I-U378星雲・NO-56星系・2番惑星。
地表の半分を砂漠が占めるものの、質量、重力や大気等の環境共に地球型惑星で、原生生物も多い。
しかし湿性のケロン人には厄介な乾性環境だった。
「先輩も水分の補給を忘れねェ事だな」
宇宙港へ着いた時、クルルはそう言った。
軍では武器弾薬を扱うために使用する次元転送装置に、まるでイベント事のように大量のペットボトルを手配するのが奇妙だった。
しかし、逆に戦闘以上に生命維持が危ぶまれる切迫を感じ、ドロロの中の不安が増す。
アサシンはどんな過酷な環境下でも活動可能。とはいえ、できれば著しく生命力が低下する乾性環境は遠慮したい。
「ついでに言うとエントリーの異星人、乾性系だぜェ。先輩、気合入れていかねぇと、落札どころじゃねェってな」
それは偶然の符合だろうか。
いや、違う。おそらく最初から仕組まれた事に違いない。
しかし地球にメモリーボールを埋めたケロン人と、第三者でしかない異星人の間にあるものは何なのか。
そしてもうひとつのエントリー、あからさまな偽名の『Trickster』。
まだまだわからない事が山程ある。
しかし、背中を向けたまま上陸の準備をするクルルには、大まかな構造が見えているのだろう。
自分にばかり腹を割らせながら、全てを曖昧にしたままのこの男の本意は、相変わらず解らないままだ。
「艇を降りたら南に下ってしばらく歩いた所にホテルがある。先輩はそこで待っててくれ」
「クルル殿は…… 一体どこへ行くでござるか?」
答えは返ってこない。
そう踏んで敢えて突き付けた質問だった。
―――――しかし。
「『Trickster』に会いにな。おっと、先輩が如何にそっち方面のスペシャリストだろうが、俺様を尾行しようなんて思わねェこった」
何のわだかまりもなく、クルルは告白する。
いや、それは『告白』などという特別なものではなかったのかも知れない。
全てはこの男の『予定通り』なのだ。
やはりクルルには何枚も隠された手札が存在する。
その途方もないネットワークに、ドロロは既に追求する事を諦めようとしていた。
一方、クルル達を追い、高速艇にて地球を出たケロロ達は、目的地を目前にしている。
速度重視の、あまり快適とは言えない旅だった。
「『I-U378星雲・NO-56星系・2番惑星 』って、通称は『乾きの大地』って呼ばれてるそうですよ〜。何でも砂男って呼ばれてる乾性人が原住の星で、我がケロン人には過酷な環境みたいですぅ」
「うわ〜、乾燥は嫌でありますな。しかしまた今回のオークションはどーしてそんな辺境で開かれるでありますか!」
「さあ…… 出品者指定みたいですからね。星間オークションの連合によると、冷やかし入札を避けるために、出品者が場所を指定できる制度があるみたいですぅ」
ナルホドネ、と顎に手を当てる。
確かに辺境の寂れた星を会場に指定すれば、直接足を運ぶ熱意のある入札者のみが残る。
しかし出品されている物はケロンの物だ。
当然ケロン系の入札を見越しながら、何故出品者はケロン人にとって忌むべき場所での開催を決定したのか。
「罠……?」
ケロロが口の中で疑問を転がす。
「いや、でも、クルルがそんないかにもな罠に嵌まるとは思えないし」
「あのぅ、おじさま」
ずっと基地の交信記録のバックアップを調べていたモアが唐突に発言する。
「……地球時間でちょうど二日前になります。クルル曹長がケロン軍本部とやりとりをした記録が見つかりました」
「本部と!? 一体何を!」
「……それが……」
モアが手渡したプリント済の記録は、ほぼ全滅。
おそらく暗号による交信であり、更に念を入れて解読不可な状態で記録されるよう、細工が施されていた。
「あーっ、我輩には何が何だかサッパリ……!」
「これも関係ありそうですねぇ、軍曹さん」
そう、まさにあからさまに。
全貌は全く薮中ながら、あからさまな関連性だけが見える。
それが余計に歯痒い。
「ケロン軍本部とクルルと、地球から出たメモリーボール。一体どういう関係が!」
「あ、でも軍曹さん……」
タママが何か思い至った様で、口調が慎重な調子に変わった。
「エート、文献によるとですねぇ、『この「乾きの大地」は特殊鉱石採掘を目的とするケロンが侵攻し、征服した後、数百年に渡って鉱山惑星として利用された。が、鉱石が掘り尽くされた後は、生活手段を失った鉱山労働者が星を離れ、今では殆ど寂れたゴーストプラネットと化している』…… って……」
「ナニ、その怨恨だの因縁めいた何かがありそうな話!」
