M25 ただの物置。

Nail clipper



!注意

グスタフ×ゲーニッツの甘いお話。
祭祀様が若干乙女でツンデレ。
グスタフさんが祭祀様大好き(通常運行)


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早朝と呼ぶにはまだ少し早い刻限に、グスタフはそっと寝台から抜け出した。
その際、極力スプリングを揺らさないように配慮したのは、 未だ寝台に懐いて安眠を甘受している無二の存在がいるからだ。
グスタフは床に散らばったスラックスを履き、シャツを手に取った。
手から伝わる冷たい衣服に意識が冴えると、視線が床に散らばる青い法衣を見つけて心音が跳ね上がる。

「……………」

昨夜の獣のように迫った光景を迂闊に思い出してしまい、軽く頭を振って邪念を払う。
とりあえず手に持ったシャツを羽織り、鋲を幾つか止めると、青い装束を掬い上げて軽く皺を伸ばした。
ざっと見た限りでは法衣に損傷がないことがせめてもの救いだ。
グスタフは法衣を丁寧に畳むと、ソファの上に纏めて置いた。

「―――さて……」

吐息のような小声で呟くと、グスタフは粗雑に黒いジャケットとネクタイを拾った。
まだ朝には早いが、やることはある。
まずは庭のハーブを摘んで、朝食の準備に取り掛かる。
下拵えは昨夜のうちに終わらせたが、細かい作業はまだ残っている。
加えて、ゲーニッツが身を清める為に湯の準備をしなければ。

「―――……?」

湯に入れる入浴剤は何がいいだろうかと悩みかけたところで、グスタフは視線を感じて振り向いた。
振り向くと同時に、眠気を孕んだ青い瞳とかちあって、心底嬉しそうに顔を綻ばせる。
その笑みに触発されたのか、ゲーニッツが僅かに身を起こした。
身じろいたことでシーツがずれて、日に焼けていない肩が剥き出しになる。
素肌が陽光を反射して、グスタフの目を焼いた。

「お早う御座います、祭祀様」
「……………ええ………」
「まだお目覚めの刻限ではございません。ごゆるりとお寛ぎを」
「……………そう……ですか……?」
「またお呼びしますから、お休みなさいませ。」
「…………………………」

重ねる言葉に、ゲーニッツはまた緩慢に瞼を落とした。
数拍のちに、その背が穏やかに上下する。
グスタフは再び寝台に近寄ると、恭しくも丁寧な手つきでその肩をシーツで隠したのだった。




グスタフが寝室から姿を消すと、ゲーニッツはゆっくりと瞼を開けた。
縦長の瞳孔は未だに眠気を孕んで常と比べようもないほどに頼りない。

「………ん……」

幾度かの瞬きで瞳を洗うと、緩慢な動作で身を起こした。
動いたことにより、シーツの端から微かな風が滑り込んで肌を撫でた。
身に馴染んだものではあるが、普段衣服に包まれている部分を空気が這う感覚がどうにも苦手で、 ゲーニッツは風から守るようにシーツを巻き直した。
中途半端な座位のまま頭を振って脳の覚醒を促すと眠いながらも何とか身体が起きてきた。
ゲーニッツはシーツを身体に巻いたまま、冷え切った床に脚を下ろした。
シーツは存外に長く、ゲーニッツの踝を隠して余りある。

「……確か……あの辺りに……」

長い裾を踏まないように気をつけながら、ゲーニッツは記憶を頼りに道具を探し始めた。
ここ最近は部屋の掃除から整理まで全てグスタフがしてしまうから動かされているかもしれない。
しかして、それは杞憂に過ぎず、ゲーニッツは探し物を見つけることが出来た。
本棚に備えつけられている引き出しの中のそれを手に取ると、冷え切った足をベッドへと向かわせたのだった。





その音にグスタフが気づいたのは、湯の用意を終えた時だった。
朝食前の入浴を促しに行こうと、寝室に意識を向け、そこで気がついたのだ。
その音はグスタフ自身、何度も聞いた音で、誰が奏でているかも予想がついた。

