バレンタイン・キッス
!注意
オズワルド×アーデルハイドでバレンタインデー話。
メタネタ、歳の差、捏造が許せない方、紳士をお求めの方は回れ右。
アデルの性格はかなりルガール運送寄りです。
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はぁ、と思い詰めたような溜息が殆ど明かりの落ちたオフィスに零れる。
壁に掛かった丸い時計の針は二本とも頂点に差し掛かっていた。
もうすぐ、今日と言う日が終わり、明日がやってくる。
既に最後の社員もタイムカードを押して久しいルガール運送株式会社に残るのは、二代目社長であるアーデルハイドだけだった。
本日の業務も終わり、あとは戸締りと点検をしてから、セキュリティを掛ければアーデルハイドも帰宅するのみだ。
しかし、先ほどから重い溜息ばかりを吐き出して、とあるデスクの前から一歩も動こうとしなかった。
きちんと整理されたデスクの上には卓上のカレンダーと、使い込まれていそうな万年筆の立てられた陶器のペン立て。それにミニチュアのボトルシップが飾られている。
小さければ小さいだけ作るのが難しいんですよ。と自慢げに微笑む顔を思い出して、アーデルハイドは首を勢いよく左右に振る。
頬に差した熱を払う行動だったが、思わず手に力が篭り、大切に携えていた小さな箱がカサリと音を立てて存在を主張した。
視線を落とすと、光沢のあるダークブラウンが薄明りを鈍く弾き返している。
地味すぎるほど落ち着いた赤いリボンを掛けられたそれを見て、アーデルハイドは今宵最大の溜息を吐き出したのだった。
アーデルハイドは恋をしていた。
父親には似ず、大変真面目で努力家であり、若くしてルガール運送の二代目社長として身を粉にして頑張るアーデルハイドは社内外を問わず人気が高い。
ルガール運送の中ではバイスやマチュアといったお姉さま方に可愛がられ、さゆりんこと倉田佐祐理からは割と真面目にアプローチを受けている。
外に出ても整った顔立ちに、血に裏付けされた高い実力、それを鼻に掛けない好青年ぶりが評判を呼び、男女から人気が高い。
タッグを組むとなれば必ずお誘いが掛かり、チームを組むとなればリーダーに抜擢されることも少なくない。
そんなアーデルハイドも若さあふれる二十代。
幾ら自由奔放な父を陰に日向に支える大人びた青年だとしても、まだまだ青い春を謳歌する若者である。
若さを悔やんだり、夕日に向かってバカヤローと叫びたくなったり、夜も眠れないような恋に落ちたりもする。
苦しい胸を押さえつけて、ひたすら素数を数えていたら夜が明けてしまったのは一度や二度ではない。
しかもその恋はただ苦しいだけでなく、絶対に適わないと言う自信があった。
悲しい自信だが、この恋が成就するとは到底思えず、またそんな未来をイメージすることすら出来ない。
アーデルハイドの人生と、ルガール運送の社運と、このカシオミニを賭けたって良い。
なぜなら迂闊にもどっぷりと惚れ込んでしまったのは、父の古い友人であり、ルガール運送の古参であり、社を支える影の功労者であるオズワルドなのだ。
同性の上に激しい年齢差と父親の友人と言う重すぎる三重苦が、ズシリとアーデルハイドの双肩を軋ませる。
そもそもからかい交じりに「若」と呼ばれる程度にしか思われていないのだ。
何時の間にベリーハードモードを選択したのかと自問自答したくなってしまう。
無理ゲーってレベルじゃねーぞ!と脳内で本音がリフレインする。
最初は格好いいだとか、スタイリッシュだとか、そんな印象を抱いていた。
そんな憧れにも似た感情が、恋愛感情に移行したのは、父の仕事を受け継いで直ぐの頃だったと思う。
ああ見えて、決断力とバイタリティ溢れる父は会社運営に置いても天才的だったらしく、そっくりそのまま社長のイスをポンと渡されて、アーデルハイドは分かりやすく焦った。
