M25 ただの物置。

サンバ・テンペラード



!注意

オズワルドとグスタフの師弟設定話。
恋愛要素はほぼ皆無ですが、オズさんが弟子に甘いです。


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オズワルドの肩を、首筋を、心臓を、銀糸が狙う。
風を切る微かな音だけを供に引きつれ、死神の鎌よりも静謐に命を蝕む性質は決して嫌いではない。
むしろ、かつては暗殺者として生きていた身からすれば好ましくさえあった。

「―――ふふ、」

まるで夜を震わせるようにオズワルドは微笑んだ。
鋭利で細い銀糸は闇夜に紛れ、何処から飛んでくるのか分からない。
狙われた者は、自分の命を何が刈り取ったかすら認識できないだろう。

一体何人の命が、銀糸に狙われ夜を舞ったのだろう。

そう考えると、オズワルドの胸は妙な心地よさで満たされる。
殺傷能力を兼ね備えた銀糸は殺意を持った手によって絶え間なくオズワルドを狙っている。
頬のすぐ傍の闇が、銀糸に切られて耳に痛い悲鳴を上げた。
その音を聞きながら、オズワルドはサングラスに隠された目を愉しげに細めた。

血の付いた手袋は捨てて久しい。
この手で誰かの脈動を止めたのはすでに過去の事。

際限なく繰り出される銀糸の旋律を、ステップを踏むように、軽やかに避け続ける。
細い銀糸は闇に紛れ、避けることは容易ではない。
まして、それを何時間も避け続けるなど、不可能に近い。
しかし、夜空に煌々と光る女帝が鎮座していれば、避けることは可能なことに成り下がる。

――――少なくとも、オズワルドにとっては。

完璧に気配を絶ち、縦横無尽に銀糸を操る演奏者の姿は未だ見えない。
自らの教えを守り、闇の中で銀糸を操っているのだろうと思えば、笑みが深まる。
オズワルドは首裏を狙う銀糸を事も無げに避けると、深い闇に向かって手を伸ばした。
掌は夜の女帝へ、指先は月光すら届かぬ闇へと向けて。

「…出てきたまえ?」

小指からゆるりと折り曲げ、闇を自らの元へと手招いた。
黒衣を身に纏い、銀糸と共に円舞を踊りながら、オズワルドは未だ姿を見せない相手を誘う。
銀糸に命を狙われながら、欠片の恐怖もその目にはない。
オズワルドの視線を受けて、ぞろり、と音もなく闇が蠢いた。
月明かりさえも退けて、闇がオズワルドの命を狙って動く。
それが堪らなくオズワルドを高揚させた。
喉の奥で笑みを殺し、静かな夜に無音の哄笑が消える。

「上出来です。標的の言葉になど耳を貸すなど愚の骨頂」

オズワルドの磨かれた革靴の底が、固いアスファルトを叩く。
淑女をリードするように、洗練された動きで銀糸をいなしながら一人きりの舞台で踊る。
観客は一人だけでも、オズワルドは満足だった。
確実に急所を狙う性急さと若さを笑い、夜の空気に呼気を混ぜる。

「暗闇から命を刈り取る、誉れなき闇の住人。その姿を見せたが最後、闇は貴方の敵になる」

闇は暗殺者の味方などではないのだ。
ただ、暗殺者が闇を利用しているだけに過ぎない。
闇を過信し、僅かでもその姿を見せれば、闇は容易くその身の陰影を浮かばせる。
オズワルドの言葉に、まるで同意するかのように風が吹いた。
頬を撫ぜる柔らかいそれに呼応して、細い銀糸が煽りを受けて僅かに弛む。
思いがけない微かな歪は紙一重で避け続けていたオズワルドの頬の表皮を傷つけることに成功した。
流れる赤に力を得たのか、銀糸の攻勢が強まる。

「ほら…ね?」

闇を利用せず、月光も元で姿を晒すオズワルドは頬に付いた一筋の傷を指先で触れて血を拭う。
血を流したのは何時ぶりだろう。
暗殺業を離れて久しいオズワルドにとって、それは酷く懐かしいことにも思えた。

「……全てを利用しなさい」

闇は、暗殺者の味方ではない。
身を潜ませてはくれるけれど、それは我が身の安全さえも損なう諸刃の剣。
そう、闇を響かせるようにして囁きながら、オズワルドは心の底からこの時間を楽しんでいた。
こんなにも心が満たされ、楽しいと感じるのは、暗殺者として生きていた頃を忘れていないからに他ならない。
オズワルドは一層笑みを深めると、ふ、と何かに気づいたように視線を足元に落とす。
月光が作り出す影に微かな違和感を覚えたのだ。

「………?」

違和感の正体を探るように避ける合間に視線を空へと向ければ、煌々と光る月があるだけで別段何も変わらない。
僅かに疑問符を浮かべながら、それでも嫌な予感が胸を掠める。
これは、一旦下がって様子を見たほうが良いだろうか。と、オズワルドが月から視線を外した瞬間に、その予感は的中した。