「……?」

ただ、起こさない限り安眠を甘受するゲーニッツが眠気を振り切ってまでするようなものでもなく、グスタフは訝しがるように首を捻った。
不審感から、寝室に向かう足が自然と気配を殺していく。
音を立てないように寝室の扉を僅かに開いて中を窺うと、シーツにくるまったゲーニッツが寒そうに背を丸めて軽い音を奏でていた。
時折、切った残骸を飛ばそうと、指先に向かって息を吹きかけている。 その様子にグスタフは再び首を傾げた。
ゲーニッツの爪は一昨日整えたばかりで、いかに人外とはいえ爪の伸びる速度は人のそれと変わりない。
そもそも、人よりも獣に近い本性を持つゲーニッツにとって、爪は指先の保護として、より、武器としてついているものだ。
戦闘に於いても煌く爪で相手を切り裂くことすら出来るのだから、殺傷能力も決して低くない。
無論、常に伸ばしたままでいるわけではないが、わざわざ朝寝を切り上げてまで切るようなものでもない。
意図も意味も分からず、声を掛けることすら出来ずにいるグスタフに、 グスタフより上位に位置するゲーニッツが気づかぬはずはない。
別段、気配を消している訳でもなく、仮に気配を殺していたとしてもゲーニッツに気付かれなかった試しはないのだ。
鋭利な察知能力が低下するほど、未だ意識は眠りの中を漂い、完全な覚醒はしていないのだと知れた。

「………どうしたものか……」

一歩、扉から離れて壁に背を預けると、口元に当てた片手に呟きを漏らす。
寝起き特有の、気だるげなゲーニッツが眠気を押してまでしていることを止めるのも憚られた。
とは言え、寝起きのまだ覚醒しきっていない状態で爪きりをしていたら、ゲーニッツの指先が傷つく恐れもある。
指先が傷つかないまでも、深く切り過ぎれば指にいらぬ負担が掛かることだってあるのだ。
第三者がグスタフの杞憂を知ったら、たかだか爪切り如きで何を、と一蹴したろうが、グスタフにとっては深刻な悩みだった。
グスタフが躊躇っていると、ゴソリ、と、ゲーニッツが身じろいだ。
肩を隠すシーツを落とし、片方だけ肌を露出させると青白い肌に昨夜付けた朱印が白日の下に晒される。
大きく脈打った鼓動を抑えるように胸を押さえたグスタフの目の前で、ゲーニッツは己の肩に、切り過ぎなほど短くなった爪を立てた。
硬い肌に爪が食い込み、僅かな陰影を刻むと、ゲーニッツは独り言を漏らした。

「……まだ痛いですね……」

ゲーニッツは寝起き然とした掠れた声は寝室に響くことなく消える。
そして、今でも充分に切り過ぎている爪に爪切りの刃を当てた。
白い部分を余すことなく切り落とした爪に、もう切るところなど残されていない。
ゲーニッツは指先の肉を無理に押しのけ、指と密接している部分まで切ろうとしていた。
それを見たグスタフに、これ以上の静観は出来なかった。
例え叱責を浴びることになろうとも、ゲーニッツの指が傷つくことに比べれば些細なことだ。
グスタフはノックもせずに寝室の扉を開けた。

「祭祀様」
「―――ッ」

呼びかけに、一瞬ゲーニッツの背が強張る。
ハッとしたように振り返りかけるが、今の自分の姿を思い出したのか焦ったように落としたシーツで肩を隠した。
シーツから控えめに出された手でシーツの合わせ目を押さえ、ようやくそろりと振り向いた。

「……ノックもしないとは…不作法ですよ」

眠気を飛ばし、目を細めて不快を表す瞳に射抜かれながら、それでもグスタフの視線はゲーニッツの指先へと注がれていた。
切り落とされた爪と痛ましいほどに赤くなった指先に、グスタフは僅かに顔を歪ませた。
その視線を感じ取ったのか、ゲーニッツがそっと指先を握りこんで隠した。
けれど、グスタフは大股で寝台へと近寄ると、座位を保つゲーニッツの横に腰掛けた。

「…グスタフ?」
「祭祀様、御手を」

訝しがるゲーニッツの声に、真剣なグスタフの声が重なる。
言われた言葉を理解すると、ゲーニッツの眉間に皺が寄った。
指先を隠す手を殊更強く握り込むと、視線をグスタフから外し、大仰に息を吐いて見せた。

「何を言うかと思えば…お断りしますよ」
「祭祀様」
「子どもではないのですから、爪切りくらい自分で出来ます」

話は終わりとばかりに、ゲーニッツは床へと足を下ろした。
しかし、その足先が冷たさを感じるより早く、グスタフの手がゲーニッツの肩へと掛かる。
止められることを嫌がったゲーニッツは、その手を払おうと口を開きかけた。