何せ、明らかに自分一人で処理しきれる量ではない仕事が徒党をなして襲ってくるのだ。
かなり豪快強引にゴリ押しして最後に帳尻を合わせると何故か黒字といった、ルガールの運営方針を慎重で堅実なアーデルハイドが真似できるわけもなく、当然のように行き詰った。
それまでも会社運営については学んできたつもりであったが、非常識の上に整ってしまった体制と、先代社長とのあまりの方針の違いにアーデルハイドは心を何度も折られかけた。
そんな時、未熟な二代目社長であった自分をそっと支えてくれたのがオズワルドだった。
アーデルハイドが生まれる前からルガールと交友があったと言う紳士は、そつなく、それでいてアーデルハイドをコンプレックスの海に沈めることもなく、アーデルハイドなりの経営を確立する手伝いをしてくれた。
オズワルドからしてみれば、古馴染みの息子が困っている程度のものだったのかもしれない。
あるいは単に孫のような存在だと思われていたのかもしれない。
それでも、アーデルハイドがオズワルドと言う人間に、心惹かれるきっかけとしては十分だった。
一度、そういった感情を抱えてしまえば、オズワルドにどんどん惹かれていった。
穏やかな思考も、優しさに裏打ちされた厳しさも、ほんの少し悪戯っぽいところも、意識してしまえば胸の高鳴りが抑えられなかった。
まるで子供のようだと自分を叱咤しながらも、自分を鍛えることに忙しく、年相応の恋愛に免疫のないアーデルハイドは自分の感情を持て余した。
別に付き合いたいだとか、傍に居たいとか、大それた夢想をしているわけではない。
そんな風に並んでいる自分たちは想像できなかったし、何よりオズワルドが靡いてくれる―――いや、そもそも対等と見てくれるとは毛頭思えなかった。
きっとこの感情を告げても、オズワルドはあまり狼狽えず、そうですか。と相槌を打った後、若さゆえの気の迷いにして聞かなかったことくらいにはするはずだ。
土台からして違うのだから仕方ないとしても、オズワルドはあまりに大人だった。
正攻法は失敗一直線ルートであるのは重々承知の上だ。
オズワルドがトリッキーながらも堅実なのは、戦闘スタイルだけではない。
しかし、それでも。
「なぜ、私はチョコレートを用意しているのだろう…」
こみ上げてくる情けなさと羞恥心を隠すためにわざと自虐的に口にしてみるも、単に現状を自覚するだけで何の慰みにもならない。
正攻法では上手くいかないどころか、妙齢の女性をお似合いの相手として紹介されそうなほど老獪な相手に、こともあろうかバレンタインデーにチョコレートと言うベタさである。
けれど、菓子業界の陰謀が渦巻く日だったとしても、チョコレートはオズワルドの好物なのだ。
実際にオズワルド自身の口から聞いたことは無かったが、得意先から貰ったチョコレート菓子を噛みしめるようにゆっくりと食べていたのを知っている。
それに、バレンタインデーを直前に控え、沸き立つ女子社員達にオズさんは何のチョコが好きですか?と聞かれていたのを思い出す。
普段なら、丁重に断るはずの紳士は、一瞬嬉しそうにサングラス越しの瞳を細めて『頂けるのであれば、どんなものでも歓迎いたしますよ』と穏やかな声で告げていたのだ。
あのポーカーフェイスを得意とするオズワルドがあんな蕩けそうな顔をしてみせたのだ。きっと相当な好物なのだろう。
別に女性と張り合いたいわけではないが、なんだか驚くほど御誂え向きに思えてしまう。
例え、バレンタインデー当日の今日、既に大量のチョコレートを貰っていたとしても。
「………でも、手作りだぞ。これ」
ジッと手元の小箱を見詰め、じんわりと頬に朱色を引くと切れ長の双眸を眇める。
本当は、無難に既製品にするつもりだったのだ。
現にローズに付き合わされて出向いたデパートで良いものをゆっくりと見繕おうと思っていた。