ケロロが鉱山として栄える『I-U378星雲・NO-56星系・2番惑星 』を思い描き、その中に命からがら水分を補給する同胞の姿を配置しようとした。
それはどう考えても締まらない図だった。
漠然と脳裏に浮かんだイメージを打ち消そうとした瞬間、モアが叫ぶ。
「後方より高速で近付く宇宙船があります! 所属、星籍共に未確認。ってゆーか正体不明?」
パネルに映し出された光の点はあくまで一直線に、進路を譲れと言わんばかりにこちらへ向かってくる。
「ななな何ばしょっとか! 天下のケロロ小隊の高速艇に向かって、どこのどいつよ!?」
光がまさに弾丸となり、とてつもない速度で迫ってくる。
やがて点であったそれが巨大な宇宙船の姿となった瞬間、充分な距離がある事がわかっていながら、思わず首をすくめてしまった事が悔しかった。
顔を上げた時、宇宙船は再びボール大から点へと収束し、視界から消え去るところだった。
背後から追い立てるように煽られる事が、歴戦の指揮官として如何に屈辱か。
更に速度重視の筈のこの高速艇が、簡単に進路を譲ってしまった事に打ちのめされる。
しかしケロロは同時に、既に過ぎた船の残像に引っかかるものも感じていた。
「モア殿、今の宇宙船、外観をカムフラージュしてたっぽいケド……」
既にモアはあらゆる星籍のデータと照会するため、忙しくキーを叩いている。
「……おじさま、ありました。今の船は間違いなくケロン軍の所属です」
「やっぱり!」
またしても。
そう、またしても。
あからさまな関連性『のみ』の材料がまたひとつ、目の前に提示される。
砂漠の星、そして行き交う乾性人達。
そこは限界まで寂れた果ての、どこか自棄を感じさせる荒くれた活気に満ちた場所となっていた。
ものの本に書かれていたような、沈み込んだ廃虚のようなイメージとは少し違う。
なるだけ自分達が湿性人である事を隠した方がいいというクルルの言葉に従い、ドロロは衣服のように雑布を巻き付け、ホテルに入った。
オークション会場はそのホテルからもよく見える、廃スタジアムで行われる事になっている。
明日に迫ったそれに、果たして弟は姿を現すのか。
落札を妨害しようとする自分に、どんな感想を抱くのか。
考えても仕方のない事だと解りつつ、考えずにいられなかった。
既に自分はホームグラウンドに地球を選んでしまった。だからあれを渡す訳にはいかない。
ドロロは何度も自分の意志を確認するように思い描く。
あのメモリーボールがいかに地球にとって大切なものであるかを。
しかしそんな思いとは別の、弟に対する気まずい気持ちがドロロの中で頭を擡げ始めたのも事実だった。
乾いた空気は夜になると冷え、くっきりと二つの衛星を空に映し出した。
この場が過去に、ケロン人によって支配された採掘場である事は知っている。
赤い二つの月、そして暗く危険な坑道。砂に塗れる鉱山労働者。
ドロロの中で漠然としたイメージが浮かび上がろうとした時、部屋のドアが力なく開く音がした。
「……?」
振り返ると、死角になっているバスルーム横で、何か重みのある物が滑り落ちるような気配がある。
「……クルル殿?」
鋭敏な感覚が触れる気配は決して危険なものではなかった。ドロロはゆっくりとドアの前まで進む。
誰もいないと思ったのは一瞬で、バスルームの入口に長く伸びた黄色の足を発見し、慌てて駆け寄った。
「クルル殿!」
纏っていた雑布からは夥しい量の砂が零れ落ちたらしく、ドアから数歩という距離にも点々と残る足跡に、砂の惑星の過酷な自然を再確認する。
何があったというのか、その身体にはあちこち傷痕が残されていた。
確かクルルは着くなり『Trickster』に会いに出向いた筈である。
「この傷は……『Trickster』とは敵でござったか!?」
助け起こそうとするより一瞬早く、クルルが制する。
「イテテテ、滲みるから触ンなヨ先輩」
「……手当てを」
「そんな事より黙って言う事聞きな。……砂が気持ち悪ィ。俺をこのままシャワー室へ連れてってくれ」
「エエッ? しかし……」
シャワーは更に滲みるのではないかと口を挟もうとするが、またもクルルの言葉に阻まれる。
「もうひとつ、地球で不貞腐れてるオッサンに、そろそろ出番をやるぜェ」
黄色の指が動き、ドロロの目の前でケロン文字となって形づくられた。
「え、それは一体何でござるか?」
「……セキュリティレベルは最低でいいぜェ、暗号を難しくしちまうとオッサンじゃ解けね」
「いや、そうではなくて……」
提示されたケロン文字は地球語に翻訳し辛い、性的なJokeだった。