今で穏やかだった夜風が突風となって雲を動かし、辺りを漆黒の闇へと転じさせたのだ。

夜風で月光が遮られ、オズワルドの姿も瞬きの間で闇に飲まれる。
今まで比較的明るい場所にいたオズワルドの目は、その闇に視界が慣れるまで数瞬の間を要した。
無論、その状況を銀糸が逃すはずもなく、攻勢は続く。
闇に慣れていない視界では避け続けることは難しいが、銀糸の狙う場所は急所ばかりで、
その場所に気を張っていれば不可能ではない。
僅かの間さえ持ちこたえれば、雲が風に浚われて、また女帝がオズワルドに微笑みかけるだろう。
喉笛を銀糸が狙った気配がして、オズワルドは軽いステップで後方に退いた。

「――――ッ」

途端。
右足に痛烈な痛みが走り、オズワルドの顔が歪む。
咄嗟に懐に仕舞ったままだったカードを指で挟み、足を捕らえた銀糸を切り刻む。
それは、オズワルドを同じ場所に数秒とはいえ留まらせることになった。
今まで縦横無尽に闇を切り裂いていた銀糸が、無慈悲にオズワルドに襲い掛かる。

「……これは…中々…ッ」

カードを駆使して迎撃するも、未だ闇に視界は慣れない。
気配だけを辿って切り刻むが、そもそも何の感情も伴わない武器の攻撃だ。
僅かな音だけでしかその存在を認識できず、捕らえ損ねた銀糸がオズワルドのスーツに赤い模様を刻んだ。
体勢を立て直そうと大きく後ろに跳ぶと、唐突に雲が晴れて月が辺りを照らす。

その月光に、歪な影が映る。

オズワルドが身構えるより早く。
まるで銀の雨のように降り注いだ銀糸が、オズワルドの身体を地面へと串刺した。






聞くに堪えない無様な喘息を聞きながら、オズワルドは仰向けになって地面に転がっていた。
視線の先には夜の女帝がその姿を尊大に見下ろしている。
いくつの屍をその目の前に晒してきたか自覚のあるオズワルドは苦笑に似た笑みを顔に張り付かせる。
そして、笑みそのままに、未だ姿を現せない相手に向かって口を開いた。

「―――大きくなりましたねぇ…」

呟いた声は自分で思っていた以上にか細く、自らの老いを否が応にも自覚する。
喉に血が溜まり、随分と話しづらい。

「試験は合格ですよ。一族とやらに身を捧げるのも、人を殺し尽くすのも貴方の自由。好きにおやりなさい」

もう、オズワルドが彼にしてやれることは何一つない。
教えるべきは教え、導くべきは導かれた。オズワルドに、この先の道はない。

「―――……」

そう、理解していながら、悔いがある。オズワルドはこの場で死ぬだろう。
今まで弟子として生きてきた彼にとって、オズワルドは最早抹殺すべき人類の一人に成り下がった。
オズワルドの身体を捕らえている銀糸に僅かに力を込めるだけで、この身を分解することなど造作もないのだ。
それ自体には悔いはない。
これまで散々、依頼を受けて屍を築いてきたオズワルドにとって、弟子に殺されるというのは死に方としては上等だ。
老婆心ながら、自らの死が弟子の決意の一つになればそれで良いとさえ思えた。

ただ、

「―――…貴方の先が見れないのは…少し残念ですね……」

弟子の『これから』がどうなるのか、見守れないことだけが心残りだった。

立派に成長し、今夜オズワルドさえも越えた彼に対して思うことではないという自覚はある。
それでも、決して平凡でも平坦でも、まして平穏でもない道を選んだ弟子の行く末を気に病むのは師となった者の権利の内だ。
オズワルドは血が足りなくなってきて、僅かに霞む視界に闇を映した。
月光の中でも塗りつぶしたような黒は見慣れたもので、唇を笑みの形に歪めた。
どうせ最後になるのならば、決して忘れられないような毒を吐いて死のうか、と。
オズワルドが血に濡れた口を開く。


「暗殺者としての貴方は死んだ」


しかし、オズワルドの言葉は音になる前に静かな低音で遮られた。
意味を反芻し、数度瞬いているうちに、その姿は再び闇へと消える。
気が付けば今まで身を縛っていた銀糸さえも跡形もない。
オズワルドはゆっくりと緩慢な動作で身を起こし、力の入らない足で何とか立ち上がる。

「…………」

乱れたスーツもそのままに、月光の満ちる周囲に視線を飛ばし、気配を探る。
想像通りに何の気配も姿も見つけれないでいると、オズワルドは喉を震わせた。

「……く、…くくッ…」

喉だけの震えは肩まで周り、とうとうオズワルドは耐え切れず笑い声を上げた。
片手で口元を隠し、空いた片手では血の止まらない傷を押さえる。
痛みは決して弱まることなく老体を蝕んだが、それでもオズワルドは愉快な気持ちで笑い続けた。

「……あぁ、嫌なものですねぇ…」

小さい幼い未熟者だとばかり思っていた弟子があんなに格好良くなってしまっているのだ。
それでは、オズワルドが年を取るのも仕方ない。
少しばかり面白くなく、大変に癪だが、気分は悪くない。
オズワルドはあらゆる所から血を流しながら、それでも軽やかに歩を進めると、落としていた帽子を拾いあげた。

「―――では…ご機嫌よう……」

闇へと身を投じたかつての弟子に、オズワルドは小さく別離の言葉を贈った。
全ては、夜の女帝の膝元でのことだった。


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