しかし、出かけたデパートは来たるべきバレンタインに向けて、アーデルハイドの予想を大きく超える規模の催事場を設けていたのだ。
見るからに甘そうなチョコレートたちが所狭しと陳列されて、その間を瞳に星を浮かべて、頬を染め上げた所謂恋する乙女の群れが流れている。
女性客の多い所に無理矢理引きずり込まれるのは、ローズの荷物持ちをしているだけあって慣れているが、流石に今回は熱気が違う。
百戦錬磨とはいかないまでも、死闘を掻い潜ってきたアーデルハイドですらたじろいでしまうような気迫がそこかしこに満ちていた。
本当なら、オズワルドが好みそうなものを一つ選んで買っていこうと下心をもっていたが、女性率九割九分九厘の現状でレジに並べるわけがない。
周りを全く気にせず我が道を突き進むルガール・バーンシュタインの血は殆ど妹のローズが持って行ってしまったのだ。
なまじ、恵まれた容姿を持っているアーデルハイドはそれでなくても注目の的なのに、その上、チョコレートを選んで会計など、最終工程までの間に何度羞恥で死ねるだろう。
今もおにーさまーと天真爛漫に笑顔を見せながら、どこの誰とも知れないご婦人方を押しのけ、チョコレートを物色する妹が、その時は少しだけ眩しくも羨ましく見えたのだった。
なにはともあれ、勇気と無謀は別物だと割り切ったものの、それでもオズワルドの穏やかな笑顔が忘れられず、アーデルハイドはこっそりと食品売り場で何の変哲もないミルクチョコレートを一枚購入した。
98円とお手頃価格だが、あまりにもお手頃すぎる。
しかし、それさえもローズの眼を盗んでカートに忍ばせるのにどれほど苦労したことか。
更に人に渡すのならば、流石にこのままハイと渡すわけにはいかない。
気の置けない間柄であるクリザリット相手なら未だしも、年上かつ目上のオズワルド相手に気安く渡せるわけもない。
いや、今思えば、本当に何気ない風を装って一枚如何ですか?と渡すのが一番スマートだったのかもしれない。けれど今となっては後の祭りだ。
こっそりと真夜中に起きて、キッチンを使う後ろめたさと緊張感は試合のそれとは明らかに違う。
妹に見つかっても父に見つかっても、アウトと言う完全なるオワタ式である。
バーンシュタイン家きっての常識人のロデムが協力してくれなければ、如何なアーデルハイドと言っても完遂は難しかっただろう。
そんな山を乗り越え、谷を越えて用意したチョコレート。
そっと机の上に置いて、退散してしまえばいい筈なのだが、今さらながらに戸惑ってしまう。
手作りのチョコレートに、お手製のラッピング。
どれにも妥協したつもりはなかったが、それでも既製品でないことは一目瞭然だ。
まるで小さな小箱全体から、『好きです』と雄弁な感情が立ち上っている。
差出人の名前などどこにもない、ただ『好きです』とそればかりを伝える代物になってしまった。
アーデルハイドは眉尻を下げて、唇を一文字に結ぶ。隠しきれない感情は作り手であるアーデルハイドにさえ伝わってくる。
これを貰ってあの聡いオズワルドが何も感じ取らないはずはない。
今日、女性社員から貰っていたものも、全て既製品だったのに、これはあまりに露骨で重すぎる。
「やはり、止そう。――…これは私の……エゴの塊だ」
「そうでしょうか、綺麗にできていると思いますよ?」
「ッ!?」
「こんばんは、若」
驚愕に任せ、小箱を持つ手に強めに力を込めながら、振り向くとそこには意中の相手、オズワルドが佇んでいた。
気配を殺して真後ろまで近づいてきていたオズワルドは軽い夜の挨拶を何事もなかったかのように向けてくる。
アーデルハイドは搾り上げられるほど驚いた心臓を服の上から鷲掴みにして、整わぬ心音を誤魔化すように声を上げた。
「オ、オズさん…っ!? どうしてここに…!」