赤面して殆ど紫色になっているドロロを他所に、クルルの顔がにやっと笑う。
どこか誇らし気な表情だった。
「そんなに卑猥かい?」
自分がクルルを扱い難いと思う理由がまた腑に落ちた気がした。
偽悪が過ぎる。
どうしてもシャワーを浴びると言い張るクルルを浴室へ運び、結局全ての世話を引き受ける事になった。
『Trickster』について、そして空白の時間にあった事。
聞きたい事は山程ある。
しかし追求しようとする度、この男に軽く受け流される。
砂粒の残る浴槽から黄色の身体を引き上げ、御丁寧にもタオルで巻いてベッドへ運んで初めて、クルルの足が回復している事に気付いた。
また試された、そんな敗北感に胸の奥底が冷えた気がする。
「明日まで待ちな。まだアテにしていいかどうかわかんね。何より奴自身が決めあぐねてる所だぜェ」
「……」
「何だ? 何黙ってんだヨ」
「拙者はもう、考える事に疲れたでござる。クルル殿自身に説明する気がないなら、拙者も流れに任せるのみ」
既に知る事に対しては諦めの境地というべきかも知れない。
全ては明日。
何が起きようが平常心で受け止める事を誓いながら、ドロロは先刻クルルに指示された短い言葉を、殆ど周囲に筒抜けの通信手段で地球へと送る。
果たしてこんな言葉でよかったのだろうかという疑問を胸に抱きながら―――――
身体を拭い、ベッドに倒れ込むように横になったクルルは長い溜息を吐いた。
話す事は別に構わねェ。
先輩には何度も腹、割らせてるからな。
だが、全部を話して俺と組む気になるかどうか。
今回の件では最も内側を許した相手が、実は一番の裏切者だと知ったら。
この澄んだ目をした先輩は、俺を粛正する側に回るのかね?
……俺様も臆病になっちまったもんだぜ。
ンな事は全てコインの裏表でしかねェ。
なら、この辺りでぶっちゃけちまうのも悪くない。
「先輩」
水の入ったペットボトルを抱く様に座り、オークションに関する資料を読んでいたドロロの背中に、クルルは声をかける。
宵闇にオレンジ色の光と、複雑な影を壁に映し出す間接照明。
非常灯は丸く、この星の赤い二つの月を思わせる。
「なァ、機嫌直してこっちを向いてくれよオ」
今一度機嫌を直したところで、ドロロはすぐにまた機嫌を悪くするだろう。
しかし明日になれば遅かれ早かれ知れる事だ。
「少し夜更かしになっちまうけどな。……これから俺と入り組んだ話をしようぜ」
振り向いた、意外そのものと言わんばかりのドロロの顔。
しかしクルルの気持ちは既に数十年前へと遡り、懐かしい異邦の助手と共にあった。
地球。そして日向家のケロロの私室。
その床でつい眠りこけてしまったギロロ。
背後に置かれたパソコンのモニタに、突然クルルのナルトマークが現れる。
何かに突つかれるように目を覚ましたギロロが振り向いた時、唐突にこの世のものとは思えない不協和音の固まりが耳を直撃した。
「なっ、何だっ!」
流れ、画面上を埋めたマークが消えた後、新たに現われたのは、数個のケロン文字だった。
それを目にしたギロロが頭に血を昇らせて怒るのも無理はない。
まさに罵倒のためにあるような、典型的なスラングだからだ。
寓意や空気を地球語に訳す事は至難の技だが、直訳するならば『Brother Fucker』という事になる。
しかし、その文字列が意味する所がどこにあるか、既にクルルと懇意と言っていいギロロにはすぐに知れる。
ケロロの部屋を飛び出し、地下基地への通路へ出ると、一目散に目的の場所へと向かう。
主のいない寝室は全てが冷え切り、静まり返っていた。
ベッドのサイドにあるテーブルには、今日も様々な物が雑然と置かれている。
飲みかけの水の入ったペットボトル。
数式が縦横に書かれたメモ。
いつからそこにあるのかわからない、中味を確認したこともないキャンディポット。
丸まった紙屑。
ギロロは迷いなく進み、そのテーブルの引き戸の中にある最も上段の引き出しを開けた。
「これか」
引き出しの中の、最も目につく場所に入れられた紙束、そして殴り書き。
クルルはあらゆる惑星の言語に通じているものの、書き文字はそれほど繊細ではなかった。
「ここへ出向けという事か。くそ、簡単に言ってくれる……」
しかも厄介な事に、文面には『日向夏美、冬樹を伴って』という言葉が追加されている。
ギロロの手の中にある目的地のメモ。
そこにはどういう符合なのか、地球の広大な砂漠のある地名が書かれていた。
座標は『33°40'36.05"N 106°28'24.67"W』。
そここそが、数十年を経てケロン軍のメモリーボールが出土した地点であった。