。 前みたいに戻ろう。 |