006:想い人



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式が始まって、レンは一度もアスガルト王の顔を見ていない。

イシュタット風の花嫁の衣装はベールの上から更に布を被るもので、伝統的に夫婦は初夜を迎える寝室まで顔を合わせることはない。慣例に法った式のために、二人が顔を合わせるのはアスガルトに着いてからということになっていた。


少なからずレンはほっとしていた。

覚悟はしていたつもりだったけれど、心のどこかで怖いと思う気持ちが残っていたからだ。
声は優しそうであったけれど、戦争上手と言われている夫となる人物に抱いた恐怖心は簡単には拭えずに、レンは神々へ結婚を誓う神事の最中も少しでもアスガルトへ着くのが遅くなればいい。そう思っていた。

アスガルト王国は本当に大きな国だった。


アスガルトの領内に入ってから王宮のある都に到着するまで丸々8日かかった。早馬でも2日かかる距離を、イシュタットから持参した衣装や道具の数々、大勢の女官たちを引き連れて馬車でゆっくりと向かったのだからまぁ、当然であると言えるけれど。


アスガルト王は馬を駆って、政務を執るために先に王宮へ戻っていたためにレンは一人で王宮へと入った。


初めて目にしたアスガルト王宮はレンが生まれ育ったイシュタットのそれとは違い、とても大きかった。高い城壁と、堀に囲まれたその様子は戦争を意識しての造りでそれだけレンは足が竦みそうになるのを必死で堪えた。


平和なイシュタットからすればアスガルトの王宮の造りは信じられないものばかりだったからだ。



ゆっくりと王宮内に足を踏み入れると、王宮付きの女官らしきものたちが不躾な、値踏みをするような視線をレンに向けひそひそと声を交わす。会話の内容は聞こえなかったけれど、歓迎されているとは言い難い様子に涙が零れそうになった。


それでも仮にも王女である、というプライドがそれを堪えさせた。


相手は王宮付きの女官であることから中には貴族出身のものもいるだろうけれど所詮は臣下の身分。自分は他国出身とはいえ一国の王族であり、アスガルト王の正妃であるのだ。そう自分に言い聞かせて、それでも直接無礼を咎めるようなことはとても勇気がなくて出来なかったけれど。レンはその場で泣き出すことだけは堪えたのだった。


案内された王妃の間に足を踏み入れるまでは。


イシュタットから連れてきた女官たちも、内宮付きの侍従に紹介されたレン付きとなる侍女たちも全て下がらせレンは室内に入ると、寝台に伏して堪えていた涙を零した。


なぜ初対面の女官たちに疎まれているかなんて知らない。

けれど、あんな風にあからさまに悪意を持たれることなど生まれて初めての経験で、彼女たちの悪意はただでさえ見知らぬ土地で不安に押し潰されそうなのを必死で耐えていたレンの心を深く傷付けるのに充分だった。


嗚咽を漏らしながらレンは泣いた。



怖い。


もういや。


帰りたい。



逢いたい、レンは強く願った。
もう二度と逢えない、そう覚悟したはずだった。けれど気持ちはぐらつく。


「しゅ…ちゃっ」





「お呼びになられましたか?」



背後から聞こえた声に驚いて、振り返る。
そこにいたのは懐かしい人。



「しゅ…ちゃ、ん…?」
「はい」
「ど、して」


こんなところにいるはずがない。もう二度と逢えないはずなのに。なぜ。驚きのあまりに言葉にならない。


「約束どおりに、お迎えに上がりました。」


3年ぶりのシュウゴは昔と同じように、にっこりと優しい笑顔を向けて。それから、昔と同じよう騎士から王女への礼を取り跪いてから手の甲に口付けを落として挨拶をした。


「ど、して…」


レンが結婚するのはアスガルト王であるはずなのに。
ここはアスガルトの王宮、しかも内宮であるはずなのに。
ここは王妃の間で、そう簡単に王以外の男性が近づけるはずはないのに。
それなのにどうして。


どうしてシュウゴはここにいるんだろう。


聞きたいことも、聞かねばならぬことも沢山ある。


…だけど。
だけど、今は。



「しゅうちゃん…?」
「はい」


おずおずともう一度、名前を呼んだ。
ゆっくりと手を伸ばして、触れた。シュウゴは確かにここにいる。


「しゅうちゃんっ!」


もう、我慢できなかった。


レンはシュウゴにしがみ付いて、また泣いた。
あふれ出る涙は先ほどまで流していた涙とは別のものだった。