廉が笑ってくれたら、それだけでいい。

それだけでオレも幸せだった。

廉が笑いかけてくれたら…、オレだけに笑いかけてくれたら。

それだけでオレは幸せだったんだ。









alone













それは、久しぶりに見た三橋の笑顔だった。





練習試合の後。

どうしても、もう少しだけ三橋と話をしたくて叶は帰り支度で忙しそうにしている西浦の車へと向かった。

猫っ毛の見慣れた後姿が遠くからでもはっきりと判って、叶は込み上げてくる嬉しさを抑えることが出来ずに走るスピードを速めた。

『廉』と、今ならば昔のように呼べるかもしれないと期待を込めて声を掛けようとしたその時。

叶の目に飛び込んだ風景。

阿部というキャッチャーが何やら三橋に話しかけて、それを聞いて見えた三橋は横顔でもはっきりと判るくらいに清々しく笑っていた。

それは、叶がもう長いこと望み続けて見ることが出来なかった三橋の本当の笑顔。

心から楽しそうに柔らかく笑う三橋の笑顔。

まるで昔のような、見ているだけで叶も幸せになれるはずの三橋の笑顔だった。

大好きな、大好きな、大好きだった笑顔。…それなのに心が締め付けられるように痛むのは何故なのか。



ずっと、叶だけに向けられていた笑顔が今は叶以外の誰かに向けられている。



その事実が痛く、心に突き刺さった。

―――ずっと、三橋の特別は叶だけだったのに。今、特別なのは叶ではなく。

そこまで考えたときに、阿部が叶に気が付いたようでチラリと叶に視線を向けた。三橋は相変わらず気付かぬまま。

阿部は、叶を見て嘲笑うかのように口の端を吊り上げた。

まるで叶に見せ付けるかのように三橋の猫っ毛をくしゃりと撫でながら三橋に触れて。

怒りで体中の血液が沸騰するかのような錯覚に襲われた。

そんな風に三橋に触れるのは叶だけだった。
そんな風に三橋に触れていいのは叶だけだった。
そんな三橋の笑顔を向けられるのは叶だけだった。

今、阿部の手元にある全てがどれもが、一度は叶が手にしていたはずのものなのに。今は。全て、一つも手の中にはない。




そこまで考えて急に、不安になった。

今ここで、このタイミングで三橋に声をかけて果たして三橋は昔のように笑ってくれるのかと。

昔のように、今阿部を受け入れているように叶を受け入れてくれるのだろうかと。

もし拒絶されたら、そう不安になった。



三橋は今目の前に、こんなにも近くにいるのに。

距離が、遠い。










あんなに一緒だったのに。

ずっと側にいたのに、今は。


距離が遠くて、怖くて。


ここから一歩も踏み出せず、声を掛けることすら出来ずに。











廉の特別はオレだけだったのに。

今、特別なのはオレじゃなくて。








心から、憎いと思った。

オレの持ってたものを全て持っている目の前の男が。

今、あの男が持っているものはオレのものだったのに。あの笑顔はオレだけに向けられてたものだったのに。




あんなに一緒だったのに。

今は。

こんなにも遠い。

手の中から零れたものは、とても遠く、もう届かない。
















廉が笑うとオレも幸せだった。

その笑顔がオレだけに向けられていたものだったから。


けれど、今は。







廉の笑顔が何よりも痛く、突き刺さる。