「ちょっと迂闊にも忘れ物をしてしまいましてね、明かりもついていたのでお邪魔させてもらったんです」
相変わらずニコニコと人を食ったような笑みを浮かべる老獪な紳士は、キャスター付きの椅子を引いて、椅子の上に置き去りにされていた帽子をアーデルハイドに示して見せた。
妄想やら葛藤やらに意識を奪われていたアーデルハイドは、影になっていた椅子の上までは気が回らず、今さらながらに気が付いた。
「え、はぁ」と我ながら間抜けな相槌を返してしまう。
「若こそ、こんなところで何を?」
「あ……、」
表情を隠す赤いサングラスの向こう側で、鋭い瞳がきらりと光った気がした。
アーデルハイドの机はオフィスが見渡せる窓際であるが、今いるのはオズワルドの机の前である。
幾ら残業と言う切り札を持っていたとしても、あまりに不自然な立ち位置だった。
「ええっと、これは…ですね…」
「私に何か御用ですか?」
「そう……いう、わけ…では…」
穏やかな笑みを張り付けて問いかけてくるオズワルドにアーデルハイドはタジタジと顎を引く。足の裏を床にくっつけたまま、後ずさりしそうになる。
オズワルドは高低差のある視線を合わせるように少しだけ上体を傾けて、それが酷く様になっていた。
明らかに挙動不審なアーデルハイドを見咎め、オズワルドは手元の小箱を指摘する。
「速達ですか? メール便ではないようですが…」
「これは……。確かに届け物なんですが…――」
厚みのある宅配物はオズワルドの担当ではない。
無論、人手が足りない場合はオズワルドも手伝うが、基本的に速達関係はバーンシュタイン親子の担当だった。
煮え切らないアーデルハイドを促すように落ち着いた低音で先を促す。
「でしたら、伝票だけ今切ってしまいましょう。明日の朝、一番に届けられるように」
「オズさん………」
「若が気になさる荷物なら、なおさらですよ。ですから、本日はもう帰ってきちんと休んでください」
身体に障ります。と普段の激務を知るオズワルドはアーデルハイドを気遣うように手を差し伸べた。
アーデルハイドは真紅の瞳を見開いて、次いで僅かに目尻に熱を溜めた。
好いた相手に気遣われて嬉しくないはずがない。
アーデルハイドは躊躇いながらもそろそろと小箱をオズワルドに手渡した。
手慣れたオズワルドは箱を揺らさぬように片手で重さを確かめ、机の上に置いてあった伝票を引き寄せる。
節張った長い指が万年筆をペン立てからサルベージして、流れるような文字を伝票で刻んでいく。
「中身は何でしょうか?」
「……食品です」
「冷凍で宜しいですか?」
「……はい」
「では、あて先はどこにしましょうか?」
「………………っ」
「――……若?」
アーデルハイドの声が止まってしまうと、読みやすい右上がりの文字もピタリと止まり、オズワルドはおもむろに顔を上げた。
サングラス越しの赤い視界に狼狽えるようなアーデルハイドの顔が映る。
じんわりと首筋に汗をかき、眉間に皺を寄せながら困った顔をしている。
ふとした瞬間、アーデルハイドの眦に朱色がサッと走り抜ける。
「……オズさんにです。オズさんにと、荷物を頼まれたんです」
「……………私に……?」
今ひとたび、アーデルハイドの名を紡ごうとしていたオズワルドは、先に言葉を被せられてしまい、首を捻った。
アーデルハイドは努めて襤褸を出さないように、気を付けながら声を発することなく神妙な面持ちで首肯する。押した念ごと肯定されて、オズワルドは珍しくサングラスの奥で切れ長の瞳を瞬かせてみせた。
首を捻ったまま、無言で手の中にある小箱とアーデルハイドの顔を見比べ、おもむろに口を開く。
「若からですか?」
「ち、違います!!」
さらりと聞くオズワルドへ否定の大声を張り上げる。思わず否定してしまったが、眦を染めていた熱は頬にまで広がっている。