「ゲーニッツ様」



深夜、寝台の上でしか呼ばれない名で諌められ、ゲーニッツは全てを止めた。
下命は言葉になる前に喉奥で消失し、下ろしかけた足先は時を止めたように不動を保つ。
そのくせ、血の巡りばかりが良くなって、耳どころか首筋までが熱を持ってゲーニッツを苛んだ。
グスタフは肩へと掛けた手を滑らせ、逃げかけた身体を腕の中へと閉じ込める。
縋るように弱い力は、僅かでも抵抗されれば簡単に振りほどかれるが、ゲーニッツはそうしないと知っていた。

「ゲーニッツ様、御手を」

隠すことも出来ない朱色の耳に唇を寄せて囁くと、ぎり、と歯が軋む音が聞こえた。
そして、漸く握り込まれていた手が開き、そろそろと指を伸ばし始めた。
グスタフは掌側から自らの手を滑り込ませ、指の一本一本を丁寧に検分し始める。
赤くなった指先を慰撫するように指腹で撫で、僅かに熱を持ったそこを冷たい指で慈しむと、腕の中でゲーニッツが小さく呻いた。

「………満足したでしょう、もう離しなさい」
「軟膏をお持ち致します」
「必要ありません」
「ゲーニッツ様」
「二度は言いませんよ、グスタフ」

労しそうに目を細め、憂いを込めた声を、ゲーニッツは切って捨てた。
グスタフは、一層目を細めて腕の中の身体に縋りつく。
触れ合う他者の熱に、ゲーニッツの視線が彷徨ったのを気配で感じると、グスタフは鎮痛な声を漏らした。

「例え、どれほど些細な傷であれ、御身に傷を残したくはないのです」

その呟きに、腕の中のゲーニッツが動いた。
今までの貞淑さが嘘のように素早く振り返ると、あらん限りの力でグスタフを睨みつけたのだ。
苛烈な視線を受け止めきれずにグスタフが目を瞠ると、怒りに似た感情を瞳に浮かべたゲーニッツが吼えた。

「よくもそんな言葉を吐けますね……ッ!」
「……祭祀様…?」

訝しがるような声音さえ逆鱗に触れるようで、ゲーニッツは毛を逆立てた獣のように怒りを呈した。
縦長の瞳孔が爛々と煌いてはグスタフを射抜き、呼気に痛烈な怒りが篭る。
事態の把握が出来ず、グスタフが固まっているとゲーニッツの手が背後へと回る。
五指に力を込めて背に指を立てられると、グスタフの瞳が僅かに揺れた。
ゲーニッツは衣服越しにも伝わってきた水気と微かに香る血臭に、顔を笑みの形に歪めた。

「身体に傷を残したくない?―――貴方が、それを言いますか!」

無理やり作ったような笑みは歪で、酷く悲壮に見えてグスタフは息を飲んだ。
ゲーニッツは身を翻すと、グスタフの腕から逃亡を図る。
立ち上がった瞬間に頼りなく足が震えたが、身体を突き動かす怒りの前には何の障害にもなりはしない。
寝台にグスタフを残し、自身は寝室の扉へと向かう。

「―――ゲーニッツ様」

その歩みを、ゲーニッツの手をとったグスタフが止めた。
痛々しい手を包み込むとそのままするりと片膝を付く。
不機嫌そうな視線を頭上に感じながら、収めた指先に口付けを落とす。
唇に感じる指先はやはり熱を持っていて、グスタフは僅かに目を細めたが、口元には笑みが浮かんだ。

「…何を笑っているんですか、気持ちの悪い」
「申し訳御座いません」
「不作法で気持ちの悪い部下なんて私は要りませんからね」
「存じております」

棘のある口調とは裏腹に、無理に手を奪還しないのが嬉しい。
グスタフは音無く立ち上がると、ゆっくりとゲーニッツの手を引いた。

「湯のご用意が出来ております」
「…そうですか」

ずるずるとシーツを引きずりながら、その手を許容し追従する。
ゲーニッツは絆された自身を厭うように息を吐きそうになるが、穏やかに微笑むグスタフを見てしまうと呼吸すら止まりそうになる。
脱衣所の前でするりと手が放され、誘うように背を押された。
ゲーニッツが脱衣所に足を踏み入れると、低音が耳を打った。




「私にとって、ゲーニッツ様から戴けるのであれば、傷であろうと至宝に等しいのです」




どうぞ、ごゆるりと。と、グスタフが脱衣所の扉を閉めたその向こう側で、ゲーニッツが静かにへたり込んだのを、グスタフが気付くことは無かった。
浴室から水音が聞こえてくるようになるのは、もう少し後になりそうである。




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