ほぅ。といつもの笑顔で相槌を打つオズワルドは、卓上カレンダーに視線を向けて日付を確認した。物凄くわざとらしく。
「…………」
「…………」
アーデルハイドの眼が虚ろに泳ぐ。真っ直ぐな運送と真逆をいく緩やかな蛇行を伴って。
居心地の悪い沈黙が場を支配し、コチコチと壁に掛かった時計が時を刻む。
もう少しで小箱の中に納められたチョコレートは意味のある贈り物から、オズワルドの一好物に変わる。
こんな居た堪れない思いをしなければいけないなら、早く今日という日が終わってしまえばいいと思った。
自分から踏み出すこともできず、それなのにタイムアップで逃げ切ろうとしている自分が情けなくなり、アーデルハイドは奥歯を噛みしながら顎を引く。しかし、顎が喉にくっつく前にひょいと顔を上げされられた。
視点を合わせると細く長く器用な指がアーデルハイドの顎を捕えていた。
「―――…嘘をつくなんて、若らしくないですよ?」
穏やかな笑顔は何時もの張りつけたようなポーカーフェイスではなく、うっすらと性質の悪い色が混ざっていた。
とびきり低い声が間近で聞こえて、近すぎて赤いサングラスの向こうの瞳が鮮明に見える。
アーデルハイドは指先まで固まってしまったように、体中に緊張が走った。
「嘘…など、………んッ!」
する、と音も無く顔を近づけたオズワルドは、高い鼻をアーデルハイドの首筋に擦りつけ、耳裏を鼻梁で撫で上げた。
吐息が白い肌に染みて、ゾクリと首筋に電流が走る。
クン、と鼻を鳴らす声にも、一々心臓が跳ねあがり、アーデルハイドは首を竦めて胸板を押し返すように手を伸ばした。
「オ、オズさ……っ!?」
「チョコレートの香りがしますよ、若」
「な!? ………う、嘘です! 味見は昨日…、……っ!」
「――…なぜ、嘘だと分かるのか、教えていただいても?」
「…………!!」
これで送り主が分かりましたね。と念を押す完璧さは仕分けの鬼と呼ばれ、ルガール運送を支えてきた最古参らしい老獪さが見える。
革手袋に包まれた指先にフェイスラインを撫でられると、あまりの気持ち良さに眦が下がった。
そのトロリとした表情を窺いながら、オズワルドは首を引いて微笑んだ。
「私が責任を持って届けておきましょう」
「っ、…っ、オズ、…さんッ!」
「落ち着きたまえ、若」
ハタと我を取り戻したアーデルハイドは咎めるような大声を出す。
しかし、怪しい笑みにシフトチェンジしたオズワルドの親指が顎からスライドし、唇を封じた。
どこか悔しげに唇を一文字に結んで、指一本で閉じ込められた抗議を飲みこむ。
薄く柔らかい唇を軽く圧し、しっとりとした手袋越しの親指にからかわれる。
「たしか、三倍返しでしたね」
オズワルドの優しげで、それでいて色の含みを持つ声なんて初めて聞いた。
忙しない鼓動が止まることなく、寧ろ加速してゆく。
現状だけではなく、明らかに期待を抱いている自分にアーデルハイドは更に頬を染めた。
『好きです好きです』と無言で繰り返す小箱を意味が分からない人でなく、更に分かっていたら受け取らない人なのだ。
期待を持たせて裏切るような非道な真似はしない、それは色恋以外でも断言できる。
「私も贈り物に見合うだけのお返しができればいいのですが」
唇をさらりと撫でてから引かれる親指を無言で追いかける。
そのチョコレートは元々98円です。三倍でも294円です。
ロイズでもゴディバでも、メリーでもありません。
そう思いながらもきっと三倍では見合わないくらいのお返しが来そうな予感していた。
それこそ、アーデルハイドがベリーハードモードで無理ゲーと諦めていたはずのハイスコアを。
「………どうか、………お手柔らかにお願いします」
蚊の鳴くような小さな声ごと顔を引き寄せられて、アーデルハイドはゆっくりと瞼を伏せる。
柔らかく唇に訪れた温もりは、今まで齧ったどんなチョコレートよりも甘かった。